第20話:選ばれる側
AONの説明会は、驚くほど淡々と進んだ。
集会所の薄暗い照明の中、持ち込まれたプロジェクターだけが 鮮明に光っている。
スクリーンには、 洗練されたスライドが表示されている。
「地域共創プラットフォーム」
「DXによる商圏拡大」
「持続可能な収益モデル」
踊る文字、右肩上がりのグラフ、完璧な論理構成。
それは、望が一番好きな世界だった。
曖昧さがないし、感情にも左右されない。
それは数字という共通言語で語られる、清潔な未来の絵巻のように見えた。
しかし望は、パイプ椅子に座りながら奇妙な違和感を覚えていた。
言葉が、どこにも届いていないのだ。
自分の周りに座る店主たちの顔を見る。
やはり誰も、頷いてはいない。
それは「自分たちの話」として、聞いていないような感じだった。
皆が皆、異国の言葉を聞いているような、遠い目をしている。
――綺麗すぎるんだ
望は、違和感の正体に気づいた。
現実の商店街にあるのは、泥臭い生活だ。
計算通りにはいかない、毎日の積み重ねなのだ。
それを、「最適化」という言葉で括ろうとしても、手触りがなさすぎる。
かつては心地よかった「正しさ」が、今はただ冷たく感じられた。
「以上になります、ご質問は?」
スーツ姿の担当者が、流暢に話を締めくくった。
仕立ての良いダークネイビーのスーツ、髪は整えられ、物腰は洗練されている。
埃っぽい集会所の空気の中で、彼だけが浮いているように見えた。
質問に関しては、誰の手も挙がらなかった。
理解したからではない、並んだ言葉が非日常すぎて圧倒されてしまい、口をつぐんだだけだ。
「では、本日はありがとうございました」
終了のアナウンス。
拍手は、まばらで、すぐに止んだ。
人々がざわめきながら、出口へ向かい始める。
この場に長居したくない、そんな空気が充満していた。
望も、ため息をついて立ち上がろうとした。
その時、背後から声をかけられた。
「高井望さん、ですね?」
よく通る、落ち着いた声だった。
振り返ると、説明会を終えたばかりのAONの担当者が立っていた。
手には、参加者名簿ではない別の資料が握られている。
「……はい、何か?」
望は、短く答えた。
担当者は、ビジネスライクな笑みを浮かべ話した。
「少し、お時間をいただけますか?」
周りの店主たちが、遠巻きにこちらを見ている。
望は、瞬時に理解した。
――ああ、そうか
自分は、商店街側の人間として話を聞いていたつもりだった。
だが彼らから見れば、自分は「あちら側」の人間なのだ。
境界線が、足元にうっすら浮かび上がる気がした。
男は革の名刺入れから一枚を取り出し、両手で差し出した。
『AONリテール株式会社 開発本部 エリアマネージャー』
誰もが知る巨大企業のロゴが、照明を反射して光っている。
「先ほどの説明で、資料の『損益分岐点』のページ、かなり詳しくご覧になっていましたね」
男は柔らかな笑みを浮かべていた。
「周りの皆さんが困惑した表情の中、あなただけが数字の根拠を確認していた」
それは、純粋な評価だった。
やっと「話が通じる相手を見つけた」という、安堵の色さえあった。
「こちらとしても、数字の分かる方と意見交換したいと思いまして」
意見交換、対等を装った言葉だが、力関係は明白だ。
彼らは「選ぶ側」であり、この街は「選ばれる側」だ。
「商店街には、歴史ある活動やコミュニティがある。それは理解しています」
「地域に根ざした情緒も、大切でしょう」
言っている内容に否定はしないが、それは「考慮事項」の一つに過ぎない。
男は、淀みなく続けた。
「ただ、全体を維持するには、規模が必要です」
「雇用、集客、安定した税収。それらを一度に、かつ持続的に提供できるのが我々のパッケージです」
嘘ではなかった。
少なくとも、Excel上のシミュレーションでは、これ以上の正解はない。
「高井さんのように、現場の空気と経営の数字、その両方の言語を話せる方が間にいてくれると非常に助かります」
翻訳者、仲介役、またそのポジションだ。
正直に言って望は、そのポジションは得意だが、内心はうんざりしていた。
そこで、あえて黒田の名前を出してみることにした。
「……黒田さんとは、お話しされないんですか?」
「黒田さん、でしたか。情熱的な方ですね」
男は、眉一つ動かさずに答えた。
それは、評価とも除外ともつかない言い方だった。
「ただ、我々のコンプライアンスや契約の枠組みとは、少し相性が悪い気がしますね」
それも、企業の理屈としては正しかった。
契約書のない仕事や、定価のない報酬。
それらは、上場企業の取引相手としては「リスク」でしかない。
「感覚に頼るやり方は、どうしても属人的になります。我々が求めているのは、誰でも回せる『システム』です」
その言葉を聞いて、望の胸の奥がざわついた。
説明しようとして、形が変わって伝わってしまった仕事内容。
名前を付けた途端、切り分けられてしまった関係。
意図せず、黒田との間に出来てしまった溝。
それらが、目の前の男には全て肯定されている。
「高井さんなら、分かりますよね?」
同意を求められ、望は反射的に頷きかけた。
分かる、痛いほど分かる。
自分も、昼間はその論理で生きている人間なのだ。
分かる側、選ばれる側としての自分。
それは、これまで会社で必死に求めてきた場所のはずだった。
男は、穏やかに締めくくった。
「ご無理にとは言いません」
「ただ話を進めるにあたって、窓口は一本にしておきたい。ノイズが入ると、最適な判断が遅れますから」
窓口を一本化する。
それは「黒田を切れ」という言葉の、最も綺麗な言い換えだった。
「……検討します」
望は名刺を指で弾かないように慎重に受け取り、軽く頭を下げた。
検討するという言葉は嘘ではないが、心からの同意でもなかった。
外に出ると、商店街は夕暮れに沈んでいた。
店の明かりが、ぽつぽつと灯り始めている。
いつもの風景……、それなのにガラス越しに見ているように遠く感じる。
AONは、ここを「更地」として見ている。
残すのか塗り替えるのか、その判断の鍵を自分が握らされているようだった。
――黒田に、この話をするべきか?
そう考えて、望は足を止めた。
それを言えば「僕はあっち側の人間だ」と認めることになる。
言わなければ、 水面下で街を売る片棒を担ぐことになる。
どちらも地獄だ。
商店街の端で、見慣れた看板が目に入る。
和菓子屋、惣菜屋、名前を呼ばれた店、饅頭をくれた手の温もり。
それらには、効率などない。KGIも、拡張性もない。
でも、それらを消えてほしくないと願っている自分が、確かにいる。
望は、受け取った名刺を胸ポケットにしまった。
名刺の角が、薄いシャツ越しに皮膚を刺す。
まだ、答えは出せない。
だが既に「選ばれる側」の席に座らされたことだけは、残酷なほどはっきりしていた。




