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エルネア番外編シリーズ

【エルネア番外編】家族の肖像を胸に抱いて

作者: 遠野さつき

※別作『グランディールの風になって 〜パーティを解雇されたコミュ障聖女ですが、恨みはないのでスローライフを満喫します〜』の番外編です。

お気軽にお読みください。


↓別作はこちら(完結済みです)

https://ncode.syosetu.com/n8586jy/


↓初めての方のための人物まとめ

サーラ・ロステム(34歳)

黒髪黒目の魔法紋師。異世界からの転移者。グランディールの日々を満喫している。


ロイ・シュバルツ(32歳)

闇猟犬の血を引く黒髪金目の護衛。無口で無愛想だが、サーラの前では緩む。

「ほら、手が止まってるわよ。魔法紋ってのは一に筆記、二に筆記なんだから、勝手に指が動くようになるまで死ぬ気で頑張りなさい!」

「ひいー! 腕が痛いです、先生!」

 

 うーん。昔の自分を思い出す。泣き言を言う弟子たちを眺めながら、肩で切り揃えた黒髪を揺らし、黒板に魔法紋を書き込んでいく。

 

 魔法紋とは魔法を言語化したもの。あらかじめ書いておけば、魔力を流すだけで発動できる技術だ。


 私が開発した人工魔石と組み合わせると、魔石灯や冷風機などの生活用品から、防犯装置や医療道具まで、応用の幅が無限に広がる。その便利さ故に需要は高く、おかげで少々厳し目に授業をしても、弟子が途切れることはない。

 

 とはいえ、「あんまりやり過ぎないでね」とシエル――ご領主様に釘を刺されているので、鞭ばかりでもいけない。講師初心者のコミュ障としては按配をはかりかねるが、手探りでやっていくしかない。

 

「仕方ないわね。残りは宿題にしてあげる。明日から休みだからってサボるんじゃないわよ」

「あ、ありがとうございます!」

 

 涙を浮かべた弟子たちの顔が輝く。皆、早々に親元を離れているものの、元の世界だと中高校生ぐらいだ。授業よりも休みが嬉しいのは、どこの世界でも一緒だろう。

 

「では、先生! また休み明けに!」

「はいはい。あんまり羽目を外すんじゃないわよ」

 

 連れ立って寮に帰る弟子たちを見送る。まだ真新しい入り口の脇には、『サーラ・ロステム魔法紋塾』と木のプレートがかかっている。

 

 サーラ・ロステム――これがこの世界での私の名前だ。昔は日本の地方都市で働く、しがない事務員だった。何の因果か、二十一歳の夜に突然この世界に迷い込み、気づけば十年以上もの月日が経っていた。

 

 ここは千年の歴史を誇るルクセン帝国の東端に位置するグランディール領。今でこそ都市の形を成しているが、最初はスライムしかいない荒野だった。旅の途中で出会ったシエルを助け、護衛として雇われ、初めてこの地を踏んだ日のことは、今でも鮮明に覚えている。

 

「今年もあっついわねぇ……」

 

 額に手をかざし、降り注ぐ夏の日差しから顔を守る。青空の中に浮かぶミントグリーンのローブが目に眩しい。そろそろ羽織るのが辛くなってきたが、これは師匠の形見で魔法使いの証でもある。そう易々とは脱げないのだ。

 

 幸いにも塾の中は冷房がきいている。弟子たちも寮に引っ込んだことだし、中に戻ろうとしたとき、道の向こうから見慣れた男性が近づいてきた。

 

「お疲れ、サーラ」

 

 短い黒髪と満月色の瞳。その瞳孔は縦に長い。闇猟犬(ダークハウンド)の血を引くロイ・シュバルツだ。同じ護衛仲間で、今は私の恋人。三十歳を超えてもなお、たくましい体躯を目の前で止め、優しい表情で私を見下ろす。

 

「あれ? もう護衛の交代時間? いつもより早くない?」

「いや、サーラ、今日朝ごはん抜いただろ。心配だから、シエルが持ってけって」

 

 指貫きグローブに包まれた手には小さなバスケットと水筒が握られていた。受け取って中を覗くと、好物の卵サンドがぎっしりと詰め込まれていた。

 

「ありがと。よかったらロイも食べてく? 今は誰もいないし……」

 

 ロイの顔が輝く。もし尻尾があったら、全力で振っていただろう。さっきの弟子たちの姿が重なって、思わず笑みが漏れた。

 

