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異世界に来たけど、まず服を買いました  作者: ぬしぽん


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第二十話

 演習場に隙間なく敷き詰められた最高級の御影石。その表面は丁寧に磨き上げられ、朝露を弾いて美しく輝いている。


 「……おはようございます、エドワード様。皆様、何をそんなに驚いていらっしゃるの?」


 石畳の中央で、鮮烈な紅絹のドレスを纏った俺が、優雅に扇を揺らしていた。朝日に照らされた紅絹は、まるで燃え盛る炎のような輝きを放ち、磨き上げられた石畳にその紅を映し出している。


 「な、貴様……これは一体どういうことだ! 演習場の地面が、なぜ……!」


 「あら。足元が少しばかり不潔でしたでしょう? わたくしのドレスが汚れるなどという万が一の事態、あってはなりませんもの。ですから昨夜のうちに、わたくしのお小遣いで腕利きの職人を五十人ほど雇いまして、突貫工事で整えさせていただきましたわ」


(……一晩で数千G飛んだが、あの絶望した顔が見られただけでお釣りが来る。金で解決できる問題は、問題とは呼ばないんだよ!)


 「お、お小遣いだと!? 演習場の舗装を個人が勝手に行うなど、校則違反だぞ!」

 「校則? ……あら、アレクシア先生。いかがかしら?」


 俺が視線を向けると、そこには呆れ果てた顔のアレクシア教官が立っていた。彼女は新しくなった石畳をブーツの先で小突き、溜息を吐く。


 「演習場の整備は教官の管轄だが、寄付による『設備の近代化』を拒む理由は、今のところ校則にはないな。むしろ、足場が安定して訓練の効率が上がる。……有り難く使わせてもらうぞ、クロエラ」

 「光栄ですわ、先生」


 エドワードの顔が、屈辱で真っ赤に染まる。泥濘ぬかるみを利用してライラのプライドを折るはずが、逆に圧倒的な財力と行動力で見せつけられ、戦う前から土俵を物理的に作り変えられてしまったのだ。


 「ふっ、これで済むと思うなよ」


 次の瞬間、エドワードが不敵な笑みを浮かべ、ポケットから小さな革袋を取り出した。


 「おっと」


 エドワードがわざとらしく革袋を地面に落とすと、粘つくような油と無数の極小鉄球が石畳の上にぶち撒けられた。


 磨き上げられた御影石との相性は最悪だ。一歩でも不用意に踏み込めば、無様に転倒し、この鮮やかな紅絹のドレスは油塗れのボロ布に成り下がるだろう。


 周囲の生徒たちが「ああっ!」と声を上げ、訓練場に緊張が走る。だが、俺は木剣を構え直すことさえしなかった。ただ、扇をパッと開き、困った子供を見るような視線をエドワードへ向けるだけ。


 「……エドワード様。これは一体、どのような余興かしら?」

 「な、何のことだ! 俺はただ、手が滑って……! くっ、そんな足場では、まともに打ち込みなどできまい! 今日は中止だ、中止!」


 エドワードは勝利を確信したのか、顔を赤くしながらも、どこか勝ち誇ったように叫ぶ。彼にとっては、俺に剣で勝つことよりも、この高慢なドレス女を泥や油に塗れさせ、そのプライドをへし折ることこそが目的だったのだ。


 (なるほどな。戦う前に不戦敗に追い込もうって腹か。だがな、エドワード。その程度で封じられると思ったら大間違いだ)


 俺は、油の海を避けるどころか、あえてその中心へと一歩踏み出した。


 「……! 貴様、正気か! 滑って転倒するのが――」


 エドワードの言葉は、最後まで続かなかった。


 俺の足が油に触れた瞬間、ドレスの裾がふわりと円を描いて広がった。転倒するはずの慣性を、俺は体幹の捻りだけで回転へと変換する。

 

 滑るなら、滑りきればいい。俺はスケート選手のように、油の上を音もなく滑走した。紅絹の裾が、遠心力で真円に広がり、石畳に映る紅の影が鮮やかに舞う。


 一回転、二回転。

 ドレスの重みを利用した精密な重心移動。それはもはや歩行ではなく、戦場に咲いた一輪の華による舞踏だった。


 「…………ッ!?」


 俺は油の層を完璧に乗りこなし、エドワードの目の前でピタリと静止した。一点のブレもなく。紅絹の裾が、ゆっくりと、優雅に足元へと収まっていく。


 ドレスには、飛沫しぶき一つ飛んでいない。


 「滑りやすくて、かえって身体が軽くなりましたわ。……エドワード様。素敵な舞台装置をありがとうございます。おかげで、わたくしのドレスの可動域、皆様に存分にお見せできましたこと」


