表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/18

第1話「はじまりは、ねぎ畑の朝」

朝の空気は、少しだけひんやりしていて、畑の土がしっとりと湿っていた。

千葉県松戸市――東京のすぐ隣なのに、ふたばの家のまわりは驚くほどのどかだ。

遠くの道路を走るトラックの音と、近くで鳴くヒバリの声。

それが一日のはじまりを知らせる、ふたばの大好きな音。


「おはよう、ねぎさんたち。今日も元気?」


しゃがみこんだ野菊ふたばは、まだ小さなねぎの葉をそっと指で撫でた。

早朝の光が髪のリボンを透かして、淡い若草色を浮かべている。

土の匂い。露の冷たさ。微かに漂う青ねぎの香り。

それは、彼女が生まれてからずっと慣れ親しんできた“家の匂い”だった。


「ふたば、そんなに話しかけてもねぎは返事しないぞ」


畑の奥から、腰の曲がった祖父が笑いながら近づいてきた。

古びた麦わら帽子に、泥でくたびれた軍手。

けれど、その目は若い農家顔負けにキラリと光っている。


「返事はしないけど、気持ちは伝わるんだよ、おじいちゃん。ねぎって、ちゃんと見てるもん」

「ほう。そりゃ頼もしいことだ。じゃあ今日は、ふたばの“おまじない水”を頼むか」

「了解!」


ふたばはジョウロを手に取り、軽やかに畝の間を歩き始めた。

足もとを黒猫のみつばがついてくる。

長靴の音に合わせて、しっぽをぴょこんぴょこんと揺らして。


「みつば〜、あんたも一緒にお給仕してるつもりでしょ」

「にゃー」

「お水はね、ねぎさんのごはんなの。あげすぎるとお腹壊しちゃうんだからね?」


そんな会話をしているうちに、祖母が家のほうから顔を出した。

手ぬぐいを首にかけ、湯気の立つ鍋を抱えている。


「ふたばー! お味噌汁冷めちゃうよー!」

「はーい! 今行くー!」


ふたばは手をパンパンと叩いて泥を払い、祖父に向かって笑顔でぺこり。

その笑顔は、どこまでも明るくて、朝の太陽よりまぶしい。


台所に入ると、母の和葉かずはがエプロン姿で味噌汁をかき回していた。

柔らかい茶髪を後ろで束ね、白いブラウスの袖をまくった姿は、どこか品がある。

ロリィタ好きな娘・ふたばがこの母を尊敬してやまないのも、わかる気がする。


「おはよう、お母さん。今日の味噌汁、ねぎ入り?」

「もちろん。朝採れのやつよ。ふたばが育てたねぎ、甘くておいしいんだから」

「わーい、やった!」


ふたばはお椀を受け取り、家族の席についた。

祖父母、父、母、そして彼女。

そしてテーブルの下では、みつばがちょこんと座っている。

ふたばの箸が動くたび、黒猫の耳がぴくぴくと動く。


「ふたば、今日はお店?」と父が新聞をめくりながら聞いた。

「うん。午後から。新しい限定メニューが始まるから、ちょっと緊張してるけどね」

「新宿のあれだろ? “メゾン・ド・ラパン”。よく続いてるなあ。

お前、ほんとに頑張り屋だ」

「へへ、ありがと。でも、まだまだだよ。目標は“お店のNo.1メイド”だから!」


 その言葉に、祖母がふわっと笑った。

「ふたばは昔から人を喜ばせるのが上手だからね。きっとなれるよ」

「うん! がんばる!」


ふたばはごはんをかきこんで、時計を見た。

もうすぐ電車の時間だ。


支度を終えて家を出ると、空はすっかり明るくなっていた。

ねぎ畑の間を通り抜ける風が心地いい。

ふたばはスカートの裾を押さえながら、ふと足を止める。


「ねぎさんたち、いってきます。

今日もたくさん笑ってこようね」


みつばが足もとで「にゃー」と鳴いた。

ふたばは笑いながら、黒猫の頭を撫でる。


「お留守番お願いね。帰ったら、ちゅーるあげるから♪」


それから駅までの小道を歩く。

遠くに見える常磐線の線路、風に揺れる洗濯物、

すれ違うご近所さんの「いってらっしゃい」。

そのどれもが、ふたばの日常の一部だった。


電車の中では、学生服の上に薄いピンクのカーディガン。

膝の上には、原宿で買ったお気に入りのメイドカフェノート。

お客さんの名前や、笑ってくれた瞬間のことを、毎日こっそり書き留めている。


「今日こそ、ミスしないようにがんばらなきゃ。

 “いらっしゃいませ、ご主人さま♡”――ちゃんと言えるかなぁ」



松戸から新宿までは少し遠いけれど、

その道のりは、彼女にとって宝石みたいにキラキラしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