第二十三話
数日後の朝。学園の正門を潜った瞬間、ざわめきという名の波が、俺の歩みに合わせて左右へと広がっていった。
今日の俺が纏っているのは、あの「混紡魔導絹」の記念すべき第一号。一見すると、清潔感のあるシンプルなオフホワイトのドレス。だが、陽光を浴びるたびに、生地の奥底に潜む魔導絹の繊維が、まるで呼吸するように淡いプラチナ色の光を放っている。
「見て、ライラ様だわ。……でも、あのドレス、いつもの豪華なものじゃない?」
「ええ。なのに、どうしてあんなに……眩しいのかしら。まるで、ドレスそのものが意志を持って、彼女を輝かせているみたい」
令嬢たちの囁きを、俺は冷徹な微笑で受け流した。
(これはただの服じゃない。俺の計算と、ノックスの調達と、ミラの技術が凝縮された歩く広告塔だ)
俺はあえて、学園で最も人の集まる中央広場の噴水前で足を止めた。ノックスが音もなく俺の傍らに立ち、手に持った銀のトレイを掲げる。そこには、数枚のシンプルな、だが極めて洗練されたカタログが並んでいた。
「皆様、何をそんなに驚いていらっしゃいますの? ……わたくし、今日は少し趣向を変えて、身の丈に合った装いを試してみただけですわ」
俺が扇を優雅に閉じ、広場を見渡すと、一人の勇気ある――あるいは好奇心に勝てなかった――令嬢が声を上げた。
「ライラ様! そのドレス、一体どこの新作ですの? そんなに美しいのに、どこか軽やかで……」
「あら、お目が高いわね。……これは、わたくしがプロデュースした新ブランド『ライラ・クロエラ』の試作品。このドレス、皆様が普段お召しのティーガウン数着分のお値段で、どなたでも手に入れられますわ」
「……な、なんですって!?」
「そんな! この輝き、まるで王家の御用達品では……!」
広場が蜂の巣をつついたような騒ぎになる。
俺は、混乱する彼女たちをさらに煽るように、ノックスから受け取った「あるもの」を、自分のドレスの裾に無造作に振りかけた。
それは、噴水の泥を含んだ汚水。
観衆から悲鳴が上がる。だが、次の瞬間、広場は静寂に包まれた。汚水はドレスの表面に触れた瞬間、まるで意志を持っているかのように弾け飛び、一滴の染みも残さず地面へと滑り落ちたのだ。
「汚れない、シワにならない。そして、貴女の身体を最も美しく見せるための、魔導計算に基づいたシルエット。これが、わたくしが皆様に差し上げる新しい日常ですわ。……ノックス、カタログを」
「承知いたしました」
ノックスが流れるような所作でカタログを広げ始める。昨日まで俺を遠巻きに見ていた令嬢たちが、今や我先にと群がってくる。
「 ライラ様、カタログとは一体……?」
戸惑う令嬢たちの前で、俺は不敵に微笑み、一枚の厚紙に指先で魔力を流した。
すると、紙の上に描かれた繊細な線画が、魔法の光を帯びて空中に立体的に浮かび上がる。そこには、俺が着ているものとは別パターンのドレスが、まるでそこに実物があるかのように、くるくると回転しながら映し出された。
「紙面に並んだ文字を追うだけの退屈な品書きなど、わたくしのブランドには相応しくありませんわ。これは視覚的な目録。貴女が纏うべき未来を、その場で確認していただくためのものですの」
令嬢たちが「まあ……!」と感嘆の声を漏らし、浮かび上がる光のドレスに手を伸ばそうとする。
中世の技術体系では、一点物の高価な魔導具でしかあり得ない映像魔法を、あえて消耗品の発注用として贅沢に使い潰す。その圧倒的な格の違いが、彼女たちの購買意欲を狂わせる。
(この立体目録を作るために、一万枚以上の魔導紙に回路を焼き付けさせた甲斐があったな。これこそが、情報格差を利用した現代的な市場制圧だよ)
「ノックス、皆様にこの目録をお配りなさい。ただし、数は限られておりますわ。わたくしの選んだ流行に乗り遅れたくない方は、どうぞお早めに」
「承知いたしました。……皆様、押し合わず、こちらへ」
ノックスが事務的、かつ優雅に、光り輝くカードを配り歩く。昨夜までカタログなんて概念すらなかったこの世界に、俺は今、選ぶ楽しみという名の欲望を民衆に植え付けさせた。
※ ※ ※ ※
目録が学園中を席巻し、予約の殺到にノックスの筆が追いつかなくなり始めた頃。学園の正門前に、数台の豪華だが古めかしい馬車が乗り付けられた。そこから降りてきたのは、王都で代々、高位貴族の衣装を独占してきた老舗仕立屋連合の主たちだ。
彼らは美の風紀を正すという大義名分を掲げ、学園理事会にねじ込み、サロンで優雅に紅茶を嗜む俺の元へと血相を変えてやってきた。
「――クロエラ男爵令嬢! 貴女のしていることは、この国の服飾文化への冒涜だ! 魔法の小細工で着飾ったまやかしを安売りするなど、職人たちの誇りを踏みにじる行為であると気づかんのか!」
組合長が、自慢の手縫いのタキシードを誇示するように胸を張り、俺を指差して吠える。サロンの令嬢たちが怯えたように顔を見合わせる中、俺はティーカップをソーサーに置く音さえさせず、冷徹な視線を彼らに向けた。
「冒涜? 誇り? 耳に心地よい言葉ですけれど、わたくしには、単なる『敗北の悲鳴』にしか聞こえませんわ」
「な、なんだと……!?」
「組合長。貴方の仰る伝統とは、一着を半年かけて縫い上げ、それを買える一握りの特権階級だけを相手にすることかしら? それは文化の継承ではなく、ただの排他的な怠慢ですわ。……ノックス、あの方の誇りとやらを拝見して差し上げて」
「はっ」
ノックスが、組合長が持参した至高の一着とされる見本服の隣に、我がブランドの普及品を並べた。
組合長の服は、確かに緻密な手縫いだ。だが、俺たちのドレスの横に並ぶと、どこか重く、古臭く見えてしまう。
「見てご覧なさい。貴方の服は、過去の栄光を縫い付けているだけ。わたくしの服は、未来の可能性を織り込んでいますの」
俺は立ち上がり、組合長の目の前で、ノックスが持ってきた試験薬を彼の最高級服に一滴垂らした。一瞬で広がる赤ワインの染み。組合長が絶叫する。
「ああっ! 我がギルドの秘伝の生地が……! なんてことを!」
「魔法の小細工、でしたかしら? ……わたくしのドレスなら、今ので汚れ一つ付きませんでしたわ。貴方の誇りは、ワイン一滴で汚れるほど脆いものなのですね」
俺は扇をパッと開き、冷酷な宣告を下した。
「組合長。時代は変わりましたの。手縫いの温かさを否定はしませんわ。ですが、それを盾に進化を拒むのであれば……貴方たちは、わたくしの作り出す輝きの影に隠れて、ひっそりと歴史の塵になるのがお似合いですわ」
組合長たちは怒りに震え、顔を真っ赤にして退散していった。だが、その背中には、自分たちの顧客である令嬢たちが、羨望の眼差しで俺の光る目録を抱きしめている現実が、重くのしかかっていた。
「ノックス、ギルド連合の資金源と主要顧客のリスト、今日中に洗い直しておきなさい」
「承知いたしました。……既に、何名かの若手職人が、ミラの工房へ転向を希望して接触してきております。……切り崩しは順調です、ライラ様」
俺の革命は古い時代の壁を、音を立てて崩し始めていた。




