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異世界に来たけど、まず服を買いました  作者: ぬしぽん


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第二十七話

 クロエラ邸に、一通の書状が届いたのは、無罪宣告から三日後のことだった。封蝋は国立ローゼンハイム学院の紋章。差出人の名前を見て、俺は思わず眉を上げた。


 「アレクシア・ヴァン・ホルン」


 「ノックス。これは?」


 「……学院の剣術学部教官から、ライラ様への直筆の呼び出し状でございます。内容は『明朝、第一訓練場へ来い』以上でございますな」


 (たった一行か。あの先生らしいな)


 俺は書状をノックスに返し、今日のドレスの裾を整えた。



 翌朝。


 久しぶりに訪れた学院の正門は、いつもと変わらない石造りの重厚な佇まいだった。だが、門をくぐった瞬間、廊下を歩いていた生徒たちが一斉に足を止めた。


 「……クロエラ男爵が戻ってきた」

 「無罪だったんだって。本当に?」

 「ギルドが全部仕組んだって話、聞いた?」


 囁き声が波のように広がる。視線が集まる。だが今日の視線は、忌避ではなく、複雑な驚きと好奇心が入り混じったものだった。


 俺は一切の感情を顔に出さず、緑青のサテンのドレスをまとったまま、まっすぐ第一訓練場へと向かった。


 アレクシア先生は、俺が入室する前から木剣を手にして待っていた。生徒は誰もいない。二人きりだ。


 「……来たか」

 「お呼びとあれば参りますわ、先生」


 アレクシア先生は俺を頭から足まで見渡した。牢獄に入る前と変わらない、緑青のドレス。背筋の伸びた立ち姿。乱れた様子など微塵もない。


 「……座れ」

 「立ったままで構いませんわ」


 アレクシア先生が短く息を吐く。それから、木剣を壁に立てかけ、腕を組んで俺を見据えた。


 「貴様が捕まっている間、この学院でどんな話が広まったか、知っているか」

 「おおよそは」

 「呪いのドレスの女が捕まった。あの傲慢な令嬢が牢獄に入れられて当然だ。剣術学部の恥だ。……そういう話だ」


 俺は黙って聞いた。


 「だが、俺は一度も貴様が有罪だと思わなかった」

 「なぜですの?」

 「貴様の剣を見たからだ」


 アレクシア先生が、訓練場の中央へと歩み出た。


 「あれだけの剣を持つ人間が、こそこそと毒を仕込んだ偽物を売って回るような、姑息な真似をするはずがない。……貴様のやり方は、いつだって正面からだ。金でも、剣でも」


 俺は少しの間、言葉を失った。傍聴席でエリナが涙を流し、エドワード達が勝ち誇っていたあの裁判所で、ここにいる女だけが、証拠も持たずにそう確信していたということか。


 「……先生」

 「なんだ」

 「ありがとうございます」


 アレクシア先生は、わずかに目を細めた。だが、すぐに元の険しい表情に戻り、壁から木剣を取り上げた。


 「礼はいらん。……それより、一週間以上サボった分の遅れを取り戻してもらうぞ。今日は俺が直接相手をしてやる」

 「……先生が直接、ですの?」

 「文句があるか」


 (文句はない。むしろ、これ以上ない光栄だ)


 俺は腰の竜剣に手をかけ、静かに抜き放った。緑青のサテンが、朝の光の中で艶やかに輝く。


 アレクシア先生も剣を構えた。その目に、初めて俺を対等な相手として見る光が宿っていた。


 「……一つだけ言っておく、クロエラ」

 「なんですの」

 「貴様が戻ってきて、よかった」


 それだけ言って、アレクシア先生は踏み込んできた。


 (……この先生、やっぱり嫌いじゃないな)


 俺は微笑み、その一撃を紙一重で躱した。



※    ※    ※    ※


 訓練後の教官室。


 俺は剣の手入れをするアレクシア先生の隣で、ノックスから届いた書類を眺めながら、ふと廊下の方に目をやった。


 扉の向こうで、誰かが立ち止まっている。気配だけで分かる。その人物は、扉を開こうとして、開けられずにいる。


 (……誰だ?)


 数秒後、諦めたような足音が遠ざかっていく。


 「……先生。今、廊下を通ったのは誰ですの?」


 アレクシア先生の手が、わずかに止まる。


 「ラング教官だ。剣術学部の同僚。それがどうした」

 「書類でも届けに来たのかしら。なぜ入ってこなかったのでしょう」

 「さあな。忙しかったんだろう」


 俺は書類を置き、ごく自然な足取りで廊下へ出た。

 少し先を、三十がらみの男性教官が書類を抱えて歩いている。背が高く、真面目そうな顔立ちで、歩き方に無駄がない。


 「あの、少しよろしいですの?」


 男性教官が振り返り、俺を見て驚いたように目を丸くした。


 「ク、クロエラ男爵……! は、はい、何でしょう」


 「書類をお届けに来てくださったのではありませんの?」


 「あ、はい。その……アレクシア先生にお渡しするものが」


 「では今、先生はいらっしゃいますわよ。どうぞ」


 ラング先生が、一瞬だけ表情を強張らせた。


 「……あ、でも、お忙しそうでしたので」


 俺はラングをまっすぐに見た。


 「ラング先生。アレクシア先生の何かが、怖いのですか?」


 ラング先生が、書類を持つ手をぎゅっと握った。


 「そんなことは……」

 「顔が赤いですわよ」

 「…………」


 ラング先生は俯き、絞り出すような声で言った。


 「……書類だけ、お渡しいただけますか」


 (なるほど。直接渡す勇気はないが、届けずに帰ることもできない。これは重症だ)