 教壇と並行に置かれた長椅子の一つに並んで腰掛け、卵サンドを分け合う。コップが二つ入っているのは、最初から私がこうすると見越していたのだろう。相変わらず聡いご領主様である。

 

「今日はシェーンも来てるんだっけ」

「ああ、執務室で事務員の真似事してる。最近、文字を書けるようになったらしいぞ。簡単な計算もできるみたいだし」

「まだ四歳でしょ? 将来有望ねぇ」

 

 卵サンドを齧りながら感嘆する。シェーンはシエルの長男。つまり、次期ご領主様だ。きっと、親に似て勤勉な領主に育つだろう。

 

「弟子たちも見習ってくれればいいのに」

 

 唇を尖らせる私を見て、ロイが口元を緩める。

 

「講師の仕事は慣れたか?」

「どうかな。元々、子供が苦手だからね。無理言って受け持ちを十五歳からにしてもらったけど、それでも大変。なかなかパールみたいにはいかないわ」

 

 首から下げた袋に目を落とす。パールは私が手塩にかけて育てたアイススライムだ。向こうも私を母親のように慕ってくれた。数年前に寿命を全うし、小さな核だけになってしまったけれど、その思い出は今もしっかりと息づいている。

 

「……寂しいか?」

 

 満月色の瞳が私の黒目を覗き込む。

 

 違うと言えば嘘になる。どれだけ月日を重ねても、この寂寥感が消えることはないだろう。けれど、それ以上にパールは多くのものを与えてくれた。いつまでも落ち込んでいては悲しませてしまう。

 

「大丈夫よ。外が暑くて、ちょっと思い出しちゃっただけ。パールがそばにいると涼しかったからね」

「俺はずっとサーラのそばにいるから。……火属性だけど」

「何よ急に。どれだけ暑くても、そばにいてくれないと困るわよ。私のこと、シエルみたいに守ってくれるんでしょ? 頼りにしてるからね」

 

 素直に甘えると、ロイの顔が真っ赤になった。出会ってからずっと、ロイは優しい。少ない言葉の端々から愛情が伝わってくるし、私もそうありたいと思っている。

 

 はたから見れば、私たちはすでに夫婦と変わらないだろう。シエルからも、「そろそろ結婚したら?」とせっつかれている。それでも未だ付かず離れずの関係を保っているのは、温かい普通の家庭がどういうものなのか、よくわからないからだ。

 

 私もロイも、母親と上手くいかなかった。お互い子供を持たないと決めている。その上、人付き合いも苦手な社会不適合者だ。なのに、人並みに結婚したいと望むのは烏滸がましい気がして、踏ん切りがつかなかった。

 

 それに、私は師匠の――ロステムの姓を継いでいきたい。他国は夫婦別姓だったり、結婚相手の姓を組み込んで新たな姓にしたりするが、ルクセンではどちらか一方の姓に改めることが一般的だった。

 

 言えばロイは二つ返事で改姓してくれるだろうが、シュバルツ姓は亡き親との唯一の繋がりだ。たとえ酷い痛みを与えた親だろうとも、それを捨てさせるのはあまりにも忍びなかった。

 

「サーラ? 大丈夫か?」

 

 気遣いを含んだ言葉に、はっと意識を引き戻される。何年経っても、自分の思考に没頭する癖は変わっていない。

 

「ごめん。ちょっと、ぼうっとして……。お腹いっぱいになって眠くなっちゃったかな」

「熱中症じゃないのか。さっき、日なたで立ってただろ。サーラは夏に弱いんだから、無理するなよ。部屋まで運ぶか?」

「だ、大丈夫よ。短時間だったし、そこまで貧弱じゃないわ」

 

 お姫様抱っこされている姿を弟子たちには見られたくない。休み明けに囃し立てられるのが目に見えている。

 

 ロイもシエルのそばをいつまでも離れてはいられないだろう。バスケットを片付けようと慌てて立ち上がる。その瞬間、不意にぐらりと視界が揺らいだ。

 

「サーラ!」

 

 体を抱き止めるたくましい両腕の感触を最後に、意識が闇の中に溶けていった。



 ***

 


 ふと目を開けると、スライム牧場の前に立っていた。


 これは夢だとすぐに察したのは、スライム牧場の規模が開拓当初のものだったからだ。私の体も相応に若返っているようで、切ったはずの長い黒髪がしきりに風に靡いていた。

 

