表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

サイノクニ

水車

作者: 斉藤周二
掲載日:2026/05/04

 翡翠(かわせみ)が描かれた白いガードパイプの向こうに高水敷のキャンプ場を見下ろし、右に視線を移せば下り坂の先、目の高さよりやや低くに、観覧車のような大きさの水車がぐるんぐるんと回っているのが見えた。速いな、と俺は思った。水車はのんびりとのどかにではなく、遠目にもわかるけっこうな勢いと力強さで回っていた。いずれにせよ、そこが今日のひとつめの目的地であることは間違いなかった。俺はバックパックを背負い直し、重心をいくらか後ろに傾けて、坂を下っていった。草に足が擦れた。バーベキューの煙が流れ、焦げた匂いが辺りに漂っていた。家族が広場でキャッチボールをしていた。間抜けなバイク乗りが満車の表示に呆然と佇んでいた。水車はゆっくりと角度を変え、だんだん大きくなってきた。噴水が上がるのが見えてきた。水の音が近づいてきた。


 川越を過ぎ、森林公園を過ぎ、小川町を過ぎる。ひとつ過ぎる度にひとつ肩の力が抜けていき、自分の肩に力が入りすぎていたことに気づく。それが東上線の道のりだった。四両まで減った古い車両が木々の中に入っていけば胸が高鳴り、あそこまで歩いてみたいなどと思う。空気遠近法のように青く霞んだ山々を眺めれば、山の中の温泉宿にでも引きこもりたいと思う。そんな自分の心のありように若山牧水を思いながら、列車は鉢形駅に着いた。階段を上がってUの字に折り返して改札口へと降りる、シンプルな駅だった。俺は寛いだがゆえに疲れが出てきた重い身体を、跨線橋へと押し上げていった。女子高校生のローファーがずんずんと響き、バッグには笑顔のミニーマウスが元気に揺れていた。

 ひとたび駅を離れれば、そこには埼玉らしい凡庸で方向性を欠いて殺伐とした風景があった。半端に古く半端に新しく半端に量のある住宅、雑然とした植物、整備の悪い道、どかどか走るトラック、ぶかぶか走るバイク、排ガスで汚れた空気。埼玉だ。この町に特色があるならば、いくらかの山が風景に加わることぐらいだろう。俺は案内標識に唯々諾々と従いながら、施設を目指した。

 十三時三〇分。よい時間ではなかった。十一月の陽は短い。日没前には祭りに着きたかった。夏の日々は過ぎた。ただ駆り立てられて動いていた日々は過ぎた。宗岡、久喜、熊谷、越生、新座大和田、大宮、南越谷、新宿町(あらじゅくまち)、古谷本郷、北浦和。四年振りの夏だった。そして十月になり、十一月になった。川越まつりも本庄まつりも終わった。今日の寄居と明日の飯能で、俺は今年の能動的な活動を終えるつもりだった。そして、冬が来る。今年の冬が長く辛いものになることを、俺は知っていた。

 もっとも、今日は暑かった。歩きながら、トラックジャケットの下に汗をかき始めているのを感じた。到底十一月の気候ではなかった。


 賑わっているようには見えない施設だった。閑散とした駐車場を眺めながら歩いていけば、入場券売場はすぐにわかった。仮設の小屋のような小さな売場だった。向かいながら俺は立ち止まり、観光マップを眺め、総合案内を眺めた。ウォーターアスレチック荒川ランド、アドベンチャーシアター、そんな心躍るアトラクションを有する博物館ではあるようだ。塗装の掠れたアスファルトのスロープを上がり、券売所の窓口で青いポロシャツの婦人から大人一枚分のチケットを求め、パンフレットを手にし、入場口から敷地に入った。

 一歩入ればすぐに、俺は満足した。来た、という事実を得れば充分な類の施設だった。全体は平均的な公立高校の敷地程度の広さがあるのだろうが、右半分は大水車と水上アスレチックとレストハウスがあるのみで、俺には用がない。賑わいの中心として想定されているはずの子どもたちの姿も今日はなかった。左半分には本館と大模型があるはずだが、博物館にさほどのボリュームがあるようにも思えず、模型はぐるっと眺めればそれでよいという類のものだろう。広さの割には中身がない。つまりはそういうことだった。そこかしこに配された翡翠のマスコットキャラクターも凡庸で印象を欠き、目を離せばすぐにその存在を忘れた。

