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異世界に来たけど、まず服を買いました  作者: ぬしぽん


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第八話

 馬車が屋敷の車寄せに止まると、ヨルンが松明を掲げて出迎えた。漆黒の外套に身を包み、白い仮面を手にした俺の姿を見て、彼女は一瞬だけ息を呑み、深い最敬礼を送る。


「……おかえりなさいませ、ライラ様。そのお姿、まるで夜そのものを纏っておられるようですわ」

「ええ。少しばかり羽目を外しすぎてしまいましたわね」

(流石にヨルンも怖がってるな。でも、この正体不明感は悪くない)


 自室に戻り、一人で仮面を外す。鏡の中には、冷徹な悪役令嬢の皮を脱ぎ捨てた、少しだけ疲れの見える俺がいた。

(明日のオークション、軍資金は十分だ。でも、競り合いってのは金だけじゃない。相手の出方を読み、引き際を見極める。リソース管理の見せ所だな)


ベッドに横たわると、窓から差し込む月光が、脱ぎ捨てた黒衣に吸い込まれて消えていくのが見えた。



※    ※     ※    ※



 翌晩。


 王都の賑わいから遠く離れた、下水道の入り口。そこには、ボロを纏った門番が二人、虚ろな目で立っていた。


「止まれ。ここは。迷い込んだ羊の来る所じゃねえ」

「あら。わたくしが、羊に見えまして?」


 俺は黒い外套を翻し、ラザルスの店で手に入れた白い仮面を装着した。呪い付きの効果か、自分の声が一段低く、どこか金属的な冷たさを帯びて響く。


「退きなさい。わたくしの『渇望』をこれ以上待たせないでくださる?」


 ノックスが無言で、金貨が詰まった小袋を門番に投げ渡す。ジャラリという重い音。門番たちは顔を見合わせ、重い鉄格子の扉をゆっくりと押し開けた。


 「どうぞ。お嬢様。地獄の沙汰も、金次第だ」

 

 湿った階段を下り、地下へと潜っていく。やがて視界が開けた先には、地下の巨大な貯水池を改造した、異様な熱気に満ちた空間が広がっていた。


(うわ、ここが『鼠の通り道』か。怪しい仮面の奴らで埋まってる…)


 会場には、豪華な装飾を施した仮面の貴族から、薄汚れたフードを深く被った商人まで、多種多様な影がひしめき合っている。中央の演壇には、一人の男が立っていた。


「さあ、紳士淑女の『影』たちよ! 今夜も、光の下では決して拝めぬ秘宝の数々、その魂ごと競り落としてもらおうか!」


 拍手と、野卑な口笛が地下に響く。俺は、会場の隅にある目立たない席に腰を下ろした。隣に立つノックスが、耳元で静かに囁く。


「ライラ様。間もなくです。今夜の目玉、『魔導銀マナ・シルバ』の原石が市場に出ます」

(キタ。9万Gの投資。そしてこの闇オークション。全部は、月光のドレスと家具を作るため。絶対に、競り落としてやる!)


 俺は、膝の上で組んだ指先に力を込め、演壇の上に現れた、仄かに青白く光る「石」を凝視した。


 (九万Gを投資に回した後の、残金は約十九万G。ここで全額突っ込むわけにはいかない。今後の材料費や人件費、それに何よりお洒落勢として、不意に素敵な布地に出会った時のための予備費は絶対に残しておかなければ……)


 俺は仮面の奥で、無課金時代に培ったシビアな計算機を叩き始めた。


 (魔導銀マナ・シルバ。相場は不明だが、希少性を考えれば、土地一軒分の六百Gなんてレベルじゃないはずだ。でも、一万を超えたらさすがに⋯⋯よし、一万五千G。これ以上は効率的じゃない)


 「ノックス。わたくし、無意味な競り合いに時間を溶かすのは好みませんの。一万五千G。それが、わたくしがこの『石ころ』に付けて差し上げる、最大限の敬意ですわ」

 「一万五千、でございますか。承知いたしました。地下の相場としては、十分すぎるほどの暴力的な数字かと」


 ノックスが薄く笑う。演壇の上では、司会者が仰々しく布を剥ぎ取った。


 「さあ、お立ち会い! 続いての品は、王立魔導院の奥深くに眠るはずの至宝! ――『魔導銀』の原石だ! 研磨すれば月の光をそのまま封じ込め、魔力を通せば無限の輝きを放つ! 出品価格は、五百Gから!」


 「六百!」

 「八百だ!」

 「千二百!」


 会場のあちこちから、怒号のような入札の声が上がる。


 (やっぱり。いきなり土地の値段を超えてきた。でも、まだまだ。これくらいで驚くような、ぬるい投資じゃないんだよ!)


