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 朝日が昇り、しばらくして起きた私はまずベランダで顔を洗った。水道がないため、小さなたらいに水を注ぐ。残った水はベランダに置いてある鉢植えにかけた。

 すっきりとした私は部屋に戻り、タオルで顔を拭きながら服をあさる。あさる、とはいってもそんなに服を持っているわけではない。学費は学院の奨学金制度でなんとかなっているが、それ以外の生活費は自分持ちなのだ。リコット亭で働いたお給金でなんとかやりくりしている、という状況。

 可愛い服とか靴、お化粧にだって興味はある。でも今の私にそんな余裕はなかった。


「よし、これでいっか」


 休日である今日は制服ではない。麻のワンピースに着替えた私は昨日の夜、食堂からくすねてきたパンを口に放り込んだ。少しぱさついたパンが喉に張り付くのをなんとか唾液で飲み込む。

「今日は王都へ行くのか?」

 立ったままパンをかじっていた私の足元にいつの間にかいたロウが話しかけてきた。手に持っているパンを小さくちぎり、ロウの口に向けて落としながら言葉を返す。

「そうだよ。で、そのあとシア達の家に泊りに行くの。そういえばロウはどうする? シア達のことだからロウも一緒で大丈夫だと思うけど」

 シア達と約束しているのは夕方から。昼間はリコット亭で働くのだ。

 もちろんロウにも事前に話したが、一緒に行くのかは聞いていなかった。

「そうだな……、ヒナが行くなら私も行くか」

 ロウはしっぽを左右に低く揺らしながら私を見上げる。

「それじゃ、リコット亭での仕事が終わったら一緒に行こう」

 私は服に付いたパンの屑を払い落す。今着ている服は制服よりもいくぶんごわついた手触りがした。

 


 女子寮から外へ出るために中央棟へと向かった。一応男女別となっている寮とは異なり、談話室などの役割となっている中央棟には性別や年齢関係なく、たくさんの人がいた。休日だからだろう、ほとんどの人は私服で行動している。もしかしたら私のように学院の外に行く人も多いのかもしれない。

 授業があるときは別だが、休日は自由に学院の外に出ることができる。そのため、学生の多くは休日になると王都へ遊びに行ったり家に帰ったりする人がいる。また夏にある長期休暇、いわゆる夏休み、のようなものもあるらしい。

「あっちの学校と似ているところも結構あるよね」

 授業がある普段よりも明るい表情に見えるのは見間違いではないだろう。つい数カ月前までいた学校を思い出した。

 制服よりも華やかな服に多彩な装飾品、おしゃれをしている女の子たちをちらりと見る。そんな彼女たちと飾りっけのない地味なワンピース姿の自分とを見比べた私は自然と隅を歩いた。

 リディやシア達はまだ寮の部屋にいるかもしれない。お泊りの約束は夕方からなので王都へは1人で行く予定だ。


「わっ、何? ……ね、猫?」

 あと少しで扉の前、という所。そこに突然、猫が飛び出してきた。

「なんだ、君。ご主人様は?」

 見た目はごく普通の猫のようだが、長めのつややかな黒毛が一般的な飼い猫ではないことを感じさせる。見ただけで丁寧に手入れされていることがわかる目の前の猫は、一度私を見上げて目線を足元にいたロウへと向けた。

「……あれ?」

 猫と目が会った時、違和感を感じた私は小さく声をあげる。その異和感の理由が知りたくて猫に触ろうと手を伸ばした。


「アートフィレス、何をしているの」


 腰を曲げ、手を伸ばしていた私は体の動きを止めた。そして私が手を伸ばしている間動かなかった猫が私とロウの間をすり抜けていった。私も猫を追うように体を後ろへと向ける。視線を追うとその猫は1人の少女の腕の中にいた。

 

「いつの間にこんな所まで来ていたの」

 言い聞かせるように抱きしめながら話す彼女に見覚えがあった。シアやリディ、その他の女の子たちとは違い、比較的短い髪をした少女。透明感のある金髪を持つシアとイルとは異なる濃い金髪に、翡翠の瞳がとても似合っている。 

