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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

傭兵ジョン・ランデルは、戦場に行った

作者: 鯵御膳

 その日。

 『狭間の街』ワールウィンドに一人の男が現れた。

 人と魔族、それぞれが支配する領域の境に人間が築いたソリオス大要塞からほど近い、いつ地図上から消えてもおかしくない街。

 人と魔族。生と死。そんな両極端の中間に位置するが故に『狭間の街』と呼ばれるそこには、様々な人が流れてくる。

 逃亡者。犯罪者。人と魔族の合いの子。大体はワケありだ。


 そして、その日やってきたその男は、明らかにワケありだった。

 ボサボサの黒髪にいかつい顔つき、その真ん中にはどんよりとした瞳。

 身にまとうのは、傷だらけでボロボロになった金属鎧。

 背中に背負った大剣も柄巻きはちぎれかけ、鞘にも穴が開いて刀身がちらちらと見えてしまっている。

 おまけに、その刀身は明らかに使い込んだもので。

 門をくぐろうとしたところで衛兵から呼び止められたのも、当然と言えば当然だったのだろう。


「お、おいおい、ちょっと待てお前!」

「……俺か?」


 内心でびくびくしながらも衛兵が思い切って声をかければ、意外なことに男はゆっくりと動きを止めた。

 振り返った彼の顔は……ぞっとするくらいに表情がない。

 思わず言葉を失った衛兵をしばし男は見つめて。


「……用事がないなら、通らせてもらうぞ……」


 数秒の沈黙の後、そう言いながら衛兵に背を向けた。

 その姿を、衛兵は一秒だけ黙ったまま見送ってしまいかけて。

 それから慌てて頭を振って気を取り直し、男へとズカズカ歩み寄る。


「ま、待て待て! 話はまだ終わっちゃいない!」


 焦って声を上ずらせながら男の肩に手をかけた。

 と、思った。

 だが次の瞬間、衛兵は地面に転がり空を見上げていた。


「き、貴様! 抵抗するか!」


 それを見ていた他の衛兵達が声を上げながら槍を構えて男を取り囲む。

 一触即発の空気の中……その中心にいる男は、ややぽかんとした顔をしていた。


「抵抗も、何も。背中からきたら、だめじゃないか。襲われたら、反撃する。当たり前だろ?」

「当たり前だろって、お前……」


 さも当然のように言われて、衛兵達は顔を見合わせてしまう。

 言っていること自体は、間違ってはいない。

 人と魔族が争いを繰り返しているこの時代、自衛のために神経を尖らせていること自体は正しいことだ。

 だから、彼が言っていること自体は間違っていない。状況を考慮しなければ、だが。


「いやいや、おかしいだろ!? お前が言うことを聞かないから!」

「何も言わなかったのは、そっちじゃないか」


 明らかに、男の言っていることはずれている。

 だが、さも当然のように言ってくるから調子が狂い、何故だか正論のようにも聞こえてしまって衛兵達は上手く言い返せない。

 

「終わりか? なら、行くぞ」

「だから待て、待てって! お前自分の格好見てみろ、怪しいなんてもんじゃないだろ!?」


 慌てた衛兵の言葉に、男は動きを止めた。

 それから、ゆっくりと視線を動かして、自分の身体を見下ろす。


「……怪しいか?」

「あ、当たり前だろが!?」

「こんなの、戦場じゃ当たり前の格好なんだが」

「は? 戦場?」


 言われて、衛兵が間抜けな声を漏らしてしまったのも、仕方ないといえば仕方ないのだろう。

 『狭間の街』ではあるが、しかし直接的な戦闘に巻き込まれたことは、ここのところはない。

 それもこれも、ソリオス大要塞という強固な拠点を中心に防衛していたからなのだが。

 だから、衛兵からしてみれば唐突な話で。

 男にとっては、当たり前の話で。


「……ああ、この街は、戦場になってないのか」


 むしろこの街こそが、男にとっては異常な場所だった。


「いや、ここもか。ここも、戦場じゃないのか。戦場は、どこだ。戦場に、行かないと」

「ま、待て待て!? 戦場なんてないぞ、もう、どこにもないんだ! もう、戦わなくていいんだ!」


 衛兵が混乱してしまうのも無理はない。

 先だって、人と魔族の間で停戦協定が結ばれた。

 それは、長く続いた戦いの終わりを意味して。

 だから、もう戦う必要はない。

 少なくとも今、戦場はどこにもない。

 そのはずだ。

 

 だから衛兵は、そう声をかけた。

 安心させるつもりで。

 直接的な戦闘に巻き込まれたことのない街で暮らしてきた彼からすれば、それは慰めの言葉だった。

 当たり前だ。平穏であることに安堵するのが、普通の人間だ。

 普通の場所で暮らしてきたのならば。


「なんでだよ!? なんで戦わなくていいなんて言うんだ! 戦わせてくれよ! 俺に戦場をくれよ!」


 だが、彼は違った。

 戦場で生きてきた彼は。

 そこにしか生きる意味がなかった彼は。

 戦場がないと聞いて、逆に激高し、錯乱した。





「だからな、俺は言ったんだ、頑張れ、しっかりしろって! だけどあいつは気絶して、何も言わなくなって!

 なんとか戻そうとしてもあいつのハラワタが戻らない、戻らなかったんだ!」


 錯乱した男は、それでも根気強く問いかける衛兵の問いに、己の名を口にはした。

 ジョン・ランデル。それが正しい名前かはわからない。

 今時珍しい、傭兵団に所属しないソロ傭兵だったからだ。

 

 人と魔族が互いの領域を争うこの時代、正規兵だけでは数が足りないため、傭兵の需要は極めて高い。

 だが、彼らは所詮数合わせであり、損耗の激しい戦場へと優先的に送られる。

 当然そんな場所で個人が生き延びられるわけもなく、しかしもちろん命は惜しいため、傭兵達も足掻いた。

 その結果、彼らは傭兵団を結成し、互いに身を寄せ合ってなんとかこの酷い戦場を生き延びている。

 

 そんな世情の中でジョンのようなフリーランスのソロ、傭兵団に所属しない個人傭兵は、極めて稀な存在だ。

 だから衛兵達は彼を詰め所に連れてきて根掘り葉掘り彼の話を聞いていたのだが……それがよくなかったらしい。

 彼の中にあった触れてはいけない場所に触れてしまったらしく、次から次へと出てくるジョンの身の上話。

 あまりの生々しさと凄惨さに、何人かの衛兵が顔色を悪くしながら厠へと駆け込んだ。

 

「あいつは死んだ、いや、みんな死んだ。逃げた奴もいた。だが、また戻ってきた。戻ってきて、死んだ。一度逃げた傭兵なんて、一番きついところに放り込まれるもんだから」

「……なんでだ? それがわかってたろうに、なんで戻ってきたんだ、そいつらは」


 お通夜のような空気の中、一人肝の据わった隊長が問えば、ジョンがゆっくりと視線を向けてくる。

 『何を言っているんだ?』とばかりにきょとんとした表情だった。

 だが、底の見えない闇を向けられたような気がして、隊長の背筋が震えた。


「生きていけなかったからだ。要塞の外に、仕事はなかった。知ってるか? 尻尾巻いて逃げてきた傭兵には、仕事も、飯も与えられないんだとさ」

「それは……聞いたことは、あるが」


 幸か不幸か、この街でそういった話を聞いたことはない。

 そもそもこの街は、逃げ出した傭兵団が駆け込んでくるには要塞から近すぎる。

 追手がすぐには来れないような離れた街へと逃げて、そこで冷たい現実に遭遇したのだろう。


「死んじまうかも知れないが、街よりはましだと思ったんだろうさ。要塞には仕事も金も、飯もあった。それどころか、殺れば殺るだけ英雄扱いさ。信じられるか? この俺が、いけすかねぇ騎士様達を差し置いてワイバーンに乗ってたんだぜ?」

「は? ワイバーンライダーだったのか!? まじで!?」


 反射的に、驚愕の声が上がる。

 ドラゴンの亜種であるワイバーンは強力かつ狂暴な魔獣で、騎乗用に調教された個体であっても扱うのは一苦労。

 しかし、一度その背中を許せば高い機動力と戦闘力を発揮するため、ワイバーンを従えられるような強さやカリスマ性を持つ人間に与えられるという。

 そんなワイバーンを、騎士でなく一介の傭兵であるジョンが与えられていたというのは、よほどのことだ。

 衛兵達のジョンを見る目が変わる中、ジョンだけは変わらず訥々と、それでいて今にも弾けそうな危うい声音でしゃべっている。


「空を飛ぶのは最高だった。そこから矢を射るだけでも化け物どもが倒れていくんだ。あいつらの爪も牙も届かないところで、俺だけが暴れてさ。だから、誰もいなくなった。飛べない奴は、地に足つけて奴らと殴り合うしかなかったから。だから、皆死んだ」