 俺は、焦る気持ちを仮面の無機質な表情で隠し、場が温まるのを静かに待った。三千、五千……。

 価格が跳ね上がるたびに、入札者の数が絞られていく。


 やがて、会場の最前列に座る、豪奢な毛皮を纏った男が太い声を張り上げた。


 「八千Gだ! これ以上出す馬鹿はいねえだろ!」

 会場が一瞬、静まり返る。


 (八千、か。普通の金銭感覚なら、ここで終わりなんだろうな。でも……)


 「ふふ。八千、ですか……いささか、慎ましすぎますこと」


 俺はゆっくりと、闇に溶ける黒い扇を掲げた。


 「一万二千G。その『石ころ』、わたくしのドレスの、ただの飾りにして差し上げますわ」


 会場が、凍りついた。八千Gを提示した男が、驚愕で振り返る。


 俺の心臓は、仮面の裏で今にも破裂しそうなほど、激しく打ち鳴らされていた。


 一万二千という数字が地下の静寂に突き刺さると、どよめきすら消え、重苦しい沈黙が場を支配した。


(一万二千。土地二十軒分。ミラのお店ならドレス二百四十着分。俺、今、とんでもないこと口走ったよな? 取り消せないよな?)


 心臓の鼓動が耳元でうるさい。だが、白い仮面は一切の動揺を見せず、無機質に演壇を見据え続けている。


「い、一万……二千!? 誰だ、今の声を上げたのは!?」


最前列の毛皮の男が、椅子を蹴立てて振り返った。血走った目が俺の黒い外套を捉える。


「あら。わたくしの声、そんなに聞き取りづらくていらっしゃいました?」


俺は扇をパサリと閉じ、不敵な笑みを声に乗せた。呪い付きの仮面が、俺の声を冷徹な魔女のものへと変質させて響かせる。


「一万二千。文句があるのなら、さらに積んでご覧なさい? わたくしの『退屈』を納得させてくださるのなら」


 毛皮の男は、ワナワナと唇を震わせ、手元の木槌を握りしめた。だが、その隣にいた側近らしき男が耳元で何かを囁くと、男は忌々しげに舌打ちをして座り込んだ。


「一万二千、一万二千G! 他にいらっしゃいませんか!? ……。……。一万二千、一回! ……二回! ……」


 司会者の声が地下の空間に反響する。

 ――だが、その時。


「――一万三千」


 会場の最上段、最も深い闇に沈んだ特別席から、低く、氷のように冷たい声が響いた。


(……嘘だろ。まだ追ってくるやつがいるのか!?)


 俺は反射的に上方を仰ぎ見た。そこには、金色の刺繍を施した漆黒のローブを纏った、細身の人物が座っていた。顔は同じく仮面で隠されているが、その隙間から覗く瞳は、獲物を狙う鷹のように鋭い。


「……一万五千ですわ」


 相手の声が消えぬうちに、俺は被せるように言い放った。


(ここだ。予算上限、目一杯のフルバースト。これで落ちなきゃ俺の負けだ)


ノックスが隣で、微かに愉悦を孕んだ溜息を漏らす。


「一万五千! つ、ついに、一万五千G……!」


 司会者の声が上ずっている。特別席の人物は、一瞬だけ俺を見つめ――やがて、優雅に肩を竦めて背もたれに身を預けた。


「いいでしょう。その石の『輝き』に、それだけの対価を払える狂気が、この場にいたことを祝して」


 拍手などない。ただ、畏怖に近い沈黙の中、木槌が振り下ろされた。


――ゴンッ!


「落札! 魔導銀マナ・シルバの原石。そちらの『影』様に!」


(落ちた。勝ったぞ……!)


