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夜のルーティン

夜六時。


 沈秋灵は、まるでタイマーでも仕掛けられているみたいに、ぴったりの時間にうちの玄関に現れた。


 ドアを開けても、挨拶もなし。

 そのまま当然のように部屋に入ってきて、椅子に座るなり本を取り出す。


 ……自律が過ぎるでしょ、この人。


 昨日、セーフワードは「フグ」に決まった。


 私はてっきり、何かイベントが起こるのかと思っていた。

 例えば今日は来ないとか、

 あるいは何か特別なものを持ってくるとか。


 でも今日は普通に、私の正面に座っている。


 一度、わりと長めに目が合った。


 それでも彼女は――

 一言もその話をしない。


 椅子を軽く叩かれた。


 「ちゃんと座って」


 そしてすぐに。


 「どこまで書いた?」


 いきなりそれ?


 説明に困る。


 「……まあ、ちょっとずつ?」


 休み時間なんて十分快しかない。

 まさかもう全部終わってると思ってるの?


 「理系は全部終わった。

 残りは国語と英語だけ。すぐ終わる」


 沈秋灵はそう言いながら、

 ペンを一度も止めない。


 「……あ」


 返す言葉がない。


 「今日の物理はたぶん、あなたには少し難しい。

 先に他のやつ終わらせて。あとで一緒にやる」


 ……女神だ。


 彼女が英語を書いているとき、

 文脈を確認するために時々顔を上げる。


 丸い目。


 ……かわいい。


 へへへ。


 「何笑ってるの」


 「いや、別に」


 私も英語を書こう。


 「来週、転クラスの新しい生徒が来る」


 彼女はページをめくった。


 「ちょっと聞いたんだけど、高一の先生の親戚らしい」


 え?


 こんな大きなネタを、

 そんな平然とした顔で言う?


 「その子が来たら、たぶん私には関係なくなる」


 彼女は続ける。


 「赵乐之のやってること、終わると思う」


 次のページは、

 もう読んだことがあるらしい。


 問題を見るなり、

 次々とチェックを入れていく。


 ……速すぎない?


 なんでどんどん速くなるの。

 普通、勉強って難しくなるんじゃないの?


 私は彼女が長文読解を終えるのを黙って見て、

 少し間が空いたところで聞いた。


 「つまり、その子が先生に言うってこと?」


 「当然でしょ?」


 彼女は私の目をまっすぐ見た。


 「コネで入ってくるんだよ。

 この昼休みの空気見て、何も思わないわけない」


 少し間を置いて。


 「あなたじゃないんだから」


 ……すごく理にかなっている。


 ぐうの音も出ない。


 「でも、大半の人みたいに黙る可能性もあるよ」


 見つめられすぎて落ち着かなくなり、

 私は思わず爪をいじった。


 「もちろん」


 彼女は突然、冷たい笑みを浮かべる。


 「一緒にいじめる側に回る可能性もある。」


 「いやいや……

 そんな人、クラスにそんなにいる?」


 「あなた、楽観的だね」


 彼女は少しだけ笑った。


 「まあ、それも悪くない」


 ……え?


 今、褒めた?


 へへ。


 「何ニヤニヤしてんの。早く書きな」


 「終わったらミルクティーおごる」


 「やった!」


 褒めてくれて、

 さらにご褒美?


 最高じゃん。


 「ほんと、あなた意味わかんない人だよね」


 ……


 一時間後。


 私は必死に宿題と戦っているのに、

 沈秋灵はすでにベッドの上で三十分も本を読んでいる。


 私は布団の上に寝転がるのは全然平気だけど、


 ……この人はもっと平気らしい。


 面白いところを読むと、

 足をちょっと揺らす。


 つま先までかわいい。


 この人、ほんと危ない。


 「だから何笑ってるの」


 彼女が本から顔を上げた。


 「物理まで来た?」


 「来た来た。ちょっと難しい」


 沈秋灵は本を閉じて、

 一度姿勢を整えてからこっちに来た。


 「これは考え方変えたほうがいい」


 シャーペンで私のノートを二回指した。


 ……それだけで分かった。


 でも問題はそこじゃない。


 彼女の爪、

 丸く整えられていて、

 きれいで、整っている。


 「で、なんでそんなに嬉しそうなの」


 「いや別に」


 「……」


 「問題わかったから嬉しいだけ」


 慌てて付け足す。


 これ、何なんだろう。


 ……美色にやられてる?


 最初から「すごく綺麗」って思ったわけじゃない。


 でも――


 細かいところが、

 見るほど面白い。


 「トラウマとかないの?」


 トラウマ?


 何の?


 宿題にトラウマ?


 「はあ……」


 ため息をつく彼女の声で、

 私の心臓が妙に跳ねた。


 「もういい」


 彼女はまたベッドに戻った。


 「え?なんで?」


 「わかったんでしょ?」


 「え……」


 私、そんなこと言ったっけ。


 「早く書きな」


 ……


 「もう教えてくれないの?」


 口に出してから気づいた。


 この言葉、

 別の意味にも聞こえる。


 語尾が変な感じになって、

 自分で聞いても怪しい。


 沈秋灵は本を持ち上げて、

 私に投げるふりをした。


 でも途中で止めた。


 その程度の動きなのに、

 なぜか少し顔が赤い。


 私は慌てて問題に戻る。


 今はまだ七時過ぎ。


 このままなら、

 また散歩できる。


 「国語、暗記あるよ」


 え?


 誰もチェックしないやつなのに。


 「覚えなかったら、ミルクティーは私が選ぶ」


 本の向こうに顔が隠れていて、

 表情は見えない。


 ……まあ、悪くない。


 私は猛烈に書き始めた。


 たかが物理。


 余裕余裕。


 絶対すぐ終わらせる。


 ――一時間後。


 私の手には、


 小さなカップに分けられた黒糖タピオカ。


 もし漫画だったら、

 頭の上に巨大な「?」が浮かんでる。


 「帰ろ」


 沈秋灵は自分の分を飲んでいる。


 夜市の灯りが彼女の目を照らす。


 あの日、出会ったときとは

 まるで違う。


 「覚える!覚えるから!いいでしょ!」


 「いいよ」


 彼女は平然と言う。


 「覚えたらデリバリー頼む」


 ……これ持ったまま散歩?


 袋すらくれないの?


 この人、もしかして

 その場で仕返しするタイプ?


 彼女は満足そうに、


 ごく自然に

 私の手を取った。


 さっき家を出るときとは違う。


 こんなに長い距離じゃない。


 手のひらが触れた瞬間、


 私は決めた。


 この世界を一万年許す。


 「何ニヤけてんの」


 沈秋灵は、

 クラスメイトが手をつなぐのを

 特に気にしていないらしい。


 「笑ってないよ」


 「別に笑っていいけど」


 ……それもそうだ。


 「そういえば、明日金曜ね」


 「うん」


 「明後日、来ないから」


 ……


 終わった。


 もう笑えない。

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