 はぁ、と重いため息が吐かれれば、再び重たい空気が戻ってくる。

 ソリオス大要塞では激しい戦いが繰り返され、正規兵の損耗も激しく傭兵団に至ってはほぼ全てが壊滅したと聞く。

 そんな中で、彼は一人生き残った。仲間たちが晒した屍の上空で。


「最後の決戦で総司令の伯爵様と向こうの総大将が相打ちになって、戦が終わった。そしたら、新しくやってきた小太りの伯爵が言ったんだ、お役御免だと。そりゃお貴族様からすりゃ、ワイバーンを与えられている傭兵なんざ目障りだろうさ。騎士様達だって俺のことが疎ましかったんだろう、皆して俺のことをこき下ろしやがって」

「そいつは……ひでぇな……」


 隊長は、それ以上のことが言えない。

 確かに酷い扱いだ。だが、貴族側の理屈をわかってしまいもする。

 ここまでの話が全て本当だとすれば、このジョンという男はあまりに異常な強さを持っている。

 そんな人間を、手元においておける器のある人間は、そうはいない。


「結局、ワイバーンも取り上げられて放り出されちまった。金だけは持たされたが、どうしろってんだ。戦場もなくなって、どこに行けってんだ!」


 そして、根本の問題に戻ってきた。

 この異常な経歴をもつ傭兵を、どう扱えばいいのか。

 一介の衛兵隊長には荷が重すぎる話だったのだが。


「なら、この街で働けばいい。衛兵でよければ常に人手不足なんだ、歓迎するぞ?」


 隊長以上の裁量権を持つ人間が、ひょいと顔を出した。


「サ、サミュエル様!?」


 ジョン以外の人間が慌てて立ち上がり、顔を出した二十前後の優男へと敬礼をする。

 明るい茶色の髪に穏やかな顔立ち、知性を湛えた瞳。

 身にまとっている衣服は上等で、胸についている勲章は確か子爵のもの。

 それを目にしたジョンが、ゆっくりと座っていた椅子から立ち上がる。


「もしや、この街の領主様で?」

「へぇ。なるほど、ワイバーンに乗っていたというのは伊達じゃないらしい。貴族階級とも会う機会がそれなりにあったみたいだね」


 明確ではないものの、遠回しに肯定をされたのを受けてジョンは頭を下げた。

 単純に、貴族を前にしての礼儀ということもある。

 だが同時に、今の短いやり取りで、何故子爵だとジョンが見抜けたかの理由まで当ててきた貴族に対して敬意を表した側面もあった。

 そして、もう一つ。

 彼には頭を下げてもいい、と思わせる何かがあった。


「それにしても、さっきまで感情的になっていたのに、状況が変化したと思えば一瞬で切り替えて冷静に観察するものだね」

「……お恥ずかしいところをお見せしまして、申し訳なく」


 下げた頭を戻すこともせず、ジョンが答える。

 しかし、サミュエルは欠片も気を悪くしていないようだ。


「いや、歴戦の傭兵とはこういうものかと感服したよ。どうだろう、君が衛兵として入ってくれれば、皆にもいい刺激になると思うんだが」

「はぁ……いえ、大変ありがたいお言葉ではあるのですが……」


 再度サミュエルから勧誘されれば、ジョンは困惑して曖昧な言葉しか返せない。

 あまりに巡り合わせの悪い人生を送ってきた彼からすれば、こんなうまい話には裏があると思えて仕方がないところだろう。

 それなのに、彼は即断ることが出来なかった。

 一つには、サミュエルの持つ雰囲気もあったのだろう。

 だがそれ以上に。


「俺も年貢の納め時か。許していただけるなら、ここに腰を下ろしてもいいのかと思ってしまいました」


 大きく息を吐き出したジョンの肩から、力が抜ける。

 疲れた。疲れていた。

 彼は今、初めて、己が疲れ切っていたことに気が付いた。

 魔物の牙を前に命を削られ、眠れぬ夜に心を削られ。

 そんな日々を生き抜いてきたこと自体は驚異的なことだが、そんな彼でも、いや、だからこそ、彼は疲れ果てていたのだ。

 自分自身でも、気づけぬほどに。


「……そうかい。なら、早速。隊長、後は頼むよ」

「は、はい!? わ、わかりまし、た……?」


 いきなり話を振られて、頭が飲み込み切れていないというのに隊長は反射的に返事をして。

 その途中で理解が追い付き、懐疑的な声になる。

 本当にいいのか。

 相手は色々な意味でわけありの人物、懐に入れていいものか迷ってしまうのだが。


「手間をかけさせて悪いが、世話になる」

「あ、ああ……」


 結論が出る前に、ジョンに頭を下げられた。

 こうなってしまって、無下に出来るほど隊長も冷たい人間ではない。


「はぁ……とりあえず身体検査と、制服のための採寸をさせてもらうから、こっちに来い」


 ため息を吐きながら、ジョンを招き寄せる。

 これが、自由傭兵ジョン・ランデルの再出発だった。




「なるほど、ここではこういう法律が。流石に、ソリオス大要塞の法よりは厳しいか」


 制服が出来るまでの間、衛兵として街の法律や不文律などを学んでいたジョンは、そんな感想を漏らした。

 本来、一応は最前線ではないワールウィンドの街よりも、ソリオス大要塞の方が、保たれるべき規律の水準は高い。

 だが、一歩間違えればすぐに死んでしまうソリオス大要塞では、規律を破るなど致命的行為。

 敵に殺られるというのはもちろんのこと、やりすぎれば味方からひっそりと黙らせられることすらある。

 バカがやらかせば、その被害は本人だけでなく周囲にも及ぶのだから。

 だから、毎日のように人命が失われていくソリオス大要塞において、規律だけは保たれていた。

 それに比べれば、若干きな臭い場所ではあるものの、普通の街であるワールウィンドの住民は危機感も薄く、きちんと縛らねば悪さをする人間も出てしまう。

 

「ま、人間ってのはそんなもんだ。特に、魔族との停戦協定が結ばれてからさらに気が緩んだのか、後ろ暗い連中が動きやすくなったのか、サミュエル様が言った通りに人手が足りない状況でなぁ」

