第二十六話
断罪の当日。
王都の裁判所。重厚な石造りの天井に、俺の足音だけが反響した。両側を騎士に挟まれ、被告席へと歩かされる。傍聴席には、貴族から平民まで、好奇と憎悪の入り混じった目が鈴なりになっていた。
前列にはエドワードが陣取り、勝ち誇った顔でこちらを見ている。その隣には、純白のローブをまとったエリナが、慈愛に満ちた表情で座っている。
エリナと目が合った瞬間、彼女は柔らかく微笑んだ。まるで、哀れな罪人を憐れんでいるかのような笑みだった。
(……なるほど。あれが本当の顔か)
俺は視線を裁判長へと戻した。
「被告、ライラ・ゼーレ・クロエラ。起立」
裁判長の声が石造りの空間に響き渡る。俺は立ち上がり、正面の判事台を冷淡な目で見据えた。
「本件の訴状を読み上げる。被告は王都市民延べ百八十三名に対し、魔力過負荷による身体的危害を伴う欠陥商品を故意に販売。……これは意図的な大量傷害行為に相当すると判断し終身刑および全財産の没収を求刑する」
傍聴席がどよめく。
(終身刑……。全財産没収、か。俺がこれまで積み上げてきたものを、根こそぎ奪うつもりだな)
「被告。求刑への返答を」
傍聴席の全員が、固唾を呑んで俺を見ていた。泣き崩れると思っているのだろう。あるいは、命乞いを。
俺は裁判長を正面から見据えた。
「ご丁寧な読み上げ、誠にありがとうございますわ」
静寂の中、俺の声だけが澄み渡った。
「ただ一点だけ確認させてくださいませ。その百八十三名の方々が手にされたドレス……わたくしの工房の魔導認証刻印を、裁判長はご確認になりましたの?」
「……何?」
「わたくしが製造したドレスには、この世界で唯一、わたくしの工房の魔力回路にしか再現できない固有の刻印が施されております。……証拠品のドレスに、それが存在するかどうかを確認されましたの?」
裁判長が書類を慌ただしくめくる。傍聴席がざわめき始めた。
「……それは、追って確認する」
「ふふ。ならば、その確認が済むまで、わたくしへの求刑は保留となりますわね? 法の手続きとは、そういうものではなくて?」
裁判長が赤面し、議会派の弁護士団が慌てて頭を寄せ合っている。
(ノックス、頼むぞ。もう時間がない)
「……証拠の確認は行う。だが被告の身柄は留め置く。本日の審議は――」
その時だった。裁判所の扉が、勢いよく開かれる。
「お待ちなさい」
息を切らしたノックスが、大量の書類の束を抱えて駆け込んできた。
「裁判長。新たな証拠の提出を申請いたします」
ノックスは乱れた呼吸を整え、書類の束を弁護側の机に叩きつける。
「一つ目。証拠品のドレスすべてに、ライラ様の工房の魔導認証刻印が存在しないことの確認書。王立魔導院の鑑定士、三名の連署入りでございます」
傍聴席がどよめく。
「二つ目。偽造品の製造に用いられた毒素の成分分析書。魔導絹とは一切無関係の、海藻由来の皮膚炎誘発物質でございます。三つ目。その毒素を老舗ギルド連合から工作員へ渡した瞬間の、魔法的記録」
「な……そんな、馬鹿な……!」
前列でエドワードが立ち上がった。その隣で、エリナの慈愛に満ちた微笑が、初めてわずかに崩れた。
「四つ目」
ノックスが最後の一枚を、静かに、しかし確かな重みを持って裁判長の前に置いた。
「被害者百八十三名全員の購入経路確認書。一名たりとも、ライラ様の正規店舗から購入した者はございません。全員が、老舗ギルド連合が手配した無認可の露店から、格安で『ライラ・クロエラ』の偽造品を購入しておりました。さらに、その売上の還流先は――老舗ギルド連合とエドワード様、貴方達の秘密口座でございます」
裁判所内は、もはや静寂を通り越して、耳鳴りがするほどの混乱に包まれていた。俺は、被告席の手すりを優雅に叩き、背筋を伸ばした。
「……裁判長。わたくしに終身刑を求刑した情熱を、次は真犯人に向けて差し上げてはいかがかしら?」
俺は、傍聴席の最前列でニヤリと笑っているアルベルトに視線を向けた。
(さあ、アルベルト。賭けは俺の勝ちだ)
「エドワード様。そして、そちらに並んでいる老舗ギルドの皆様」
俺は被告席の柵を優雅に叩き、広場での糾弾の時とは正反対の、余裕に満ちた笑みを浮かべた。
「……わたくしから技術を奪い、偽造品で市場を独占しようとなさったその熱意だけは、認めて差し上げますわ。ですが、残念でしたわね。わたくしの魔導認証を模倣しようとするなら、せめて、わたくしが監獄に入る前に流した偽の理論書に毒素増幅の罠が仕込まれていることくらい、見抜ける教養をお持ちになるべきでしたわ」
その言葉に、傍聴席に座っていたギルドの組合長たちが、ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がった。
「なっ……!? あの理論書は、貴様が隠し持っていた……!」
「……。ええ、そうですわ。貴方たちのような盗賊が食いつくのを、今か今かと待っていた、とびきり上質な餌ですもの」
裁判所内は、怒号と困惑で溢れかえった。だが、その混乱を断ち切るように、最前列で静観していたアルベルトがゆっくりと立ち上がる。
「……そこまでだ」
王太子の冷徹な声に、広場が静まり返る。アルベルトはエドワードを氷のような目で見下ろし、裁判長に向かって告げた。
「裁判長。証拠は出揃った」
アルベルトの声が響き渡る。