 俺は扇で口元を隠し、極上の、しかし底冷えするような微笑を浮かべた。


 「……ば、馬鹿な!油の上で、なぜあんな……」


 エドワードは、自分が仕掛けた罠が、逆にライラの美貌を際立たせるための演出に使われたことに愕然とし、持っていた木剣をガランと落とした。


 「お粗末ですわね。さて、アレクシア先生。舞台の清掃、わたくしが雇った職人たちにやらせましょうか?」


 アレクシアは、呆れたように、だが隠しきれない賞賛を瞳に宿して肩をすくめた。


 「……いや。エドワード。貴様が自分で磨け。放課後、この石畳が鏡のようになるまでな」


※    ※    ※    ※


 放課後、人影のまばらになった屋外演習場。

そこには、四つん這いになって石畳にへばりつき、必死に雑巾を動かすエドワードの姿があった。アレクシア教官から命じられた油の清掃だ。


「……くそっ、何故だ……! 何故あんなデタラメな動きができる……!」


 磨いても磨いても、石畳に染み付いた油のように、ライラのあの嘲笑うような紅のドレスが脳裏から離れない。公爵家の嫡男として、これほどの屈辱を味わったことはなかった。


「エドワード様、あまり根を詰められますな。あんなのは、もはや剣術ではありません。まやかしです」


 背後から声をかけたのは、油の袋を用意した取り巻きの令息だ。エドワードは雑巾を石畳に叩きつけると、充血した目で振り返った。


「分かっている……! あんな化け物を放置しておけば、騎士学部の秩序が崩壊する。力で勝てぬというのなら、次は学園そのもののルールで排除してやるまでだ」


エドワードの唇が、醜く歪んだ。彼は懐から、昨日実家から届いたばかりの書状を取り出した。そこには、アーノルド公爵家の威光を背景にした、学園理事会への勧告権について記されていた。


「明後日の『学園創立記念パーティー』。そこでは、新入生から選ばれた代表が、伝統の奉納演武を行うことになっている。……そこに、ライラ・クロエラを推薦する」


「……! 奉納演武といえば、王族や他国の使節も観覧する、最も厳格な式典。あそこで醜態を晒せば、即座に退学処分もあり得ます」


「ああ。あいつはドレスで戦うと言ったな。ならば、そのドレスそのものを、演武の直前に使い物にならなくしてやる。予備を持たぬよう、荷物検査の口実も作っておけ」


 エドワードの瞳に、執念深い暗い炎が宿る。自分たちが汚すのではない。大観衆の前で、誇りであるドレスを奪われ、あるいはボロボロにされ、剣を振るうことさえ許されず立ち尽くす――その絶望の表情を、彼は渇望していた。


(ふん、見ていろよクロエラ。金で石畳を敷くことはできても、王家の伝統までは買えまい)


 その頃、俺は――。

(……さて、明後日は創立記念パーティーか。……大規模イベントになりそうだな)


 俺は、窓の外で必死に床を磨くエドワードを一瞥し、優雅に紅茶を啜った。

(パーティーでは正装が義務付けられているはずだ。どのドレスを着ていこうか)


※     ※     ※     ※


 パーティー前夜。


 クロエラ男爵家の私室で、俺はくつろぎながら窓の外を眺めていた。扉が静かに叩かれ、ノックスが入ってきた。


 「夜分に失礼いたします、ライラ様。……例の件、詳細が判明しました」


 ノックスは一礼し、机の上に数枚の書面を広げた。そこには、エドワードが秘密裏に接触した業者のリストと、発注された特殊な魔導粘着粉の成分表が記されている。


 「エドワード様は、明日の奉納演武、ライラ様が登壇する直前の通路に工作員を配置しました。祝福の紙吹雪に紛れさせ、その粘着粉をドレスに浴びせる手はずです。一度付着すれば、魔法でも容易には剥がれず、汚れを吸着し続けます」


 (……粘着粉、ね。直接ドレスを切り裂くようなマネはせず、不可抗力な汚れで俺の格を落とそうってわけか)


 「……工作員を事前に排除なさいますか?」

 「いいえ。そんなことをしたら、彼が絶望するチャンスを奪ってしまいますもの。ノックス。これを持っていきなさい」


 俺は机の引き出しから、あらかじめ用意しておいた重厚な革袋――中にはぎっしりと金貨が詰まっている――をノックスの前に置いた。


 「王都で最も腕の良い『特殊清掃ギルド』を、明日の午前中、丸ごと一日買い取ってきなさい。彼らには、わたくしが歩む数メートル先を、常に『無菌・無塵』の状態に保つよう伝えなさいな」


 「清掃ギルドを、丸ごと、ですか?」

 「ええ。エドワード様の祝福が、一粒たりともわたくしのドレスに触れること、わたくしの美学が許しませんわ。差額は好きに使いなさい。明日の舞台、最高の清掃を期待しているわよ」


 「承知いたしました。ライラ様のその……底の見えない準備には、毎度驚かされます」


 ノックスは深々と頭を下げ、夜の闇へと消えていった。



※    ※    ※    ※


 大講堂の入り口。


 重厚な扉が開かれた瞬間、会場中の視線が一箇所に集まり、直後に地鳴りのようなざわめきが広がった。現れたのは、夜の闇を黄金色に塗り替えるような、圧倒的な輝き。


 ミラの店で手に入れた五着目、金色の礼装を纏った俺だ。


 「……っ!? な、なんだ、あの光輝は!」

 「金色のドレスが、あんなに神々しく見えるなんて……」


 着飾った令嬢たちがため息を漏らし、並み居る貴族の重鎮たちですら、手にしたグラスを忘れて俺の姿に釘付けになっている。


(ふふ、やはりこのドレスの存在感は別格だ。さて、潜んでいるな、エドワード。……お前の姑息な罠、俺のプロ集団がどう処理するか。見ものだな)


 俺は、黄金の裾を優雅に翻し、一点の曇りもないレッドカーペットの上を一歩、踏み出した。

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