「そうか。……凶悪犯罪でなければ、犯罪者に致命傷を与えることは推奨されてないんだな」

「サミュエル様のご意向さ。そこがいいとこでもあり、付け入る隙になってるとこでもあるんだが……」


 ジョンの教育をしていた隊長が、またため息を吐く。

 彼からすれば、サミュエルは尊敬すべき領主ではある。

 能力もあるし、カリスマ性などは文句のつけようもない。

 だが、いかせんまだまだ若い。

 高い理想と現実のバランスを、まだまだ取り切れていない。

 それでも、彼の目指す方向は隊長や衛兵達としても文句のないものだから、彼らは従っている。


「ま、人間なんて完璧なもんじゃないし、回せる手も限られてるってもんだ。俺達が助けられるところは助ければいいだけの話だしな」

「そうか。……そうだな、組織ってのは、本来そういうもんだよな」


 納得したような、感心したようなジョンの声。

 フリーランスでソロだった彼からすれば、組織というものにまともに所属したことがあまりなかったのかも知れない。

 それでも、他所の傭兵団に所属していた傭兵の死に心を痛める感受性もあるわけで。

 きっと、生きづらいままに何とか生きてきたのだろう、なんてことを思ってしまった。


「だから、サミュエル様はまっとうな組織を作ろうとしてるわけだ。お前もその一員なんだからな?」

「……ああ。わかった、善処する」


 隊長の言葉に、ジョンが頷く。

 ……何故だか、隊長はほっとした。

 ちゃんと、言葉が届いた。

 そんな実感があったから。

 この、いまいち感情の起伏が読めないジョンという男にも、我らが領主様のご威光は届くらしい。

 そんなことが、誇らしかった。




「……美味い」


 初日の仕事を終えて、ジョンは隊長に連れられて、街の酒場に繰り出していた。

 いや、引きずられてきたという方が正確かも知れないが。

 それはともかく、彼は酒場に来て、酒を飲んだ。

 一口目を飲んだ感想が、これだった。


「美味いだろ? このために生きてるってのはよく言ったもんだ」


 得意げに言いながら、隊長がジョッキを煽る。

 既に出来上がっているのか。いや、元々この酒場に来る前から彼のテンションは高かった。

 何故にそうもご機嫌なのか。聞いても、はぐらかされてばかりだったので、ジョンは問うのをやめた。


「このために生きてるってのはよくわからんが……だが、うん。美味いのは、美味い」


 否定することでもないので、ジョンはあっさりと頷き。


「……暖かい飯は久しぶりだ。長いこと、大要塞じゃ冷や飯食いだったから」


 うっかり、余計な一言が零れてしまった。

 そのことをジョンが自覚する前に。


「は? なんだと?」


 隊長が、その言葉を拾っていた。

 そして。さっきまでのご機嫌な顔はどこへやら、眉間にしわを寄せながらジョンへと詰め寄ってくる。


「いや、よくあることだろ? 平民の、傭兵なんだ。冷や飯回されるのは普通じゃないか?」

「よくあることだけどなぁ! けど、騎士様だとかは暖かい飯食ってたんだろ? いや、他の傭兵で食ってるのもいたんじゃないか!?」

「……まあ。いたのは、いたが」


 さらっとかわせるほど、ジョンは器用な男ではない。

 一口に傭兵と言っても、その扱いには高低差がある。

 大傭兵団の、特に団長ともなれば騎士と同等の扱いを受けていたりするし。

 逆に、弱小であれば木っ端と侮られる。

 まして、ジョンはソロだった。

 ただのソロではなかったが。


「扱いがおかしいだろ、どう考えても! お前は、ワイバーンライダーだったんだろ!?」

「それは、そうなんだが」


 更なる詰問に、ジョンは言葉短く答える。

 傍で聞いていれば荒唐無稽な話だが、問い詰めている隊長は理解していた。

 ジョンは、本当に名誉あるワイバーンライダーだったのだろう、と。


 初日の勤務で、ジョンは並々ならぬ腕前をあちこちで見せていた。

 犯罪者と対峙した際に見せた格闘術の冴え、もある。

 だがジョンの真骨頂は、その感覚。

 普通の人間ならば見過ごしそうな犯罪や、そもそも見えていない場所の犯罪すら、ジョンは感知して犯人を取り押さえていた。

 どう考えてもそれは、唯人のそれではなく。

 だからこそ隊長は、労うため、あるいは彼を逃がさないために、こうして初日から奢るという手に出たのだ。


「だったら、もっと要求してよかったんだよ! ……いや、もうそれもいいや! おかみ、良い酒と飯をくれ!」

「あいよ~」


 なんだか一人で納得したらしい隊長が大声で注文すれば、おかみも慣れた調子で応じる。

 

「隊長、もう出来上がってるのか?」


 思わず、といった顔でジョンが尋ねるのだが。


「んなわけないだろ、これからだこれから! 夜もこれからだしな!」

「いや、明日も仕事があるんだから……」


 気炎を上げる隊長に、ジョンが物申す。

 常識で考えれば、正しいのはジョンだ。

 だが。


「な~に言ってんだ、隊長権限で明日休みにしてやってもいいんだぞ!」

「さすがにまずいだろ、それは……」


 この街で、衛兵隊長の権限は、割と強い。

 少なくとも、ジョンを休みにする程度のことは造作もないことだ。

 ジョンもそのことはなんとなくわかっていたので、たしなめようとするのだが。


「何がまずいもんか、一日くらいならいいって! あ、おかみ、こいつにお代わり頼む!」

「あいよ~。……モニカ、相手してやんな!」

「は~い」


 おかみの声に、一人の女が応じた。

 年のころは二十過ぎ、三十前だろうか。

 豊かに波打つ明るい茶色の髪と、愛嬌のある表情。野暮ったい服を着ているが、その上からでも肉付きの良い体が放つ色香が滲んできている。

 モニカに近寄られたジョンが、思わず驚き、ゴクリと喉を鳴らすほどに。


「見ない顔だねぇ。隊長、新人さん?」

「おうともさ、それも期待の新人ってやつよ!」


 きょとんとした、モニカの表情。

 そんな些細な表情の動きすら、ジョンには刺激が強かった。

 彼女が近くに来た張本人である隊長は、まるで平気な顔だというのに。


「あはっ、期待の新人だってさ! ね、お名前聞いてもいい?」

「お、おう……ジョンってんだが……」

「ジョン、ね。ふふ、普通の名前」


 笑いながら言うモニカの言葉に、ジョンの心は少しばかり緩む。

 異常な存在として腫れ物に触るような態度ばかり取られてきたジョンにとって、こんな態度は新鮮だった。

 だから。


「でも、ちょっと不思議な感じもするわね? ……ね、もう少しあなたのこと、教えて?」

「あ、ああ、それは構わない、が……」


 するりと距離を詰められて、ジョンはそのことを意識できなかった。

 意識出来ないということは、警戒も出来ないということで。


「あはっ、よかったぁ。じゃあ、ねぇ……」


 そして彼女は、距離を詰めることに長けていた。

 だから、ジョンが様々なことを話してしまったのも仕方がない。


 ところで。

 こういった酒場の酌婦は、いくつか意味がある。

 ただの接客業、フロアスタッフであることも多い。

 しかし、そうでない酌婦もいる。


「ね。……もうちょっと、お話、しない?」


 いつの間にやら、蠱惑的な微笑みを浮かべていたモニカに誘われて。

 抵抗できるような根性は、ジョンに残っていなかった。

 

 結果として、ジョンは隊長の言う通り、翌日休む羽目になってしまった。





「やはり、本物だったんだねぇ」


 領主の館の、執務室。

 一人の騎士が持ってきた資料を片手に、サミュエルが納得したようにつぶやく。

 彼が手にしているのは、ソリオス大要塞にジョンのことを問い合わせた返信などである。


「はい、まさか本当に平民出身でワイバーンライダーにまで上り詰めていたとは……」

「前総司令官殿は、身分の分け隔てなく取り立てる人だったそうだよ。……その分、区別なく地獄に送り込む人でもあったようだけれど」


 ソリオス大要塞の人的被害は、文字通り桁違い。

 それもこれも、魔族からの侵攻を一手に引き受け、守り切ってきたから、ではあるのだが。

 結果、ソリオス大要塞では平民兵士も傭兵も、騎士も分け隔てなく多くが帰らぬ人となっている。

 

