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少しばかり蒸し暑い教室内に先生の声が響く。皆、授業を熱心に聞いているからか、教室には先生の声と外から風を入れるために開いた窓の外からの風や鳥の鳴き声しか聞こえない。
いや、もしかしたら真面目な生徒以外もいるかもしれない、……私みたいに。
「ふわぁ……」
黒板に向きあい、私たち学生に背を向けている状態の先生を見ると私は小さくあくびをする。時間は昼過ぎで、もう数分で授業が終わるという頃合いだ。大分授業に慣れてきたからか、最初の頃のような緊張感がなくなり、逆に眠気がたまに私を襲うようになってきた。
それにお昼を食べた後の学科の授業とは、……なぜか眠くなる。特に直接、魔法とは関係のない授業の時は。
「……なので、妖精というのは私たちの周りに常に存在しておる。もちろん私たちが魔法を使う際に見たり感じたりするのが妖精たちで、説明せずとも皆も分かるだろう。しかし妖精について全てを解明することはできておらず、その謎を我々のような者や魔法士などが日々研究していて―――」
実際に学べる実技の授業や呪文を学ぶための言語学、医療などに役立つ薬学などと比べるとこういった説明の授業は単調でどうも私には合わない。頭では必要な知識だとは分かっているけど勉強していると不得意、というか苦手な授業の1つや2つは出てくるから仕方がない、はず。
それでも試験なんかがあると分かった日にはきっと徹夜なんだろうな。
私は書き写した黒板の文字や簡単なメモで埋まったノートのページをめくる。そしてまだ真っ白なそこにたった今、黒板に書き足された文字を写していった。
「―――それでは、今日はここまで」
先生がいうと同時に室内はざわざわと生徒の声で満たされる。扉を開けて出ていく先生を見送ると私は大きく背伸びをした。
「ちょっとヒナ、あくびばかりして! 先生のお話を真面目に聞いていたんですの?!」
「聞いてたよ、ばっちり。ただちょ~と眠くなっただけ」
「まったく、信じられませんわ!」
私が腕を伸ばしているとリディがこちらを向いた。私を見る目は少し怖い。
いつも真剣に授業に取り組んでいるリディには私が授業中にあくびをしていたのは耐えられなかったのだろう。……あくびをした瞬間、隣に座るリディの視線が痛いほど感じられた。
「まぁまぁ、僕もヒナの気持ちはわかるよ。お昼の授業で眠たくなる気持ち」
「でしょ? イルもそう言って……る、し」
笑いながら言う私の隣からまたリディの視線が。私は最後まで言いきらず「ご、ごめんリディ。これからはちゃんとする」と言った。
「ははっ、リディは真面目すぎるからね。同級の女の子達と比べてみたらよく分かるよ」
イルの言葉に私は室内を見回した。昼の授業が終わりクラスのみんなはすでに帰った者もいれば、帰り支度をしている者もいる。私はそのクラスメイトの中でも女の子たちに視点を送る。
「イルの言いたいことが分かるような……」
綺麗にほどこされたお化粧に、どうやって結うのか想像もつかないような髪型。そんな彼女たちは白く傷1つない肌をしていて、私たちが着ている制服よりもドレスの方が似合うのではないだろうか。それにしても1人でどうやってあの髪形を作っているのか不思議でたまらない。
私はいわゆる「お嬢様」な彼女たちを見ながら、うぅ~んと唸る。
「イル様、わたくしをあんなひ弱なご令嬢方と比べるだなんてひどいですわ。家名、家柄に縋り、ろくに勉強はしようとはしない。それなのにプライドばかり高い彼女たちなどとは」
ふん、と鼻息を荒げながら力説するリディに私とイルは若干たじろぐ。尚もリディによる力説は続く―――
「……入学できたからと、勉強を怠るなんて。ロータス学院に入り、共に切磋琢磨し卒業したら国の、民の為に頑張ろうと励まし合っていたのにっ。専門的に魔法を学ぶ機会が与えられたと言うのに、これでは何のために貴族として生まれてきたかわかりませんわ。貴族の役割を勘違いしている方も増えているようですし。だからイアン・リザーズなどのような平民出身の学生が台頭してきてるのですわ」
「リディー、おーい、大丈夫? それに何でそこでイアンが出てくるの?」
自分の世界に入ってしまっているリディに私は声をかけて呼び戻す。イルも一緒になって声をかける。
多分リディが言っているご令嬢たちとは、試験の際にリディの周りにいた女の子たちだろう。前のことなので顔など、私の記憶には残ってはいないが想像はつく。試験までは互いを励まし合ったりしていたのではないだろうか? しかし入学できたのを機に、リディと彼女たちは疎遠になってしまった、というところか。 まぁ、真面目なリディに対して年頃のご令嬢たちは勉強よりも違う方向に意識がむいているのかもしれない。ここで生活をしているといろいろな情報を得たり噂話を聞くことがある。その1つに、ロータス学院の貴族の女子は結婚相手を探すために来ている、というものだ。