 同じ1年の名前は、……イザベラ、だったっけ。

 先日、シア達との会話の中ででてきた名前を必死に思い出した。

「あら、あなたは確か……」

 猫を抱いたままの私に、彼女が近寄ってくる。周りには彼女の友達らしき人はおらず、どうやらひとりで猫を探しに来たようだ。

「ヒナよ。ヒナ・フローリス。同じ1年の。この間、廊下で会ったの覚えてる?」

「あぁ、覚えているわ。私はイザベラ・シスル・タイナートよ」

 互いによろしくと言いあう。入学して大分経つのにこうやって自己紹介しあうなんて少し変な気分だ。

イザベラが話している間、私はイザベラ自身ではなくてその腕の中にいる猫を見ていた。

「ふふ、この子はアートフィレスというの。あまり人が大勢いる所に来たがらないんだけど、こんなところにいて驚いちゃったわ。ヒナが気になって近づいたのかしら」

「どうだろ? でも動物は好きよ」

 言いながら猫の頭を撫でた。想像していたよりもやわらかい毛は少しひんやりとしていて気持ちがいい。

「でも本当に珍しいわ。普通は家族以外に撫でられそうになるとすぐ怒るのに。……あら、この子はヒナの……?」

 そう言ったイザベラの視線はロウに向いていた。お座りしているロウは静かに私の隣にいる。

「そうよ。名前はロウというの」

「そう、……なんだか似ているわね。アートフィレスとこの子」

 毛色とかね、と言うイザベラは猫を抱いたまま屈みこみ、ロウに触れた。



「そういえばヒナはこれからどこかへ行くの?」

 立ちあがったイザベラが話しかけてきた。

 私はそうだった、と口に手を当てる。久しぶりにシア達以外と普通に話したことでうれしくなっていた私はすっかりとこれからのことを忘れていた。これからお世話になった人のお店を手伝いに行くの、というと「頑張って」と応援してくれた。

 シア達以外にこんな風に接してくれる人が少ないので新鮮だ。王族であるシアやイルと一緒にいるからだとは分かっているけど、あまり実感のない私にとって困ったことだった。周りの人の態度やねたみを含んだ影口なんかは悲しくもあったし、苛立ちも感じさせた。

 もちろんシア達は友達だし、大好きだ。シア達といる私、ではなくて私個人を見ようとはしない周りに苛立っているのかもしれない。だからこうやって私自身と真っ直ぐに話してくれるイザベラに好感を持ったのだろう。

「そうしたら今日はこちらには帰ってこないの?」

「そう。あ、いや今日は―――」

 

「やあ、ヒナじゃないか」

 イザベラと話していると私の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。耳を頼りに声の主の方を向く。

「ランセル殿下っ?」

 殿下の登場に驚いたのは私だけではなくイザベラもだったようだ。一歩下がりお辞儀をしながらも目を見開くのが視界の隅から見えた。

 多分私の目も同じように大きくなっているだろう。これまではシアやイルがいるときに会うことはあったがそれ以外、ランセル殿下とは面識がなかったからだ。

「聞いたよ、イルに。今日、イル達の家に泊るんだってね?」

「あ、はい」

 それがどうしたのか、と問いかけようとしたけどなんとか思いとどまる。なぜか私が知っている普段よりも笑顔が眩しい気がする。

「そんなにイル達と仲良くなっているだなんて驚いたんだよね」

「……はぁ」

 隣では話の内容が掴めていないイザベラが首を傾げている。そんなイザベラの為に簡単に説明すると「そうなのですか」と頷いていた。


「うん。だからね、僕たちも行こうかなと思って」

「え……?」

「えぇ?」

 小さく驚く私と同じようにイザベラも驚きの声をあげた。笑顔を崩さないランセル殿下と比べて私たちはどんな顔をしているのだろうか。隣のイザベラは大きく開いた瞳に仄かに頬が上気している。考えなくても分かることだが、目の前にいる彼はこの国の王子様なのだ。憧れの、いや、それ以上の対象として見ている者も多いだろう。

 その証拠にランセル殿下と話している私たちに向けての視線がものすごく感じる。それもあからさまな。特に同性、女子の視線が突き刺さる。隣にいるイザベラも感じているのだろう、すでに頬の赤みは消え、目で周りの気配を伺っているようだ。それにしても……。

 絶対に気がついているはずなのにそれを表情におくびにも出さない殿下に対して私はひきつった笑みを見せた。



「そ、それじゃあイザベラまたね」

「え、ええ、また」

 ぎこちなく手を振る私に、ぎこちなく手を振り返すイザベラ。イザベラに背を向け扉に向かう動きが鈍い。それはきっと女子たちの眼光のせいだろう。

「足元に気をつけて」

「は、はいっ」

 扉を開け、先を促す殿下に戸惑いながらも足を踏み出した。

 外へと出た私は安堵のため息を吐く。ただ数歩歩いただけで疲れたのは初めてだ……。

「それじゃあ行こうか」

 肩を落とし、ぐったりしている私に声をかけてきたのは、私がこんな状態になった原因であるランセル殿下。太陽と同じくらいに眩しい笑顔が少し憎らしい。

「や、やっぱり遠慮し……」

「歩いて行くの? 王都まで?」

「うぅ……」

 有無を言わせない物言いに私は返す言葉がない。王都へ行く、と言う私の話を聞いた殿下が自分の乗る馬車で送ってくれると言うのだ。周りにも聞こえたのだろう、背後でざわり、とするのが分かった。

 それにしてもこの有無を言わせない感じ、もう一人の王子であるヴェルリル殿下に似ている。初めて魔法の授業を受けた時のヴェルリル殿下の物言いがそうだ。それは王子だからか兄弟だからか……うん、その両方だろう。

 

 なんでこうなった? 

 たまたま私がシアやイルの友人だから、というのは間違いない。

 

 本来ならばこんな近くに寄ることさえできない人物を見上げながら思った。

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