「結果、ご本人も戦死しているのですから、徹頭徹尾公平な人ではあったのでしょう」

「それもそうだね。だからこそ、そんな環境でも下がついてきたんだろうけど」


 数か月前の戦闘で魔族の総大将を引っ張り出した前総司令官の伯爵は、ここだとばかりにわずかな手勢を率いて吶喊、見事総大将を討ち取った。

 その直後に、力尽きて倒れたところで逆上した魔族に刺されたと聞くが、真相は定かではない。

 確かなことは、二人とも戦死したこと。その結果、停戦協定が結ばれたこと。

 もう一つ挙げるならば、伯爵が自ら最も危険な場所に飛び込んだということ、だろうか。


「そんな人なら、ジョンのことを気に入ってたのも不思議じゃない、か」


 書かれているのは、異常としか言いようのないジョンの戦績。

 斬り伏せたゴブリンやオークは数知れず。オーガやサイクロプスなどの巨大な魔物まで倒してしまっている。

 恐らく、個人で、だ。彼は、傭兵団に所属していないのだから。


「イレギュラー。そんな呼ばれ方をされていた時もあったようです」

「そのまんまだが、まさに、だな。……おいおい、黒いワイバーンまで手なずけてたのか」

「みたいですね。もう、驚きすぎてすっかり感覚がマヒしてきましたが」


 驚くサミュエルに、騎士は若干硬直した表情で答える。

 ワイバーンは通常緑色の鱗を纏っていることが多く、少し強い個体で赤が時折いるくらい。

 だが極稀に黒い鱗を持ったワイバーンが生まれることがあり、高い知性と身体能力に狂暴な性格を併せ持つため、人間を背中に乗せることなどありえないとすら言っていい。

 だが、ジョンはそのワイバーンを手なずけて、黒いワイバーンに乗っていたのだという。


「道理で、普通の男とは違うわけですねぇ」


 そこに割って入ったのは、女性の声。

 執務室の隅に控えていた彼女は、妖艶な色香を纏っていた。


「君がそんなことを言うのは珍しいね、モニカ」


 どこか楽し気な顔でサミュエルが言う。

 そこに控えていたのは、あの時ジョンに酒を注いだ酌婦、モニカだった。


「珍しい男に会ったんだから、珍しいことを言ってもおかしくはないでしょう?」

「なるほど、道理と言えば道理だけど。そんなに珍しかったのかい?」


 サミュエルが問えば、モニカはこくりと頷いて返す。


「ええ、それはもう。……一体どれだけの地獄を見てきたんだってくらい修羅場慣れしてるのは間違いないでしょう」

「……そういえば、凶悪犯罪者を一睨みで身動き取れないくらいに竦ませた、って話を聞きましたな」

「鍛えられ方が違いますよねぇ。身体も心も、何かあればすぐに反応して事を終わらせてしまう。そんな類の鍛えられ方ですよ」

「それはまた、物騒ではあるけれど。衛兵としては頼りになる存在ではあるか」

「能力が過剰すぎますけどね」


 男が最も無防備になる瞬間の情報を握ってきた、ある意味諜報のプロとも言えるモニカがここまで言う。

 ジョンが資料通りに常人離れした能力を持つ傭兵であることは間違いないのだろう。

 サミュエルが感心したように頷いていると、モニカが小さく笑った。


「そんなとんでもない強さの傭兵なのに、可愛いところもあるんですよ。夜は随分と初心なものでしたし」

「へえ。君からすれば男なんてみんな可愛いものだろうけれど。こんな場所でそこに触れるとは、それこそ珍しいね」

「あら、これは失礼。お聞き苦しいお話をしてしまいました」

「構わないよ。君が入れ込みそうな相手だと知れたわけだしね」

「ふふ、さあ、それはどうでしょう」


 からかうようなサミュエルの言葉を、モニカは軽く笑って受け流した。




 こうして知らぬ間に裏を取られたジョンだったが、それ故か、その日常は平穏に過ぎていった。


「……逃走した犯人を確保」


 平穏というには、やや物騒な日々ではあったが。

 気負うことなく過ごしていくことが出来ている、という意味では平穏なのだろう。彼にとっては。

 例えそれが、彼よりも背が高く肉付きもいい凶悪な犯罪者を単独で拘束する、なんて荒事だったとしても。


「いや、確保ってお前、こんなデカい奴をそんなあっさりと、まぁ」

「……むしろデカいだけの奴は、楽だ。それだけで世の中を渡れるから、気が緩んでやがるんだ」

「なるほど。……全然参考にならん」


 同僚の衛兵が、縛られて倒れている男を見下ろす。

 筋骨隆々という言葉を体現したかのような男の腕っぷしを見れば、それだけで足がすくみそうなほど。

 この腕を振り回されるだけで、並みの人間であれば吹き飛ばされそうなものだ。

 だというのに、隣に立つジョンは、そんな男を一瞬で拘束し、地面に引き倒してしまった。

 その腕前は、やはり普通ではないと言わざるを得ない。


「……まあ、呼吸だとかタイミングだとかは教えるのが難しいしな」

「多分そういうことじゃないっていうか、それだけじゃないと思うんだよなぁ」


 確かに、ジョンが男の懐に飛び込んだタイミングは、男の動き出しに合わせた見事なものだった。

 ただ、その踏み込む速度が尋常ではなかったし、そこから先の動きは、衛兵としてそれなりのキャリアを持つ同僚の目にも留まらなかった。

 多分こうしたのだろう、というのがかろうじてわかる程度である。


「まあいいや、そろそろ上がりの時間だし、こいつをしょっ引きがてら報告に行こうや」

「もうそんな刻限か。……そうか」


 応じながら、ジョンは目を細める。

 あの地獄のような日々は、何かを考える余裕など欠片もなく、いつの間にか一日が終わり、気を失うようにして寝台に倒れこむばかりだった。

 それに比べて今は平穏そのもので、もっと暇なものかと思っていたが、存外一日一日が足早に過ぎていく。

 何があるというわけでもないのに、日々が刻まれていく。

 そんなことにふと気が付いて、笑ってしまう。


「お? どした、今日はなんかいいことでもあんのか?」

「いや別に。何もない」


 不思議そうに聞かれ、ジョンは言葉少なに返す。

 実際、特に何がどうというわけでもないのだ。

 ただそれが、彼にとっては特別というだけで。


「何もないのが、いいことなのかも知れん」

「ふぅん、そんなもんかねぇ」


 いまいち腑に落ちていない同僚に肩をすくめて見せ、ジョンは犯罪者の男を引っ立て、衛兵の詰め所へと戻っていった。

 そして、いつもの台詞を言う。


「隊長、本日も異常なしでありました」

「……お、おう。お前にとっちゃ異常なしなんだろうなぁ」


 引き気味に隊長が答えるまでがワンセット。

 昼番の日であれば、こうしてジョンの勤務は終わる。




 そして、仕事が終われば飯と酒だ。


「いつものを」

「あいよ~。……ま~たいつものかい、たまには違うのを頼みなよ」


 一人で酒場に繰り出してきたジョンが近くにいたモニカを呼び止める。

 いつもの、と言ってしまうくらいに、すっかりジョンはこの酒場の常連になっていた。


「別にいいじゃないか、これが一番気に入ったんだから」


 そう言いながら、ジョンは運ばれてきた料理に手を付ける。

 豚の内臓肉の煮込み。この辺りではありふれた料理で、安くてエールに合うし、すぐに出てくるとあって看板料理の一つにもなっている。

 だから、ジョンが気に入るのも無理はないし、頼むのも自然といえば自然だ。

 それが毎日毎日続いているのでなければ、だが。


「いいんだけどねぇ、他にも美味いものがあるってのに。酒場としちゃちょっと複雑にもなるんだよ」

「他の料理は他の奴が頼んでるんだから、それでいいだろうに」

「ま、それはそうなんだけどさ」


 愛想のないジョンの返答に、モニカも軽く笑って返す。

 彼女とて、無理に押し売りするつもりもないようだ。

 それから、ふと何かを思い出したような顔になる。


「そういや、毎度毎度あたしに声かけるのもどうなのさ。あんた金払いもいいもんだから、他の子からやっかまれてんだけど」


 前にも述べたが、酌婦は夜まで客に付き合うことがそれなりにある。

 当然そちらは別料金で、むしろ酌婦からすればそちらの稼ぎの方がメインだったりするくらいだ。

 だから、ジョンのように金払いがよく、愛想はないが面倒もない客は酌婦からすれば良い客なわけだが。


「……別にいいじゃないか」


 その客であるジョンは、素っ気なく言いながらエールの入ったジョッキを傾けた。

 ……それから、二人の間に数秒ほど沈黙が落ちる。


「……ふぅん?」

「なんだ?」

「や、一番気に入ったとか言わないのかな~って」

「……言うわけないだろ」


 そう言いながら、ジョンはまたジョッキを煽る。

 ……若干、勢いがついているような気がしなくもない。


「でも、否定はしないんだ?」


 ぽつりとモニカが言えば、ジョンがむせる。

 ゲホゴホとしばらく咳き込む音がした後。


「……知らん」


 ジョンはそう言い返すのが精いっぱいだった。


「あっはは、かっわいいねぇ!」

「何言ってんだ、お前、目は大丈夫か?」


 笑いながらジョンに絡んでくるモニカを邪険に扱うジョン。

 だが。

 歴戦の傭兵で、女の細腕なぞ簡単に振り払えてしまうはずの彼は、結局モニカの手を払うことをしなかった。





 何事もなく。

 少なくともジョンの主観では何事もなく、日々は過ぎていった。

 ボロボロだった鎧や大剣の修理が終わるころには彼自身の心も少しは癒えたか、たまに笑みが漏れることもあり。

 少しずつ、こんな日々が彼の当たり前になっていったのだが。


「……は? ソリオス大要塞が陥落した、だと……?」


 サミュエルの執務室に、急報が届いた。

 こんな時でも大声を上げなかったのを流石というべきなのか、彼ですら絶句するような事態だと言うべきか。

 

 ほんの数か月前に停戦協定が結ばれ、魔族の軍は撤退していた。

 それで油断せず、新しい総司令が就任し、騎士や兵士も補充、再編成され、と備えもしていたはずである。

 そのソリオス大要塞が、陥落した。

 交戦状態に入ったという情報が届く前に。


「一日や二日程度で落ちた、というのか……?」

「そ、その通り、でございます……わずか一日、あっという間のことで……早馬を数騎出すのが精いっぱいの有様でございました……」

「そう、か……いや、よくここまでたどり着いてくれた。心から感謝する」

「りょ、領主殿……」


 情報を伝え終えた騎士は、ねぎらいの言葉を聞いてその場に崩れ落ちた。

 そんな彼を労わりながら、執務室にいた騎士達が二人がかりで彼を休ませるために連れ出していく。

 その後姿をサミュエルは見送ることしかできない。

 言葉が、出ない。


「……そんなことが、ありえるのか?」


 やっと絞り出せたのも、そんな空虚な問いで。

 陥落したのだから、ありえたのだが。とても、信じられない。


「いや、今はどうやってだとか考える段階ではないな。魔族襲来の狼煙を上げさせろ、それからすぐに早馬を王都へ。この知らせを必ず届けるんだ!」

「はっ!」


 サミュエルが指示を出せば、騎士が数人すぐさま出ていく。

 そしてサミュエルは、自身の言葉に背筋を震わせた。


「……つまりソリオス大要塞は、狼煙を上げる暇もなく落とされた、ということか」

「あるいは狼煙台をまず奇襲したのかも知れませんな」

「ありえるな。こんなにあっさりと落とすなど、大要塞の構造を熟知していなければ出来ないことだ」


 はぁ、とサミュエルは大きなため息を吐く。

 人間と魔族の戦争が長く続いていたため、いざという時のための通信手段はそれなりに用意されていた。

 その一つが狼煙台で、ソリオス大要塞からこのワールウィンドの街、更には主要地方都市、王都へと続く街道沿いに等間隔で設置されている。

 伝達できる情報量こそ極めて少ないものの、上がった狼煙を見て次の狼煙台が同じ狼煙を上げ、とリレー形式で伝達するため、その通信速度は早馬よりも遥かに速い。

 だからこれで、襲撃があったことは王都にまで今日明日には伝わるはずだ。


「停戦中で定時狼煙が上がっていなかったのを狙ったのもあるか」


 サミュエルの呟きに、騎士達は肯定の意を示す。

 戦時中は、大要塞が健在であることを知らせるために、定期的に『異常なし』の狼煙が上がっていた。

 現在はそれがなくなっていたため、『異常なし』の狼煙がなくとも誰も不審に思わなかったわけだ。

 もしも早馬がここにたどり着くことが出来なければ、サミュエル達は敵が眼前に迫ってから気づく羽目になっていたことだろう。

 いや、下手をすれば、大要塞の二の舞になっていた恐れすらある。


「知らせをもたらしてくれた彼は、我が街にとって恩人だな。……恐らくすぐに敵がくる。急ぎ防衛の準備を」

「はっ!」


 指示を出せば、残っていた騎士達が慌ただしく動き出した。


 ソリオス大要塞は山岳地帯を利用して作られており、長らく魔族の侵攻を抑えていただけあって、外部からの攻撃に関しては極めて堅固である。

 その反面、内側、人間達の領域からはアクセスが比較的容易であり、人間側が奪い返しに来た場合、ソリオス大要塞に立てこもるのはあまり意味がない。

 そして、恐らく魔族を率いている将はそのことを理解しているはず。

 ここまでの動きは、それが出来る知恵者であることを示しているのだから。

 

