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 森の中からひんやりとした心地の良い風が吹く。適度な木陰は夏の日差しから私たちを守っているみたいだ。

 見上げれば木々の茂る葉の間から覗く空の色。私の肩まで伸びた髪が風に揺れ、首元をくすぐった。


「あともう少しで着くからね」

 流れる景色をぼんやりと眺めていたら後ろから声が掛かった。そういえば休憩が終わり、再び馬に乗ってからずっと空に目を向けていた気がする。

「え……、あ、はい!」

 もしかしたら、あえて何も言わなかったのかもしれない。ぼんやりしていた私を疲れている、と思って気をつかい、そっとしてくれたのだろう。囁くように聞こえてきた声がそれを裏付ける。


 私は前を向いたまま、申し訳ない気持ちであわてて「すみません」と口にする。すると何が可笑しいのか、くすくすと笑われてしまった。

「動かないまま静かだったから、眠っているのかと思ったよ。僕の胸の中で」

「え?」

 言われた言葉に私はきょとんと首をひねる。そしてその一瞬後、暖かな何かが私の体を包み込んだ。


「うん、ヒナって思ったよりも小さいね」

「うわぁ!」

 ぎゅう、と体を締め付ける感覚に、その正体が分かると大声をあげた。

 私の声に「ちょっと、うるさいよ」とでも言いたげな様子で、馬がちらりと視線を向ける。手で口を押さえて声は止めたが、まだ心臓がうるさく体を響かせる。


「で、殿下? ランセル殿下っ」

 本当はいけないことかも、と思いながら私の腰にしっかりと回り込んだ殿下の腕をぺちぺちと叩く。変わらず馬は森の道沿いを走っているが、今の私に景色を見る余裕はない。ランセル殿下も疲れておかしくなってしまったのではないだろうか? ――私はそんな失礼なことを考えながら、そして殿下の正気を戻そうと腕を叩きながら必死に声をかける。


「あ、危ないですしっ。離れた、ほうが」

 声をかけても動こうとしない殿下に視線をやれば、間近にある金色の髪。髪が風で顔にかかり、私は薄く目を細める。

「――っいて」

 動揺を抑えたままどうしたものか、と思案していると私の腰に回された腕がなくなり、同時に後ろから殿下の声が聞こえてきた。

「ど、どうしたんですか?」

「ちょっと、ね」

 殿下は指を口に当てながら私に苦笑いを向ける。口元に視線をやると、少しばかり血のにじんだ指が見えた。

「血が……! 大丈夫ですか?」

「んー? 大丈夫だよ。……悪戯が過ぎた、かな」

 肩をすくめる殿下はちらりともう一頭の馬、ヴェルリル殿下の方向に顔を向ける。つられて、私もヴェルリル殿下に視線を向けるとそこにはしかめっ面の殿下がいた。


「――ひぃ」

 不機嫌そうに眉を寄せるヴェルリル殿下と視線が合うと「っふん」と顔を逸らされてしまった。そしてそれに対し、私は怯えた声を出してしまった。

 気がつかない間にヴェルリル殿下に不快にさせる何かをしてしまったのだろうか? 不思議に思いつつも、「――っは!」という掛け声の後、私の乗る馬を追い越して前を進む殿下の背を見つめた。

 

「……おい、いつまでそうしているのだ」

 前を行くヴェルリル殿下を見ていると不意に、お腹の辺りから声が聞こえてきた。

「ロウ?」

 ロウは珍しく「ヴゥ……」という唸り声を出したかと思えば、見せたのは小さくとも鋭くとがった2本の牙。少しばかり怒りを含んだ声を漏らしながら、私の腕の中にいたロウはもぞりと動いて這い出る。

 

 その声は戸惑う私……ではなく、後ろにいるランセル殿下へ向けられていた。

 顔だけを後ろにやると殿下がやれやれ、といった様子で肩をすくめる。

「悪かったよ、僕が」

「ランセル殿下?」

 謝罪の言葉と共に腰にしっかりと回されていた腕が緩められる。そして背中に感じていた体温が離れると、ロウもその小さな牙を口の中に仕舞い込んだ。

「悪ふざけ、のつもりだったんだけれど。……そう思っていたのは僕だけだったみたいだ」

 だからごめんね、と続ける殿下は言葉でこそ謝罪をしているが顔は、にやけたような、面白いものでも見つけた子供のような顔をしていた。

 ぴたりと密着していた体が離れたためか、上がっていた体温が徐々に下がる。それと合わせるように、強く脈打っていた心臓も落ち着いてきた。

 私は離れていった体温にほっとしながら、でもほんの少しだけ寂しさを感じてしまった。しかしそれは勘違いだと自分自身に言い聞かせるようにふるふると首を左右に振る。

 そして私は誤魔化すように、背中に視線を感じながらも未だランセル殿下にねめつけるような視線を送っているロウの体を撫でた。



「……ヴェルは、一体どこまで行ったんだ?」

 ランセル殿下の言葉に、私も森の先まで視線を凝らす。しかし森は真っ直ぐ伸びた一直線ではなく、しかも木や草であまり遠くまで見通せない。

「あの、もしかしたら私が殿下を怒らせてしまった、かもしれないです……」

 つい先ほど、ヴェルリル殿下に睨まれたことを思い出す。今朝の学院入口でのやり取りか、小川でのやり取りか、それとも馬に乗せてもらっていた時か……。何か気分を害してしまったかもしれないと思いながら私は体を小さくさせる。

