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空は青く、照りつける日差しを見上げれば自然と目を細めてしまう。強く輝く太陽の光は夏を感じさせるが、森の木々のおかげで直には当たらない。太陽を求めるように枝葉は伸び、時折吹く風にまじった風の妖精が気持ちよさそうに森を泳ぐ。程よい木漏れ日は私たちや、私たちの前にのびている道、森の中に注いでいた。
カポッ、カポッ、カポッ……
上下に揺れ続ける動きに、私の体も同じように動く。お尻から感じる温かさと不安定な私の体。目の前には自分の身長よりもかなり高い所から見える道と、もう少し手前には風に揺れるたてがみに、時折ピクリと動く縦長の耳があった。
「……っひょわ!」
少しは慣れたがそれでも不安定な動きに、たまにバランスを崩してしまう時がある。私にとっての命綱、手綱を握り締めて体のありとあらゆる筋肉を総動員し、姿勢を保とうと努力をする。
……が、
「おい、もう少し近づけ」
普通ならありえない位置にいる人が簡単に私を引き寄せ、ふらつく体を包み込んだ。
「で、殿下……?! あの、ヴェルリル殿下、ち、近いですっ」
背中にぴったりとくっつく殿下に、私は自然と体を丸めるように小さくしてしまう。
「下を見るな、前を見ろ」
「は、はぃ」
だって……、と口を開きそうになるものの、私は閉じた口のまま背筋を伸ばし前を見た。普段よりも速く動く心臓は慣れない馬に乗っているからか、それとも他のことが理由なのか……。
私はトクトクと刻み続ける心臓を馬のせいにし、ほんのりと火照った体を夏の太陽のせいにした。
「――ヒナ、大丈夫?」
「は、はい。なん、とか」
「ごめんね、普段の移動より時間が掛かっていると思うし」
ランセル殿下の言葉に私は否定の意味で首を横に振った。
動く馬になかなか合わせることができず、言葉がうまく返せない。何も考えず口を開こうものなら何度舌を噛むことか。……すでにいくつか出来た口内の傷がそれを物語っている。
私に気遣いの声をかけてくれたランセル殿下は1頭の馬を2人で乗っている私とヴェルリル殿下とは違い、1人で乗っている。正確にいえば、胸の中にもぐりこんでいるロウを入れれば2人と1匹で、だけれども。
「うっ……!」
時折起こる馬の予想外の動きに、またもや口内にじんわりと広がる鉄の味。しかし自ら馬に乗ることを申し出たために言いだすこともできない。数えることを止めてしまった傷に心の中でそっと息を吐いた。
森の中で緩やかに流れる小川。そう深くはない水の中では親指ほどの小さな魚が泳いでいる。目を凝らさなくても見えるくらいに透明感がある小川の淵に私とロウは腰を下ろしていた。
「――大丈夫か?」
「うん、思ったよりは平気。……ちょっとヒリヒリするけど」
心配するロウの横で口をゆすぐ。何度も噛んでしまった口内の傷は、実を言うと相当痛かった。
けれども水で洗い流せたおかげで心なしか、楽になった気がする。
「まぁ……、馬車はともかく、馬自体に乗ることなど初めてだったからな。あの王子の言うことを聞いて馬車に乗っておればこんなことにならずにすんだものを。……まったく」
あきれ口調のロウは私を見上げたかと思うと、はぁ、とため息をついた。私は数度目になるうがいをしながら、水を含んだ状態で頬を膨らませた。
「らっひぇ、……あんらほうはなはしゃ、ほっはらへはふほん! (だって、……あんな豪華な馬車、乗ったら目立つもん!)」
がらがら、と水を喉で鳴らすと足元に勢いよく吐き出す。まだ血が止まっていないからか、私の周囲にある草はうっすらと赤色で濡れている。
「ヒナ……、言っていることは伝わるが、人間の言葉で話してくれ……」
「ははっ、ごめんごめん」
あきれ口調から残念そうな口調に変わったロウに、私は声をあげて笑う。