 俺は体裁としてアスレチックの前まで歩き、「荒川わくわくランド」の看板をわくわくしながら確認し、誰もいない空間にひとり佇む係員らしき半袖の男性の姿を眺め、ベンチで少し休んで水筒の茶を飲み、自動販売機の後ろに立つ凡庸な時計台に目をやった。十三時五十七分。一時間も滞在すれば充分だろう。俺はバックパックに水筒とパンフレットをしまって立ち上がり、本館に向かって歩き始めた。大水車の影が地面に落ちて動いていた。


 細い水流を見下ろしながら木の橋を渡った。渡り終えれば、目的の大模型がそこにあることを芝生の立て看板が示していた。さて、と俺は思い、立ち止まった。模型を先に見てもよいし、後でもよい。考えながらふと視線をやれば、斜面の上に建つ灰色の本館が模型の向こうに見えた。

 本館は三つの部分に分かれていた。中央に四階建てほどの高さの円筒状の建物、左翼に公立高校の体育館ほどの大きさのかまぼこ屋根のなにか、右翼にはやや奥まって事務棟。円筒と体育館は二階建ての短い通路で連結され、事務棟の手前には円筒のどこかに上がっていく外階段がありそうだ。

 円筒の最上階に人間がいることに、俺は気がついた。スタッフではない。見学客だ。老いた母とその娘、そんな関係のふたりなのだろう。ふたりは手すりにもたれてのどかに景色を眺めていた。どうやら最上階が展望台になっているようだ。彼女たちのようにのどかに、上から模型を見下ろすのもよいだろう。よろしい。選択肢は増えた。さて、順番はどうするか――。

 そんなことを考えながら歩き始めると、がたんがたんとなにかの音が聴こえていることに気がついた。機械のような音は、右の方からしているようだった。なんだろう、と俺は不思議に思い、音がする方に向かった。


 おお、と感心の形に口が開いた。小屋だ。木々の向こうに現れたのは、二棟の小屋だった。音はそこからしていた。小広場の左側にあるのが茅葺きの小さな小屋で、右側にあるのが板塀のもう少し大きな小屋だった。茅葺きの小屋には木製の、板塀の小屋には金属製の、どちらにも水車がついて回っていた。

 多すぎる羽虫を避けながら、俺はまず左側の小さな小屋に向かった。近づけば音はますます大きくなり、水場の冷気が肌に感じられるようになってきた。俺は小屋の前の説明板を眺めた。東秩父の精米水車。水輪、輪板(側板)、水受け、添え木、くも手、杵、上杵通し、心棒、下杵通し、撫で木、金ぐつ(先輪)、止め木、臼、羽子板――なるほど。俺が近づいたことによりセンサーが反応して自動で女性の声の解説が流れ始めたが、解説の音より水車を回す水の音と、なにより二本の杵が臼を撞く音の方が大きかった。左、右、左、右、とたん、どすん、とたん、どすん――。リズミカルな木の音が心地よく鼓膜を揺らし、力強く足元を揺らした。

 これはすごい。静かに興奮しながら、俺は小屋の側面に回った。樋からの水がじゃばじゃばと音を立てて飛沫を上げながら水受けに落ち、黒く変色した水輪を力強く動かし、六角形の心棒をぐるんぐるんと回す。その回転が中の機構に繋がっているというわけだ。水は堀の石の上に跳ね上がり、澄んだ冷気を辺りに散らした。俺は感嘆の声を挙げ、溜め息をついた。小さな小屋、小さな機構だった。だがそれは力強く、気持ちがよかった。

 予定より長居することは決まった。俺は一旦近くのベンチに引き、バックパックから水筒を取り出してマテ茶を飲んだ。興奮を鎮める煙草の代わりでもあり、この感覚をよりよく感じるためでもあった。まだ蚊がいるらしく、足首が痒くなってきたが、さほど気にはならなかった。マテをしまい、立ち上がり、俺はもうひとつの小屋に向かった。

