第一話
【正解者は――ぬしぽんさん!】
「うえええ!」
真っ暗な部屋でモニター画面のみがチカチカと光る。一人暮らしの室内で小さく声が出た。
【賞金をお渡しするので、ぬしぽんさんは前へ】
仰け反りそうになる身体を即座に戻し、自分のキャラを前進させる。王城の中央、豪勢な椅子の前に立つギルドマスターと副マスター。その片方からトレード申請が届く。
「ひゃっ、百万G……!」
最近ハマっているMMORPG。
Ruinlight Online。
今日はクリスマスで、ギルドマスター達が企画したイベント、早押しクイズ大会が催されていた。
だが、俺はギルドの人達と話したことは殆ど無い。人見知りだし、このゲームについてもよくわかっていない。ストーリーを楽しむ程度で、システムや攻略情報も詳しくはわからないのである。
そんなほぼ初心者と変わらない無課金勢の俺からすると、百万Gはあり得ないほどの大金だ。
トレードを受け取った瞬間、思わず声が漏れた。
「す、すごい……」
画面の隅に表示された所持金を三度見する。百万四千六百G。クリスマスイベントのクイズで偶然正解しただけなのに、こんな大金を手にしていいのだろうか。
だが、物欲には勝てない。貰ったものは使わねば損だ。
俺がこのゲームで女キャラを使っているのは、単純な理由だ。装備のデザインが段違いにいい。男キャラの防具はどれも無骨で画一的なのに対し、女キャラ用はバリエーションが豊富で、細部までこだわったものが多い。おしゃれを楽しむなら女キャラ一択だった。
別に男性プレイヤーに媚を売りたいわけじゃない。ギルドの人達と交流したい訳でも無いし、そもそも人と喋るのが得意じゃない。ただ、可愛い装備を着たい。それだけだ。
このゲームを続けている理由も、突き詰めれば同じだ。装備のデザインクオリティが異常に高い。防具ひとつとっても色違い・素材違いで何十種類もあるし、染色システムで好きな色に変えられる。街並みや建物のグラフィックも細かくて、おしゃれな装備を着たキャラで練り歩くだけで時間が溶けた。戦闘も鍛冶も魔法も全然わからないし、正直わかる気もしない。でもそれでいい。俺にとってこのゲームは、現実では絶対に着られない服を楽しむための場所だった。
俺はおもむろにショップを開いた。普段は眺めるだけだったやり込み勢のお古や鍛冶ガチ勢の生産品が流れて来る防具コーナー。
一流の装備は一億を優に超える。そこまでは無理だ。でも今日は百万Gある。いつもより、ずっといいものが買える。
スクロールを繰り返すこと数分。目が止まった。
【漆黒の竜鎧・改】
防御力:347 敏捷ボーナス:+18
価格:500,000G
「……ッ」
革鎧をベースにした、黒を基調とする装備一式。この色は特殊加工で単なるドロップ品では手に入れることは出来ない。そして胸元は大きくV字に開き、へそどころか腹筋まで惜しみなく晒す設計。肩当ては申し訳程度の薄い革が乗っているだけで、背中はほぼ無防備。スカートというよりベルトの集合体で構成された下半身、そこから伸びる生足をニーハイブーツが膝上まで覆っている。
布面積という概念に、真正面から喧嘩を売っている。
「……かっこいい」
そう、かっこいいのだ。ゲームの女性キャラにしか着こなせない、現実では絶対に無理な類のかっこよさ。おしゃれとはそういうものだ。異論は認めない。
防御力347というのも悪くない。俺の今の装備が確か……84だったから、単純計算で四倍以上。充分すぎるほど強い。ガチ勢が見たら「ファッション装備」と鼻で笑うかもしれないが、俺には関係ない話だ。
続けて武器コーナーも覗く。鎧と同じ黒で揃えたい。そう思いながらスクロールしていると、すぐに見つかった。
【漆黒の竜剣・煌】
攻撃力:215 会心率ボーナス:+12
価格:270,000G
鍔から刀身まで艶のある黒で統一された、片手剣。エンチャントを施され、紫のオーラを纏っていて、シンプルなのに存在感がある。鎧と並べたら絶対に映えるな。
「これだ」
即決だった。
購入ボタンを押す。
残金:234,600G
「よし」
満足感に浸りながら、俺はキャラに新しい装備を着せた。モニター越しに見ても完璧だ。
キャラに新しい装備を着せてしばらくすると、チャットにメッセージが流れた。
【ハルキ:おー、ぬしぽんさんの装備、めちゃくちゃいいじゃん】
【くま55:いつもセンスいいと思ってたけど、流石ですね】
普段は眺めるだけのギルドチャットで、自分の名前が呼ばれるとは……心臓が跳ねる。返事をしようとしたが、指が震えて上手くタイピングできない。焦れば焦るほど打ち間違え、結局「ありがとうございます」とだけの短い返信を送るのに、一分もかかってしまった。嬉しいような、むず痒いような。だが、悪い気はしない。画面の向こうに、確かに俺の居場所があるような気がした。
この完璧なクリスマスの夜に、百万Gの装備を手に入れた自分へのご褒美が必要だ。
俺は財布を持って、部屋を出た。
ドアを開けた瞬間、暖房の効いた部屋とは対照的な、十二月の刺すような夜気が肺を灼いた。
アパートの廊下の蛍光灯はチカチカと点滅を繰り返し、遠くで救急車のサイレンが聞こえる。さっきまで見ていた、光り輝く『ルインライト』の王城とは、あまりにかけ離れた、色褪せた現実。
ケーキはコンビニでいい。無駄に良いものを買っても、それを一緒に食べる相手がいるわけでもない。
街は綺羅びやかなイルミネーションで飾られ、楽しげなクリスマスソングが流れていた。すれ違うのは、マフラーを分け合うカップルや、大きなプレゼントを抱えた家族連ればかり。
俺はイヤホンを耳の奥まで突っ込み、ボリュームを上げた。彼らの笑い声を遮断するように。
コンビニで、小さなショートケーキを一つ買った。プラスチックのケースに入った、味の想像がつくケーキ。袋をぶら下げて、来た道を戻る。
川沿いの遊歩道に差し掛かったとき、突然ポケットの中のスマホが震えた。
冷え切った指先で取り出し、表示された名前を見て、息が止まる。
「…………え」
綾香。
別れて半年。振られてから一度も連絡のなかった元カノの名前が、なぜ、クリスマスの夜に。
新しい彼氏と幸せにしてるって、風の噂で聞いてたのに。
動揺で視界が滲む。動かなくなった足元には、薄く氷が張っていた。文面を開こうとして、画面に集中する。
――その時、足元が滑った。
「あ、」
バランスを崩した拍子に、手からケーキの袋が離れる。欄干に手をかけようとしたが、指先は虚空を掴んだ。スローモーションのように、スマホの画面が遠ざかっていく。
真冬の、黒く冷たい川面が迫る。
落ちる瞬間、俺はゲームの中の、あの完璧な漆黒の竜鎧のことを思い出していた。現実の俺は、鎧なんて持っていない、ただの無防備な人間だ。
冷たい、と思う間もなく意識が遠ざかる。
結局、あいつは何て送ってきたんだろう。
最後までそれだけが、冷たく凍りついたまま、心に残った。




