第二十五話
王都の中央広場。聖女エリナの「浄化の祈り」が響き、群衆の憎悪が最高潮に達したその瞬間。馬車の扉に手をかけたまま、俺は隣に立つノックスを鋭く睨み据えた。
「ノックス。わたくし、これからあの方々の前に姿を現しますけれど。おそらく、言葉を交わす暇もなく騎士団に捕らえられるでしょう。……本当に、すべて貴方に預けて大丈夫なのですわね?」
俺の声には、芝居ではない、本物のヒリついた緊張が混じっていた。一歩間違えれば、冤罪が晴らされる前に闇に葬られる可能性すらある。だが、ノックスは磁器のような顔立ちにわずかな隙も作らず、静かに、しかし重く響く声で答えた。
「ご懸念には及びません、ライラ様。貴女が監獄という絶対的な不在の場所に隔離されることこそ、この作戦の核心。一週間後、この王都が貴女を跪いて迎える準備が整うまで、私は眠ることすら忘れるでしょう……さあ、ライラ様。最高に傲慢で、最高に潔白な『罪人』として、舞台へ」
「ふん。よろしい。貴方のその傲慢、信じて差し上げますわ」
俺は扇をパッと閉じると、一切の迷いなく馬車の扉を開け、憎悪の渦巻く広場へと降り立った。扉が開いた瞬間、凄まじい怒号と罵声が俺を包み込んだ。
「出たぞ! 魔女だ!」
騎士団の役人たちが、まるで獲物に飛びかかる獣のように俺の両腕を掴み、背後にねじり上げる。
「ライラ・クロエラ! 有害魔導具の製造、および平民を傷つけた容疑で、貴女を騎士団監獄へ連行する!」
無造作に嵌められた鉄の手枷が、肌を削るほど冷たく、硬い。壇上では、組合長たちが「正義の執行だ!」と気勢を上げ、エドワードが冷笑を浮かべて俺を指差している。
引き立てられる俺の背後で、ノックスが騎士団の剣を素手で押し留めながら、氷のような声で宣告した。
「その手をお離しなさい。ライラ様は調査に協力されるだけだ。彼女にこれ以上の無礼を働く者は、私がその場で処理する」
数時間後。騎士団監獄、最奥の独房。
鉄格子が閉まる重い音が、冷たい石壁に反響する。
独房の隅、わずかな光の中に、影のようにノックスが現れた。その顔には、隠しきれないほどの怒りと、それを上回る冷徹な決意が刻まれている。
「ライラ様。申し訳ございません、このような不潔な場所に。ですが、ご安心ください。たった今、エドワード様が貴女の工房に押し入り、罠である毒の繊維をすべて自身の馬車に積み込みました。彼らは今、自ら破滅の種を抱きしめて悦に浸っております」
「いいわ、ノックス。この屈辱が深ければ深いほど、あの方々を叩き潰す時の快感が、極上のものになりますもの」
(俺がここにいる理由は二つ。敵に勝ったと思わせて全財産を投資させるため。そして、事件が起きた時、俺自身が物理的に関与できない場所にいたという、完璧なアリバイを作るためだ)
「ノックス。わたくしがここにいる一週間の間に、奴らは国王生誕祭に向けて、あのドレスを大量生産しますわね?」
「はい。既に彼らの手に渡した『偽の理論書』を信じて加工を続ければ、生誕祭当日、彼らのドレスを纏った者たちは一斉に発疹を出し、その責任は全て、素材を奪い、管理していたギルド連合へと突き刺さります。……ライラ様。一週間後の舞台、楽しみにしておりますよ」
鉄格子が閉まる重い音が、冷たい石壁に反響した。
(はは。本当にぶち込まれちまったな)
俺は粗末な木椅子に腰を下ろし、しばらくの間ただ静かに呼吸を整えた。扇を開こうとして、ここには見せる相手がいないことに気づき、膝の上に置く。
(……静かだ)
いつもノックスがいた。ヨルンがいた。ミラがいた。賑やかで、忙しくて、退屈している暇もなかった。なのに今は、この薄暗い石の箱の中に、俺一人だ。
頭では分かっている。計算も合っている。
だが。
(……怖い、な)
誰もいない独房で、俺は初めてその言葉を内側から取り出した。計画通りとはいえ、一歩間違えれば冤罪が晴らされる前に処刑される。この世界で、本当に死ぬかもしれない。
ふと、廊下に足音が響いた。革靴の規則正しい、威厳のある音。
「……面会とは珍しいですわね、殿下」
現れたのはアルベルトだった。取り巻きも護衛もいない。
「提案がある。私と結ばれろ。王太子妃として王家の庇護下に入れば、死刑どころか、この件は即座に白紙に戻せる」
(……なるほど。この局面を利用して、俺という存在を自分の陣営に縛り付けたいわけだ)
俺は冷めた目で王子を見つめた。
「お言葉ですが、殿下。わたくしを救うという名目で、わたくしの自由を安く買い叩こうとなさって? それでは賭けにもなりませんわ」
「……ほう、この期に及んでまだ欲をかくか。では、君は何を望む?」
俺は鉄格子に歩み寄り、不敵に微笑んだ。
「わたくしが無実を自力で証明した場合……つまりノックスが間に合った場合、殿下にはわたくしのブランドの公式スポンサーになっていただきますわ。王家直轄の免税権、および王都一等地の店舗用地の譲渡。……もちろん、経営には一切口出しさせませんけれど」
アルベルトの目が鋭く光った。救済の代償に、王家の威光と実利を要求されるとは思っていなかったのだろう。
「……私が負ければ、王家の特権を君に切り売りせねばならんというわけか。いいだろう。だが、もし彼が間に合わず、私が君を救い出すことになったら?」
「その時は……ええ、わたくしという才能を、貴方の望み通り王家の鳥籠に捧げて差し上げますわ。ただし、ノックスの身の安全は保証していただきますけれど」
(これなら釣り合いが取れる。ノックスが勝てば、俺は王家のお墨付きを得て、一気に市場を独占できる。万が一間に合わなくても、死刑は回避され、ノックスも守れる。……どっちに転んでも、俺はただでは転ばない)
アルベルトは短く笑った。呆れたような、しかし隠しきれない愉悦が混じった笑いだ。
「面白い。その不遜さ、嫌いではない。賭け、成立だな」
アルベルトが木箱を鉄格子越しに置いた。
「食え。痩せると、ドレスのシルエットが変わるぞ」
「余計なお世話ですわ」
アルベルトの足音が遠ざかっていく。
俺は焼き菓子を齧りながら、暗い天井を睨みつけた。
(ノックス。お前が勝てば、俺たちは王都の頂点に立てる。絶対に、間に合わせろよ)