 ――プレイヤー・ピアノだ。暗い小屋に入るなり思ったのは、そういうことだった。手前に十五本ほどは杵が並んでいるのだろうか、先ほどより広く、奥行きのある小屋の中には要素が多く複雑な機構が聳え、連動的に各部が動いていた。俺は興奮を抑えて説明板に目をやった。皆野のコンニャク水車、そういうことらしい。水輪、木製歯車、鉄製歯車、杵通し、杵、撫で木、臼、とうみ、ダクト(木筒)、ベルト、ブーリー、こうはん機。隣にはケースに入った木屑のような「乾燥させたコンニャク芋」の見本と、「コンニャクのできるまで」という平和な説明板があった。コンニャク畑、コンニャク芋を掘る、薄く切って乾燥、水車で粉にする、コンニャク粉、コンニャク――。

 小屋の中には木のよい匂いがしていた。頭上にはシャフトとベルトが回転する音も加わり、機構は音を立てながら、足元だけでなく建物さえ揺らしていた。俺はうっとりとした気持ちのまま、ようやく仕組みを眺めた。回転する心棒についた撫で木が、杵から出っ張る羽子板を持ち上げていき、撫で木が羽子板から外れれば杵がすとんと落ちる。その繰り返しだ。それだけのことが、なぜか妙に楽しかった。杵は落ちて、弾む。垂直ではなく僅かな捻りがある。自然で、生き生きとした動きだ。それから俺は、小屋の状況を理解した。今は展示のために二本だけを動かしているが、本来はもっと多くの杵が同時に動く。本来の姿ならば、どれほどの迫力になることか。この自動機械よ。オーケストリオンよ。

 小屋の右端では歯車が外の水車と連動して回転していた。歯車は照明に照らされ、暗い壁に影を落としていた。俺は近づき、噛み合いながら右に左に回る歯車を、じっと眺めた。芥川龍之介の歯車、カフカの歯車、チャップリンの歯車、BOOWYの歯車。様々な歯車があったが、今俺の目の前で回っている歯車はただ力強く、美しかった。

 二棟で三十分ほどは眺めていたのだろうか。俺はようやく外に出て、水車の脇に出る階段に気がついて降りていった。岩に囲まれた半地下の水場の空間はひんやりとして気持ちがよかった。澄んだ水には枯葉が沈んでいた。金属製の黒い水車には赤く変色しているところもあった。六、七メートルほどはあるのだろう――人類の叡智よ。水車は音を立て、飛沫を上げながら回り続けた。俺は水車を見上げ、見下ろし、顔と目を回して回転を追った。滴る水が目の下に落ちた。


 地上に上がり、引き寄せられるようにもう一度茅葺きの小屋の精米水車を眺め、名残り惜しさを感じながら水車小屋をあとにした。背中に解説と機構の音が遠ざかっていった。蚊に刺された中指の関節を掻きながら大水車の周囲を回り、本館に向かった。大水車は人目を引くシンボルとしては機能するのだろうが、美しいのはふたつの水車小屋の方だった。実用の美。柳宗悦を読み、日本中を旅していた二十代の頃から、その考えが真実であることを俺は感じていた。そうか、俺は水車を愛でるために生まれてきたのか、そんなことを考えながら歩き、それからゴッホの風景画を思った。なるほど風車を描きたくなる気持ちはよくわかる。だが、水車だろ――。


 本館の入口は円筒状の建物の脇にあった。注意書きの類を眺めたあと、自動ドアを抜けて中に入った。本館にある「アドベンチャーシアター」には――座席が動く類の映像施設だ――最初から関心がなかった。酔うからだ。3DもVRも、俺にはなんの恩恵も関係もなかった。

