第二十二話
放課後のサロン。俺は窓の外で、二級品すら買えずに、遠巻きにこちらを羨望の眼差しで見つめる一般生徒や、校門の向こうを行き交う平民の娘たちを眺めていた。
「ノックス。わたくし、この学園の美の天井を叩いてしまった気がしますわ。……これ以上、誰を屈服させれば、わたくしの心は満たされるのかしら?」
俺が気怠げに頬杖をつくと、控えていたノックスが、いつになく真剣な面持ちで一歩前へ出た。
「……ライラ様。頂点を極めた者が次に行うべきは、その基準を世界に広めることではないでしょうか。今、学園の外では、ライラ様の装いに憧れながらも、一生かかっても一着のドレスさえ買えぬ者たちが溢れております。その者たちに、ライラ様の慈悲を……いいえ、支配を広げてはいかがでしょう」
(ほう。……つまり、この国のファッションそのものを、俺の金の力で塗り替えるってわけだな)
「庶民にも手が届くドレス、ですって? ノックス、貴方、わたくしに安物を作れと?」
俺の冷徹な問いかけに、ノックスは動じることなく続けた。
「いいえ。……ライラ様の美学を、徹底的な素材の選定と量産技術、そしてアーノルド公爵家から奪ったあの魔導絹の混紡技術で、低価格ながらも他の追随を許さぬ逸品に変えるのです。平民の娘たちが、一生に一度の晴れ舞台でライラ様のドレスを纏う。それは、この国の全女性の心が、ライラ様の手中に収まることを意味します」
(面白い。ただ高価な布を纏うだけなら成金でもできる。だが、路地裏の娘までが俺の選んだ色を纏い、俺の決めたシルエットで街を歩く。国中が俺の『クローゼット』になるってわけか。悪くない、最高の暇つぶしだ)
俺は扇をパッと閉じ、瞳に冷たく、しかし野心に満ちた光を宿した。
「採用して差し上げますわ、このライラ・ゼーレ・クロエラの名を冠した、至高の普及品。この国の身の程を、わたくしが書き換えて差し上げますわ」
俺は立ち上がり、今日のドレスを翻した。
「さて、まずは市場調査からかしら? ノックス、一番安っぽい布を一枚、持ってきなさい。わたくしの手で、それを宝石に変えて見せますわ」
数日後、学園の自習室。俺は、山のように積まれた魔導繊維学と魔導回路設計の専門書を猛烈な勢いで読み漁っていた。
(……公爵から奪った魔導絹。あれは確かに最高級だが、あまりにピーキーすぎて量産には向かない。だけど……)
俺が数式と格闘していると、背後から音もなくノックスが冷めた紅茶を下げ、新しく淹れたてのカップを置いた。
「ライラ様。昨日から一睡もせず、その混紡比率の計算に没頭されるのは感服いたしますが、少しばかり現場の視点が欠けているようです」
「何かしら、ノックス。わたくしの計算に間違いがあると仰るの?」
「いいえ。計算は完璧です。ですが、王都の古い織機では、その精緻な魔導回路を再現できません。ですので、わたくしが昨夜のうちに、王都中の廃棄された魔導織機のパーツを買い叩いておきました。それと、ミラ様の工房の地下にある、かつての職人達が遺した旧式の高圧魔導炉。……あれを再起動すれば、計算上の熱量不足は解決します」
(相変わらず手回しが早いな……ミラの工房の情報とか、どっから仕入れてきてるんだよ)
「流石はノックス。さっそく行きましょうか」
俺たちはその足で、ミラの工房へと向かった。
ミラの工房。
魔導織機のガシャンガシャンという騒がしい音の中に、ミラの弾んだ声が響く。
「 ライラ様、またとんでもないこと思いつきましたね! 魔導絹を裁断して綿と混ぜちゃうなんて、普通のデザイナーなら失神しちゃうようなタブーですよ!」
ミラは俺が持ち込んだ魔導回路図をひったくるように受け取った。
「でも……これ、最高にワクワクします! 安い綿が魔導絹の輝きを借りて宝石みたいに光るなんて、魔法みたいじゃないですか。ライラ様、天才を通り越して悪魔的ですっ!」
