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空から雨が降ってきた。
今日は晴天だ。雨を降らせる雲は空の上をふわふわと、青空の中を浮かんでいる。
普通なら雨なんて降らないはずの天気だとわかるはずだ。
この空を見ると、誰にでも今降っている雨は自然現象ではないことがわかるだろう。
だが私たちの頭上に降り注ぐ雨は幻影でもなく、ここにいるすべての人たちを濡らしている。
口火を切ったのは2グループの男の子だった。
彼は試験開始の合図がでてほんの20秒も経たないうちに魔法をだした。
私が空を見上げ深呼吸しているとぽつり、と雨の雫が落ちてきたのだ。
私は周りに集まってこようとする精霊たちを気にしながらも、彼が繰り出した雨の魔法を見る。
春の陽気とはいえ、今はまだ肌寒さが残る。
雨で直に濡れれば余計に寒さを感じるはずだ。しかし少なくとも私は寒さを感じなかった。
太陽の下で降り注ぐ雨はその光に反射し、きらきらと輝きながら落ちてくる。
光の雨の中には虹ができている。
太陽の光とその光に反射する雨、そして偶然か、太陽を囲むように虹が覆いかぶさっている。
この風景を見ていると雨に濡れたことによる肌寒さを感じることも忘れてしまった。
きっとそれは他の受験生や先輩たちにも言えることだろう。
辺りは歓声を挙げることすらせずに空を見上げている。
「雨を降らせるだけでもあんな魔法が魅せられるんだ…」
私も空を見上げながらポツリとつぶやいた。
2グループの彼の周りには水の妖精たち。あまり数は多くないし、力もさほど強くはないみたいだが彼とは相性がいいのだろう、妖精たちはうれしそうに彼に力を貸しているようだ。
今日の試験を見る限り、特に突飛な魔法ではないと思う。
でも彼は周りにいる妖精たちの力を十分に発揮し、その妖精たちは魔法を使った後も彼のそばを離れようとはしない。
離れない妖精たちに彼は少し困ったような顔をしているが、それでも嬉しそうに水の妖精たちと触れ合っている。
魔法を出し終わったのだが、妖精が彼から離れないために普通なら消えてしまうはずの雨がまだ降り続けている。時折その雨の中から顔を出すように水の妖精が私の元へやってくる。
「この雨は君たちだよね。とってもきれいだよ」
私がそう言うと水の妖精は恥ずかしそうにしながら、また彼の元へと飛んでいった。
雨はまだしとしとと、ふり続く。この中庭には屋根と言うものはないので、壁際に立っている受験生たちはもちろん、屋上にいる先輩たちもこの雨ですっかり濡れてしまっている。
しかし静まり返った会場内はそのままで、しーんとした空間がこの辺り一帯を覆い尽くす。
先ほどまでの試験で風や火、そのほかの魔法によって無残な姿になりつつあった木や花たちは雨が降ることで少しずつ元気を取り戻しているようだ。
水の魔法も今まではあったのだが、今回のような雨という全体的に影響を与えるような魔法ではなかったのだ。
私はぬれた顔をすでにこちらも濡れてしまっている服の袖で軽く拭う。
彼の魔法につい魅入ってしまったが、私も試験中なのだということを思い出した。
試験には時間制限があるのでその中で魔法を魅せないといけない。
…うん、だけどこれで緊張しているのほぐれたかも。
今の時点で多分、試験開始1分弱ではないだろうか、始まるときはあんなに心臓をどくどく言わせていたのに今ではいつもの私に戻っていた。
平常心を取り戻した私は時間を気にしながらも集まった妖精たちを見渡しながら、どんな魔法を出すか考え始めた。
試験中に色々考えてたけど実を言うとまだ決まってないのだ…。
他の人たちがしたようなことはさすがにできない。私が考えていたのと似たような魔法で試験を受けた人もいて、ネタ切れという状況だ。
最後になれてよかった、と思ったけど今になると逆に最後ってあんまりよくないってことに気付いた…。
そんな風に考えていると今まで体を濡らしていた雨が急に止んだ。
代わりに降ってきたのは雪。
ついさっきまで雨が降っていたのに今度は雪がふわふわと降ってきた。
「これも魔法……、」
雪の魔法を出したのは1グループの金髪碧眼の男の子だった。
その魔法は雨の魔法を利用して雪を降らせたと思われる。
私が彼を見ると、彼は続いて何か呪文を唱え終わったようだ。
唱え終わったその瞬間、目の前が白い煙みたいなもので覆われる。
「っな、なに?」
私は手をぱたぱたと動かし煙を払う。
煙が薄くなってきて、周りを見渡すと他の人たちも私と同じように手を動かしていた。
そして徐々に辺りが開けくる。一体何が起こったのかと周りを見回した。
「え、今の一瞬で?」
空は相変わらずの晴天だ。雪も降りだしたときのまま変わらない。
今の一瞬で変わってしまったのは、
「雪が、…積もってる」
この中庭一面に雪が降り積もっているのだ。
地面にはもちろん、木や花、そして私たち人間にもいつの間にか積もっていた。
体に積もるその白くて冷たいものはどこから見ても雪だ。
雨で濡れているはずなのに、魔法だからか解ける様子もない。
私が「すごい…」と思いながら空を見上げる。もちろん空から降るのは雪。
だが、よく見ると雪と一緒に他のものも降ってきた。
雪と一緒に降ってきたのは光の雪。光の妖精が雪に交じって、空から光を降らせている。
まるで太陽の輝きがそのまま降り注いでいるかのようだ。
その魔法を出したのも1グループの彼のようで、光と水の妖精たちが彼の周りを飛んでいる。