 であれば、魔族を率いる将はどうするか。

 この、ソリオス大要塞が抜かれた時に備えて城塞都市としての機能を備えているワールウィンドの街を落として、拠点にすることを考えるに違いない。

 であれば、すぐに来る。

 少なくとも、王都からの援軍が到着する前にワールウィンドの街を落とせるくらいの速さで。

 

「これは、時間との勝負。向こうにとっても、こちらにとっても」


 サミュエルは、そう自分に言い聞かせる。

 ワールウィンドの街がすぐに準備できる兵数はおよそ三千。

 ソリオス大要塞を陥落させるような軍勢を相手になどとても出来ない数だろう。

 だが、王都からの援軍が来れば話は別、この街は数万の大軍を受け入れることも可能で、ここを足掛かりにすればソリオス大要塞を奪い返すことも十分可能。

 逆にいえば、この街を奪われて魔族の拠点にされてしまった場合、人間側は随分な苦戦を強いられることになる。

 そして、魔族の将は当然それを狙ってくるだろう。


「……抜かせるわけにはいかんな」


 この街の領主としても。人間側貴族の一員としても。

 サミュエルは、ぎゅっと目をつぶり、しばし祈るかのように沈黙して。

 そこに、声がかかる。


「ジョン・ランデルはどうしますか?」


 問いに、しかしすぐには答えが返ってこない。

 ジョン・ランデル。

 ソリオス大要塞で長く戦い、間違いなくこの街にいる誰よりも魔族や魔物との戦闘経験が豊富な男。

 そして、無類の強さを発揮してきた男。

 だから。


「……彼は、衛兵だ。前はともかく、今は、この街の、衛兵だ。

 だから、普通に衛兵として。街の治安維持を主任務とさせる」


 誰よりも血を浴び、誰よりも傷ついてきた男だから。

 サミュエルは、ジョンを戦場から遠ざけたかった。


「馬鹿な判断と笑うかね?」

「結果が伴わなければ」


 返ってきた言葉は、少しだけ笑っている響きがあった。


「なら、なおのこと負けるわけにはいかないな」


 それから、ゆっくりと目を開けた。

 そこに、迷いの色はなかった。




 魔族襲来の報は、王都に届いたらしく、狼煙で返信が返ってきた。

 だが、その到着には時間がかかる。

 そして、当然といえば当然だが、魔族は到着を待ってはくれなかった。


「……来た、か」


 サミュエルは、ワールウィンドの街を囲う外壁の上に立ちながら、そう呟いた。

 視線の先にあるのは、東門へと向かって整然と行進してくる魔族の軍勢。

 ゴブリンとオークを中心とし、その数はおおよそ三千あまり。

 数の上ではほぼ五分、外壁がある分こちらが有利。

 しかし、魔族の軍勢は、人間のそれと比べて三倍の力を持つというのが定説だ。

 であれば、状況は決して楽観視できるものではないだろう。


「……あれは、ワイバーンか。それに、オーガが二体……あれらに城壁を越えられては、事だな」

「おっしゃる通りです。幸いにも、あれらを正面からぶつけてくるつもりの様子。火力を集中すれば、あるいは」

「あるいは、か。いや、そうだな。いきなりだが、ここが正念場、か」


 隣に立つ騎士の言葉に、サミュエルは頷く。

 オーガは、単体でも十人以上の兵士を薙ぎ払う程の力を持つ。

 城門に取りつかれでもすれば程なく破られてしまう、攻城兵器として運用されることもある魔物。


 そしてワイバーンは、飛竜とも呼ばれるだけあり、空高く飛ぶことが出来る。

 外壁を無視して街区に入られれば、内側から崩されるのは火を見るよりも明らかだ。


「弓兵をかきあつめ、対空射撃用意! ワイバーンを絶対に通すな! 城門上に油と石を集めろ、オーガに火力を集中!」


 サミュエルの指示が飛ぶ。

 それは、的確だと言っていい。

 この状況で複雑な指示は命取り、末端の兵士達がとても実行出来はしない。

 倒すべき最優先目標を絞る。

 そうすれば、後は何とかなるはず。

 絶望的ではない彼我の戦力が、サミュエルにそう考えさせた。

 それが。それこそが、魔族側の狙いだった。


「ご、ご報告いたします! 西門より魔物の軍勢が急襲!」

「なんだと!?」


 西側から大回りして外壁の上を駆けてきたのだろう兵士の報告に、サミュエルは愕然とした。

 東門に寄せてきた魔物の軍勢だけでも防ぐのに手いっぱい。

 この上で、反対側からの攻撃に回す余力などありはしないのだから。


「じょ、状況は! 敵の数は!」

「て、敵の数、おおよそ二千! また、オーガが四体確認されています!」

「お、オーガが、四体、だと……?」


 こちらに配備されたオーガの、二倍。

 その報告に、サミュエルは完全に裏をかかれたと理解した。

 攻城兵器とも言えるオーガが、こちらの二倍。

 敵の本当の狙いは、西門だった。

 本体と言ってもいいだけの数を東に持ってきて、そちらに注意を引き付けたうえでの西門急襲。

 総数こそ東より少ないものの、オーガの数が、絶対に門を突破するという意思を見せている。

 そして、それはその通りになるのだろう。

 とてもではないが、それだけの数を、そしてオーガ四体を防げるだけの数を、今から西に回す時間はない。

 サミュエルが絶望に染まりそうになったところに、更なる報告が続いた。


「そ、それらを敵に回して……ジョン・ランデルが単騎で突撃、食い止めております!」

「……は?」


 まったく予期しなかった言葉に、サミュエルは間抜けな声を漏らし。

 しばし、思考が止まった。


 その思考を叩き切るように、一陣の風が巻き起こる。


「なんだ!?」

「ワ、ワイバーン!?」

「う、撃て、撃て!」


 兵士達の声が、どこか遠くに聞こえる。

 あまりに高く飛ぶその姿は、とても捉えようがないもので。


「撃ち方やめ!! あれは、敵じゃない!」


 その姿を見て、サミュエルは考えるより先に、命令を下していた。


「サ、サミュエル様?」

「あれは……まさか……」


 街を攻撃するようならば、迎撃すべきだったのだろう。

 だが、そのワイバーンは。

 黒い翼を持つワイバーンは。

 ありとあらゆる枷から解き放たれたかの如く、遥か空高くを飛んでいた。


「黒い、ワイバーン……ジョンが騎乗していた、という……?」


 サミュエルの呟きを肯定するかの如く、ワイバーンは飛ぶ。

 ジョンが孤軍奮闘しているという、西門へと向かって。

 彼は、彼らは、それを見送ることしかできなかった。


 その西門は。

 血の嵐が巻き起こっていた。





 あの時。魔族が侵攻してきた、その時。

 ジョン・ランデルは、外壁でその様を見ていた。

 そして、一秒か、二秒か。

 その軍勢を見た瞬間、金切り声にも似た叫びを上げながら、外壁を下って行った。


「お、おい、ジョン!?」

「……無理もない、あいつ、ソリオス大要塞で大分しんどい目にあってたみたいだから……」


 本来ならば殴ってでも止めるべき職場放棄だが、誰もジョンを止めることが出来なかった。

 心情的なものも、そうだったが。物理的にも不可能だった。

 同じ人間とは思えぬほどのスピードで外壁を降りて行ったジョンは、そのまま駆け出していく。

 追いつけるような兵士は、いなかった。

 追いつこうとも、思わなかった。

 彼らの多くは、ジョンの境遇を知っていたから。

 だから見送って。せめて自分達だけでも、と悲壮な決意を固めた。


 そんな同僚達に恵まれたから。

 こんな彼でも、この街は受け入れてくれたから。


 ジョンは、走っていた。


 あっという間に借りていた部屋へと戻ってくれば、すぐさま物入をひっくり返す。

 出てきたのは、修復が終わったばかりの鎧と大剣。

 それを見れば、得意げな顔をした老鍛冶師を思い出す。

 得体のしれぬジョンの依頼を、不愛想な顔で受けてくれたその職人は、見事な仕事をしてくれた。


 鎧を身にまとえば、新品のような軽さと使い込んだ道具らしいこなれた感覚が同時にやってくる。

 大剣の柄を手にすれば、吸い付くかのようで。

 それを背負えば、当たり前のような顔でそこに収まった。

 

 そう、この装いが。

 この装いこそが。

 彼の、ジョンの当たり前なのだ。


「最高の仕事だぜ、じいさん」



 そう呟いたジョンは、また駆け出す。

 いや、駆け出そうとした。


「……モニカ?」


 外に出た瞬間、待ち受けていたのは、モニカだった。

 