 「分かりましたわ。お預かりしますわね」


 俺は書類を受け取り、教官室に戻った。アレクシア先生が顔を上げる。


 「何してた」

 「廊下でラング先生とお話しを。書類をお預かりしてきましたわ」

 「……そうか」


 書類を受け取るアレクシア先生の表情は、いつも通りだ。だが、指先が書類の端をわずかに撫でたのを、俺は見逃さなかった。


 俺は扇を開き、アレクシア先生を眺める。


 (これは、思ったより面白いことになりそうだ)


 「……何をじろじろ見ている」


 アレクシア先生が振り返り、眉を顰めた。


 「先生。失礼ですが、おいくつですの?」

 「……三十二だ。それが何だ」

 「ご結婚は?」


 沈黙。


 「……する気がない」

 「なぜですの?」

 「うるさい。余計なお世話だ」


 俺は扇をパッと開き、アレクシア先生をじっくりと観察した。骨格は美しい。肌も悪くない。鍛え上げられた体つきは、ドレスさえ着せれば相当な迫力になるはずだ。


※    ※    ※    ※


 翌週。


 「……なぜ俺がこんなことを」


 クロエラ商会の試着室。アレクシア先生は、ミラが用意した深い赤のドレスを前に、仁王立ちのまま動かなかった。


 「先生。試着だけでも」

 「断る。俺には似合わん」

 「着てもいないのに、なぜ分かりますの?」

 「……直感だ」

 「女性の直感はあてになりますが、ファッションに関してだけは先生の直感は信用できませんわ」

 「なんだと」


 俺はアレクシア先生の肩を両手でがっしり掴み、そのまま試着室へと押し込んだ。


 「ちょっ……クロエラ!」

 「ミラさん、お願いしますわ」

 「任せてください!」


 ミラが弾けるような笑顔で試着室の扉を閉めた。

 中から「ちょっと待て」「そこは触るな」「なぜそっちを引っ張る」というアレクシア先生の抗議の声と、「はいこっち向いて」「腕上げて」「もうちょっと」というミラの明るい声が交互に響く。


 数分後。試着室の扉が、ゆっくりと開いた。


 「……」


 俺は思わず扇を閉じる。

 深紅のドレスをまとったアレクシア先生は、居心地悪そうに腕を組んでいたが、その姿は想像以上に美しかった。引き締まった体型がドレスのラインを完璧に活かし、普段の無骨さが今は凛とした気品に変わっている。


 「……似合わないだろう」

 「……先生」

 「何だ」

 「鏡をご覧になりましたの?」


 アレクシア先生が、おそるおそる姿見に目を向けた。一秒、二秒。


 「…………」

 

 鏡から目を逸らした。だがその耳が、じわじわと赤くなっていくのが見える。


 「……注文する気はない」

 「お代はわたくしが持ちますわ。無罪を信じてくださったことへのお礼です」


 アレクシア先生は、長い沈黙の後、短く息を吐いた。


 「……勝手にしろ」


 俺は扇で口元を隠しながら、内心で盛大にガッツポーズを決める。


 「せっかくですから、そのままお茶でもいかがですの? 店内のサロンスペースが眺めが良くて」

 「……このドレスで動き回れというのか」

 「ここから出ませんわ。ただ座っているだけですわよ」


 そして、俺はさりげなくノックスに一言伝える。


 「ラング先生に、今日の夕方、書類をこちらへお届けいただくよう手配してくださいませ」

 「……御意に」


 ノックスが、心なしか愉快そうな顔で一礼した。


 店内のサロンスペース。

 

 アレクシア先生は深紅のドレスをまとったまま、居心地悪そうに紅茶のカップを持っていた。


 「……やはり落ち着かん」

 「すぐ慣れますわ」

 「⋯⋯」


 そこへ、店の扉が開く。


 「失礼します、クロエラ男爵。書類をお届けに……」


 書類を抱えたラング先生が入ってきて、そのままピタリと視線が固定された。アレクシア先生も同様。


 (絶妙なタイミングだ。流石はノックス)


 「ら、ラング……」

 「……アレクシア先生……?」


 ラング先生の顔が、じわじわと赤くなっていく。書類を持つ手が、微妙に震えている。俺の存在など、今の彼の視界には入っていないらしい。目がアレクシア先生から離れない。


 「な、なんだ。書類か。ご苦労」


 アレクシア先生が平静を装って立ち上がろうとしたが、ドレスの裾に足を取られてよろけた。


 「っ……」


 ラング先生が反射的に一歩踏み出した。


 「大丈夫ですか先生!」

 「……大丈夫だ。なんでもない」


 アレクシア先生の耳が、ドレスよりも深い赤に染まっていた。ラング先生は、書類をカウンターに置きながら、チラチラとアレクシア先生に視線を向けている。その目が明らかに普段と違う光を帯びているのを、俺は扇の陰でしっかり確認した。


 「……あの、先生」

 「何だ」

 「その、とても……」


 ラング先生が言葉を詰まらせた。アレクシア先生が眉を顰める。


 「何だ、はっきり言え」

 「……お綺麗です」

 「⋯⋯」


 アレクシア先生の動きが、石のように固まった。ラング先生も自分が何を言ったか気づいて、今度は耳まで赤くなっている。


 「す、すみません失礼しました! 書類は置いておきます、では!」


 ラング先生が逃げるように店を後にする。

 店内に、静寂が戻る。アレクシアは、しばらく扉を見つめたまま動かない。その耳は、まだ真っ赤だ。


 「……先生」

 「……うるさい」

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