 円筒の内部は吹き抜け構造になっていた。筒の内周に沿うように階段を上がり、窓の向こうを眺めながら半回廊状の通路を四分の三周ほどすれば、展示室への入口がある。そういう造りだ。外からは体育館のように見えていた建物が展示室ということなのだろう。展示室はお二階からです、という女性係員の案内に唯々諾々と従い、俺は階段を上がっていった。見上げれば、高い天井のガラス張りのドームから光が射していた。


 通路として始まった二階の展示室は暗く、蒸し暑く、水の音がしていた。いきなり左右に現れたきのこの写真パネルに、俺は怖気づいた。幼少期から今に至るまで、きのこは生理的嫌悪感と足の力が抜けるような恐怖、場合により呼吸困難を生じさせる対象であり続け、俺を山や森林、アウトドア活動から遠ざけていた。若山牧水になれない理由のひとつがそれだろう。おぞましい物体を見ないように足早に通路を抜ければ、突き当たりには必要以上に見慣れてしまった埼玉県の地図が、青白く光っていた。荒川と埼玉の川。俺は頷き、点滅する東京湾を眺め、ものを思った。

 展示室は左へと続いていた。後ろを通り過ぎた父子の方から、芝居がかった男性の声が聴こえてきた。壁に開いているいくつかの小窓に近づけば、それぞれのテーマに従った解説が自動で始まるようだ。早々に飽きて解説半ばで去る父子の背中を見届けたあと、俺は小窓に向かった。

 小窓は子どもの身長に合わせて作ってあり、前屈みにならなければ中が見えなかった。展示室に響く他の音や子どもの声もあって音声は聞き取りづらく、内容もあまり理解できなかった。年貢、新しい田、瀬替え、関東平野、利根川、荒川、入間川、隅田川、江戸湾、徳川家の繁栄。畳に正座する江戸役人風の人形は地図を示し、ときどき声を裏返らせながら、そんなことを解説してくれたようだ。

 別の小窓に移った。船乗り、弁士、そんな連中の芝居がかった解説を、俺は真剣に聞いた。河岸場、下肥、干拓、明治維新、大洪水、青山士、荒川放水路、パナマ運河、関東大震災、岩淵水門。なにが理解できたのかは疑わしかったが、解説があるならば聞かずにはいられなかった。家族や障害児たちが俺の後ろを通り過ぎていった。イベントがどうこうというマイクの声が反響しながら聞こえてきた。展示室はだんだん明るくなってきた。それは暗さに目が慣れてきたからかもしれなかった。腕組みをする自分の影が、青い壁に映っていた。


 堤、堰、ダム、大洪水、台風、改修。そんな荒川の歴史を示す年表に突き当たり、二階の展示室は終わった。右に抜ければ、そこが体育館の内部だった。幅は体育館よりやや狭く、照度はだいぶ落ちるが、長さと高さは同じぐらいだろう。向かいの壁面の二階の高さには大スクリーンが三つ並び、一階には船や小屋のようなものが見えていた。このあとは左に向かって壁沿いにスロープを降り、突き当たりを折り返して階段を降り、一階の広い展示スペースに出ればよい。そして俺は、そのように動いた。

 スロープの壁面の展示ケースに陳列されていたのは、こんなものだった。昆虫に寄生するカビの液浸標本、アオカビ・ベニコウジカビ・トリコデルマ・ペスタロチオプシスの培養試験管、カビのライフサイクル、アスペルギルスやリゾプスの拡大模型――。展示の方向性はわからなかったが、楽しくなくはなかった。カビや菌類が面白い、美しい、という関心や美意識は充分に理解できる。

 ふと気がついて右を見れば、壁面のスクリーンに祭りの風景が映し出されていた。秩父川瀬祭の笠鉾、玉淀水天宮祭の舟山車、そして脚折雨乞の龍蛇。前のふたつは今より若い日々に――今あるものが簡単に失われるものであることを知った三・一一以降の日々に――訪れていた。脚折雨乞は川口のNHKアーカイブスかどこかでドキュメンタリー映像を観たことはあったが、現地にはまだ行けていなかった。次はいつやるのだろうか、そんなことを思いながら、俺はさらにスロープを下った。途中のバルコニーに設置されたソファで映像を眺める他の善良で従順な見学客たちがなにを思っているのかはわからなかった。