「王家の名において、エドワード公爵令息、および老舗ギルド連合の重鎮全員を、国家反逆および大規模傷害の容疑で即座に拘束せよ。司法の公正を汚した罪、その身で償ってもらう」
騎士たちが一斉に動き出し、エドワードの腕を掴んだ。
「殿下! お待ちください、これは何かの間違いです! クロエラ男爵に騙されているのです!」
無様な叫びを上げるエドワードが引きずり出されていく。それを見送るアルベルトの目は、ゴミを見るような冷淡さに満ちていた。
その時、俺の隣でエリナが、痛ましげに胸に手を当てて崩れ落ちた。
「ああ、なんということでしょう。エドワード様が、まさかこれほど恐ろしいことを……ライラ様、今まで貴女を疑ってしまったわたくしを、どうかお許しください……!」
エリナの瞳には、真実味を帯びた涙が浮かんでいる。傍聴席からは「ああ、聖女様はなんと慈悲深い」「裏切られたショックで立ち直れないのだ」という同情の囁きが漏れた。アルベルトさえも、彼女のその姿を疑うことなく、労わるような視線を一瞬向けた。
(素晴らしい演技だな。ギルドから多額の寄付金を掠め取り、俺を呪いの女に仕立て上げようとした張本人が、どの口でそんなことを)
俺はそっとエリナの肩に手を置き、顔を近づけて囁いた。
「……お顔を上げて、エリナ様。わたくし、存じておりますわ。貴女がどれほど清らかなお心で、この事態を見守っていらっしゃったか。これからも、その尊いお姿で、わたくしの背中を支えてくださいませね?」
エリナが、弾かれたようにこちらを見た。その瞳の奥で、一瞬だけ、煮えたぎるような憎悪と恐怖が交錯したのを俺は見逃さなかった。だが、彼女は震える声で答えた。
「ええ、もちろんですわ。ライラ様……」
俺はエリナからアルベルトの方へと向き直す。
「さて、殿下。賭けの賞品、楽しみにしておりますわ」
アルベルトは、憑き物が落ちたような、しかしどこか名残惜しそうな笑みを浮かべて俺を見た。
「完敗だよ、ライラ・ゼーレ・クロエラ男爵。君を救う必要などなかったな。約束通り、旧ギルドの本部ビル。王都一等地の権利書を君に。……それと、王家直轄の免税許可証だ。君の帝国、存分に広げるがいい」
俺は、差し出されたアルベルトの手をあえて取らず、傍らで控えていたノックスに視線を送った。
「ノックス。帰りましょうか。監獄の冷えた紅茶は、もう飽き飽きですわ」
「御意に。至急、最高級の茶葉と、新しいブティックの設計図を用意させましょう。ライラ様、貴女の真の躍進は、ここから始まります」
俺は、朝日が差し込む裁判所の扉に向かって、女王のように堂々と歩き出した。
背後で、聖女という名の猛毒を抱えた女が、必死に慈愛の微笑を繋ぎ止めているのを感じながら。
※ ※ ※ ※
(静かに、深く。祈るように指を組み、絶望を分かち合う慈愛の表情を。……よし、完璧よ。今の私は、仲間に裏切られた哀れな被害者であり、それでも罪人を赦そうとする、気高き聖女なのよ)
裁判所の隅。崩れ落ちるように椅子に座り、胸元の十字架を握りしめるエリナの周囲には、同情と憐れみに満ちた貴族たちの視線が集まっていた。
(エドワードの馬鹿。たかが商人の小娘一人、まともに片付けられないなんて。おかげで寄付金のパイプが一つ潰れたじゃない。……。まあいいわ。あんな小物、いつでも替えは効くもの)
エリナは睫毛を震わせ、瞳に薄く涙の膜を張った。だが、その視線の先では、アルベルトが被告席から降りてきたライラへと歩み寄っている。
(……殿下?)
エリナの心臓が、不快な音を立てて跳ねた。アルベルトが、あんなふうに他人に興味を示す姿を見たことがない。
彼は、エリナの完璧な婚約者だ。自分に跪き、自分という象徴を敬い、共に王族の頂点に立つはずの男。その彼が、今はエリナのことなど視界にも入っていないかのように、不敵に笑うあの女――ライラ・ゼーレ・クロエラだけを見つめている。
(……おかしいわ。殿下が、私以外の女にあんな熱を孕んだ目を向けるなんて。冗談じゃない。その場所は、わたくしだけのものよ)
アルベルトがライラに「完敗だよ」と囁き、親しげに、それでいて一人の対等な人間として接している光景が、エリナの網膜をじりじりと焼く。
(ただの、卑しい平民上がりの商人が。殿下の気を引くなんて、身の程を知りなさい。私がこれまで、どれだけ心を砕いて聖女として振る舞い、殿下の隣を守ってきたと思っているの?)
握りしめた十字架の角が手のひらに食い込み、鋭い痛みが走る。だが、その痛みさえも、胸の奥で煮えくり返るような嫉妬の熱を冷ますことはできなかった。
(ライラ。貴女、自分がどれほど恐ろしいことをしたか分かっていないようね。私の「庭」に土足で踏み入って、私の宝物に手を触れようとするなんて。……許さない。絶対に、許さないわ)
エリナは、周囲に気づかれないよう、深く、長く呼吸を整えた。再び顔を上げた時、その瞳は再び「澄み渡った聖女」の輝きを取り戻していた。
「……ああ、ライラ様。本当に、ご無事でよかったです」
口から出たのは、甘く、優しい祝福の言葉。
しかし、その心の内側に渦巻いているのは、ライラのすべてを奪い取り、アルベルトの視線を再び自分だけに繋ぎ止めるための、どす黒く、果てしない独占欲だけだった。
(楽しみにしていて。私が本当の「断罪」がどんなものか、教えてあげるから)