「あー、やっちゃった。最近、忙しくて寝不足だったからなあ……。ロイの言う通り、熱中症にかかっちゃったのかも」

 

 目を覚ましたらどれほど怒られることか。重々しいため息をつきながらひとりごち、研究棟をぐるりと取り囲む木柵に両腕をかける。柵の中にスライムの姿はない。もしかしたらパールに会えるかもと一瞬期待しただけに、少し残念だった。

 

「そう上手くいくわけないわよね……」

 

 パール。私の唯一の子供。今頃はあの世――精霊界で師匠と一緒に、不甲斐ない私に呆れているだろうか。

 

 しんみりした気持ちのまま、しばし空っぽの牧場を眺めていると、左側からローブを引かれる感触がして顔を向けた。


 何もない。不思議に思いつつ視線を落とす。どこから現れたのか、ミントグリーンのローブを着た子供が笑みを浮かべて私を見上げていた。

 

 シェーンぐらいの歳頃で、髪は短く、中性的な顔立ちをしている。ぶかぶかのローブの裾から覗くのは、紫色のサルエルパンツだろうか。私を模写したみたいな出で立ちに、小さな笑みが漏れる。髪も目も同じ黒色だし、並んで立つと親子に見えるかもしれない。

 

「あなた、誰? 領民にこんな子いたかな……」

 

 狭い領地でも黒髪黒目はそれなりにいる。首を傾げつつ記憶を辿っていると、子供が両手を挙げて跳ねる素振りを見せた。

 

「抱っこして欲しいの?」

 

 子供がこくこくと頷く。

 

 繰り返すが、私は子供が苦手だ。だから、普段ならせがまれても滅多にしない。けれど、何故か、この時ばかりはしてあげてもいい気分になった。

 

「暴れないでよね。私、自慢じゃないけど下手だから。シェーンにも何度泣かれたか……」

 

 子供の脇に手を回して、気合いを入れて持ち上げる。子供は案外軽かった。それに、とても柔らかい。まるで大きなゼリーの塊に服を着せたみたいに。

 

「どう? ご満足いただけた?」

 

 あやすように揺すると、子供は黙って私の額に小さな額を寄せた。体温が低いのか、とてもひんやりとする。その心地よさに思わず目を細める。

 

「あなた、氷属性なの? この冷たさ、どこかで……」

 

 ふと、額を離して子供の顔を覗き込む。あの子とは似ても似つかない姿。けれど、私をまっすぐに見つめる黒目の中に宿る光は、確かによく知っている気配がした。


 ごくりと唾を飲み込み、震える唇を無理やり開く。

 

「パール?」

 

 私の腕の中で、子供は心底嬉しそうに笑った。



 ***


 

 涙が頬を滑る感触で目を覚ました。

 

 夢うつつのまま周囲に視線を巡らせる。天井からぶら下がった魔石灯に、専門書が山のように積まれた机。ここは……自室のベッドの上か。見慣れたカーテンの隙間から見える窓の向こうは、すっかり夜になっていた。

 

 部屋の中はひんやりと冷たい。冷風機をつけてくれたらしい。額にはぬるくなった布が乗せられている。さっき夢の中で感じたのはこれだったのか。それとも……。

 

 窓のそばでは、腕組みをしたロイが椅子に背を預けて船を漕いでいた。

 

 月明かりに浮かび上がる黒髪に、男らしい輪郭を支える太い首。そこに下がっているのは、私がプレゼントしたネックレスだ。私の右手首にも、ロイがプレゼントしてくれた、金ボタン付きのヘアゴムがはまっている。

 

 それを見た瞬間、さらに涙が滑り落ちるのを感じた。悲しいんじゃない。むしろその逆だ。まるで大河が氾濫したように、感情があふれて止まらなかった。

 

「……サーラ? 目を覚ましたのか」

 

 おもむろに腕を解き、椅子から立ち上がったロイがベッドに近づく。

 

「熱あたりだって。熱中症の一歩手前だったらしい。だから、日なたに立つなって言ったろ。せめてローブを脱いで……」

 

 そこで言葉を切り、ロイは眉を顰めた。私が泣いていると気づいたらしい。床に跪き、頬を流れる涙を指で拭ってくれる。

 

「……嫌な夢でも見たか?」

「違うの。嬉しくて……」

 

 ぐす、と鼻を啜り、小さく首を横に振る。嫌どころか、とても素敵な夢だった。

 

