入学式
「ヒナ、準備はできたかい?」
部屋にラネさんが入ってきた。私は「はい、ほとんどできました」とラネさんのいる部屋の入り口の方へと振り向く。
「あら、似合っているじゃないか。……あぁ! 掃除なんてしなくていいんだよ。後でやっとくから」
「でもお店もあるし……」
「せっかくの入学式なのに、新しい制服が汚れでもしたらどうするんだい?」
試験の日から5日後、今日は学院の入学式だ。
入学式は入学試験と同じ時間の9の刻からで、8の刻30分までに学院本館で受付をしないといけない。
私は新しい制服に身を包み、準備もほとんど終えた。
これからは学院の寮生活になるのだが、家具などは備え付けなので服や小物などだけ持参すればいい。
今まで暮らしていた部屋なので掃除くらいは、と思いゴミを集めたりしていたのだがラネさんに断られてしまった。
いつもより早めの朝ごはんができているみたい。
今回はお言葉に甘え部屋の掃除をラネさんに頼むことにし、真新しい制服のスカートを揺らしながら小走りで食堂へと向かう。
「おはようございます」
私が1階の食堂へ行くと朝働きにくる女性の人たちがいた。まだ開店には早い時間で普段なら厨房のおじさんたちくらいしかいないはずで、女性たちはもっと後に出勤のなのだ。
「おはよう、今日からでしょ」
「制服、似合っているじゃない」
「ありがとうございます。わざわざ早く来てくれたんですか?」
「そうよ、ヒナの晴れ姿を早く見たかったのよ」
朝働きに来る2人は私を見送るためにいつもより早めに来たみたいだ。
私に「頑張ってね」と言うと、時間に余裕があるからかラネさんの仕事を手伝いに向かっていった。
私たちの会話が聞こえたのか、ウィンスさんが厨房から顔を出してきた。
「おはよう、ヒナ。テーブルに朝食があるから冷めないうちに食べなさい。食べてしまったら声をかけるんだよ」
ウィンスさんはそういうと、仕事があるのかまた厨房へと戻っていった。
私は「分かりました」と返事をし、テーブルに置いてある朝ごはんを食べ始める。
今日は学院に行くのが2度目ということで、1人でいくことにした。
現地まで馬車なので迷うことはないし、それに朝は食堂で忙しい時間なので1人でも抜けると大変なのだ。
ウィンスさんは今回も一緒に行くと言ってくれたが迷惑をかけるわけにもいかない。
最後まで心配していたが、なんとか私が1人でいくことに賛成してくれた。ただ馬車代は出すからと言われてそれはお願いしてしまったんだけど……。
いつの間にか起きてきたロウも床の上に用意してあったミルクを飲んでいた。
私は朝食を食べ終わると食器を持って厨房に向かう。
「ウィンスさん、食べ終わりました」
そういうと「多分もうすぐ馬車が通るだろうからそれに乗っていくといい」と、私が持っている食器を受け取りながら話をする。
私はウィンスさんにお礼を言うと、部屋へ戻り荷物を持って食堂へ戻る。
「あ、みなさん…」
私が階段を下りてくるとリコット亭のみんなが集まっていた。ロウも一緒に待っていたようで、私が来たのに気付くと足元に駆け寄ってきた。
「ヒナがいなくなるのは寂しいねぇ」
「いつでも帰ってくるんだよ」
みんなが口々に言葉をかけてくれる。私は「ありがとうございます」「頑張ります」など言葉を返していく。
ここで働いている人たちはどの人も暖かく、そして優しさであふれている。まったくの他人同士なのにここまで思ってくれているなんて、改めてここにいれたことに感謝したい。
「ほら、あんまり話していると仕事が間に合わなくなるよ!」
ラネさんの一言で「そうだった」と厨房のおじさんや主婦の女性たちはそれぞれの持ち場に戻っていった。
最後に残ったのは店主とおかみさんである、ウィンスさんとラネさん。
「あの、今まで本当にありがとうございました」
私はお礼を言ってぺこりとお辞儀をする。
「一生会えないわけじゃないし、そんなに畏まらなくていいよ」
ラネさんが私の背中を撫でながら顔をあげるように言う。
「あぁ、いつでも帰ってくるといい。分からなかったらイアンも連れてくればいいさ」
ウィンスさんがいつもの笑顔で話しかけてくる。
そんな2人にもう一度お礼を言うと、少ない手荷物が入った鞄を持ち外へ出た。
+ + + +
入学式という晴れの日にふさわしい、雲ひとつない晴天だ。
時折大きな揺れを伴う馬車内からその気持ちのいいほどの青空を見上げる。
私が乗っている馬車には窓ガラスなんかは付いていないので直に風が当たる。
春の風はなんとなく花の匂いが含まれているようで、気持ちのいいものだ。
少し前だったらまだ冷たい風も吹いていてこのように感じることはできなかっただろう。
