第25話:傍楽(はたらく)という言葉
空き店舗の一角での集まりは、一本締めも拍手もなく自然解散の形で終わった。
「ほな、また明日」と、それぞれが自分の店へ戻っていく気軽な感じ。
心なしか店主たちの背中は、昨日よりも少しだけ軽いように見えた。
黒田と望は、商店街の端にある公園のベンチまで並んで歩いていった。
夕方の風はまだ冷たかったが、それが却って心地よかった。
「さっきの話な」
黒田が、前を見たまま言った。
「町会とか、役所とかへの根回し……面倒やぞ」
「……ええ」
望は、小さく頷きながら答える。
「でも話をまとめて仕組みにするのは、得意ですから」
望にとって話をまとめて仕組化する業務は、これまでの会社生活で嫌というほど身につけたスキルである。
そんな望の様子を見ながら、黒田は足を止めてベンチにどさりと腰を下ろす。
「得意やから、やるんか?」
その問いの感じは、かつての突き放すような響きとは違っていた。
望は、黒田の隣に座りながら答えた。
「必要だから、やります。……この街に」
黒田は、ふっと息を吐いて笑った。
「ほな、ええ」
二人の間に沈黙が流れる。
学生、買い物帰りの主婦、散歩する老人……、商店街を行き交う人の波をぼんやりと二人は眺めた。
何か考え事をしていた様子の黒田だったが、ぽつりと望に語りかけた。
「なあ、高井……」
「前に話したこと、覚えとるか?『働く』って言葉の話や」
望は、空を見上げたまま答えた。
「……ええ、『傍を楽にする』ですよね」
まだ黒田と出会って間もない頃、聞いた言葉。
あの時は単なる言葉遊びか、精神論だと思っていた内容だ。
うん、と頷くような仕草をしながら黒田は話しを続けた。
「辞書で引いたらな、元々は『人が動くこと』やって書いてあるらしい」
黒田は、自販機で買った缶コーヒーを開けながら続けた。
「止まっとるもんを動かす……、それも『働く』ゆうことや」
「動き、ですか?」
望には、黒田の話の着地点が見えない。
黒田は、商店街の明かりを指差した。
「せや、……けどな」
「ただ動くだけやったら、機械と一緒や。ワシが好きなのは、やっぱお前に教えた方や」
――傍を楽にする
――他者を楽にする
望は、黒田の言う前に教えたとされる内容を頭の中で反芻した。
「誰の傍を楽にするんやろうなって、ずっと考えとった」
「会社か?株主か?数字か?それとも、いま隣におる人か」
黒田は頭を搔きながら、まるで独り言のように問いを投げている。
望もそれに釣られて、一緒に考え始める。
昼間の会社の仕事は、遠くの見えない「誰か(あるいは数字)」のために働いている。
だから成果が出ても、黒田が言うような実感は湧くはずもない。
望が考え込んでいると、黒田は少し自嘲気味な表情で続きを話した。
「ワシらのやっとることは手間ばっかりかかって、金にならん」
「効率も悪い、時間も食う、世間で言うたら、真っ黒なブラック企業や」
「それは……、そうですね」
その話の展開と帰結に、望は思わず表情を緩めて同じように自嘲気味な表情で答えた。
すると黒田は先ほどまでの顔から一変し、真剣な表情で言い切るように言った。
「せやけどな、誰かの傍が確実に楽になっとる」
「そんで、その姿を見れる」
重い荷物を持てば、誰かの腰が楽になる。
夜に見回れば、誰かの枕が高くなる。
話を聞けば、誰かの気が晴れる。
黒田は何かを決意したような表情で望を見た。
そして覚悟を決めたように言葉を続けた。
「それをブラックやと言うなら、ワシはブラックでええ。上等や!」
その言葉は、もはや自虐的な意味を含んでいなかった。
むしろ喜んで「苦労を引き受ける」という静かな宣言にも聞こえた。
望は黒田という人間を、ようやく理解できた気がした。
この男が言う「ブラック」とは、決して搾取のことではない。
搾取どころか「楽」を独り占めせず、分け合うために汗をかく人物だと知った。
望は黒田の目を真っすぐに見つめて、自分も覚悟を決めたことを伝える。
「……黒田さん!」
「僕も、そっちのブラックなら悪くないと思います」
黒田は、まさか望からそんな言葉が出てくるとは思わず、素直に驚きの表情を見せる。
そして、ニヤリと笑いながら答えた。
「物好きなやっちゃな」
望も何だか急に照れ臭くなって笑った。
そして頭の中で描いていた構想を、初めて口にした。
「それに……、その『楽になった分』の目に見えない『傍楽』を、ちゃんと見える形にできませんかね!?」
黒田は望の言っている意味が解らず、眉尻を下げた。
「見える形?」
「ええ、お金じゃなくて感謝とか貢献とか。そういうのが溜まっていくような……」
望も頭の中で妄想していた内容ではあるものの、まだ形を持っていない“それ”を、うまく言語化できずにいる。
まだ漠然とし過ぎているが、数字にはならない価値を別の形で可視化する必要があることだけは理解していた。
それさえできれば、この活動はもっと続くはずなのだ。
「……ま、お前に任せるわ」
黒田は飲み干した空き缶を、ゴミ箱に投げ入れた。
カラン、と乾いた音が響いた。
「まずは明日、町会やな」
「はい!」
二人はベンチを立ち、それぞれの帰路に向かった。
商店街の灯りが一つ、また一つと増えていく。
その傍で、誰かが少し楽になる活動。
それを支えるために、人が動く仕組み。
『傍楽』
まだ朧気で形を成していない、妄想に近い構想。
その言葉の本当の意味を探す旅に、望は今旅立つ決心をした。




