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我こそはブラック企業  ―働くことの本当の意味を,僕らは知らなかった―  作者: 佐竹正宏
【第4章】崩れる正しさ ―正解は誰を救うのか―
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第30話:見学者

最初の見学者は、三人だった。

隣県の地方都市にある商店街の理事、若手の店主、そして市役所の商工振興課の職員。スーツの理事は革靴が磨き上げられていた。若手の店主は紺のジャケットに白いスニーカー。職員だけがバインダーを小脇に抱え、最初から何かを書き留める気で来ていた。


年齢も立場もばらばらだが、その目には共通の色があった。「解決策」への期待だ。ここに来れば、錆びついた商店街を蘇らせる魔法の杖——画期的なアプリや、斬新な補助金モデル——が見つかると信じている目だ。


「今日は、よろしくお願いします」


望が頭を下げると、相手も名刺を差し出しながら丁寧に返してくる。だが視線はすでに、望の背後にある商店街をスキャンしていた。


通りを案内する。平日の昼間。人通りはまばらで、シャッターが下りたままの店も目立つ。

決して「成功した商店街」の風景ではない。


「……思っていたより、普通ですね」


若手の店主が、正直な感想を漏らした。もっと言えば「なんだ、うちと変わらないじゃないか」という落胆が含まれていた。


望は小さく苦笑した。「ええ。特別なことはしていません。映えスポットもなければ、電子クーポンもありませんから」


職員がバインダーから目を上げて、キョロキョロと周囲を見回しながら聞いた。


「あの、その『傍楽はたらくマイレージ』というのは……どこで見られるんでしょうか?ポイントを読み取る端末とか、活動状況を示す掲示板とか……」


「ありません」

望は即答した。


「すべて自己申告と口頭での連絡です。サーバーもありませんし、データもありません」

見学者たちが、戸惑ったように顔を見合わせる。


「データがない? それでは、成果の可視化は……」

「ここにあるのは、結果だけです」


望は、通りを指差した。

「夜、静かです。店の前には吸い殻が落ちていません。高齢の店主が、一人で孤独死するリスクが減っています」

「いや、それは分かりますが」


理事が、少し苛立ったように言った。革靴の先が、微かに地面を踏んだ。

「それを『どうやって維持しているのか』を知りたいんです。我々が持ち帰れる仕組みがないと、困るんですよ」


仕組み、制度、マニュアル。彼らが欲しいのは「形」だ。

誰もがそれを口にした瞬間、少し前を歩いていた黒田の足が止まった。

背中が、止まっている。全員が、つられるように立ち止まった。


「維持なんか、してへん」

振り返りもせずに言った。


「維持って言うんは、止まっとるもんを磨くことや。ワシらは、そんなことしとらん」

「では、何を……」


黒田が振り返った。その目は、三人を順番に射抜いていた。


「何かが起きそうになったら、動いとるだけや。ゴミが落ちる前に拾う。困った顔しとったら声をかける。変なやつが来たら前に立つ。それを毎日、飽きもせんとやっとるだけや」


見学者は言葉を失った。

「それは……あまりに属人的すぎませんか? 組織的な活動とは言えない」

「せや」

黒田は即答した。


「せやから属人で終わらせんように、こいつがおる」

黒田が、顎で望を指した。

望が一歩前に出る。


「一人で背負わないように、情報を共有しています。『断る判断』も『助ける基準』も言葉にして渡しています」


望は、彼らの目を見て言った。

「仕組み、というより……『文化』に近いかもしれません」

「文化……」

職員が、その言葉を反芻する。ペンの先がバインダーの上で止まっていた。


「制度は、あとから付いてきます。先に制度を作っても、文化がなければ誰も使いません」

しばらく誰もが無言のまま商店街を歩いた。革靴の音と、スニーカーの音が、交互に石畳を叩く。


和菓子屋の前を通ると、女将が打ち水をしていた。一行に気づき、手を止める。

「あら、見学かい」

「そうです」

「遠いとこ、ご苦労さん。何もないとこやけど、ゆっくりしていき」


それだけだった。活動の説明もアピールもない。だが、その笑顔には「ここが自分の場所だ」という誇りと余裕があった。


「……雰囲気が、違いますね」

若手店主が、去り際にぽつりと言った。


「シャッターは閉まってるのに、死んでない。空気が澱んでないんです」

見学を終えて集会所に戻る。最初の期待に満ちた空気は消え、代わりに重たい沈黙が漂っていた。お茶の湯気だけが、静かに立ち上っていた。


「正直に言います」

理事が、名刺入れをしまいながら言った。

「これ、そのまま持ち帰れません。役所の会議にかけても、『エビデンスがない』と却下されるでしょう」


望は頷いた。

「はい。そう思います」


「でも……」

理事が、少しだけ表情を緩めた。

「持ち帰れないからこそ、考えさせられました。我々は、便利な道具を探してばかりで、汗をかくことを忘れていたのかもしれない」


黒田が初めて相手の顔を見て、短く言った。

「気づいただけ、マシや」


見学者たちは、深く頭を下げて去っていった。帰り際、職員の一人が望に聞いた。

「この取り組み、いつ『完成』するんですか?モデルケースとして完成したら、また来たいんですが」


望は首を振った。

「完成は、しません」


ITエンジニアとしてシステムに向き合ってきた経験から、自然に出た言葉だった。

「続いている間、ずっと『運用中』です。完成して止まった時が、この町が終わる時ですから」


職員は虚を突かれた顔をして、それから苦笑した。

「……難しいですね。生き物みたいだ」

「はい。生きてますから」


見学者が去り、商店街に夕暮れが訪れる。

黒田が、空になった湯飲みを見つめて言った。

「見せるもん、あったな」


望は、ホワイトボードの文字を消しながら息を吐いた。

「ありましたね」


立派なシステムではないし、誰でも真似できる魔法でもない。

だが「ここに生きている人間がいる」という事実だけは、確かに伝わった。


傍楽は、博物館に展示するものではない。生きている間だけ、そこにある熱のことだ。

そのことを知っているからこそ、二人ともそれ以上は何も言わなかった


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