第二十四話
「ライラ・クロエラ」の普及版ドレスが王都の市場に並び始めた直後、街の空気は急速に冷え込んでいった。
ある朝、学園の登校路。俺は、いつものようにノックスを従え、自信に満ちた足取りで歩を進めていたが、周囲の令嬢たちの視線が、昨日までとは明らかに違うことに気づく。
羨望ではなく、――忌避。
「……見なさい。あれが噂のドレスよ」
「本当、綺麗だけど……怖い。私のいとこも、これに似たドレスを着て、翌朝には腕が真っ赤に腫れ上がったんですって。魔導絹の魔力が、平民の肌には強すぎたのよ」
「安物買いの銭失い、どころか。……あれは呪いのドレスですわ」
扇の陰で囁かれる言葉が、刃となって飛んでくる。
さらに追い打ちをかけるように、学園の広場では、数人の一般生徒たちが、真っ赤な発疹が浮き出た首元を隠しながら、涙ながらに訴えていた。
「ライラ様……信じていたのに! 手が届く美しさだなんて、全部嘘だったのね! このドレスのせいで、もうお嫁に行けないわ!」
彼女たちの手には、俺のブランドの刻印によく似た、だがどこか歪な紋章が入ったボロ切れが握られている。
「……。ノックス、報告を」
俺は歩みを止めず、冷徹な声で命じた。背後に控えるノックスの気配が、かつてないほど鋭く、硬い。
「芳しくありません。王都の診療所には、同様の症状を訴える女性が数十名。各所で『ライラ・クロエラ』の不買運動が始まり、予約のキャンセル率は既に六割を超えました。……老舗ギルド連合が雇った被害者の噂話が、事実として定着しつつあります」
(魔導絹の魔力酔い、か。理屈は通っている。平民には扱いきれない高貴な素材だと宣伝すれば、身分制度に染まったこの世界の連中は、簡単に信じ込む)
サロンに入れば、昨日まで俺の靴を舐めるようにして「新作を!」と強請っていた令嬢たちが、俺が近づくたびに、まるで疫病神でも見るようにして椅子を引く。
「……あら。皆様、ずいぶんと顔色が優れないようですわね。わたくしのドレスを纏うのが、それほどまでに命がけの冒険になってしまったのかしら?」
俺が皮肉たっぷりに微笑みかけると、一人の令嬢が震える声で言い返した。
「……ライラ様、あまりに無慈悲ですわ! 私たちがどれだけ期待していたか、貴女には分からないの!? ……もう、貴女の名前を冠した服を着ているだけで、街では呪われた女だと指を指されるのよ!」
(……流石にやばい。どうしたものかな)
俺は、熱い紅茶が冷めるのを待つかのように、ゆっくりと目を閉じた。学園中に広まる「ライラ・クロエラ」への罵倒と、失墜したブランドの評判。
孤立無援。かつての敵、エドワードさえもが遠巻きに「自業自得だ」と嘲笑っているのが聞こえる。
「……ノックス」
「……問題ございません。ライラ様。……夜明け前が、最も暗いものでございますから」
ノックスの低い声だけが、四面楚歌の俺の傍らで、凍てつくような静寂を保っていた。
「何か策はあるのかしら? このままでは、わたくしの自尊心が、この泥水のような噂で汚されてしまいますわ」
俺が問いかけると、ノックスは懐から一枚の、黒いワックスで封じられた報告書を取り出した。
「……既に、ミラ様を通じて被害者が持ち込んだドレスの残骸を回収し、解析を完了しております。犯人は、魔導絹の希少性を逆手に取りました。彼らが用いたのは、深海に生息する特定の海藻から抽出した、皮膚炎を誘発する毒素です。これを安価な綿に染み込ませ、魔力酔いという医学的に曖昧な言葉でカモフラージュしたようです」
(……海藻の毒。なるほど、魔法じゃなく毒か)
「解析だけではありません」
ノックスは淡々と続けた。