「あら、お褒めに預かり光栄ですわ。ですが、わたくしの計算だけでは、現場の熱量が足りませんの。ノックス、準備は?」
俺の背後で、ノックスが重厚な木箱を静かに開けた。中には、年代物の鈍い光を放つ魔導パーツがぎっしりと詰まっている。
「はい、ライラ様。かつての職人達が遺した旧式高圧炉の出力不足を補うため、王都中の廃棄場から魔力共鳴回路を掻き集めてまいりました。……ミラ、これを使えば君の理論値でも、この混紡比率を安定させられるはずだ」
「えっ、ノックスさん!? これ、あそこのジャンク屋で門前払いされた幻のパーツじゃないですか! どうやって手に入れたんですか、 ……でも最高! これならいけます、今すぐ火を入れちゃいましょう!」
(ノックスの交渉術とミラの職人魂。……これこそが、俺がこの学園の外を支配するための最強の布陣だ)
ノックスが冷徹な手つきで出力レバーを調整し、ミラが「それいけー!」と叫びながら織機を起動させる。
火花が飛び散り、工房中に魔力の匂いが充満する。
翌朝、そこには――安価なはずの綿の柔らかさを持ちながら、王族の礼装のような気品を湛えた、一反の奇跡が横たわっていた。
「ノックス。今夜、王都を牛耳る裁縫ギルドの組合長を呼び出しなさい。……いえ、わたくしが直々に出向いて差し上げますわ。手土産には、アーノルド公爵家から毟り取ったばかりの魔導絹の独占契約書を用意して」
※ ※ ※ ※
王都の一等地に構える重厚なギルド本部の応接室。そこには、数々の貴族を相手にしてきた老練な組合長たちが、居丈高な態度で待ち構えていた。
「……クロエラ男爵令嬢。お噂はかねがね。ですが、我々プロの職人集団に、小娘の『おままごと』に付き合えと? 庶民にドレスを広めるなど、ブランドの安売り、ギルドの破滅を意味します。お引き取りを」
組合長が鼻で笑い、茶を啜る。その横柄な態度に、俺は冷徹な微笑を浮かべたまま、ノックスに目配せをした。
「おままごと、かしら? 組合長、貴方の仰る伝統という名の怠慢のせいで、王都の裁縫技術はここ数十年停滞していますの。……わたくしが求めているのは、妥協ではありません。革命ですわ」
俺は机の上に、一枚の書類と、そして一反の布を叩きつけた。それは、魔導絹を特殊な比率で混紡した、見たこともないほど艶やかで、かつ驚異的な強度を誇る新素材だ。
「こ、これは……魔導絹!? しかも、この織り方は……不可能だ、こんな細い糸でこの密度……!」
組合長たちの色が、一瞬で変わる。俺は扇でその布を指し、氷のような瞳で彼らを射抜いた。
「この素材の独占供給権は、現在わたくしの手中にあります。そして、この布を使って、一着を現在の市場価格の十分の一で量産する工程、既にわたくしが組み上げましたわ」
「じ、十分の一だと……!? そんな馬鹿なことが」
「選択肢を差し上げますわ、わたくしの軍門に降り、この素材と技術を使って『ライラ・ゼーレ・クロエラ』の普及品を国中に広める尖兵となるか。……あるいは、わたくしが新しく設立するギルドに顧客をすべて奪われ、その古臭い看板を抱えたまま、今日を限りに廃業なさるか」
沈黙が応接室を支配する。組合長たちの額から、大粒の汗が流れ落ちた。
俺が提示したのは、単なる協力要請ではない。拒めば確実に死、従えば見たこともない巨大な市場を手に入れるという、悪魔の契約だ。
(……さあ、どうする? 職人の意地で心中するか、それとも俺の靴を舐めて『美の民主化』という名の利権を貪るか)
「…………。ク、クロエラ様。……我々に、その……製作の第一陣を任せていただけますでしょうか」
組合長が震える声で頭を下げた。俺はそれを見届け、変色ベルベットの裾を翻して立ち上がった。
「賢明なご判断ですわ。……ノックス。契約書を。明日から、王都の娘たちの溜息を、すべてわたくしへの歓喜に変えて差し上げますわ」




