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窓から太陽の光が入ってくる。その光が窓わきで寝ている顔にかかり、私は眩しさで目を覚ました。
王都だからかそれとも宿だからだろうか。ここの窓は今までいた村とは違いガラスがはめ込まれている。寝る前にカーテンをしなかったせいで、 その窓から直接日の光が顔に当たった。
「……眩しい。もう朝……?」
村にいた頃は朝日とともに起きていたけど、昨日の今日で疲れが溜まっていたのか寝過ごしたようだ。まだ少し怠さが残るが、ベッドで寝ったことで野宿の時よりかはいくらか疲れがとれた。
私は村から持ってきた麻のワンピースに着替えると、まだ寝ていたロウを揺すって起こした。ようやく起きたロウと一緒に昨日からお世話になっているラネさん夫婦の元へと向かった。
「ちがうよ、あっちのテーブルに持っていって!」
「いらっしゃいませー」
「おーい、注文頼むよ」
一階へ降りると既にたくさんの人でにぎわっていた。
宿に泊まっている人や外からのお客さんが朝食を食べに来ているのでこの時間はかなり混むのだろう。昨日の夜はお酒やおつまみ、夕食などだったが、今はパンのいい匂いが私のいる一階の食堂部分にあふれている。
「うわぁ、朝から忙しそう。もっと早く起きて手伝いすればよかったかな?」
ラネさんは従業員だろう人と何人かで接客をしている。かなり忙しそうで話しかけられる状況じゃないようだ。
厨房の方へ行ってみると、こちらもすごかった。ウィンスさんを中心としてこちらも何人かで朝食を作っていた。それぞれが何らかの持ち場があるみたいで素早い動きでどんどんこなしていってる。
「……まるで戦場だな」
ぼそっとつぶやいたロウの声は離れた場所にいるはずなのに、みんなの声でかき消されるくらいだ。
「うん。なんか、今行ったら逆に邪魔になりそうだよね」
ということで、それからしばらくの間、邪魔にならない位置でみんなの働きを見守っていた。
「そんなところにいたのかい? 声をかけてくれれば朝食を準備したのに」
今からは朝の時間が終わって、これから従業員の人たちと遅れた朝食をとる時間らしい。
「私もお手伝いしたかったんですけど、邪魔になっちゃいそうだったんで。明日からはもっと早く起きてきますね」
「昨日来て疲れていると思ったからね、起こさなかったんだよ。でもヒナがいいなら手伝ってもらおうかね。丁度人手が足りないところだしね!」
私の分の朝食も用意してくれた。ロウにもミルクを用意してくれている。みんなで朝食をとりながら、他の人たちに私を紹介してくれた。
ここで働いている人たちは主にご近所の奥さんたち。そのほかはウィンスさんのように厨房で働いているおじさんたちだ。おじさんたちはここの従業員のようで朝昼晩と働いているらしい。
初めは少しばかり緊張していたが、和やかな雰囲気に気持ちが落ち着いた。どうやら歓迎ムードのようで、ひとまずは一安心だ。
それから朝食を終えて、与えられた仕事をするために箒を手にしていた。
「ちょっと、ロウ邪魔よ。手伝わないんならどいてよね」
今私がしているのは床掃除。先ほどの食堂部分から廊下まで終えたら次は宿になっている2階部分も行わないといけない。
「手伝いとは……、さすがにこの姿だからな。私にできることは何もないぞ」
ロウはそう言いながら日の当たる暖かい場所から、動いて汗ばんだ私を眺める。私はその姿を横目で眺めながら言った。
「確かに犬じゃ掃除はできないか」
ロウから怒ったような声が聞こえたが、私は笑いながら掃除を続けた。
私がお世話になることになったこの店は「リコット亭」という食堂兼、宿だ。宿は1日中開けているけど、食堂の方は朝、昼、夜と時間を分けていらしい。
今の時間は朝と昼の間の時間。朝は働いていた主婦の人たちは朝食後に家庭へと帰って行った。お昼に働く人が来る前にラネさんやウィンスさん、厨房のおじさんたちとで掃除やお昼の仕込みに仕入れ、宿の方の洗濯をすませるとのこと。
朝いた主婦の人たちは2人で、お昼も同じ2人。夜はラネさんとウィンスさん、厨房のおじさんの2人、全員で4人で働いてるらしい。宿の仕事もあるから食堂を開けているのは朝、昼とも2時間程度。夜は夕暮れ、門が閉まる鐘がなったあたりから開店するのだ。
「ヒナ、終わったかい?」
裏口からラネさんに声をかけられて、私は掃除をする手を止めた。
