第15話「新宿に舞う春風」
朝の新宿駅。
ビルの間を抜ける風がまだ少し冷たく、
ふたばはマスクの中で小さく息を吐いた。
「今日もがんばろう」
そう呟いてから、改札を抜ける。
春祭りの余韻がまだ胸に残っていて、
いつもより少し足取りが軽かった。
メゾン・ド・ラパンに着くと、
厨房からバターと紅茶のやわらかな香りが漂っていた。
「おかえりなさいませ、ふたばちゃん!」
香澄が明るい声で迎えてくれる。
「おはようございます、香澄さん!今日もいい香りですね」
「苺のミルフィーユを試作中なの。春限定の第二弾よ」
「わぁ、楽しみです!」
その後ろで、ほのかがポットを磨きながらふたばに笑いかけた。
「ふたばさん、おはようございます!昨日はお疲れさまでした!春祭り、すっごく楽しかったですね!」
「ほんとに!ほのかちゃん、屋台似合ってたよ。“松戸メイド”って感じだった!」
「えへへ、地元の人たちがみんな優しくて……なんだか嬉しくなっちゃいました」
香澄がふたりを見て微笑む。
「ふたばちゃんたちが頑張ってるって聞いて、私も行きたかったな」
「次はぜひ来てください!ねぎ味噌おにぎり、おいしかったんですよ〜!」
その日の午後。
店内は桜のスイーツを目当てにしたお客さまでにぎわっていた。
ふたばとほのかはテーブルを行き来し、忙しいながらも笑顔を絶やさない。
「おかえりなさいませ、ご主人さま♡」
ふたばの声は明るく、通る。
ティータイムプレートを置いた瞬間、お客様の表情がふっとやわらぐ。
「君の笑顔、ほんと癒されるね」
「ありがとうございますっ♡」
その様子を見ていたほのかが、カウンターの陰で小声を漏らした。
「……ふたばさん、やっぱりすごいなぁ」
「何が?」
「お客様がみんな笑顔になるんです。
私、まだ緊張してぎこちなくなっちゃって……」
「うんうん、わかる。でもね、最初から完璧じゃなくていいんだよ。
“楽しい”って気持ちがあれば、それが伝わるから」
ほのかは目を瞬かせてから、小さく頷いた。
「……私も、笑顔の魔法、覚えたいです」
「じゃあ、今日の閉店後に特訓しよっか」
夜。
お店が静まり返り、照明が落ち着いたころ。
ふたばとほのかはカウンターで練習をしていた。
「じゃあ、いつものセリフからいこう。“おかえりなさいませ、ご主人さま”」
ふたばが見本を見せる。
「声のトーンはやわらかく、気持ちは明るくね」
「おかえりなさいませ……ご主人さま♡」
「うん、いい感じ!もう少し笑って、目で“嬉しい”って伝える感じ」
「おかえりなさいませ……ご主人さま♡」
香澄が紅茶を注ぎながら、ふたりを見てにっこり。
「いいじゃない。二人とも、今日は本当にいい顔してるわ」
閉店後。
外に出ると、夜風が街のネオンを揺らしていた。
ふたばはエプロンをたたみながら、小さく息を吐く。
「今日もいっぱい笑ったなぁ……」
その横で、ほのかが手帳に何かを書き込んでいた。
「“ふたばさんの笑顔は、春風みたい”って書いてます」
「春風?」
「はい。やさしくて、通り過ぎたあとも、あったかさが残るんです」
「……それ、すっごく嬉しいな」
ふたばは少し照れながら笑って、
バッグを肩にかける。
「明日もがんばろ。私、まだまだ成長中だから!」
街を吹き抜ける春風が、
ふたばの髪のリボンをやさしく揺らした。