 流れる水の音がざあざあと鳴り続けていた。よろしければ水桶の方、担いでみてください、という女性スタッフの誘いを丁重に断って折り返しを折れ、鉄砲堰の解説映像を眺め、階段を降りた。酒づくり、わき水、河岸段丘。相変わらず方向性がわからない展示だったが、元々この施設に期待していたのはそうした類の苦笑いであり、むしろ今、その期待が満たされつつあるとは言えた。モジリ、ヤマメド、ガライタ、そんな品々を眺めていてようやく、館内に本物の水が流れ続けていることに、俺は気がついた。水が流れる映像を観たあと、しかも水が流れているとは想定しない室内で見る水は、現実でも非現実でもない不思議なものに思えた。

 間もなく荷船のイベントの方始まりますのでよろしければご覧になっていってください、と女性スタッフに明るい声で言われ、俺は礼を言って唯々諾々と座席に腰を下ろして開始を待った。男性スタッフの解説はマスクと水音でほとんど聞き取れず、スクリーンに映る川と船のアニメーションは情報量が少なすぎたが、休憩としては悪くない時間だった。人々が荒川と親しんでいた時代、そんな話もありながら五分ほどで「イベント」は終わり、まばらな拍手が起こり、俺はまた展示に戻った。

 覚えのある橋名が目に入った。開平橋と平方河岸。七月に上尾の球場に行き損なった帰りに通った橋だった。俺は足を止め、解説板の地図を眺めた。れんが工場、しょうゆ工場、味噌屋、精米工場、瓦屋、足袋屋、魚屋、たたみ屋、こびき職人、建具屋、うどん屋、豆腐屋、せんべい屋、だんご屋、駄菓子屋、農家、小間物屋、馬の仲買人、下駄屋――。昭和九年、一九三四年ごろの平方河岸と町並み――かつて存在したはずの平和な町並み。俺は「スタートボタンをおしてみてね」という表示に唯々諾々と従って、ボタンを押した。模型の橋が時計の針のように九十度動き、航路に光が通り過ぎた。そして、橋は元の位置に戻った。

 合併処理浄化槽の解説を真剣に眺めたあと、背割堤という単語に足がとまり、「治水のしくみ」という映像を眺めた。彩湖、さくらそう水門、武蔵野線。見慣れた風景を離れた土地で映像として眺めることには、一定の感慨があった。

 時間がなくなってきた。俺は足早に荷船を覗き、どこの川の水も生きていた、という解説音声のコメントに唸り、水塚に入って猫と鼠が動いて喋る無駄なギミックを眺め、急ぎ足で展示解説シートを集めて、展示室を出て一階の通路を外へと向かった。十五時四十三分。窓からは見る外は、すでに暗くなり始めていた。

 円筒に戻り、最後の展示シートとともにマップを取ろうとラックに近づけば、眼鏡のスタッフが声をかけてきた。外にある荒川大模型のマップなので――こちらでご覧いただけます――いってらっしゃいませ――。俺は礼を言い、これがほしかった、と呟きながら外に向かった。荒川大模型。今年を締めくくるために、それが見たかった。自動ドアが開いた。水車の音が戻ってきた。


 河口が見えなかった。現れたのは千分の一サイズの荒川模型、そういうことではあった。川は左手前から奥に向けて下り、鉤のように大きく曲がって視界の右奥へと消えていく。サッカーのピッチぐらいの広さはあるのだろう。斜面の芝生の小公園、そんな様相の景観に配された模型は、充分な広さをもって、目の前に存在していた。

 俺は俯瞰的な把握を諦めて早々にマップをしまい、垣を回り込んで山地の果てへと歩き、総合案内を眺めた。源流域、河岸段丘域、扇状地域、人工河川域、都市河川域――。博物館では荒川を五つの流域に分けているのだという。目の前にあるのが「源流域」だった。甲武信岳、三宝山、赤沢山、武甲山。急峻と呼んでよいのだろう。等高線をそのまま隆起させたような灰色の模型は、相当の険しさで峡谷を形成していた。