「もう少しで終わるところです」
少し離れた場所にいるのでお互いに声を張り上げるように言った。
「それが終わったら外も頼んでいいかい?」
「わかりました!」
威勢良く返事をしたのはいいものを、まだもうしばらくかかりそうだった。
「でももうちょっとで終わるって言っちゃたし……」
あわてて床を掃く速度を速める。店の人たちは良くしてくれるというのは感じたけど、正直慣れない空間で慣れない事をして意外と体力的にも精神的にも疲れてきた気がする。掃除をするため曲げていた腰を伸ばすように立ち上がった。一緒に思わずため息が漏れ出た。
「風と水の妖精に頼めばいいんじゃないか?」
背後から突然聞こえて来たロウの声に驚いて小さく声をあげた。
「びっくりした……って、ロウいいこと言う」
「今のヒナが魔法を使えばこんな掃除、すぐに終わるはずだぞ」
「そっか、ここじゃ魔法使って大丈夫だったんだよね」
王都近くにつれて気づいたのは、妖精たちの数が増えていたことだ。自然が好きだと思っていた彼らが森より王都付近に多くあることに若干首をかしげることろだけど。とりあえず今は考えるより掃除を終わらせる事が先決だ。
私は周囲を見回し人がいない事を確認すると、風の妖精たちを呼び彼らに埃を集めてほしいと「お願い」した。集まった妖精たちは私の周りを一周すると四方へ散らばっていく。
そんな妖精たちを見ながら、今度は私の横でなぜか待っていた水の妖精にも声をかける。
「床を掃除したいんだけど、お願いできる?」
すると「いいよ!」と可愛らしい声が頭に響いたと思ったら、みるみるうちに床が水拭きされていった。彼らは意外や意外に几帳面なようで、丁寧な仕事であった。
また速さも私がするより格段に早い。あっという間に掃除が終わった。掃除を終えた彼らは淡い光をまとい、私の周りを浮遊する。手伝ってくれた彼らへお礼にと魔力を与えると、嬉しそうに再び周囲へと散らばっていった。
「さ、外も掃除しようかな」
外掃除を終えると、昼の食堂の時間となって一気に店内が慌ただしくなった。食堂のおばちゃんたちに仕事を教えてもらいながら、なんとか私もその忙しさについく。時間を気にする間も無く、ようやく人が引いてしまったのを感じたら急に空腹を感じた。お客さんがいなくなってからようやく昼食となるのだ。
「おつかれ、ヒナ。初日だというのに頑張ってるな」
料理の仕込みをしていったウィンスさんに昼食を手渡してもらいながらそう声をかけられた。
「ありがとうございます」
「まだ来たばかりで慣れないだろうに、随分疲れたんじゃないか?」
「ええと……少し」
誤魔化すように苦笑いしながら曖昧に答えた。
朝の掃除に関しては頑張ったのは私よりも妖精たちだけど、というのは秘密である。実際に前半は私も動いていたし、魔法を使うのも自分の魔力を使っているわけで、総合的には私が頑張ったという事にしておこう。
ひとりで頷きながら納得する私に、女将さんであるラネさんが私を呼んだ。ラネさんも食事中のようで、私は彼女のテーブル向かいに座った。
「そうだ、ヒナ。この後は休憩をやるからウィンと一緒に役所へ行ってきな」
そうだった。この世界、国での戸籍がないので作らないいけないと言ったのは私なのにその本人が忘れていた。戸籍がないと、町や王都に入ることができても、病院やなんらかの証明がいるときに提示できなくて不便だそうだ。
「でも、いいんですか?」
ウィンスさんも一緒に行ってくれるのはありがたいけど、2人も抜けたらお店が大変なんじゃ、と思ったのだ。
「大丈夫だよ。夜まで時間はあるし、宿の掃除はヒナが朝に終えてくれたしね。ウィンにはついでに買い出しもしないといけないからね」
「よし! それなら王都も少し案内してあげよう」
キッチンからウィンスさんの頼もしげな声が飛んでくる。
「そう言って――あんまり寄り道ばかりするんじゃないよ」
ラネさんの注意に笑いながら昼食時間を過ごした。
「わー! おっきいですねぇ。これはお城じゃないんですよね?」
「あぁそうだよ。ここは王都の住民がなにか手続きを行う時に来る場所だ。働いている人の中には貴族の方々もいらっしゃったりもするんだ」
今私たちがいるのは大きくて立派な建物の前。門が、塀が、わぁ! 中にはシャンデリア?!
ここはお城、王宮ではないようだけど、それに近い場所にある王都の民のための詰め所なのだそうだ。
市役所とか役場ってところかな? にしても豪華さが半端ない!