貴族の女性とはこんな若い時から結婚相手を探さないといけないのか、と初めて知った時にはとても驚いた。でも私には関係ないことだ、とリディに声をかけながら考える。
「……できたわ!」
私、リディ、イルの3人が話している間、1人で何かの作業をしていたシアが急に声をあげた。自分の世界に入っていたリディも含めて、シアの言葉を聞いた私たちは一斉に顔を向ける。
「何? シア、何作ったの?」
「ふふん、次の休日までもうすぐでしょ? だから先日考えた計画に加えて他にも考えたのよ」
イルの質問に得意げに答えるシア。そんなシアに私たちは首を傾げる。
「それ僕達には見せてくれるの?」
「どうしようかしら。……まだ計画中だから、駄目ね」
少し考えた後に1回頷く。私たちは何を考えているのだろうと顔を見合わせる。
「それじゃあ計画が完成したら教えてね」
私がそう言うとみんな帰り支度を済ませ、教室を出ることにした。
+ + + +
「ヒナ達は何の話をしていたの?」
教室を出た私たちは校舎の外に出るため、外につながる廊下を歩いている。窓から傾き始めた陽の光が差し込み廊下を明るく照らす。辺りには私たちと同じように校舎外に出るため、同一方向に歩いている人達がちらほらいた。
「何って……同じ1年生の女の子の話? あの髪形はどうなっているんだろう、みたいな」
「えぇ、何それ。まぁ知らないなら気になるわね」
私たちが話していた内容が意外だったのか、シアは笑いながら顔を振り向く。振り向いた先には教室にいた以外の女の子。その子たちの髪形も1人以外は先ほど話していたお嬢様たちと似ている。
「シアは知っているの?」
含みのある言い方に私は気になって尋ねる。何かを思い出したのか、シアは少しうんざりした顔だ。
「もちろんよ。というか、学院に入学する前に侍女たちが厳しく教え込んできたから。淑女のなんとやら、なんて言われたわ」
「うわぁ。やっぱりお姫様なんだね。……で、どうするの?」
「やっぱりって……。あの髪は魔法よ。風と水の魔法ね。複雑なものは大変だろうけど彼女たちの髪形くらいなら比較的簡単じゃないかしら」
シアの言葉に私は口を開ける。だって髪をまとめるのにわざわざ魔法まで使うだなんて。
それでも納得はできた。彼女たちが1人で毎朝鏡を見ながら格闘していると言われるよりずっと信じられる。
「わたくしとしてはもっと違う方に魔法の力を使ってほしいですけれど。髪なんて1つにまとめるだけで十分ですし。いっそのことヒナのように短くしようかしら」
自分の髪を摘まむリディに私はもったいないから、とあわてて止めた。
ようやく肩よりも下まで伸びた髪だけどリディにとったら短いのだろう。ふわふわとゆるく波打つ赤い髪を見ながら思う。
「せっかくきれいなのに。私は何もせずに下ろしたままのリディの髪、好きよ?」
まったくもってうらやましい限りだ。自分の髪色とは違うからか、この世界に来るまで見たことのなかった髪色に、憧れのまなざしを送ってしまう。
だから思ったままの気持ちを言ったのに、なぜか怒られた。
「気にしなくていいわよ、リディは照れてるだけだから。それに私も素直なヒナが好きよ」
首を傾げる私に小さく笑っていたシアが私の肩に手を置く。
「え、うん? ありがと?」
励まされて、なぜかシアに好きだと言われてしまった。目を1度ぱちくりさせると、私はまたしても首を傾げた。
「……髪のことについては分かったんだけど、全員がそんな感じじゃないよね」
先ほどシアが見ていた先にいる女の子たちをイルが同じように眺めている。
「あぁ、イザベラね。貴族の女性としては短めだし装いも清楚ね。あまり知った仲ではないけれど人当たりが良くて成績も優秀らしいわね」
シアの話しに私たち4人ともそのイザベラと言うらしい女子生徒を見た。数少ない同級生なので顔を見たことはあっても話したことはない人はいる。イザベラはその中の1人だ。イザベラは私たちの視線に気がついたのか、にこりと頬笑み、軽くお辞儀をした。
「良い人そうだね。かわいいし」
「確かに他のご令嬢方とは異なって常識はありそうですわ。魔法の使い手としてもなかなかですし」
イザベラは友人であろう人たちと歩いている。リディがイザベラを常識がある、と言ったのは彼女の友人達の態度を見比べてだろう。静かに会釈するイザベラとは違ってその友人たちは高揚した顔に「きゃあ」と声をあげていたからだ。そのあとイザベラが彼女たちに何か小声で言うとはっと思い出したように頭を下げていた。
「可愛い子だったね~。成績も優秀でかわいいなんて羨ましい」
イルが外へ続く扉を開き、私はその扉をくぐりながら呟いた。
「あら、そうしたらヒナはわたくしのことも羨ましく思っているのかしら」
「え、リディを? なんで?」
「先ほどヒナはわたくしをきれいだと言ったじゃない。加えて成績優秀ですし。もちろんシア様の方がより美しく、秀才ですけれど」
きれい、とはリディの髪のことを言ったつもりだったんだけど。しかし自分で堂々と言いきることができるリディははっきりいってすごい。
横では少し引き気味の私を見てシアとイルが笑っていた。