「嫌な予感がしたから来てみれば、やっぱりだよ。なにさ、その格好」


 睨むような、不躾な視線がジョンの全身へと向けられる。

 言うまでもなく、その姿は衛兵のそれからかけはなれていた。

 

 そして。

 馴染みかけていた衛兵のそれよりも、馴染んでいた。

 馴染んでしまっていた。

 修理から返ってきたばかりの鎧と大剣だというのに。


「言わなくても、わかってるだろ?」

「だから、あんたの口から聞きたいってのさ」


 静かな声。しかし、はっきりとわかる、滲む怒り。

 ……そして、僅かな、諦め。


「恐らく、西からも来る。そっちに回せる余力はない。なら、俺が行くしかない」

「そうかもだけどさ! なんで、あんた一人なのさ! 少しくらい回したってさ!」

「あっちはあっちで、あの人数で、手いっぱいだ。俺には、わかる」

「そんなの、そんなの!」


 わからないじゃないか。

 そう言いたかったけれども、言えなかった。

 誰よりも魔物や魔族との闘いを生き抜いてきたジョンの見立てに、異議を唱えることなど、誰も出来ないだろう。

 まして、モニカはこの街で誰よりもジョンという男を知っているのだから、なおさらだ。


 どちらも、言葉を発することが出来ない時間が流れて。


「……お前には、お前にだけは会いたくなかったな……」


 ぽつりと、ジョンが零す。

 途端、俯きかけていたモニカが弾かれたように顔を上げた。


「なんで、そんなこと言うのさ!」

 

 叫びながら。

 睨みながら。

 モニカは、涙を零していた。


 なんでかなんて、言われるまでもなくわかったから。わかってしまったから。


「……俺のことなんて、忘れてくれ」


 答えずに、ジョンはモニカの横を通り過ぎた。

 いや、通り過ぎようとした。


「このっ、バカッ!」


 その腕を、モニカは掴んで。

 強引に振り向かせて。

 驚くジョンへと、無理矢理唇を押し付けた。


「モニカ……」

「忘れない。絶対に忘れない。あんたにも、忘れさせない。例えあんたが地獄に行ったって、忘れさせないんだから!」


 そう叫んで。宣言して。

 モニカはもう一度ジョンへと唇を押し付けた。

 

 ジョンは。

 ジョンの腕は。

 モニカを抱きしめようと動きかけて。

 止まって。

 そっと、モニカの両肩を押して、身体を離した。


「……馬鹿な女だ、お前は」

「……そうだよ、あんたがそうしたのさ」


 瞳を涙で濡らしながら、モニカが勝気に笑う。

 ジョンは、彼女の目元をそっと指先で拭った。


「だが、最高の女だ」

「それこそ、今更さ」

「ははっ、違いない」


 小さく笑って。

 ジョンは、今度こそモニカを抱きしめて。

 彼から、唇を重ねた。

 ほんの数秒、しかし、二人にとっては永遠にも似た時間で。

 それは、唐突に終わった。

 ジョンが、終わらせた。


「すまない」

「謝るな、バカッ!」


 泣きながら罵倒するモニカへと、ジョンは困ったような笑みを向けて。

 しかし、今度こそモニカに背中を向けた。


「……じゃあな」

「このっ、バカ野郎~!!!」


 これ以上ない叫びを背中に受けながら。

 

 衛兵でなく。傭兵ジョン・ランデルは、戦場へ行った。



 


 鎧の重さなどないかのように駆け抜けて籠城戦のために閉じられた西門へとあっという間にたどり着いた彼は、そのまま階段を上って外壁の最上段へと。


「は!? ジョ、ジョン!?」


 同僚の声も無視した彼は、外壁から飛び降りて。


 平気な顔で、地面へと降り立った。

 

「……やっぱりか」


 まだ、敵は見えない。

 それでも彼の感覚は捉えている。

 西門近くの森に、身を潜めながらやってくる何かがいる。

 そのことを、ジョンは予測していた。


 謀将キュルビューム。

 ワールウィンドへと向かってきている魔物の軍勢を率いている魔族であり、ジョンも幾度か戦場で見かけたことがある。

 魔族にしては珍しく、二つ名の通りに謀略を駆使し、ソリオス大要塞を幾度も危機に陥れた宿敵とも言える存在だ。

 そのキュルビュームが、ワールウィンドへと侵攻してきている。

 それを感知した瞬間、ジョンの中では全てのピースが一気にはまっていった。


 ソリオス大要塞を落としたのは、ほぼ間違いなくキュルビューム。

 恐らく、停戦合意自体が彼の策略だったのだろう。

 戦時体制では油断のなかったソリオス大要塞だが、停戦となり、総司令官も変わって一段落となれば油断もする。

 そこを一気に、半ば強引に落としたのだろう。

 その手際の良さに比べて、今回率いてきた数は明らかに少ないのはその影響があるはず。

 なのに、戦略上の必要性から、キュルビュームはさらなる攻勢に出ざるを得なかった。

 そのために打った策が、これだったのだ。


「主攻を囮にした、挟撃作戦。てめぇらしいやり口だよ、キュルビューム」


 サミュエルは、知らなかった。いや、きっと知っていて生きている人類の方が少ないのだろう。

 だが、ここに一人いた。キュルビュームのやり口を知っている人間が。

 だから、ジョンはここに立っていた。

 この戦場に。


 森が、騒めく。その向こうから、来る。

 来た。

 ゴブリン、オークの大軍を先頭に、その後ろからもったいぶってやってくるのは四体のオーガ。

 この西門に配備された少ない数の兵士では、数分も持たせられないだろう数と構成だ。


「通さねぇよ。ここから一歩も、通さねぇ。オークもゴブリンも通さねぇ。オーガなんて論外だ」


 身体が、震える。

 ジョンは、この感覚を知っている。

 恐怖、ではない。


「ははっ、見せてやるよ、イレギュラーだとか呼ばれた男がどんなもんかをよぉ!!!」


 武者震いだ。

 

 そして。

 叫びながら、ジョンは突撃した。


 ゴブリンとオークの群れ、約二千。その後ろに、四体のオーガ。

 その先陣に、接触して。


「うぉらぁぁぁぁ!!!」


 吹き飛ばした。

 大剣が一閃すれば、十匹近いゴブリンが胴を割られながら宙を舞う。

 

「……ギョ? ギョギャギョォォ!?」


 それを見たゴブリン達は動きを止めてしまう。

 次の瞬間にまた十ばかり飛ばされて、やっと理解したのか、悲鳴を上げた。

 いや、理解しがたい光景なのだから、訳も分からず悲鳴を上げただけなのかも知れないが。

 だからゴブリン達は悲鳴を上げるばかりで、次から次へと刈り取られていく。


「ブ、ブゴォォォ!!」


 そこへ、一匹のオークが斧を振るいながら切り込んだ。

 勇敢というべきか、蛮勇というべきか。

 戦士としては見上げた行動と言っていい。

 

 ただ。

 相手が、悪かった。


「そんなもん、食らうかぁぁぁぁぁ!!!」


 ジョンは、斧を肩のアーマーで受け流しながら振り返り、オークを切り飛ばす。

 ゴブリンよりも遥かに多い筋肉と脂肪を纏った身体だというのに、ジョンにかかれば紙切れのよう。

 その光景は、ゴブリン達の戦意をさらに削っていく。

 いかに強くとも、ジョンは所詮一人。

 数でかかれば、そのうち対処しきれなくなる。

 それは、道理だ。


 だが、道理でしかない。

 そこに、感情は含まれない。

 倒せるとして。

 誰が、最初に切り込む?

 勝利のために、誰が最初に死ぬ?


 その問いに、答えを出せるようなゴブリンはいない。

 自分以外の誰か、としか考えられない。

 だから、ゴブリン達の足は竦み。


「食っちまうぞ、おらぁぁぁぁ!!」


 動きが止まったところを、ジョンの刃に薙ぎ払われる。

 そんな光景が幾度も繰り返されれば、瞬く間に百を超えるゴブリンとオークが物言わぬ姿へと変わり果てた。

 一瞬で生じた、全体の一割に届かんとする損害。

 ゴブリンやオークのような、心の弱い魔物をひるませるには十分過ぎる損害だ。

 士気が崩壊し、ゴブリン達が逃走を始めようとした、その時。


「グルォォォォ!!」


 四体のオーガが、吠えた。

 途端にゴブリン達の足が止まり、硬直する。

 ゴブリン達よりも遥かに強い、オーガの役割は、攻城兵器としてのそれだけではない。

 臆病なゴブリン達を死地へと追い立てる、督戦隊の意味合いもあったのだ。


「ギョ、ギョォォォォ!」


 進んでも死、引いても死。

 そんな状況に追い込まれ混乱したゴブリン達は、だからこそ逃げ出す者もいた。

 当然、そんな連中はオーガ達に潰されていく。

 だが、半数以上は、ジョンへと向かってきた。

 ゴブリンであっても、死兵は侮れない。

 何より、やはり数は暴力だ。


「調子にっ、乗ってんじゃねぇぞ!!」


 決死の特攻で、いくつかジョンへと届いた刃もあった。

 即座に切り払われる程度の、そんなもの。

 だが、それでも意味はあった。

 ジョンとて人間だ、疲れもするし、血が流れれば弱りもする。

 普通の人間に比べれば、遥かに頑丈ではあるけれども。

 

