第3話裏 一寸の光陰軽んずべからず
翌朝――。
アリアは大きく伸びをしながら、窓から差し込む朝日を眩しそうに見上げました。まだ少し眠気は残っていましたが、それ以上に、今日から始まる新しい一日が楽しみで仕方ありませんでした。
――今日は、グレイスとして王国建国記念日に出席するための、『貴族のレッスン』初日。
ノックの音が響き、扉が開かれます。
「おはようございます、アリア様」
穏やかな声とともに入ってきたのは、メイドのコトネ。その後ろには、控えめに佇む執事のパトラが続きます。
「おはよう〜! 今起きたとこ! すぐ準備するね!」
「はい、本日よりアリア様には、テーブルマナーと言葉遣い、立ち居振る舞いなど、貴族としての所作を学んでいただきます」
コトネは丁寧に一礼しながら説明し、アリアは思わず背筋をしゃんと伸ばしました。
「うまくできるかな〜?」
「大丈夫です。最初は誰でもつまずくものですから。時間はまだありますよ」
コトネがやさしく手を取り微笑むと、アリアも照れくさそうにうなずきました。
***
午前――。
最初のレッスンは、ティーテーブルでのマナー講座でした。
「紅茶は、音を立てずに静かに飲むこと。カップは片手で持ち、もう一方の手は受け皿に軽く添えてください」
コトネの落ち着いた声に従いながら、アリアは何度もカップを持ち直し、緊張しながら紅茶を口に運びました。
「こ、こうかな……? あっ、こぼれちゃった!」
慌ててナプキンでテーブルを拭くアリアに、コトネはすぐさま優しく声をかけました。
「大丈夫です、アリア様。こちらで拭きますね」
「えへへ、ありがとうコトネさん!」
***
午後――。
昼食の時間には、テーブルマナーの応用編――食事の際の所作とフォーク、ナイフの扱い方を学びます。
「ナイフは切るためのもの、フォークは刺すのではなく支えるように使います」
真剣な表情のアリアは、コトネのアドバイスを一つ一つ確認するように実践していきます。
コトネは食事の作法だけでなく、アリアの髪や背筋、笑顔の作り方にも細やかに気を配ります。
「姿勢を整えて、笑顔は少しだけ。控えめな“自然さ”が大切です」
「えへへ、不自然だったかな?」
「少し抑えた方がよろしいかもしれませんが……それがアリア様の自然なら、それもまた素敵ですよ。二学期が始まるまでに、きっと身につきます」
「うん、がんばるね!」
アリアの声には、ほんの少し自信が宿っていました。
ちなみに、ビーリスはコトネたちに「アリアさんのマナー成績は赤点で、留年しそうだから鍛えてあげて」と冗談めかして伝えていました。
もちろん、実際には冒険者育成学園にマナーの成績表も留年制度もありませんが。
***
夕方――。
一日の仕上げとして、広間では“社交ダンス”のレッスンが始まりました。シャンデリアが放つ柔らかな光が、床にきらびやかな模様を描いています。
「ではアリア様。社交ダンスの相手は、このパトラがお務めいたします。どうぞよろしくお願いいたします」
「よろしくお願いしまーす!」
アリアは元気よく手を差し出します。
「ダンスの基本は、“相手を信じて、身を委ねること”です。では、お手をどうぞ」
アリアはパトラの手を取りましたが――
「アリア様? 少し力を抜いていただけますか?」
「あ、ごめんなさーい! いつものクセで……!」
アリアが力を抜いた瞬間、二人の足取りはようやく軽やかに滑り始めました――が。
「うおぉぉっ!?」
『ドンッ!』という大きな音とともに、パトラがアリアに引っ張られ、壁に激突しました。
「わわっ、ごめんなさーい! また力入りすぎちゃった!」
乱れた服を整えながら立ち上がるパトラは、にこやかに言いました。
「あはは、すごい腕力ですね。でもご安心を。では、もう一度」
「はーい!」
数回の練習を経て、パトラの落ち着いたリードにより、アリアも次第にリズムを掴んでいきました。
「その調子です、アリア様。呼吸を合わせて……はい、音楽に身をゆだねて」
「……あっ、なんか踊れてるかも! 楽しいっ!」
「ええ、とてもお上手です。楽しんでいただけたなら何よりです」
その様子を壁際から見守っていたコトネは、静かに拍手を送りました。
アリアの足取りは、最初こそぎこちなかったものの、次第に滑らかに。背筋を伸ばし、手の位置を整える彼女の姿は、どこか誇らしげで――
「えへへっ、ダンスって楽しいね!」
そう言って笑った彼女の表情には、ほんの少し、大人びた雰囲気が宿っていました。
***
一日のレッスンを終えたアリアは、その足で街へと駆け出しました。
「ツバキちゃん、ごめんね! 遅れちゃった!」
「ア、アリアちゃん、こんにちは。そこまで待ってないよ。今日はどうしたの?」
「来てくれてありがとう! 実はお願いがあって来てもらったの。誰もいないときに、これを読んでくれないかな?」
そう言って、アリアは一通の手紙をツバキに手渡しました。
「こ、これは……ラ、ラブレター!?」
ツバキは目を輝かせ、両手で手紙を胸に抱きしめます。
「ラブレターって?」
「い、いえっ! なんでもないですぅっ!」
顔を真っ赤にしたツバキは、ぷいっと視線を逸らしました。
「用事はこれで終わり! ツバキちゃん、よかったら一緒にご飯食べない?」
「よ、喜んでっ!!」
こうして二人は、街の小さなレストランで初めてのディナーを共に楽しんだのでした。




