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我こそはブラック企業  ―働くことの本当の意味を,僕らは知らなかった―  作者: 佐竹正宏
【第4章】崩れる正しさ ―正解は誰を救うのか―
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第23話:感謝という反転

昨日の盛り上がりが嘘かのように、翌朝の商店街はいつも通り平常運転だった。

シャッターが上がる重たい音、そして店先を掃く箒の音。


人は少ないまま、時間だけが緩やかに流れていく。

でも何となく商店街を流れる空気の味は、前日とは違っているように感じた。


そんなことを考えながら商店街を歩いていた望だったが、ふと和菓子屋の前で足を止めた。

女将が、水撒きの手を止めて声をかけてきたからだ。


「昨日は、お疲れさん」

「……いえ」


それだけのやり取り。

でも女将のその視線には、これまでのような「お客さん」を見る余所余所しさが無いように感じた。

女将は、少しだけ声を落として話を続けた。


「黒田さんな……無理しすぎや」

「あんなになるまで、一人で背負わせてしもて」


それは黒田への心配であり、自分たちへの自戒だった。

このような女将の声は、惣菜屋の前でも同じ温度で聞くこととなった。


「夜の見回り、あれ、誰か続けなあかんな」

「黒田さんに全部任せるんは、もう違うわ」


「やってくれている」という甘えが消え、「続けなければならない」という当事者意識が芽生えている。

AONという黒船が去った後、彼らは自分たちの足で立つ必要性に気づいたのだ。


しばらく歩いていくと、遠くの方に人だかりが見える。

それは商店街の奥、かつて商工会が使っていた空き店舗の一角。

そこに、小さな車座ができていた。


和菓子屋、呉服屋、惣菜屋など、集まっているのは数人だけ。

パイプ椅子もなく、ビールケースを引っくり返して座っている。


黒田も、そこにいた。

しかし、主役ではなさそうだ。

腕を組んで、壁際で話を聞いている。


「町会に、相談してみるか?」

「予算、少しでも回らんかな。掃除道具代くらいは……」

「見回りも、当番制にして分担したらええ」


それはそれは、不器用な議論だった。

AONの会議のような、洗練された資料も数字もない。

しかしそこには「自分たちの街をどうするか?」という、体温のある言葉が飛び交っていた。


それを黒田は、黙って聞いていた。

その姿が、望には新鮮に映った。支える側から、支えられる側へ。

孤高のヒーローが、ようやく仲間の中に降りてきた瞬間だと思った。


望は、輪の外に立っていた。

実は、輪に入っていいのか迷っていたのだ。

なぜなら自分は昨日、彼らを「コスト」だと断じた側の人間なのだ。


「高井!」

黒田が、望に気づいて呼んだ。


「来い」

短い言葉。だが、拒絶ではなかった。


望が恐る恐る輪に入ると、店主たちの視線が望に集まった。

もはや、逃げ場はない。

望は自分の心臓の鼓動が、どんどん早くなるのを感じた。

そんな望とは裏腹に、黒田が顎で望を指しながら話し始めた。


「高井はな……、話ができる」

「ワシと違うて、頭も回る」


ぶっきらぼうな紹介だった。

だが、店主たちは深く頷いてくれた。


「昨日も、よう説明してくれたな」

「兄ちゃんのおかげで、ウチらの値打ちがよう分かったわ」


望は、囃し立てる鼓動の奥が熱くなるのを感じた。

なんと、評価されているのだ。


それは、これまで会社で求めていた「数字」の評価ではない。

「自分たちを見ていてくれた」という、信頼の評価だ。


「高井さん」

呉服屋の主人が、身を乗り出しながら話す。


「あんた、町会とか役所とか、そういう難しい手続き、詳しいやろ?」

「……ええ、まあ。仕事で慣れてますから」

「ちょっと、つなぎ役を頼めんかな?」


『頼む』その言葉の重みが、以前とはまるで違っていた。

かつては、「便利な通訳」としての依頼だったはずだ。

しかし今は、「運命共同体」としての勧誘に近い。


「黒田さんのやっとること、なくしたらあかん。それは分かった」

「せやけど、また一人に背負わせたら、黒田さんが潰れる」

「ワシらには、知恵がないんや。力を貸してくれ!頼むわ」


どんなビジネス書よりも、正しく潔い理屈だった。


望は、深く息を吸い込んだ。

自分が持っているスキル、合理性、論理性、翻訳能力……。

それらは、黒田を傷つけるためではなく、守るためにあったのだ。


「……分かりました」


そう答えた瞬間、胸の奥でスイッチが切り替わる音がした。


『手伝う』ではない、『任される』でもない。

【担う】


その言葉が、初めて現実味を帯びて体に馴染んだ気がした。

黒田が、じっと望を見つめる。

それは覚悟を試すような、静かな目だった。


「ええんか? 金にはならんぞ」


短い問い。

望は、迷いなく頷いた。


「一緒にやりましょう。……仕組みなら、僕が作れます」


その言葉は、無理なく自然に出た。

黒田は、一瞬きょとんとして、それからニヤリと笑った。


「ほな、ブラックやな」


冗談めいた声だった。

だがその響きは、かつて黒田から聞いたものとは別物だった。


それは共犯者への、あるいは相棒への、最高の歓迎の言葉だった。


働く人が潰れない、 はたが少し楽になる。

そのために、知恵と労力を出し合う。


商店街の空気が、循環し始めた瞬間だった。

助ける側は、誰か一人ではない。

そう気づいたとき、初めて「持続可能」な形が見えてくる。


望はビールケースに腰を下ろし、その輪の中に加わった。

もはや外側から見ているだけの存在ではない。

初めて足がしっかりと地面についている、確かな感覚があった。


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