 それでもいくらかのゴブリンやオークは気付き、ジョンへと向かう。

 一度勢いがつけば、数の暴力が雪崩のごとき威力を発揮する。

 

「ほんとに、年貢のっ、納め時、かぁ!?」


 鎧で防ぎながらも、その隙間を縫うようにして腕に、脚に、ゴブリンやオークの刃が届き始めた。

 それでも、致命傷は避けているけれども。

 ジリ貧な状況に、ジョンが覚悟を決めかけた、その時だった。


「キュォォォォ!!!」


 甲高い悲鳴が、戦場に響いた。

 天空から舞い降りた黒い影が、ジョンへと殺到していたゴブリンやオークを薙ぎ払い、着地する。

 それは、影だから黒かったのではない。

 その姿が、鱗が、漆黒に染まっていた。


「ク、クフィール? お前、なのか……?」

「キュォ!」


 ジョンが呼びかければ、クフィールと呼ばれた黒いワイバーンは得意げな声で一鳴きする。

 そもそも黒いワイバーンが特殊個体なのだ、この辺りでそう何体もいるわけがない。

 であれば。

 ここにいるのは、ジョンの相棒たる黒いワイバーンなのだろう。


「そういや、なんか飛んでるのいたなぁ……あれか、大要塞が落ちた時に鹵獲されたのか」

「キュゥ!」


 からかうようにジョンが言えば、クフィールが不満げな声を上げる。

 誇り高い彼からすれば、仕方ない状況だったとはいえ、魔族に囚われたのは極めて不本意な事態だったのだろう。


「悪い悪い、冗談だって。お前が、好き好んであんな連中に捕まるわけないもんなぁ」


 知能も高い特殊個体であるクフィールだ、大人しくしておいて逃げ出すタイミングを探っていたのだろう。

 そして、その時がきた。

 それも、最善とでも言うべきタイミングが。


「助かったぜ、相棒。お前がいてくれたら、鬼に金棒ってもんだ」


 笑いながら、ジョンが大きく息を吐き出す。

 流れた血は戻ってこないが、呼吸と体力は戻ってきている。

 これならまだ、戦える。暴れられる。


「さあ来やがれ、化け物ども! ここから一歩も通さねぇ、死にたい奴からかかってこい!!」

「キュォォォ!!!」


 ジョンが怪気炎を上げれば、クフィールも呼応する。

 そんな彼らを見て、オークも、ゴブリンも、オーガすら立ちすくむ。


「来ねぇなら、こっちからいくぞぉぉぉ!!!」


 そして。

 再び。いや、先ほど以上の赤い嵐が巻き起こった。

 狙うは、オーガの首。

 連中を倒せば、西門に迫ったこの軍勢は崩壊する。

 そして、ジョンとクフィールならば、そこに届く。

 

 届いた。


「楽な方を選んだのが運の尽きってなぁ!!!」


 人間の倍はある身長、数倍どころか十倍はありそうな筋肉の重みを持つオーガは。

 二つのイレギュラーによって、無残に散らされた。





「……どういうことだ?」


 東門方面、最後尾で指揮を執っていた謀将キュルビュームは訝し気な声で呟いた。

 眼前の戦いが膠着状態にあること自体は計算通り、若干だけ人間側の士気が高いが誤差の範疇である。

 攻城兵器の一つとして数えていたワイバーンが一頭制御から離れたが、特殊個体だったのでそれも織り込み済みだ。

 彼が訝しんだのは、そこではない。


「何故、街から煙の一つも上がらない? とっくに、西門を突破している頃合いだというのに」


 四体のオーガに率いらせたゴブリンとオーク、二千ばかり。

 ワールウィンドの戦力の大半をこちらに引き付けた今、あの軍勢が西門に襲い掛かれば鎧袖一触とばかりに門を突破、街へと攻め入ることが出来ているはず。

 だというのに、街中で暴れている気配が欠片もない。

 それどころか、街は。ワールウィンドの街は静かなままだ。


「一体何が……奇襲が失敗したとでもいうのか?」


 いかに上位魔族といえども、全てを見通せるわけではない。

 そうである以上、ある程度は憶測で判断するしかない。

 そして、それが彼を縛る。

 

 謀将などと呼ばれるように、彼は策をもって戦を進めるタイプだ。

 だから、常に最悪の事態を想定して行動する。

 思考は、常に最悪の事態を推測する。

 だから、西門への奇襲は失敗だと判断する。


 だが、それは許されない。

 ここで引くわけにはいかない。

 この奇襲でもってワールウィンドの街を陥落させねば、彼の戦略は行き詰る。

 そもそも、彼の見立てではどれだけ最悪の事態になったとしても、西門を落とせないはずがないのだ。

 

「何が、何が起こっているというのだ!?」


 引くことも出来ない彼の目の前で、囮として正面から攻めさせた部隊が削り取られていく。

 致命的な瞬間が、近づいてくる。

 このまま力惜しで落とせたとして、この街を拠点として維持できるだけの数。

 それを割り込む瞬間が、近づいている。


「何故だ? 何故奴らは折れない? そもそも、何故西門が落ちない?」


 当たり前で、だからこそ答えの出ない問い。


 しかし、その答えは、唐突に表れた。


「なんだ、あれは……? 黒い……翼?」


 それを口にした瞬間、キュルビュームの背筋に冷たいものが走る。

 幾度も煮え湯を飲まされた、憎き存在。

 ついに正面から倒すことが叶わず、搦め手を使って大要塞から追放させた傭兵。

 意趣返しとばかりにその相棒を鹵獲し、しかし制御しきれなかったのは痛かったが、それも誤差ではあった。

 だが、なぜあのワイバーンは、雌伏していた? 何故今、このタイミングで、逃げ出した?

 

 その答えは、今まさに、眼前の空にあった。


「まさか……まさか、まさか!?」


 キュルビュームの眼が、ついに彼を捉える。

 憎き男が。

 仇敵とも言うべき男が、その相棒の背にまたがっている。

 こちらに、向かってきている。


「お前か。お前なのか」


 その姿は、キュルビュームの眼にも脳裏にも焼き付いている。


「ここでお前なのか、『黒翼』ジョン・ランデル!」


 叫びが、虚空に消える。

 幾度も、幾度も。

 幾度も幾度も幾度も煮え湯を飲まされた。

 策が成就せんとしたその時に限って、奴は現れた。

 死を運ぶ、黒い翼。

 ただの人間でしかない。平民の傭兵でしかない。

 だというのに、戦場にあってその姿は、暴虐の権化であった。

 その男が、今、視線の先にいる。


「見つけたぜ、大将首さんよぉ……」


 空高くにある彼の声が、聞こえるはずがない。

 だというのに、その声がはっきりと聞こえた気がした。

 それだけで、心臓に剣を突き立てられたような感覚。

 お前の番だ。そう告げられたと自覚して。


「何がっ、大将首か! 貴様ごときに、この私が!」


 そう叫びながら、キュルビュームは己の力を解放した。

 

 途端、何かが千切れた感覚があった。


「……やっぱりか。てめぇの謀略の正体は」

「だからなんだ、今更どうしたというのだ!」


 ジョンの呟きに、キュルビュームは手を突き出しながら応え。

 その手の平から、膨大な魔力が噴出した。


 謀将キュルビュームの、その謀略の正体。

 それは、彼が封じた魔力によるものだった。

 個人の暴力によって魔物を統べ、人間にもあたるのが魔族の流儀。


 しかし、それでは人類の軍勢を崩しきれないことに、キュルビュームはいつのころか気づいた。

 それだけの知性を持つ個体すら、魔族には稀だった。

 突出した個の暴力を時に飲み込む、数の暴力。

 それこそが人類の力であり、繁殖力が弱い魔族では覆すことの出来ない不利だった。

 

 だからキュルビュームは、己の魔力を封じる代わりに、魔物を支配する力を身に着けた。

 その力でもってソリオス大要塞を落としたのは、間違いなく彼の功績だ。

 