 一七三キロメートル、甲武信岳から東京湾まで――。俺は上流から順を追って下っていくことはせず、河口から眺めていくことにした。河口から五〇キロメートルは、身体で知っていた。

 斜面を降りていった。夫婦が去り、誰もいなくなっていた。芝生は柔らかく、草の匂いがした。ベンチ、遊具、時計台、そんなものを眺めて過ぎた。歩けば改めてその広さを感じた。黄色くなったブナの葉がはらはらと落ちていった。


 都市河川域はピンク色に着色されていた。北区、文京区。垣の合間を抜けて、そんな表示がされたところから俺は模型に近づいていった。川の部分は窪み、青く着色されていた。荒川の手前にうねっているのは、もちろん隅田川だった。ビルディング等の建築物は再現されておらず、橋梁の形状も大まかな再現に留まっていたが、代表的な橋の名前はプレートで表示されていた。俺はまず清洲橋を見つけて、少し嬉しくなった。最も好きな、可憐で美しい橋だった。

 視線を広げた。清洲橋の右奥に永代橋、左手前に両国橋。日本橋川と神田川。神田川を辿れば御茶ノ水駅があり、模型はそこで切れていたが、俺は一帯の風景を思い浮かべることができた。リバティタワー、楽器店街、聖橋と総武線。東京ドームシティとWINS、古書店街、九段坂と靖国神社。俎板橋を渡った先のコーヒー店の二階で緊張に手を震わせながら履歴書を書いていたのは、十八年前の今の時期だった。俺の就職を友人たちは祝福し、母親は泣いた。そして、その期待のほとんどすべては裏切られた。

 河口へと下った。緑色に着色された葛西臨海公園が向こうの端に見えていた。縁石を回り込み、少し引いて海側の一帯を一望した。東京湾は公園の幼児用のプールのような青色と浅さで示され、そこに現実と同様の角ばった埋め立て地が載っていた。台場、有明、青海、海の森、ゲートブリッジ、若洲、そして新木場――。パレットタウンの観覧車はもうなかった。倉庫街の巨大クラブももうなかった。消えてしまえば冗談のような日々だった。ポールもプールもメインアリーナのウーファーも、もうどこにも存在していなかった。いずれにせよ、あの日々は終わった。俺にageHaを教えた首都大の男が今どこでなにをやっているのか、俺にはとっくにわからなくなっていた。

 ベンチでマテを啜り、千葉側に回って上流に向かって左岸をゆっくりと歩いた。俺はもう一度葛西臨海公園を眺めた。二ヶ月前に自分があそこの海際のベンチでアクエリアスをぐびぐび煽っていたと思うと、奇妙で愉快だった。傍らには四十キロメートルを走り終えた自転車が停められていたのだ。それから荒川の河口を見つけた。模型に表記はなかったが、そこが新砂であることを俺は知っていた。荒川ロックゲート。その屋上からの眺めを、そこに吹く身体を押し流すほどに強い風を、俺は知っていた。

 スカイツリーを見つけ、上野公園を見つけた。仲町通りでの日々は、短いが幸福な部類の日々ではあった。俺は公園からスカイツリーを眺め、スカイツリーから公園を眺めた。水族館はいつもアロマのよい匂いがしていて、くらげたちはいつも平和に漂っていた。女の子たちのことはいつも愛しく懐かしく思い出す。あいりさん、みゆさん、ゆめさん、ともみさん――。いい箱だった。あの店も、今はもうなかった。


 カワウの群れがV字を成して飛んでいった。俺は赤羽の煙草屋の人懐こい老店主を思い、岩淵水門をひらひらと上がっていった蝶を思い、再び模型を上流へと辿っていった。新河岸川、戸田漕艇場、笹目橋、幸魂大橋、秋ヶ瀬橋、羽根倉橋――。模型の着色はピンクから橙へ、そして灰色へと変わっていった。入間川、伊佐沼、開平橋。すべて走ってきた道だった。入間大橋の下で寝っ転がっていた、地獄のように暑い夏の日があった。治水橋の真っ直ぐ先に見えてくるソニックシティの風景を、俺は知っていた。土手で模型の飛行機を飛ばしていた初老の紳士の少年のような瞳と得意そうな微笑みを、俺は思い出すことができた。