 俺は、崩れ落ちそうになる膝を必死に支え、扇をゆっくりと開いた。


「ふふ。手間をかけさせましたわね。ノックス、支払いを」

「御意に。最高に刺激的なお買い物でございましたな、ライラ様」


(176,797 G。一気に減ったな。でも、手に入れた。月光のドレスと家具達の核心となる素材を!)


 俺は、周囲の視線を背中に感じながら、堂々とした足取りで、戦利品の受け取り場所へと向かった。

仮面の裏で人知れず、勝利の味を噛み締めながら。



※    ※    ※    ※


 戦利品を受け取り、地下の喧騒を離れた薄暗い回廊。背後から、衣擦れの音さえしない不気味なほど静かな足音が近づいてきた。


「お見事でしたね。一万五千G。石ころ一つに、国家予算の端切れを投げ捨てるその潔さ」


 先ほど一万三千Gを提示した、漆黒のローブの人物が影から姿を現した。仮面の奥から覗く瞳は、熱に浮かされたようにじっと俺を食い入るように見つめている。


(こいつが居なければもう少し安く済んだのに⋯⋯)

「あら。負け惜しみをわざわざ届けに来てくださいましたの?」


 俺は扇を握り直し、ノックスの前に一歩出た。


(怖いけど、ここで引いたら悪役令嬢の設定が壊れる)

「負け惜しみ? いいえ、感謝しているのですよ。この退屈な王都に、これほどまでに狂った魂が美しく咲いているのを見せてくれたことに」


 人物が一歩、また一歩と距離を詰めてくる。ノックスが腰の剣に手をかけ、空気が氷点下まで凍りつくように感じた。


「その魔導銀、何に使うつもりですか? 兵器? それとも、禁忌の儀式?」

「ふふ。そんな殺風景なもの。わたくしのドレスを、ほんの少し夜空の色に染めるための、ただの素材ですわ」


 相手の動きがぴたりと止まり、仮面の奥で瞳が大きく見開かれた。


「ドレス? 一万五千Gを、ただの服のために?」


 次の瞬間、その人物は狂おしいほど愉しげに肩を震わせて笑い始めた。


「ハハハ! 素晴らしい! 最高だ! 君は、僕が思っていた以上に、救いようのない『贅沢』だ!」

(うわ、笑い方が完全にヤバい奴だ)

「気に入りましたよ、ライラ・クロエラ。あんな仮面で、僕の目が誤魔化せると思いましたか?」

(名前バレてる!? 80Gも出した呪い付きの仮面、一瞬で見破られてるじゃん! あのババア、不良品つかませやがって!)

「その魔導銀で織り上げたドレス。完成したら、一番に僕に見せてくださいね。もし他の誰かに最初に見せたら……その誰かを、この世から『消して』しまうかもしれませんから」


 人物は優雅に一礼すると、そのまま闇に溶けるように姿を消した。気配すら残さない、あまりにも鮮やかな退場だった。


(怖すぎる。一万五千G払って、特大の呪いまで付いてきた気分だ……)

「ライラ様。あのお方……身のこなしと魔力の質からして、ただ者ではございません。十分にご注意を」


 ノックスの低い声が、現実の恐怖を突きつけてくる。だが、俺が知る『ルインライト』のシナリオに、こんな不気味な男は存在しない。


(素材やシステムは似てるけど、やっぱりここはゲームの世界じゃない。俺の知らない、本物の『闇』がうごめいてる世界なんだ)


「……ふん。ノックス、何を怯えていらっしゃいますの?」


俺は震える指先を隠すように扇を広げ、精一杯の強がりを口にする。


「わたくしのドレスを最初に見る権利。それは一万五千Gよりも、ずっと高くつくということですわ。……帰りましょう。こんな埃っぽい場所、もう飽きましたこと」


 地上へ戻る階段を上りながら、俺は心の中で計算機を叩く。


 176,797 G


 素材は揃った。ヤバい奴に目をつけられた今、生半可なドレスでは自分を守れない。


「待ってなさいよ、オーレル。九万Gと一万五千Gの重み、その身に刻んで差し上げますわ!」


 夜風に黒い外套をなびかせ、俺は馬車へと乗り込んだ。明日は、あの偏屈な天才職人の工房へ、この『魔導銀』を叩きつけに行く。


 「最高の一着」を作るために。

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