そんなにきらきらしなくてもいいんじゃないかってくらいだ。なんか椅子とかもムダに豪華! 壺とかあるし、これ壊したらどうなるのー? きょろきょろと、まるで小さな子供のように視線をさまよわせなながら、ウィンスさんについていく。
「ここが戸籍を扱うところだよ。ヒナはまだ未成年だから私が一緒についてきたんだ」
「なるほど。確かに子供だけじゃ、そういった手続きはできないですよね」
一人で空いた時間にでも行こうと思っていたが、ウィンスさんに聞いてそうだなと思った。
そんなことも知らなくてよくここまで来れた自分を褒めたいくらいだ。
「こんにちは。今日はどういった要件でしょうか?」
受付の女性が私たちに聞いてくる。ウィンスさんが私の戸籍を作りたいと説明してくれた。
私は簡単な質問にいくつか答えると「では新しい戸籍を作るので、家名を決めてください」と言われた。
「ヒナ、家名はどうするんだ? そのままヒナのおばあさんの家名にするのかい?」
「えっと、うーん」
家名のことなんて全然思いつかなかった。やっぱ異世界っぽいのがいいよね、と思ったので、
「フローリスで。ヒナ・フローリスでお願いします」
「どういう意味なんだい? フローリスとは」
元来た廊下を歩きながらウィンスさんが尋ねてくる。それはフローリスという名はないわけではないが、家名ではなくて主に名前の方で使われることが多いからだそうだ。
それもそのはずだ。
「フローリスと言うのは祖母の名前なんです。家名は今まで使うこともなく、覚えていなかったので祖母のなまえにしました」
おばあちゃんには菊という名前があったが、それは日本での名前だった。他にフローリスという名前があったことを聞き覚えていた。
「なるほど。まあ、ヒナにあっているからいいと思うよ。それにしてもヒナは魔法が使えたんだね」
「はい、王都でも珍しいんですか?」
先ほどの女性の質問の中に「魔法が使えるか」というのも含まれていた。特に気にせずに答えたけど、使えないって言った方がよかった?
「確かに珍しいのもあるけど、それを表にださなかったからびっくりしたんだよ。魔法は貴族の方々によく発現するもので、私たちのような一般人には珍しいんだ」
だから少しでも使える人は尊敬されたりもするし、中には傲慢な人もいるくらいだよ、と教えてくれた。
どうやら、村にいた時と同じように魔法を使える人は少ないみたいだ。
おばあちゃんはこの世界の人はみんな使えると言ってくれたのに、この半世紀で何があったのだろうか?
「そうなんですか……。あ、今日はありがとうございました!」
そう言って私はウィンスさんと別れる。ウィンスさんはこの後買い出しに行くらしい。私は夜の時間まで休憩を貰ったので少し王都をぶらぶらすることにした。そして「じゃあ、また後で」と私たちは門の前で別れた。
「ロウお待たせ!」
私は門の前で待っていたロウに駆け寄る。さすがに建物の中には入れてもらえなかったのでここで待ってもらったのだ。
「あぁ、ではどこに行くか?」
「そうだなー。ゆびわとかの情報を探さないといけないんだけど、とりあえずは王都に何があるかを見たいと思ったんだよね。お城もだけど、図書館とか。おばあちゃんが話してくれたお話があるかもしれないし!」
あんまり内容は覚えてないけど、見に行く価値はあるかなと思ったのだ。それに図書館にはこの世界についての情報もたくさんあるし。
「王都の図書館か。確か一度行ったことがあるし、城の横にあるので私も覚えている」
ロウが場所を知っているようなので連れて行ってもらうことにした。
「そういえば、この前ロウにおばあちゃんの名前を聞いてたからよかったよ。家名を何にするかって聞かれて、とっさにおばあちゃんの名前にしちゃった」
私はロウについていきながら先ほどのことを説明していた。
「そうか、まぁあの名前を使ったのは数度だけだがな。菊とこちらにいたのは前にも言ったがほんの少しで日本に行ってから少しして名前を変えていたしな」
「ふーん、でも名前も何らかの情報だよね! 忘れないためにも家名にしといてよかった!」
そのあとはさっきの建物の内装のこととか、王都の人もあんまり魔法を使える人はいない、などの話をしながら歩いた。
20分ほど歩くとお城とは違う建物が見えてきた。お城はあまりにも大きすぎて王都の中だったらどこからでも見えそうなほどだ。
そのお城の城壁の横にある建物が王都の図書館らしい。こちらもかなり立派なんだけど、どうも横にお城があって目立たなくなっている。
「わぁ図書館までもが豪華! 本を読むところなのに!」
こちらもロウは中に入れないみたいで外で待ってもらうことにした。
こういうときはおばあちゃんのゆびわがあったら便利だったんだけどなあ、と思いつつも一人で中へと入って行った。
中に入るとそこには天井まで積み上げられた本棚でいっぱいだった。
2階や3階もこのように本があるらしくて、図書館に地図が置いてあった。
司書の人も大勢いるし、学生だろうかローブのような制服? を来ている人も多く目立つ。
普通の人はまだ仕事の時間だから大人は司書の人や子供連れの親以外はあまり見かけない。
そして図書館独特の埃かぶったような静かな空気の中、私はまるで本の国に来た気分になりつつ本棚の並ぶ世界へと足を踏み入れた。