表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
我こそはブラック企業  ―働くことの本当の意味を,僕らは知らなかった―  作者: 佐竹正宏
【第4章】崩れる正しさ ―正解は誰を救うのか―
29/52

第29話:問い合わせ

最初の電話は、平日の昼間に鳴った。

望が商店街の空き店舗で資料を整理している最中だった。段ボールの埃が舞う薄暗い部屋で、古いパイプ椅子を引き寄せて床に積まれた書類を仕分けていた。


スマートフォンに見知らぬ番号が表示されている。市外局番は、隣の市のものだ。

一瞬、出るのをためらった。クレームか、あるいは商工会経由の新たな圧力か。だが無視し続けるわけにもいかない。


「はい、高井です」

『恐れ入ります。そちらの商店街でやっている取り組みについて、お聞きしたくて』


声は丁寧だった。中年男性の声だ。

だが、どこか切羽詰まったような、藁にもすがるような響きがあった。


「どこで、お知りになりましたか?」

『町会の知り合い伝いです。……「傍楽はたらくマイレージ」という名前で、面白いことをやっていると』


その名前を聞いて望は手を止めた。書類の束を持ったまま、椅子の背もたれに体を預ける。

噂の足は速い。もう町の外まで漏れ出している。


「……仮の呼び方です」

慎重に予防線を張った。


「ポイント制度のような、金銭的なメリットがあるものではありません。成果を数値化して、ランキングにするような仕組みでもない」


『ええ、そう聞いています』

相手は、食い気味に言った。


『でも、何かしら……人の動きを「評価」しているんですよね』

質問は鋭かった。

金ではないなら、何が人を動かしているのか。その核心を突いている。


「評価、というよりは……」

望は目の前のホワイトボードを見ながら言葉を探した。


履歴ログです。誰が何をしたか。そして何が起きなかったか。その事実を、ただ記録として残しているだけです」


電話の向こうで、少しの間沈黙が続いた。

失望されたか?と望が思いかけた時、深いため息が聞こえた。


『……なるほど』

それは腑に落ちたような、羨望の混じったため息だった。


『実を言うと、うちも似たような課題がありまして。夜間の治安悪化に、高齢店主の孤立。 警備会社を入れる予算はないし、ボランティアを募っても長続きしない』


望は、無言で頷いた。

同じだ。場所が違っても、抱えている痛みはよく似ている。

衰退していく町、足りない予算、疲弊する善意。


『見学とか、できますか?』

その一言で、空気が変わった気がした。


「今はまだ、整った制度ではありません。お見せできるようなマニュアルも、立派なシステムもありませんが……」


『それで構いません』

即答だった。


『完成した綺麗なモデルケースより、泥臭くても「動いているもの」が見たいんです』


電話を切ったあと、望はしばらくスマートフォンを手に持ったまま動かなかった。埃の匂いがする静かな部屋に、外の車の音だけが遠く聞こえる。

「全国」という言葉が、頭の片隅をよぎる。まだ、そこまで広げるつもりはなかった。だが、火種は確実に飛び火している。


黒田に話すべきか。

そう思って顔を上げると、いつの間にか黒田が部屋の入り口に立っていた。手にはコンビニの袋を提げている。


「なんや、難しい顔しとるな」

「……他の町から、問い合わせが来ました」


黒田は眉一つ動かさなかった。

「早いな」


それだけだった。想定内だと言わんばかりだ。


「見学したい、そうです。同じように困っている、と」

黒田は、袋からあんパンを取り出しながら言った。


「見せるもんなんて、あるか。ホワイトボード一枚やぞ」

「立派な制度はありません、と伝えたのですが…。それでもいいそうです」


黒田は、小さく鼻で笑った。

「ほな、ええ」


あんパンをかじるり、咀嚼しながら続けた。

「立派やないのが、売りや」

「売り、ですか……」


「せや。立派なシステムやったら金がかかる。金がかかるもんは貧乏な町には真似できん。紙とペンと、やる気さえあればできる。それが一番強いんや」


黒田は、再度あんパンをかじった。

その言葉に、望は肩の力が抜けるのを感じた。高機能より低コスト。誰でもできることの方が、遠くまで届く。

ITの世界では「高機能」が売りになる。ここでは「低コスト」で「誰でもできる(ローテク)」ことの方が、最大の武器になる。


問い合わせは、一件では終わらなかった。

その週だけで、メールが二件、人づての相談が一件。


共通しているのは一つだけだ。「同じことで困っている」。解決策を求めているというより、共に動ける仲間を探しているようだった。


望は気づき始めていた。自分はもう、この商店街一つの話をしているのではない。

「名前のない仕事」に光を当てるための、共通の足場を作ろうとしているのだと。


だが、それでも急がないと決めていた。説明は最小限に、言葉は「仮」のままに。

黒田の「名前を付けたら終わる」という言葉が、まだ戒めとして胸に残っている。

言葉が一人歩きして、中身が空っぽになることだけは避けなければならない。



夜の商店街を歩く。シャッター通りは静かだ。しかし以前のような「死んだ静けさ」ではなく、誰かが見守っている「安心の静けさ」がある。


この静けさが他の町にもあるなら。

それを再現する方法を、少しだけ分け合えればいい。


望は夜空を見上げた。星は少なかった。

それでも、その日に届いた電話の声が「助けてくれ」という、小さなSOSの合図として残っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