第10話裏 シルト家の一日
ツバキが王室にリトニアを無事に送り届けた後のお話です。
「あなた! その怪我はどうされたのですか!?」
甲高い声が廊下に響きます。
驚いた様子で駆け寄ってきたのは、ロローナだった。
「あはは、大したことないよ。心配しないで。それより、あれからどうなったか、聞かせてもらえる?」
「まずは傷の具合を確認します。ここに座ってください」
「あぁ、ごめん。任せるよ」
リトニアは素直に椅子に腰かけ、首に巻かれた包帯をロローナの手に委ねました。優しい魔力が彼の首筋を包み込み、ほんのりと温かさが広がっていくようです。
「室内は一時混乱しましたが、バロン侯爵やレオン伯爵が迅速に対応してくださり、大きな騒ぎには至りませんでした。私は勝手に『これは試験です。式の続きは後日に行います』と伝えて、皆を帰しました。……勝手な判断をして申し訳ありません」
報告を終えたロローナの眉にはわずかな緊張が刻まれているようでした。リトニアは微笑みながら首を横に振ります。
「いいよ、ありがとう。ロローナにも迷惑をかけたね」
「私は構いませんが……ビーリス公爵がまだ戻っていませんよね? 本当に、お一人でここまで……?」
「うん。彼とは途中で別れたよ。僕は途中で気を失って……目覚めたときには、もう城の近くだった。水色の髪の少年が、僕を運んできてくれたんだ。……いや、違うか、たぶん気のせいだな」
言いかけた言葉をリトニアは飲み込む。ロローナは一歩踏み込んだ。
「何か、思い当たることでも?」
「ううん、ただの夢だったのかもしれない。大丈夫さ」
笑みを浮かべたリトニアの顔に、疲労の色が滲む。ロローナは視線を伏せ、ぽつりとつぶやいた。
「……あなたに、もしものことがあれば。私たちは、きっと……」
その声は震えていた。リトニアは軽く肩をすくめ、言葉を和らげる。
「大丈夫。僕はそう簡単にくたばらないさ。あのスパイク君にも“しぶとい野郎”って言われたくらいなんだから」
「それ、学生時代の話ですよね? 今はもう若くないんですから、無茶はしないでください」
「そうだねー。あと五、六年もしたら、本当にくたばるかもしれないからね」
冗談めかした声に、ロローナはため息を吐きます。
「……縁起でもないことを」
その手が最後の治癒魔法を送り込む。傷口は完全に塞がりました。
「はい、完了です。貧血を感じたら、すぐにブラッドリー家を訪ねてくださいね」
「うん、いつもありがとう。――あ、そうだ! 僕が戻ったこと、みんなに伝えなきゃね。それに、今回の件も正式に説明しないと」
「分かりました。貴族の方々には私が連絡を回します。あなたはしばらくここで安静に」
「了解。助かるよ、ロローナ」
数時間後、ビーリス以外の貴族たちが王宮の広間に集まりました。皆、リトニアとビーリスの安否を案じており、リトニア自ら「僕たちなら無事だよ」と語ると、場の空気は落ち着きました。
式の続きは、後日あらためて執り行うことをリトニアは伝えました。
その夜。
夕食を終えたリトニアは、家族とともに子ども部屋へと移動していました。灯りのともる部屋で、ロローナとソファに座り、机を囲んだ子どもたちは夢中でパズルを組み立てています。
「ここ、このピース。ここにはめてごらん?」
「ほんとだー! 父上すごーい!」
「最後のピースは私がはめるー!」
シューネが両手で慎重にはめ込むと、完成したパズルには満開の桜が描かれていた。
「わぁ……! 綺麗な桜……! 私もいつか、本物を見たいです、お父様!」
「いいね。王国記念日が終わったら、家族みんなで花見に行こうか」
子どもたちは歓声を上げ、部屋に春の風が吹き込んだかのようだった。
「約束ですよ!」とシューネ。
「家族で出かけるなんて……本当にいいのかな?」と控えめにエビネが尋ねる。
王都の王として多忙を極めるリトニアにとって、家族との時間はあまりにも貴重なものでした。
「いいんですか? そんな約束をして。そんなお暇はあるのですか?」
「一日くらい、なんとかするよ。家族と出かけたのなんて、シューネが二歳の頃が最後だったよね? さすがに、寂しい思いばかりさせてきたからね……たまには、父親らしいこともしてみたいんだ」
ロローナの問いにリトニアはそう答えました。
「父上だーいすき!」
シューネが勢いよく抱きついてきて、リトニアは照れ笑いを浮かべながらその小さな身体を抱き上げました。
「よし、お風呂に入って、今日はもう寝よう。明日は記念日の飾り付けの準備があるからね」
「うん! 私、手伝うー!」
「おお、頼もしいなぁ、シューネは。期待してるよ」
そうして――静かな夜が、シルト家を優しく包み込みました。