 ふと立ち止まり、振り返って下流側を眺めた。模型が長く伸びていた。左に膨らみ、それから右へ。いつの間にかずいぶんと歩いていたようだ。

 俺は模型の縁に上がり、模型とともにジョギングシューズを見下ろした。買い替えたばかりの、白く新しい靴だった。それからまた歩いた。十七号があり――。

 ――熊谷。熊谷もまた荒川の町だった。夏の日に、俺は荒川大橋の下で水の流れを眺めていた。白い鳥が橋脚の向こうを回り込んで上流に消えていった。上流には秩父の山々が見えていた。ラグビー場の夕の光の中をとんぼたちが舞っていた。オレンジ色に塗られたこの町に、山車が行き交い、囃子が鳴り響いていた。俺はお祭り広場の芝生にあぐらをかき、スコーンを齧り、赤ワインを煽りながら、遠ざかっていく鉦の音を聴いていた――。

 また歩いた。山地が近づいてきていた。川の向こうに、観覧車のような銀色の物体があることに、俺は気がついた。大水車。博物館だ。本館も大模型も、銀色のプレートで再現されていた。自分が今いる場所を模型の中に眺めるのは、不思議な感じがした。目をやれば、そこには相変わらず現実の大水車が回っていた。

 さらに上流には、鉢形城跡、正喜橋、そして寄居町があった。今から行くべき場所も、やはり模型の中にあった。俺はもう一度下流を眺め、上流に向かった。

 あとは山だった。長瀞、秩父、小鹿野町。笠鉾、歌舞伎、屋台囃子。いくつかの町といくつかの風景を思い浮かべることはできたが、それ以上のことは俺にはわからなかった。俺は山々を回り込み、最初の総合案内へと戻り、もう一度右岸を下っていった。


 東武東上線、国道254号。結局はその二本が寄居まで続いていた。俺は博物館を振り返り、今は対岸になった熊谷の町をもう一度眺めながら、歩いた――あった。JR川越線。川越線がわかれば、南古谷がわかる。荒川沿いには林があり、林の中には古尾谷八幡神社があり、鳥居の向こうには田が広がっている。そうした田の風景の中に、病院があった。父親が死んだ病院だった。

 羽根倉橋に近い斎場で簡素な葬儀を行った。新河岸川沿いの火葬場で肉体を焼いた。母親の代わりに病院の支払いを済ませ、上福岡のナーシングホームを眺め、ふじみ野市役所と志木市役所を巡って手続きを済ませた。供養のように一生分の父親の名前を書き、介護保険被保険者証と身体障害者手帳を返還し、宗岡のスーパー銭湯の露店風呂で夏の高い空を見上げた。五年前のことだ。

 柳瀬川も黒目川も新河岸川に合流する。新河岸川も石神井川も神田川も日本橋川も隅田川に合流する。そして、隅田川も結局、荒川の流れの中にあった。埼玉の母なる川「荒川」――。さっき眺めた総合案内の言葉が、今の俺にはいくらか理解できるようになっていた。

 俺は柳瀬川と新河岸川の合流地点を探した。親水公園には枯葉がかかっていた。それから柳瀬川を辿った。柳瀬川は少しで切れたが、その先にかつて俺が生まれた町、そして我々が生活していた町があることを、俺は知っていた。もう一度、上流を眺めた。母親を入所させるべき施設がその風景の中にあることを、そしてその先の手続きがどんなものであるかを、俺は知っていた。

 キャンプ場から煙が上がっていた。俺は振り返り、芝生の時計台を眺めた。十六時二十三分。そんな時間になっていた。俺は満足し、それから少し寂しくなった。俺がこの模型に読み取るものを誰とも共有できないことが、少し寂しかった。どこからか銀杏の匂いがしていた。