幻想的ともいえるその魔法はいつまで見ても飽きないくらいだ。
そして彼の場合も2グループの男の子と同じようで、妖精たちが居続けているためにまだ魔法の効果が続いている。
同じ最終組の2人の魔法は妖精たちの本来の姿を生かした魔法だ。
雨や雪といったありふれたものだが、魔法で生み出すことで幻想的な空間を醸し出している。
それは太陽と雨、雪と光のように現実ではあまり見られない組合せの現象だからつい魅入ってしまったのかもしれない。
私は最後に雪と光の雪を見ると目をつぶった。
今まですごいことをしないといけないと思って、試験でどんな魔法を出そうかと考えていた。
もう残された時間は1分もない。
でも今はさっきまで悩んでいたのが嘘のように自然に頭に浮かんでくる。この短時間で成功するかは分からないがやるしかないのだ。
浮かんだ魔法に必要な妖精たちが周りからたくさん集まってきた。雪で冷たいはずなのに妖精のおかげか、なぜか暖かい。
十分に妖精たちが集まったところで目を開き顔をあげ、右手をあげた。
私が空に向かって勢いよく腕を振りあげるのと同時に中庭の外から風がなだれ込んでくる。
太陽の光で十分に暖まっている風は魔法の力も合わさって、中庭一面に降り積もっている雪を瞬時に溶かしていった。
いつの間にか降っていた雪もやみ、もとの暖かさが戻っている。
次に私は掲げた右手を横になぎ払う。
すると私の周りにいた樹の妖精たちが中庭にある植物に成長を促すかのように力を貸した。
中庭はまるで花畑のように花でいっぱいになり、木も青々と生い茂っていった。
本来の春の陽気を取り戻したかのように、花の周りには蝶が、木の枝にはかわいらしく鳴く鳥たちがいる。
樹の妖精たちはまだ植物たちと戯れているが、風の妖精たちは私の周りを一周すると空高く舞い上がり帰っていった。
「そこで試験終了! 止め!!」
風の妖精たちが消えてしまってからすぐに試験終了の合図が聞こえた。
そして私を含む3人は自分が属するグループへと戻ろうとした。そのとき、
「すごくきれいだった!」
「素晴らしいっ」
「さいこー!!」
屋上にある観客席から、同じ受験生から同じような言葉が投げかけられる。試験終了の合図が出るまで周りから声が聞こえなかったために、せきを切ったように投げかけられる言葉がものすごく大きな音量で聞こえる。
言葉の中に「3人とも」というものが入っていて、2人だけじゃなくて私もその称賛に含まれているのが分かるとなんだか照れてしまう。
でもやはり称賛の声を浴びるのはうれしい。たった3分前までは人の前に出るのでさえ緊張していたのに今ではその人前を堂々と歩いている。
私は歩きながらまだ中庭に残っている妖精やその他の集まってくれた妖精にお礼を言う。
そして私たち3人は鳴りやまない言葉を浴び続けながらそれぞれのグループへと戻っていった。
+ + + +
カラカラカララ……、
私は不規則な音を聞きながら流れる景色をみる。
外はすでに太陽が傾き、逆方向からは月が顔を出し始めている。
時折揺れる馬車内は快適とはいえないものの、車とは違う少し遅い速度や自然との距離感が近くてそういった意味では快適だ。
「ヒナ、お疲れ。今日は疲れただろ、着いたら起こしてあげるから眠ってもいいんだよ」
外を見ていた私に話しかけてきたのはリコット亭から迎えに来てくれたウィンスさん。
試験が終了して学院の外で待っていた私を迎えに来てくれたのだ。
「大丈夫です。体は少し疲れているみたいだけど、眠くはないんで」
ウィンスさんにそう言うと私の膝の上に乗っかっているロウを撫でる。
ウィンスさんは気持ちよさそうに撫でられているロウを見ながら「そうかい、確かに眠くはないかもしれないね」と言い、私へと顔を向け言葉をつづけた。
「今日は食堂を貸し切ってヒナのお祝いだね」
優しそうな笑顔でそう言うウィンスさん。「多分今頃は家に知らせが行っているはずだから準備しているかもしれないね」なんて言っている。
「ええっ! そんないいですよ、わざわざ私のためにっ」
「いや、お祝い事はきちんとしないとね。せっかく学院に合格したんだから」
そう、今日の試験になんと私は合格したのだ!
試験結果を聞いて一時は信じられなかったけど、そのあとの合格者説明で入学についての話を学院長から聞いていたら信じるしかなかった。
最初は驚いていたけど今はもう冷静に受け止めている。それは学院がどれだけすごいとかが私自身よく分かっていないからかもしれない。
「うぅ~ん、でも貸し切りにまでしなくても…」
合格祝いをしてくれるみたいだけど、いつもの食堂が終わってからちょっとしたお祝いをしてくれるだけでも十分だ、なんて思うけどどうやら私が合格した場合は貸し切りで祝うって決めていたみたい。
合格の連絡もすでに届いているとのことらしい。あ、これはイアンの時がそうだったから分かるそうだ。
「それに魔法科の生徒は寮生活になるわけだし、これからはあまり顔を合わせることができなくなるんだからこれくらいはしないと」
学院長が行った合格者説明で、そのことも聞いた。魔法科に属するものは特別な事情がない限り寮で生活をしなければならないのだ。それは貴族、平民に関係なく絶対事で誰も覆すことはできない。
「んー、でも私もお手伝いはしますからね!」
「ははっ、ヒナには叶わないな」
沈む夕日に照らされながら、私とウィンスさんはリコット亭に帰りつくまで話し続けたのだった。