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我こそはブラック企業  ―働くことの本当の意味を,僕らは知らなかった―  作者: 佐竹正宏
【第4章】崩れる正しさ ―正解は誰を救うのか―
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第22話:結果が出る

前回の説明会から数日が経過していた。

結果というものは、あれほど準備した説明会の時間に比べれば、驚くほどあっけないものだという事実は、どの世界においても同じだ。


場所は説明会と同じ、商工会議所の大会議室。

商店街の代表、町会の役員、商工会の守屋と早川、そして望。


全員が揃った静寂の中、AONの担当者は予定時刻ぴったりに現れ、一枚の紙を机に置いた。

その動作だけで、室内の気圧が下がったように感じられた。


「本日は、検討結果をお伝えします」


声は落ち着いている。

期待させる抑揚も、申し訳なさそうな響きもない。

ただ事実だけを運ぶ声だった。


「今回の件ですが……」


一拍、間が空く。

参加者たちも、その間に釣られてゴクリと息をのむ。


「当社としては、出店を見送る判断となりました」


一瞬、時間が止まったかのような静寂が会議室内を包み込んだ。

その言葉の意味が、参加者たちの脳内に浸透しなかったのだ。

次の瞬間、堰を切ったようにざわめきが広がる。


「……見送り?」

「来ない、いうことか?」

「おお……よかった」

「助かったな」

「これで、店を閉めなくて済む」


安堵の声と緩む表情が会場に広がる。

張り詰めていた糸が切れ、喜びの空気が部屋全体を満たした。


誰も声を荒らげない、誰も抗議すらしなかった。

実際のところ、彼らにとって変化は脅威だったのだ。


そんな中、望だけは簡単に安堵することができず、動けなかった。

数字は揃っていた、説明も完璧だった。

つまりAONにとって、ここは魅力的な市場であったはずだ。


「理由は、何ですか?」


望は、訳が分からないといった表情で尋ねた。

AONの担当者は望の方を見て、淡々と答えた。


「高井さんにご提示いただいた資料が、決め手になりました」


ドキリ、と心臓が跳ねる。


「資料にあった『維持コスト』の項目です。清掃、修繕、近隣トラブルの予防。これらが現在は、地域独自の……いわば『個人の善意』で回っていることが分かりました」


担当者は、手元のタブレットをタップした。


「我々が参入した場合、その役割を企業として引き継ぐ必要があります。コンプライアンス上、ボランティアに依存するわけにはいきませんから」


実に正しい、企業の論理だ。


「しかし、それらをすべて業者への委託アウトソーシングに切り替えた場合、採算ラインを大きく下回ります。この地域のコミュニティ維持コストは、我々の想定よりも高すぎました」


自分が「翻訳」した結果に、望は言葉を失った。

黒田のやっていることの価値を証明しようとして、数値化した。

その結果、AONは「高コストで割に合わない」と判断したのだ。


「地域性の理解はできました。ただ、事業モデルとしての再現性がありませんでした」


それで話は終わりだった。

結果的に、望の「完璧な仕事」がAONを追い返したのだ。


説明が終わり、質問もなかったため、会議が解散となった。

人々が席を立つ中、参加者の視線は自然と黒田の方へ集まった。


「黒田さんのおかげやな」

「あんたが頑張ってくれたから、街が守られたんや」

「余計な再開発、せんで済んだわ」


口々に感謝の言葉が飛んだが、彼らは理解していないのだ。

自分たちの街が「守られた」のではなく、「投資価値なし」と判断されたことを。


望は黒田の方を見た。

望は黒田の発言を期待して待ってみたが、黒田は何も言わなかった。

パイプ椅子に座ったまま、焦点の定まらない目でホワイトボードを見つめている。


「……黒田さん?」


誰かが堪らず声をかけたが、それでも黒田からの返事はなかった。


次の瞬間、黒田の体は糸が切れた操り人形のように、ぐらりと傾いた。

ガタッと椅子が鳴り、黒田の上体が机に突っ伏した。

長年耐えてきた柱が、限界を迎えて折れたようにも見えた。


「おい、大丈夫か!」

「黒田さん!」


周囲が慌てて駆け寄る。

背中が小刻みに震えているだけで、黒田は動こうとはしなかった。

しばらくして、黒田がぼそりと呟いた。


「……終わったな」

「終わってしもたな……」


安堵でもなく、達成感でもない掠れた声。

それは、絶望に近い響きにも聞こえた。


AONは来なかった、つまり商店街は今のまま残る。

ハッピーエンドのはずだ。


それなのに、黒田だけが何か決定的なものを失ったように見えた。

そんな黒田を見て、望は胸に冷たい鉛が落ちる感覚を覚える。


鉛の正体は、自分が説明をして数字にした産物そのものだ。

結果的に「あなたの代わりは、金がかかりすぎて誰にもできない」と証明してしまったのだ。


それは、黒田の仕事を「守った」ことになるのか?

それとも黒田という人間を、この先もずっとこの街に縛り付ける鎖を、より強固にしてしまったのか?


「黒田さん……」


望は、黒田の近くに一歩踏み出そうとしたが、足を止めた。

駆け寄る店主たちの輪に入れなかった。

自分には、彼を支える資格がない気がしたのだ。


歓喜と安堵に包まれた部屋の中心で、黒田だけが周囲とは全く異なり、絶望している。

それが、望が出した「結果」だった。


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