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夢物語  作者: moru
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第三章 迷い

夢の世界から戻った彼は、目覚めた後も心に不思議な余韻を感じていた。現実の部屋の静けさは、夢の中の星々や少女の言葉とは対照的で、どこか物足りなささえ感じさせた。けれど、彼はその日から少しずつ変わり始めていた。朝の光が差し込む窓の外を見つめながら、もう一度夢の世界に戻りたいという強い願望が胸に芽生えていた。


いつもの通勤路、雑踏の中にいても、どこか別の世界を意識する感覚が残る。彼の中で現実と夢が重なり、通り過ぎる人々の顔がどこかで見た記憶の影と混ざり合う。少女の言葉が耳に残る――「夢はいつでもあなたと共にある。」この一言が、彼の心の中に新しい視点をもたらしていた。


その夜、再び彼は夢の中へと誘われた。


目を開けると、彼は広大な「迷いの森」に立っていた。無数の木々が生い茂り、どこへ続くとも知れない小道が闇の中に消えている。風が吹き、木々の隙間から星のかけらがちらちらと降り注ぐ。彼は森の奥へ進むことを決意した。どこかに、彼が知るべき何かが待っているような気がしたからだ。


しばらく歩くと、不意に足元に古びたランタンが転がっているのを見つけた。拾い上げると、微かに灯りがともり、彼の周囲が淡く照らされた。その光は単なる明かりではなく、彼の内面の迷いを映し出すようだった。光が弱まるとき、彼の心の不安が濃くなることに気づく。「自分の心が、この道を照らしているのかもしれない……。」そう思いながら、彼は歩みを進めた。


森の奥へ進むうちに、懐かしい声が風に乗って聞こえてきた。それは、彼の過去に関わる誰かの声――けれど、それが誰のものかまでははっきりと思い出せない。声を追いかけて歩き続けると、小さな湖が目の前に現れた。湖面は鏡のように静かで、彼がのぞき込むとそこには過去の自分の姿が映っていた。


湖に映るのは、幼い頃の彼だった。両親の期待に応えようと必死になり、ミスを恐れて怯えていた少年の姿。その時の感情が鮮明に蘇る――失敗することへの恐怖と、完璧でなければならないという重圧。湖の中の少年は、今の彼を見上げて何かを訴えているようだったが、言葉にすることはできない。


彼は静かに湖面に手を伸ばし、揺れる水の中に触れた。波紋が広がると、少年の姿も消えていった。心の中で何かが溶け、少しだけ軽くなったような気がした。過去を抱えたまま歩むのではなく、それを解放することの大切さを、彼はようやく理解し始めていた。



さらに進んでいくと、森の中に小さな灯りが見えた。近づくと、それは古びた一軒の小屋だった。扉を押し開けると、そこには一人の老人が静かに座っていた。白い髭を蓄えたその老人は、何も言わずに彼を見つめる。


「あなたは……誰ですか?」と彼が尋ねると、老人はゆっくりと微笑んで答えた。「私は、この森を守る者。そして、お前自身の影だ。」


彼はその言葉に戸惑った。「どういう意味ですか?」


「お前が抱えてきた迷いや恐れ、それはすべて私の姿となってこの場所に留まっている。だが、それを否定する必要はない。それを受け入れることで、ようやく次の扉が開かれるのだ。」


老人の言葉に耳を傾けながら、彼は静かに目を閉じた。心の中に浮かんでいた重たい感情が、少しずつ形を変えていくのを感じる。それはまるで、厳しい冬の氷が解けて春を迎える瞬間のようだった。


「影を恐れることはない。それはお前が生きている証だからな。」老人の言葉は、彼の心に深く響いた。まるで心の奥に絡みついていた重い鎖が、一つひとつ解かれていくような感覚だった。


彼はその場に立ち尽くし、自分の心の内側を見つめ直した。影――それは、自分が避けてきた感情、抱え込んだ後悔、そして未熟さそのものだった。これまでそれらを打ち消し、見ないふりをして生きてきた。しかし、今は違った。影は消し去るべき敵ではなく、自分を形成する一部なのだと気づいた。


ふと風が吹き抜け、周囲の木々がざわめいた。その音はまるで、「受け入れろ」と囁いているかのようだった。彼は深く息を吸い、心に残る痛みや迷いをそのまま抱きしめた。


「完璧でなくてもいい。それが、お前という存在の豊かさだ。」老人の声は温かく、優しさに満ちていた。「お前の影があってこそ、光もまた輝くのだよ。」


彼の中で何かが静かに変わり始めた。今まで自分を縛りつけていた完璧さへの執着が、徐々に溶けていく。影を受け入れることは、欠点を許すことではなく、自分自身をあるがままに認めることだった。


「影が消えない限り、お前は成長し続ける。そして、その影と共に進むたび、心はさらに自由になるだろう。」老人は微笑み、ゆっくりと立ち上がった。


彼もまた、小さく頷きながら立ち上がった。影を背負ったままでもいい。どれだけ重くても、それを抱えて歩き出せる。そんな実感が心の奥に灯り、彼の中に静かな力が満ちていく。


再び目を開けると、老人も小屋も跡形もなく消えていた。ただ、森の奥から差し込む月明かりが彼の足元を照らしている。

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