第10話「メゾン・ド・ラパンの新メイド」
朝のねぎ畑に、春の風が吹いていた。
空はやわらかく晴れていて、若いねぎの葉が陽を浴びてそよいでいる。
「みつば、今日はちょっと特別な日なんだよ」
「にゃ〜」
ふたばは笑って黒猫の頭を撫でた。
今日は新宿のメゾン・ド・ラパンで、新人メイドさんが入る日。
ふたばは少し早起きして、鏡の前でリボンを整えた。
「お給仕の魔法、ちゃんとかけられるようにしなきゃ」
襟もとを整え、カーディガンを羽織ると、
春の光がやさしく頬を照らした。
常磐線で日暮里へ向かい、山手線に乗り換えて新宿へ。
車窓の外には、満開の桜の並木が流れていく。
「春って、やっぱりわくわくするなぁ」
ふたばは心の中で呟きながら、
胸の奥に少しの緊張と期待を抱えていた。
お店に着くと、まだ準備中の静けさが漂っていた。
ふたばは更衣室のロッカーを開けて、
お気に入りのメイド服をそっと取り出す。
白いエプロンに、淡いピンクのリボン。
袖を通すたびに背筋が伸びる。
「よし、今日も笑顔でがんばろ」
鏡の前でリボンを結び終えた瞬間、
まるで小さな魔法がかかったように、
“お給仕のふたば”がそこにいた。
店長がカウンターで声をかける。
「ふたばちゃん、おはよう。今日から新人さんが来るよ」
「はいっ!私、ちゃんとお手本になれるようがんばります!」
まもなく、ドアのベルが鳴った。
「おはようございますっ!」
少し緊張した声で入ってきたのは、小柄な女の子。
茶色い髪を二つに結び、リボンの位置を何度も直している。
「今日からお世話になります、中原ほのかです!」
「ようこそ、メゾン・ド・ラパンへ♡」
ふたばはやわらかく微笑み、手を差し出した。
「緊張してる?最初は誰でもそうだよ」
「は、はい……あの、ふたばさんって、あの“ふたばさん”ですか?」
「え? うーん、多分そのふたば、かな?」
「笑顔の魔法がいちばん上手なメイドさんだって聞いてて!」
「ええっ!? そんな風に言われてたの? 嬉しいけど、ちょっと照れる〜」
ほのかは少し安心したように笑った。
開店の時間。
二人で並んで入り口に立つ。
「おかえりなさいませ、ご主人さま♡」
「お、おかえりなさいませ、ご主人さま……♡」
ほのかの声は小さく震えていたけれど、
お客様が「ありがとう」と笑ってくれた瞬間、
その表情がぱっと明るくなった。
ふたばはそっと目で合図を送る。
(うん、今の笑顔、すごくいい)
お昼休み。
店の裏でまかないの紅茶を飲みながら、ほのかが尋ねた。
「ふたばさんって、どうしてメイド喫茶で働こうと思ったんですか?」
「うーん……“人を笑顔にしたい”って思ったのが最初かな。
メイド服はね、“お仕事のかわいい”なの。
ロリィタ服は“自分のかわいい”で、
コスプレは“夢のかわいい”。
どれも違うけど、どれも本物なんだよ」
ほのかはじっと聞いていた。
「かわいいの形、かぁ……なんか素敵です」
「ふふっ、ありがと。
ほのかちゃんの“かわいい”も、きっとすぐ見つかるよ」
夕方。
営業を終えて更衣室でエプロンを外す。
リボンをほどくと、少しだけ名残惜しい気持ちになる。
「今日もがんばったね」
鏡の中の自分に小さく声をかけて、
ふたばは制服姿に戻った。
店を出ると、春風が街の中を軽く吹き抜けた。
新宿の空がほんのりオレンジ色に染まっている。
ふたばは小さく息を吐いた。
「かわいいって、人と一緒に育つんだね」
ポケットには、ほのかがくれた小さなメモ。
“笑顔の魔法、練習します!”と書かれている。
ふたばはそっと笑って、
ホームに向かう階段を一段ずつ降りていった。