 俺はもう一度東京湾まで降り、展示室の下の斜面に開いたトンネルのような短い水族館を抜けた。トウキョウサンショウウオ、アカハライモリ、ブルーギル、ミナミメダカ、ヤリタナゴ、そうした連中をじっくりと眺める時間はもう残っていなかった。

 便所で尿を済ませ、傾斜を上がって本館に戻り、立看板を確認して、事務棟の手前の外階段を上がった。二階の通路はやがて円筒に突き当たり、階段は円筒の外周を回り込んでさらに上に続いていた。俺は階段を上がった。視界には空が映り、赤に黄色に色を変え始めた林が映り、施設の屋上が映った。それからガラスが現れ、タイル敷きの床が現れ、一歩ごとに床は低くなっていき、辿り着いた。展望台だ。


 誰もいなかった。円形の回廊状の展望台だった。壁はなく、屋根もなかった。頭上には放射状に梁が広がり、その外周の円形の梁をパラペットに立つ柱が支えていた。もしかしたら、水車の形状を模しているのかもしれない。回廊は直径二十メートルほどはあるのだろう。その中心を一階から続く吹き抜けが貫いていた。吹き抜けの周囲には多角柱状にガラスが張られ、その向こうには回り続ける大水車が見えていた。さっき見上げたガラス張りのドームが、今はすぐ近くにあった。

 俺は息を整えながら、ゆっくりと回廊を歩いた。林、叢、高水敷、国道沿いの家具量販店、家電量販店、ビジネスホテル、消防署、工場、倉庫、住宅、洋館風のテーマパーク、ラブホテル――。俺が歩けば、景色もゆっくりと動いていった。風はなかった。カラスが鳴いていた。町からは防災放送のチャイムと、スピーカーを通した男性の声が遠く聞こえてきた。

 回廊を半分回り、パラペットに設置された案内板の前で、俺は足を止めた。博物館から見える山、そんな図と地図だった。榛名山、赤城山、日光方面の山々。そうした山々が、本来は見えるのだという。今はもう遠くが見えないほどには空がくすみ、暗くなっていた。俺は目を細めて遠くを眺め、それから手前に視線を降ろした。

 不思議な眺めだった。眼下には芝生と模型があり、視線を先に動かせば本物の荒川があった。模型の中には荒川が含まれ、荒川の風景の中には模型が含まれていた。模型の中にはかつての日々があり、その日々を眺めていた自分の姿を、今ここから眺めていた。

 俺は手すりにもたれ、今日のことを空間的に辿った。券売所、ベンチ、自動販売機と時計台、今はスタッフが歩いていく木の橋を渡り、ふたつの水車小屋、大水車を回り込んで本館、二階、一階、芝生を降りて模型の周囲を巡り、水族館を抜け、階段を上がり、さっき下から見上げていた展望台に、今はいた。そして、間もなく去る。

 町には明かりが点り始めていた。施設の照明が星のように散らばっていた。哲学的な眩暈と、倫理的な切なさと、流れ続ける水の音を感じながら、涼しくなり始めた空気の中で、俺は風景を眺めていた。


 背後で笑い声がして、俺は振り返った。若い男女だった。館内からエレヴェイターで上がってきたのだろう。女の場違いにフェミニンなモスグリーンのニットワンピースに対する違和感が形成されきる間もなく、ふたりは喋りながら景色も見ずにすぐに階段を降りていった。ふたりの姿を見てなぜか急に、腹が減っていることに気がついた。俺もまた、去るべき時だった。

 暗くなりきる前に寄居に着きたかった。電車を使うつもりはなかった。県道を歩いていけば、三、四十分で着くだろう。鉢形城のところに出て、橋を渡ればいい。橋の近くにコンビニエンスストアもあったはずだ。食料と酒はそこで調達すればいい。寄居の山車と笠鉾もまた、独特で美しいものだ――。そんなことを考えながら、階段に向かった。階段の上からは、水車小屋に向かっていく男女の姿が小さく見えた。俺も最後にもう一度、水車を眺めてから去ろうと思った。

 ひんやりとした、よい空気になっていた。バックパックは軽くなっていた。俺は元気いっぱいに、大股で、歩き始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