私は春の匂いのする風を浴びながら、学院までの道のりを馬車で進んだ。
「いつ見ても大きいなぁ。…にしても人が多いっ」
2度目となる今いる場所、学院の門には新入生と思われる学生たちと保護者や付き添いの人々であふれかえっていた。
新入生だと識別できたのはみんな同じように真新しい制服に身を包んでいるから。
私が着ている女子の制服はチュニック型のもの。襟付きのシャツの上に見た目がジャンバースカートを着た感じ。腰より少し上、胸より少し下の部分をベルトで締めることで体を細く見せることができる。襟にリボンもついていて結構かわいい。
男子は今見た限りだと襟付きのシャツは同じで、ベストまたはセーターなどを着用しているみたい。
そして今私は羽織ってはいないがローブをつけている人もいる。
私は同じ新入生の人たちを見ながら歩こうとするのだが、かなりの人と荷物の多さだ。
ざわざわとしていて、なかなか前に進むことができない。
というか、そんなに荷物は必要なの?! っていうくらい多荷物の人もいる。
門の中へは試験の時と同じく、新入生以外の人は入ることはできない。
荷物が多いのは女の子がほとんどで、革製の箱型の鞄を何個も馬車から出している人がいた。
どうやってそれらの荷物を運ぶんだろう…、なんて思いながら私はロウと一緒に門をくぐった。
門から中へ入ると外の喧騒がうそのように静まり返っている。
静か、とはいっても鳥たちの鳴く声や風のさわさわとした音は聞こえ、とても心地よい。
私は5日前に通った道を今度はロウと一緒に歩いていった。
+ + + +
「こんにちは、入学おめでとうございます!」
門の中にいた先輩と思われる人の指示に従い、入学試験の時に最初に入った建物である本館へ向かった。
本館には新入生の半分の人数である約20人程度がいた。
今いる場所は入学試験で多くの受験生が集まった、広いホールのようだと思った所。
本館に入ってすぐの入り口で本人確認の手続き、それから手荷物を預けるとすぐにそのホールへと入った。
私たち新入生以外にも学生がいるが、それは男女とも同じ左胸についている校章の色が学年で違うことから分かる。
ロウは手荷物と一緒に預けているのでここにはいない。
今日から住む寮に入学式の間に移動するとのことだ。
入学式はこの広間で行われるそうだが、まだ時間には早いようで始まるまで時間があるようだ。
私は特にすることもないので入り口横の壁に肩を預けるように立ち、このホールへ入ってくるこれから同級生となる新入生を眺めていた。
「あら、あなたこの間の平民じゃないの?」
入り口の方を見ていると、横から声をかけられた。私は「友達できるかな」とか「勉強についていけるかな」なんて考えながら新入生たちをぼんやり見ていたので、声をかけられるまで気がつかなかった。
「口を慎みなさい、リディ。この学院は身分関係なく、入学が許可されたものなら誰でも学ぶことができるのよ。……あなたも気を悪くさせてしまったのならごめんなさいね」
「あ、いえ」
声をかけられた方を向くと、2人の少女がいた。
最初に声をかけてきたのは赤毛のくるくるパーマの子。彼女は入学試験の時にも会ったことがある。その時も確か私のことを「平民」呼ばわりして少しあたまに来たのを覚えている。
そしてもう一人の少女は金髪碧眼の見目麗しい少女。下ろしたら腰まであるだろう髪を頭の上で結び、すっきりとした首回りが彼女を知的に見せている。金髪の彼女は私に「リディも悪い子ではないのよ」と眉を下げ、すまなそうな顔で謝ってきた。
私は謝ってきた彼女にあわてて怒っていないということを伝えると、彼女はほっとした顔をしていた。
「え、えーと。私はヒナ・フローリスです。これからよろしくお願いします」
私はこの気まずい空気を変えようと、自己紹介をすることにした。
そう言えば、赤毛の子には入学式のときにも会っているが、名前もはっきりと知らないということに気付いた。金髪の子はともかく、本当は赤毛の子とはよろしくしたくないが、同級生が40人なら嫌でも関わらなければならないだろう。
「わたくしはリデーレ・レソン・パッセルよ」
「もうっ、リディったら。……私はセレシア・マム・デモール。シアでいいわよ。こちらこそよろしくね」
金髪の子はシア、赤毛の子はリディと呼ぶことになった。
リディはシアに言われたせいか、私のことを平民とは言わなくなったがなんだか不満そうだ。
口をへの字にして、私と目を合わせようとはしない。
最初のころはリディの態度に腹が立っていたが、なんだかここまであからさま過ぎるとどうでもよくなってきた。