「優しい夢を見て、目を覚ますとロイがいて、私、とても幸せだと思ったの。こんな風に弟子や恋人に囲まれるなんて、元の世界では考えられなかったわ。これから何が起きたとしても、絶対に手放したくない」

 

 満月色の瞳を見開き、ロイが息を飲んだ。無意識に首に下げた袋を握る私の手を優しく包み、決意を込めた眼差しで喉仏を上下させる。

 

 何を言いたいのか手に取るようにわかる。私たちは似たもの同士だから。案の定、「なあ、サーラ。俺たち……」と言いかけた唇を、涙で濡れた唇で塞いだ。

 

 たっぷりと間を置いたあと、薄暗闇の中でも真っ赤だとわかる頬に両手を添える。ロイの顔は、熱あたりで倒れた私の体温よりも熱い気がした。

 

「私の家族になって」

 

 ロイの目をまっすぐ見つめ、言葉を続ける。

 

「私たち、世間には認められないダメ人間かもしれないけど……。それでも、あなたに一番近い場所でこれからも生きていきたいの。このグランディールで」

 

 それは精一杯のプロポーズだった。ロイはしばし私の顔を黙って見つめていたが、やがて両腕を背中に回して抱きしめた。強く、強く、決して離さないとでも言うように。

 

「ロステムの姓を俺にくれ。お師匠さんの技術と想いを未来に繋いでいこう」

「……いいの? シュバルツの名前を継がなくても。ご両親が遺してくれた唯一のものでしょ」

「別にいらない。俺の中には、グランディールの思い出が詰まってる。サーラだってそうだろ。お師匠さんやパールがずっと胸の中にいるはずだ。俺もシエルとの思い出は絶対に忘れない。それが、俺たちにとっての家族の肖像だ」

 

 ああ、そうか。人が受け継ぐのは血や名前だけではないのだ。

 

 何をうだうだと悩んでいたのだろう。きっと、普通の家庭なんてどこにもない。私たちは私たちらしく、生きていけばいいのだ。

 

 最期の息を引き取る瞬間まで。

 

 広い背中に腕を回し、厚い胸板に耳を寄せる。早鐘のように鳴り響く心臓の音が聞こえる。私も間違いなく、同じ音を発しているだろう。頬が真夏の日差しのように熱いのは、熱あたりのせいではないはずだ。

 

「これからもよろしくね、ロイ」

「ああ。……それはそうと、どうシエルに報告する? グランディールを挙げて披露宴しかねないぞ」

「そうよね。シエルのことだから、きっと、皆に黙っててって言っても聞かない……」

 

 ふと、視線を感じてロイから体を離す。細く開いたドアの隙間から、シエルそっくりの顔をした男の子――シェーンが覗いていた。エメラルドみたいな緑色の目をキラキラさせて私たちを見つめている。

 

 まずい。そう思って咄嗟に「待って」と声を上げたが間に合わなかった。

 

「ぱぱー! サーラおばちゃん結婚するって!」

 

 領主館中に響き渡りそうな大声で叫び、脱兎の如く駆け出していく。まだ歩き出して三年しか経っていないのに、なんて速さだ。きっと母親に似たんだろう。

 

 ほどなく、廊下の向こうから「ほんと⁉︎」と喜色満面な声が聞こえる。運悪く他の人間も大勢いたのか、まるで魔物の群れのように、こちらに押し寄せてくる足音が耳に届いた。

 

 声もなく伸ばした手をわなわなと震わせる私に、ロイがぽつりとつぶやく。

 

「……逃げるか」

「どこによ。ポチがいるんだから、草の根分けてでも探し出すに違いないわ!」

 

 ポチはケルベロス(三つ首の魔犬)。匂いを辿ってどこまででも追える。ああでもない、こうでもないと対策を考える私を見て、ふっ、とロイから笑みがこぼれた。

 

「仕方ない。雇用主には逆らえないからな」

「そうだけど!」

 

 急に上がった体温に反応したのか、冷風機から吹き出した風が、祝福するように私の頬を撫でていった。

時系列としては、本編の番外編②の後のお話しです。

相変わらず無理してぶっ倒れるサーラ。

パールがそばにいた時は冷風機いらずでしたからね。

まだその癖が抜けない模様。

 

本編よりも距離が縮まっているサーラとロイを感じて頂けたら幸いです。

グランディールの風は、今日も優しく吹いています。

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