最後に、と思って両手いっぱいにすくった水を口に入れ、草に付いた血を流すために「っぺ!」と、思いっきり吐き出した。
森中の小川の淵にいるのは私とロウだけ。殿下達は離れた小川沿にいて馬に水を飲ませている。
馬達に休憩させるため、ということで私たちは進んでいた道を止まった。丁度、この小川があったことも理由だ。
……もしかしたら2人とも私の体調に気が付いているのかもしれない。
馬から降りてすぐに、少し離れる、という私に何も聞かなかったからだ。
「もしかしなくとも、優しいんだよね。あの2人」
初めはシア達経由で知り合った仲。私自身はシアやクラスのみんなのように貴族ではなく、本来ならば話すことすらできない。それを言えばシアやリディ、イルもだけれど。普通、平民と貴族がどのような接し方をしているか私は知らない。それでも分け隔てなく話しかけてくれる彼らはきっと優しいのだろう。
「でもヴェルリル殿下は分からないなぁ」
うーん、とうなりながらロウを胸に抱く。ふわふわとした毛並みが気持ちいい。
「分からない、というか分かりにくい……? ランセル殿下の方が分かりやすいよね。話し方も柔らかいし」
兄弟である彼ら2人を思い出す。
クールで命令口調のヴェルリル殿下は少し近づきにくい感じ。一方の兄であるランセル殿下はにこやかな笑顔に口調もやわらかい。
共通する部分は顔かたちや漂う気品もだが、性格も似ているところが多々ある。それは王子だからか、2人とも若干強引なところとか。
「ん……? いや待て」
なぜ私がこの場所にいるのか……。今朝、ランセル殿下に出会ったためだ。
「よくよく考えるとランセル殿下の方がよく分からない気がする……」
個人的にそこまで親しいわけでもないのになぜ、一緒にいるのか? そんな疑問が頭に浮かんだ。
「――何を先ほどからぶつぶつ言っておる」
「んー? いやぁ、なんでこんな状況になっているのかとさ、改めて考えていたのよ」
無意識に撫でくりまわしていたのか、毛がぐしゃぐしゃとなったロウが私を見上げてきた。
「あぁ、あの王子たちか」
「そうそう。なんか変なこと起こらなければいいけど……」
ふぅ、と目を閉じながらロウの毛並みを手でととのえる。
普段ならすでに王都へ到着しているのだ。――馬よりも速く、走るというよりも跳ぶという感覚に近いロウの背に乗り森を駆け抜けて。
通る所はもちろん森の中なので学院の生徒に見られた可能性は低い、……と思う。
「ヒナ……?」
「ま、王都までそんなに遠くないし大丈夫よね、ロウ」
「何が『大丈夫』なんだ?」
へ……? と息を漏らす。聞こえてきた声はロウのものではなく離れた場所にいるはずの、殿下達のものだった。
「あ、……えっ?」
そろりと開けた瞳の前にはヴェルリル殿下とランセル殿下。馬はいないのでどこかの木に繋げているのかもしれない。
「今、誰かと話してたよね?」
微笑みながら首を傾げるランセル殿下に私はぴくりと肩を揺らす。そして曖昧に「あぁ、えと」と呟けばさらに深くなる笑み。
――やっぱりランセル殿下って分かんない!
「やっ、独り言?」
えへ、と冗談のように言えば今度はヴェルリル殿下の眉間に皺が寄る。
――さっきの却下! 優しくないっ、この2人優しくない!
睨みつけるような視線にただ固まるしかない私はぎゅう、とロウを抱きしめた。
ふっ、とランセル殿下が目を細める。
「いつまで経っても戻ってこないから声をかけたんだよ。離れた所から手を振ってみたけど、ヒナは目を閉じていたみたいで僕らにきづかなかったしね」
「そ、そうなんですか」
私か、私のせいなのか……。きっちりと目を見開いてさえすれば私の言葉も聞かれなかったはずなのに。自分自身のせいだと思うと余計に肩を落としてしまう。
「でもそのお陰で確信できた」
「え?」
見上げれば重なり合う視線。ランセル殿下は私と目を合わせたまま言った。
「ただの動物じゃないよね――意思を持った妖精だ」