第22話:結果が出る
前回の説明会から数日が経過していた。
結果というものは、あれほど準備した説明会の時間に比べれば、驚くほどあっけないものだという事実は、どの世界においても同じだ。
場所は説明会と同じ、商工会議所の大会議室。
商店街の代表、町会の役員、商工会の守屋と早川、そして望。
全員が揃った静寂の中、AONの担当者は予定時刻ぴったりに現れ、一枚の紙を机に置いた。
その動作だけで、室内の気圧が下がったように感じられた。
「本日は、検討結果をお伝えします」
声は落ち着いている。
期待させる抑揚も、申し訳なさそうな響きもない。
ただ事実だけを運ぶ声だった。
「今回の件ですが……」
一拍、間が空く。
参加者たちも、その間に釣られてゴクリと息をのむ。
「当社としては、出店を見送る判断となりました」
一瞬、時間が止まったかのような静寂が会議室内を包み込んだ。
その言葉の意味が、参加者たちの脳内に浸透しなかったのだ。
次の瞬間、堰を切ったようにざわめきが広がる。
「……見送り?」
「来ない、いうことか?」
「おお……よかった」
「助かったな」
「これで、店を閉めなくて済む」
安堵の声と緩む表情が会場に広がる。
張り詰めていた糸が切れ、喜びの空気が部屋全体を満たした。
誰も声を荒らげない、誰も抗議すらしなかった。
実際のところ、彼らにとって変化は脅威だったのだ。
そんな中、望だけは簡単に安堵することができず、動けなかった。
数字は揃っていた、説明も完璧だった。
つまりAONにとって、ここは魅力的な市場であったはずだ。
「理由は、何ですか?」
望は、訳が分からないといった表情で尋ねた。
AONの担当者は望の方を見て、淡々と答えた。
「高井さんにご提示いただいた資料が、決め手になりました」
ドキリ、と心臓が跳ねる。
「資料にあった『維持コスト』の項目です。清掃、修繕、近隣トラブルの予防。これらが現在は、地域独自の……いわば『個人の善意』で回っていることが分かりました」
担当者は、手元のタブレットをタップした。
「我々が参入した場合、その役割を企業として引き継ぐ必要があります。コンプライアンス上、ボランティアに依存するわけにはいきませんから」
実に正しい、企業の論理だ。
「しかし、それらをすべて業者への委託に切り替えた場合、採算ラインを大きく下回ります。この地域のコミュニティ維持コストは、我々の想定よりも高すぎました」
自分が「翻訳」した結果に、望は言葉を失った。
黒田のやっていることの価値を証明しようとして、数値化した。
その結果、AONは「高コストで割に合わない」と判断したのだ。
「地域性の理解はできました。ただ、事業モデルとしての再現性がありませんでした」
それで話は終わりだった。
結果的に、望の「完璧な仕事」がAONを追い返したのだ。
説明が終わり、質問もなかったため、会議が解散となった。
人々が席を立つ中、参加者の視線は自然と黒田の方へ集まった。
「黒田さんのおかげやな」
「あんたが頑張ってくれたから、街が守られたんや」
「余計な再開発、せんで済んだわ」
口々に感謝の言葉が飛んだが、彼らは理解していないのだ。
自分たちの街が「守られた」のではなく、「投資価値なし」と判断されたことを。
望は黒田の方を見た。
望は黒田の発言を期待して待ってみたが、黒田は何も言わなかった。
パイプ椅子に座ったまま、焦点の定まらない目でホワイトボードを見つめている。
「……黒田さん?」
誰かが堪らず声をかけたが、それでも黒田からの返事はなかった。
次の瞬間、黒田の体は糸が切れた操り人形のように、ぐらりと傾いた。
ガタッと椅子が鳴り、黒田の上体が机に突っ伏した。
長年耐えてきた柱が、限界を迎えて折れたようにも見えた。
「おい、大丈夫か!」
「黒田さん!」
周囲が慌てて駆け寄る。
背中が小刻みに震えているだけで、黒田は動こうとはしなかった。
しばらくして、黒田がぼそりと呟いた。
「……終わったな」
「終わってしもたな……」
安堵でもなく、達成感でもない掠れた声。
それは、絶望に近い響きにも聞こえた。
AONは来なかった、つまり商店街は今のまま残る。
ハッピーエンドのはずだ。
それなのに、黒田だけが何か決定的なものを失ったように見えた。
そんな黒田を見て、望は胸に冷たい鉛が落ちる感覚を覚える。
鉛の正体は、自分が説明をして数字にした産物そのものだ。
結果的に「あなたの代わりは、金がかかりすぎて誰にもできない」と証明してしまったのだ。
それは、黒田の仕事を「守った」ことになるのか?
それとも黒田という人間を、この先もずっとこの街に縛り付ける鎖を、より強固にしてしまったのか?
「黒田さん……」
望は、黒田の近くに一歩踏み出そうとしたが、足を止めた。
駆け寄る店主たちの輪に入れなかった。
自分には、彼を支える資格がない気がしたのだ。
歓喜と安堵に包まれた部屋の中心で、黒田だけが周囲とは全く異なり、絶望している。
それが、望が出した「結果」だった。