「現在、王都の主要な診療所には、わたくしが手配した治療薬を配布済みです。そして、この粗悪品を製造していた地下工房の場所、さらには老舗ギルドから工作員へ振り込まれた金の流れ……そのすべてを、既に押さえております」
俺は、思わず目を見開いた。俺がこのサロンで冷ややかな視線に耐えているわずかな時間に、こいつは敵の喉元にナイフを突き立てる準備を終えていたのだ。
「……ふふ。流石はわたくしのノックス。わたくしが頭を悩ませるまでもなく、既に処刑台の露払いは済んでいるというわけね?」
「滅相もございません。ライラ様が仰った市場の制圧を完遂するためには、この程度の雑事は、わたくしの独断で片付けておくべき事柄に過ぎません。さあ、ライラ様。あとは、貴女が華やかに舞台へ上がるだけでございます」
(こいつ、マジで何者だよ。俺がどうしようと思った瞬間に、もう答えを持ってきてる。だが、乗っからせてもらおう)
俺は立ち上がり、サロンの出口へと歩き出す。
振り返りもしない俺の背後で、ノックスが静かに、しかし確かな支配力を孕んだ一礼をした。
「ノックス。次は、わたくしの番ですわね。この泥水を、すべて奴らの顔にぶち撒けて差し上げますわ」
「はい。そのための特別な衣装も、既にミラ様のもとで完成しております」
俺は、冷めきった紅茶のカップをソーサーに戻した。カチリ、と静かな音がサロンに響く。
「貴方の手回しには、時折恐怖すら覚えますわね。ですが、今すぐその証拠を突きつけるのは、少しもったいないと思わない?」
俺が不敵な笑みを浮かべると、ノックスは表情を一つも変えず、だが瞳の奥に理解の光を宿して一歩退いた。
「……仰る通りでございます。鼠どもが最も高く跳び上がった瞬間に、天井を叩き落として差し上げる。それがライラ様の美学、ということでございますね?」
(どん底まで評判が落ちれば、奴らは必ず調子に乗って、自分たちの首を絞めるような次の一手を打ってくるはずだ)
「ええ。今はまだ、わたくしを罵らせておきなさい。王都中の不満が、絶望が、そして奴らの傲慢が最高潮に達するまで、わたくしは沈黙の悪役を演じて差し上げますわ」
※ ※ ※ ※
それから数日。俺はあえて、学園での活動を縮小させ、サロンの隅で一人静かに過ごす時間を増やした。
学園の掲示板には「呪われた令嬢を追放せよ」という落書きが躍り、王都の街角では、俺のブランドのドレスを燃やすパフォーマンスまで始まった。
エドワードや老舗ギルドの連中は、これ幸いと「被害者救済基金」なるものを設立し、俺から奪い返す予定の利権をあてにして、盛大な祝杯の準備を始めているという。
「ノックス、外は随分と賑やかですわね」
薄暗い図書室の奥で、俺は本を閉じずに窓の外を眺めた。校門の向こうでは、ギルド連合が雇ったサクラたちが、喉を枯らして俺への糾弾を続けている。
「はい。老舗ギルド連合は、完全に勝利を確信したようです。既に彼らは、ライラ様の利権を分割するための秘密会議を今夜開催するとのこと。更には、エリナ様も『迷える子羊たちを救うため』と称し、明日、広場での大々的な浄化演説を予定されております」
(まさかエリナまで……いい子だと思ってたのに。だが、泳がせて正解だった)
「……ふふ、完璧ですわ。全員が同じ舞台に上がるのを、ずっと待っていましたの」
俺は立ち上がり、ノックスが用意していた明日のための準備書面に目を通した。
そこには、ミラが解析した毒の成分、ノックスが突き止めた金の流れ、そして――工作員たちが「老舗ギルドから直接毒を受け取った」瞬間の、魔法的な記録(映像)のありかが記されていた。
「ノックス。一番、絶望が深く、一番、希望が輝く瞬間に……わたくしたちの『真実』を、王都中の度肝に叩き込んで差し上げましょう」
「御意に。全ての役者が揃うまで、私が完璧に舞台の裏を固めておきます」