「んー、違うとは思うけど……。まぁ、僕としては面白いものを見られたから」

「面白いもの、ですか?」

 私は前を向いたまま頭をひねる。後ろにいるランセル殿下の表情は見えないが、話し方から大丈夫なのだろうとほっと胸と撫でおろした。

「深く考えなくてもいいよ、今は。ヒナにはそのままでいてもらいたいしね」

「……はぁ」

 殿下の言葉の意図が分からず、弱弱しい声で返事を返す。すると突然馬がいなないた。殿下の言った言葉の意味を考えながらも、少しだけ呆けていた私はびくりと肩を揺らす。馬の鳴き声に驚いたのか、数羽の小鳥が空にはばたく。それから下を見ればまたもや、睨み上げるような視線のロウがいた。


「ヒナは、ロウとは長いの?」

 ロウをなだめるように、つやつやとした毛を撫でていると質問が降ってきた。なぜかランセル殿下の馬に乗せてもらうようになってから機嫌が悪いらしい。

 私は手を動かしたまま、視線だけを前に向ける。

「長い、かは分かりません。この姿のロウとはまだ時間はそんなに経っていないんです」

「この姿……?」

「指輪から出てきたんです。おばあちゃんの形見の指輪から。おばあちゃんがいつも嵌めていた指輪なので、その頃から数えるなら長いと言えますね」

 話す前に一瞬、このことを言うか言わないか迷った。だけどロウが妖精だと知っていた殿下だから、言わなくとも何か感づいているのかもしれないと思い私は言葉を続ける。

「指輪、……ロウは魔石の中にいたのか」

「え、知っているんですか? 魔石のこと」

 久しぶりに、しかもロウ以外の間近な人間の言った単語を聞き逃しはしなかった。

 勢いよく振り返れば目を見開き、驚いたような顔のランセル殿下。でもすぐにいつもの笑顔に戻っていた。

「知っている、と聞かれれば知っているかな。専門ではないから詳しくは分からないけれど」

「そうなんですか……。でも知っている人がいて良かったです! 先生達はなぜか教えてくれないし……」

 国内有数の魔法学校であるロータス学院。そこの教師ならば指輪のことももちろん知っているはずだと、入学当初に質問をしたことがあった。……しかし返ってきた答えは「分からない」ばかり。

 口をそろえ、同じ返事をする先生達にいつしか指輪、魔石のことについて聞くことはなくなった。

「……だろうね。もうずいぶん昔から授業でも取り扱わないということになっている。内容が高度すぎる、という理由らしいけれど。表向きはね」

 学院や王都の図書館で調べることができなかったはずだ。ロータス学院で教えない内容が学院や一般の図書館で調べられるはずがない。

 それでも、学院の先生全員が「分からない」ということには疑問を感じるが。


「何か知りたいことでもあるの?」

 いつの間にかロウを撫でていた手は止まり、考え込むように口元に移動していた。

「あ、いえ。……指輪を、魔石を失くしてしまって。王都で何か分からないかと思って色々調べたんですけど――」

「まったく情報がない、ということか」

「はい。……いえ、まったくではないんですが」

 少しだけ、ほんの少しだけだが魔石についての手掛かりを手に入れていた。もちろん図書館でではない。

 それはあまり信憑性のないものであったが、情報が少ない現状では大切な情報源だ。


 しばしの沈黙の後、殿下が言った。

「大切なものなんだろうけれど、あまり一人で抱え込まないように。僕でよければいつでも相談に乗るよ。……こういった身分だと難しいかもしれないけれど」

自嘲するようなランセル殿下の言い方に振り返れば、いつもと同じ笑顔の殿下がいた。

「――ありがとうございます」

 その殿下の笑顔を見て私は顎を下げると顔を前に戻す。

 ロータス学院には上流階級、いわゆる貴族が多く在籍している。私のように平民出身の人間にとっては過ごしにくい場所であるが、それは私たちだけではなかったみたいだ。

 国で最も権力があるのであろう王族――王子という身分は意外に不便なのかもしれない。

 ……笑顔の中に寂しそうな瞳が見えた気がした。

 

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