というか、顔にまではっきりと私に対する態度が出ているがシアがいるためか、口にまでは出さないようだ。
シアたちに年を聞くと2人とも13歳ということだった。
12歳から試験を受けられるので、新入生は12,3歳がほとんどを占めている。
私のようにそうではない人もいるみたいだが、数は少ないみたい。
15歳の私とあまり年は変わらないが、年下だからと思うとリディの態度も少しは我慢できる。
でも2人の年齢を聞くと驚いてしまった。なぜなら2人とも身長は私よりも高く、体つきも13歳と思えないくらいに豊かだからだ。
まだ私が村にいた頃、同い年のリチェを見たときもそうだが、この世界の人間は体の発達が早いようだ。
私も一応この世界の血が流れているはずなのに……、なんて思ってしまう。
「なんだか人が増えてきたみたいね。もうそろそろ始まるかもしれないわ」
私がうなだれていると、シアがホールの中にいる人々を見ながらつぶやいた。
どうやら私たち3人は思っていたよりも話しこんでいたみたい(私とリディは会話らしい会話はしていないが)で、その間に新入生のほとんどが入室していたようだ。
丁度その時、私やその他の新入生が入ってきた扉が閉まった。
「諸君、入学おめでとう!」
いつの間にいたのか、学院長がホールの中央、新入生に囲まれるようにして立っていた。
みんなも今気付いたのか、あわてて学院長から離れ、学院長の周りを囲むように新入生がいる。
私たちも学院長が見える位置に移動した。
「ここにいる新入生はロータス王立学院魔法科の諸君じゃな。みなも知っているだろうが、魔法科の他に普通科もある。普通科と魔法科は場所が離れているということで別で入学式を行っておる。まあ、式といってもわしの簡単な挨拶ぐらいじゃが……」
急にあらわれた学院長はみんなのあわてる顔を見ながら「ほっほっほ!」と笑い、話を続ける。
「今日から7年間、ここが皆の家となる。特にここにいる同級のものと長く過ごしていくことになるが、それぞれが良き友、良き好敵手(ライバル)になることを望んでおる。……それでは、わしは普通科の入学式にも顔を出さねばならんのでな、また後に会おう!」
室内の空気が学院長の周りに集まる。小さな竜巻のようなものが学院長を囲み、その竜巻が拡散したと思ったら中にいたはずの学院長が消えていた。
「さすがこの国一の魔法使いね。最初来た時も気配すら気付かなかったし、今の魔法も確かあんな簡単に使えるものではないはずよ」
「そうですわね! わたくしもエーヴァルト学院長の下で学べることを誇りに思いますわ」
私と共にいる2人の少女が今学園長がいた辺りを見ながら、目をキラキラさせている。
周りの同級生たちも同じように目を輝かせながら、興奮したように声をあげている。
ざわめく新入生たちに向かってパンッと手を合わせた音が聞こえると、先生の説明が始まった。
「静かに! それでは、今から入学にあたっての諸事項を伝えます。そのあとに寮へ皆で向かい、各自に割り当てられた部屋へと入寮してもらいます。昼ごはんは今日だけ特別に、部屋に用意してあるので自由に食べてください」
門限や立入り禁止場所、寮の説明といった注意事項がほとんどだった。
後は各々の部屋に紙が置いてあるのでそれを読むように、とのこと。また、寮の中に学院からの必要な情報が書いてある紙が掲示されるので、部屋に帰る際に見ること、と伝えられた。
説明が終わると、次にこれからの私たちの家となる寮への移動だ。
数人の先生に先輩たちの後に続いて移動する。
「わぁ、豪華!」
「まあまあですわね」
私はシアとリディと並んで歩き、目の前に寮が見えると口々に声を出した。
「ここがこれからの私たちの家になるのね」
シアの言葉に頷きながら、建物の前で立ち止まった先生の話を聞く。
「ここから左の棟が男子寮、右が女子寮です。男女の寮をつなぐ真ん中の建物はお風呂場や軽い食事をとれる食堂、談話室などがあります。また、寮を管理するものたちもこの中央の建物にいます。分からないことは先輩方に聞くといいでしょう」
先生がそういうと、一緒にいた数人の先輩たちが男女に分かれ私たちを寮の中へと案内する。
「では、夕方まで自由時間とします。部屋の片づけなどをしてゆっくりと過ごしてください。……それと男女それぞれの寮への行来きまでは厳しく注意しませんが節度ある態度で過ごすように、以上です」
「どんな部屋かな?」
「わたくしはセレシア様の近くがいいですわ」
「そうね、私もリディやヒナと近くの部屋がいいわ」
先生たちは寮の説明を先輩たちに任せ、離れていった。私たち新入生は先輩たちの後について、これからの家となる寮の中へと入っていった。