第十六話
その夜。応接間の暖炉の前で、俺はノックスと向き合っていた。ヨルンはすでに就寝している。静かな屋敷に、薪がはぜる音だけが響く。
「ノックス。一つ、聞いてもいいですの?」
「何なりと」
「わたくし、この国について何も知りませんわ」
ノックスが静かに眉を上げた。
「説明が不足しておりました。申し訳ございません」
「いいのよ。ただ、学院に通うとなれば、この国の仕組みを知らずに動くのは、地図なしで戦場に出るのと同じですもの」
「……御意。では、ご説明いたしましょう」
ノックスがゆっくりと、淀みなく話し始めた。
「まず、貴族と平民の関係についてでございます」
(さっそく知りたかった話。歴史に疎い俺には貴族やら王族やらの関係性がよく分かっていない)
「ローゼン王国において、貴族は土地と民を管理する義務を持ちます。ですが、冒険者ギルドの台頭により、平民でもギルドで名を上げれば貴族と対等に渡り合えます」
(なるほど。力があれば成り上がれるってわけか)
「しかし、貴族と平民の間には、依然として見えない壁がございます。学院でも、貴族の子弟と平民の生徒では、互いに意識することになるかと」
(差別意識はどの世界にもある……か)
俺は肩を竦め、小さく息を漏らした。
「次に、魔物の巣穴についてでございます」
ノックスの声が、わずかに低くなった。
「この国最大の脅威は、定期的に地中から出現する『魔物の巣穴』でございます。巣穴は一度発生すると急速に拡大し、周辺の集落を飲み込みます。放置すれば、数ヶ月で小さな町ほどの規模になるようです」
(森で最初に転生した時、アルベルトが『この辺りは魔獣が出る』と言っていたのはそういうことか)
「巣穴の発生は予測できませんの?」
「突然、どこにでも現れる。それが最大の問題でございます。王都の周辺は常時警戒されておりますが、辺境では手が回らないこともあり……」
何を思ったかノックスが言葉を詰まらせた。俺は構わず続けるように顎で促す。
「……ライラ様が学院で剣を学ぶことは、この国において非常に実用的な選択だと申し上げておきます」
(つまりこの世界、いつどこで魔物が出てきてもおかしくない。自分の身は自分でだな)
二度目のため息。物騒な事はごめんだ。
俺はこの世界でお洒落を楽しみたいだけ。
「――そう。ではギルドについても聞こうかしら」
「御意。ギルドは国から独立した組織ですが、魔物の巣穴が発生した際、国はギルドに討伐依頼を出します。ランク制を採用しており、下はFランクから上はSランクまで。Aランク以上の冒険者ともなれば、小国の騎士団に匹敵する戦力でございます」
「国とギルドの関係は……友好的ですの?」
「複雑でございます。国はギルドを必要としておりますが、ギルドの力が大きくなりすぎることを恐れてもおります。ギルドもまた、国の統制を嫌う。互いに必要としながら、互いに牽制し合っている関係でございますな」
(ライセンスビジネスでギルドと組んでいる俺は、その綱渡りに乗っているわけか)
「最後に、王室と議会の力関係でございます」
「ローゼン王国は、建国以来、王と貴族が共同で統治してまいりました。議会には五大貴族家が席を持ち、重要な政策には議会の承認が必要です。ただし、戦時や緊急時には王が単独で決定を下せる」
「……アルベルト殿下は、議会とはうまくやっていますの?」
ノックスが少し間を置いた。
「……殿下は、議会を好んでおられないようでございます。五大貴族の中には、王室の権限を縮小しようとする動きもございまして」
(なるほど。前にアルベルトが『怪物を野放しにすれば他国が財を奪いに来る』と言っていたのは、そういう外圧も意識してのことか)
「なるほど。だから、わたくしに爵位を与えたのですわね。王家直属の駒として」
「……鋭いご指摘でございます、ライラ様」
暖炉の火が揺れる。俺はワインを一口含み、窓の外の夜空を見上げた。
(利用し、利用される関係。お洒落を楽しむだけのスローライフは、どうやら最初から用意されてなかったらしい)
「ノックス。わたくし、学院で何か厄介なことに巻き込まれそうですわね」
「おそらく」
「……その時は助けてくださいますの?」
「もちろんでございます。それがわたくしの務めですので」
ノックスが静かに、深い忠誠を込めて微笑んだ。
(……悪くない夜だ)
俺は暖炉の火を眺めながら、明日から始まる二ヶ月の準備期間を、静かに思った。
※ ※ ※ ※
二ヶ月の準備期間。俺は深夜の中庭で、己の肉体がどこまで出来るのか確かめる為、ノックスとの訓練に励んだ。
学院という舞台で、無様な泥を被ることは許されない。美しさは強さによって担保され、強さは美しさによって完成する。それが俺の出した結論だ。
「ノックス。始めますわ」
月光が凍てついたように降り注ぐ中、俺は白銀の防刃シフォンをまとい、漆黒の竜剣を抜く。、漆黒の竜剣を抜く。対するノックスは、至って冷静な面持ちで、細身の訓練用剣を構えた。
「御意。……では、失礼いたします」
ノックスの剣先が、蛇のような鋭さで俺の喉元を突く。俺はそれを、わずかな転身だけで躱した。ドレスの裾が円を描いて広がり、重力に従って美しく波打つ。
(今の回避、スカートの翻りは完璧)
「……お見事です、ライラ様。ですが、その転身の際、重心がわずかに外側に流れました。それでは次の太刀、剣筋に迷いが生じます」
「理解しましたわ」
俺は眉一つ動かさず、再び間合いを詰める。
そこからは、ノックスの隙のない攻撃を最小限の挙動でいなし、同時に「最もドレスが美しく見える軌道」で反撃を繰り出す修練が続いた。
(魔力適性はない。だけど、ゲーム時代に剣士として使ってた『攻撃スキル』は使えるはずだ)
俺は竜剣の柄を強く握り込み、剣先を低く構えた。かつて愛用していた、物理スキル――
(スラッシュ――!)
月光を切り裂くような鋭い横一閃。
スキルによるエフェクトはない。だが、空気そのものを断ち切るような風圧がノックスの喉元を掠めた。
「……今のは、驚きました。魔力を一切使わずに、これほどの速度と断ち切りを実現させるとは」
「ですが、左足をもう三寸、内側へ。そうすれば次の斬撃に繋げられます」
(それと……この角度だとスカートが乱れない。完璧だ)
数時間の打ち合い。額に薄く汗が滲むが、瞳は氷のように澄み渡っている。
二ヶ月が経つ頃、俺の剣は劇的に変貌していた。
それは、舞踏のように優雅でありながら、ゲーム時代の攻撃スキルの威力を物理挙動だけで再現する、冷徹なまでの機能美。美しさと強さを兼ね備えた俺だけの剣技。
(ドレスを靡かせ、一滴の返り血も、一粒の埃も許さず、静寂の中で敵を断つ。……悪くない。これなら、あの教官に恥をかかされることもなさそうだ)




