校正者のざれごと――トジヒラキの憂鬱
私は、フリーランスの校正者をしている。
「校正者のざれごと」「校正者、キレる」という文章を思いのほかたくさんの方に読んでもらえたので、調子に乗ってもう少し校正について書いてみたいと思う。
私に回ってくる仕事は、小説よりも実用書や資格試験の参考書などが多い。小説の場合、著者の表現を大切にするためあまりないかもしれないが、実用書などは読者が読みやすいように多くの場合、表記の統一をする。
表記の統一というのは、たとえば「つくる」という語を漢字にするか、ひらがなにするかを、文章全体で統一すること。「創る」などとの使い分けを考えて、ひらがなにすることが多い。ちなみに、漢字をひらがなにすることを「ヒラク」といい、ひらがなを漢字にすることは「トジル」という。
出版社によっては「表記統一表」を渡されて、それに合わせて統一の作業を行うこともある。私がよく仕事をいただいていたある出版社では、「おこなう」の表記は「行う」ではなく「行なう」にするよう指示されていた。これは、「行く(いく)」との混同を避けるためだというようなことを聞いた。学校では送り仮名は「行う」が正しいと習うが(ちなみに「行」は小学校2年生の配当漢字。学年別漢字配当表についてはまたの機会に)、あえてこのような使い方をする場合もある。
表記統一表がなく、「多出に合わせて統一してください」と言われることもある。この場合は二つの表記(たとえば「子ども」と「子供」)のどちらが多いかを数えて、多いほうに統一し、統一表を作成する。今ではPDF検索もあるので楽勝……と思いきや、意外と手こずる。PDF検索では泣き別れの文字は拾ってくれない(「泣き別れ」というのは、ひとつの単語が二つの行に分かれてしまうこと。こうなると、PDF検索では拾えない)。なので結局、地道にあたっていかなければならない部分もある。「いま」と「今」のように、ほかの単語(「今日」とか「今月」など)にも入っているような語も同様に手作業になる。やっぱり、地味な作業だよな。だんだん精神的に追い込まれて、まわりから見たら気持ち悪いくらい、ぶつぶつ言いながら作業を進める。
ここで、トジヒラキについてどうしても言いたいことがあるので聞いてください。
令和5年4月、政府に「こども家庭庁」が発足したというニュースを見た。
――え、なんで?
思わず二度見した。なんで、そういうことするの?
理由は「こども」というひらがな表記。
こどもという言葉の表記には「こども」「子ども」「子供」の3種類がある。今までは、「子ども」の表記が多く使われていた。「子ども・子育て支援法」もそう、「子どものための教育・保育給付」なども。これだけ「子ども」の表記が多いのに、なぜいまさらひらがなの「こども家庭庁」に? 他にも、こども家庭庁のサイトにはやたらと「こども」の文字が並んでいる。こんなことをされたら、これから「こども」「子ども」の表記が出てくるたびに、どっちが正しいのか確認しなきゃいけないじゃないか。
ご清聴ありがとうございました。こんなこと誰にも話せないし、話しても共感してもらえないのはわかっている。こんなことでキレているのは校正者、いや、私だけかもしれない。
細かい作業を何とか終え、校正プロダクションの事務所へ持っていく。そこで確認作業などを行い、出版社に届ける。出版社の編集部というのはたいていどこも忙しいので、ゲラ(校正紙)を渡すと編集担当者は「ありがとうございました」とさらっと言ってすぐに自分のデスクへ戻っていく。がんばった成果がどうだったのか知るよしもない。どうか、何も見落としがありませんように。そんな気持ちで出版社を後にする。
夏の暑い日。とある大学の編集部からの仕事があり、納品に行った。午後の早い時間だったこともあり、編集担当者は食事に出ているとのことで不在だった。ゲラを別の方に預け、駅に向かっていると、たまたま編集担当の女性とその上司の男性がこちらに向かって歩いてきた。
「あ、小山さん。いなくてすみません」
食事の帰りらしい。何度か仕事をもらっているので彼女とは顔なじみだ。ここは出版社の編集部と違って和気あいあいとした雰囲気で、納品のときはいつも温かく迎えてくれる。「いえいえ、お食事どきにすみません」などと話していると、横にいた彼女の上司が、
「校正者さん、暑いのにたいへんだったね。よかったら、これで冷たいものでも飲んで」
と私の手に五百円玉を握らせた。「いや、あの……」戸惑っている私を置いて、その上司と編集担当の彼女は楽しそうに話しながら大学のほうへ戻っていった。
お小遣いをもらった子どもみたいだな。ちょっと温かい気持ちになった。ちなみに3種類の中では、私は個人的に「子ども」の表記が好きだ。まあ、どうでもいいけど。