 そして、落としたからこそ、ソリオス大要塞がそのままでは拠点として使えないことに気づいてしまい、無理を押してでもワールウィンドまで攻め込む羽目になった。

 十分に情報を集める暇もないままに。

 ジョンが、この街に根を下ろしたことを知ることが出来ないままに。


 だから、策が外れて。

 今こうして、喉元に刃を突き付けられている。


「決まってるじゃないか」


 普通ならば、空中にあっては避けることも出来ぬ速さで飛んだ魔力の塊。

 しかし、ジョンと相棒であるクフィールは互いを蹴りあってお互いの身体を飛ばし、それを回避。

 そして。

 普通の人間ならば全身骨折間違いなしな高さから、ジョン・ランデルは、怪我一つなく地面に降り立った。


「てめぇがそいつを手放した今、もうワールウィンドの街は落ちない。なら、後はてめぇの首を取れば終わる。簡単なことだろ?」

「舐めたことを! 貴様に出来るというのか、そのボロボロの身体で!」


 目の前にジョンが下りてきて、改めて彼の身体を見て、キュルビュームは少しばかり余裕を取り戻した。

 一人で二千もの軍勢を相手取ったとなれば、どれだけジョンが異質だとはいえ、傷も相応に負う。

 万全の状態ならばともかく、手負いとなれば。これだけ疲労しているならば。

 そんな計算結果を弾き出したキュルビュームの前で、ジョンが、笑う。


「そいつは悪い癖ってやつだ、キュルビューム。なんでも計算で考えちまう。出来るか出来ないかで考えちまう」


 ゆらり、とジョンの身体が揺らいだような気がした。

 足元はすでに怪しく、大剣を握る手に力は感じられない。

 強靭な筋力に基づく魔族の身体操作が身についていれば、そうとしか見えないジョンの様子。

 それ自体は、仕方のないことではあった。


「出来るか出来ないかじゃない。やるかやらないかだ」

「は?」


 キュルビュームには理解出来ない言葉。

 いや、忘れていた感覚。

 しかし、忘れていたそれは、ジョンが言っているのとは少しばかり違う感覚。


「俺は、やると決めた。それだけだ」


 ジョンの身体が、消えたように、見えた。

 

 キュルビュームほどの上位魔族になれば、大体のことは、やろうと思えばやれていた。

 それだけの個体能力差があるのだ、上位魔族とそれ以外では。

 だから、キュルビュームもかつては同じ感覚を持っていた。

 やろうと思ったことは、やれること。『やろう』と思った次の瞬間には『やった』になった。ならないことはなかった。

 

 だが、謀将として策を巡らせるうちに、策が失敗することも経験していくうちに、彼の中では計算することが当たり前になっていた。

 出来るか出来ないかで考えることが当たり前になっていた。

 そのうちの何割かは、ジョンのせいだったのだが。


 今、こうしているように。


「ぬぉ!?」


 反射的に飛び退ったキュルビュームが一瞬前までいた場所を、銀の光が薙ぎ払っていた。

 言うまでもなく、ジョンが振るった大剣の刃が生んだ光だ。


「はっ、タイマンなんざ久しぶりだろうってのに、いい避け勘してるじゃねぇか」


 回避されたというのに、ジョンは笑っている。

 この一太刀で終わることなど考えていなかったかのように。

 それが、キュルビュームの癪に障る。


「遊びのつもりか、ジョン・ランデル!」


 キュルビュームにとって戦闘とは、命のやり取りである。

 いや、ジョンにとっても同じではあるのだが。

 だから、油断すれば死ぬ場所であるから、笑って油断するなど論外だ。

 彼にとって戦場とは、結果を出すための場所でしかないのだから。


 だから、ジョンの笑みが理解できない。

 何故ここで彼が笑っているのか、わからない。


「お前相手に遊んでられるかよ。だから、真剣にやってんじゃねぇか」


 そこまでは、キュルビュームにも理解出来た。

 だが。


「だから、笑えてくるんだよ」


 続く言葉が、理解出来ない。

 真剣だから、笑えてくる。そんな感覚は、キュルビュームにはない。

 わからない。だから、恐怖で背筋が震えてくる。


 今。

 こうしてジョンと真正面から対峙した今。

 初めてキュルビュームは理解した。

 

 この男は、理解出来ない。


 だから、恐怖した。

 キュルビュームの計算の範疇にない。理解から外れている。


「イ、レギュラー……」


 異常な何か。

 常識の、理解の埒外にある存在。

 それこそが、今目の前にいる男の、本質だったのだ。


「そいつは、誉め言葉だなぁ!!」

「う、うわぁ!?」


 信じられない速度で、ジョンが突っ込んでくる。

 反射的に。悲鳴を上げながら。

 屈辱的な状況で、キュルビュームは魔力の塊を放った。

 それは、あまりに稚拙な一撃は、あっさりとジョンに回避される。


「そんなもん、かよぉ!」

「戯言、をぉぉ!!」


 ジョンが振るう大剣の刃が、キュルビュームに届く。

 だが、後ろに飛び退って致命傷は避けた。

 

 痛い。

 焼けるように、痛い。

 上位魔族としての魔力と身体を取り戻したはずのキュルビュームの芯に、痛みが響く。

 

 体勢を崩したところに、控えていた黒いワイバーン、クフィールの爪が、牙が襲い掛かる。

 長くともに戦っていたジョンとクフィールの連携には、付け入る隙がない。

 避ける。魔力を盾のように固めて防ぐ。

 キュルビュームは防戦一方の状態に追い込まれた。


 ジリ貧な状況に、本能的な危機感が、脳内で警報をかき鳴らす。


「ふざけるなっ! 私が、この私がこんなところでぇ!!」


 キュルビュームは、体内の奥から魔力を弾けさせた。

 最後の最後、ジョンを倒した後にワールウィンドの街を落とすため残していた切り札と言えるものを解き放つ。

 解き放たねばならぬところまで、追い込まれてしまった。


「砕け散れぇぇぇぇぇ!!!!」


 連続して、魔力の塊を放つ。

 一つ一つは小さいけれども、人間が食らえばその身体が砕け散るだけの威力を持つそれ。

 元々は城壁を砕くために残していたそれを、人間であれば、いや、物理的な肉体しか持たない存在であれば回避することの出来ない密度で散らし、放つ。

 

 これならば。

 そんな淡い期待を、立て続けに響く炸裂音が補強して。

 それが収まった瞬間、絶望に転換された。


「なんだ、こんなもん、かよ……?」


 立っていた。

 ジョン・ランデルは、そこに、立っていた。

 回避することなく。

 いくつかは、当たった形跡がある。致命傷と言っていいものすらある。

 だが、それらはいずれも彼の魂を奪うに至っていない。

 彼はいまだ、強い意志が宿った瞳のまま、そこに立っているのだから。


「なぜだ……なぜ、そんなことが出来る」


 キュルビュームの眼は捉えていた。

 ジョンが、その大剣でもって、彼が放った無数の魔力塊を切り払ったのを。

 そんなことは、普通の人間はもちろん出来るわけがないし、魔族ですら出来るものは限られる。

 そんな芸当を、目の前の男は、傷つきながらもやってのけた。


「まさか……まさか、貴様が『勇者』だとでもいうのか……?」


 勇者。

 人間の身で魔族に対抗することが出来る、例外的存在。

 目の前に立つ男は、そうとしか思えないそれで。


「はっ、バカなこと言ってんじゃねぇよ」


 しかし、その男は、一笑に付した。

 数え切れぬ傷を負い、血に塗れてなお剣呑なその姿は、確かに伝説の勇者とは程遠い。

 だがその姿には。その纏う武威の気配には。

 魔を打ち払う存在たる何かがあった。


 そんなことを意に介した様子もなく、男は笑う。


「勇者だとか面倒なもん、御免こうむるぜ。国だ王様だ、そんなもんに命じられて魔王を倒すだなんだ、窮屈ったらありゃしねぇ」


 世の王だなんだ、権威を持つ者が聞けば怒り騒ぎかねないことも、この男は平気で口にする。

 何故ならば。彼は、勇者ではない。騎士ですらない。


「てめぇの勝手で戦って、てめぇの満足した場所で死ぬ。それが傭兵の本望ってもんだ」


 その姿に、キュルビュームは悟った。

 この男を、完全に見誤っていたのだと。

 だが、それでも。いや、だからこそ問わずにはいられない。


「何故だ。何故貴様は、そこまでする。己を捨てて、命を投げ出してまで、なぜ! 貴様ほどの強者(つわもの)、王都にでも行けば金も名誉も思いのままだったろうに!」


 もしかすると、キュルビュームの策が狂った最大の原因は、それだったのだろう。

 魔物の軍を率いていた彼は、ある意味で真っ当で論理的な思考をしていた。

 例えば、功あるものはそれ相応の扱いを受ける、だとか。

 それは、組織を運営するにあたって基本中の基本とも言えるもの。

 だがそれは、あくまでも理論上の話。

 力と功績が全ての魔族社会に浸っていたキュルビュームは想像もしていなかった。

 いや、多少はわかっていた。わかった気になっていた。

 人間社会は、違うのだと


 だが、その根深さは、彼の想像を越えていた。


「簡単な話だ。美味い飯があった。わかってくれる領主がいた。使いこんでボロボロになった武器防具を馬鹿にしない鍛冶師がいた」


 それらは当たり前の、極めて当たり前のこと。

 まともに組織を運用しようと思う者ならば、備えておくべきこと。

 それらを、ジョンは挙げていく。

 

「……こんな俺を、抱いてくれる女がいた。それだけだ。それだけなんだ、キュルビューム」


 言い終えたジョンの顔を、キュルビュームは直視してしまった。

 直視したくはなかった顔を、見てしまった。

 汚らしい、粗野な、血に塗れた傭兵でしかないはずなのに。

 その表情は、魔族であるキュルビュームですら胸打たれる清廉さがあった。


「そんな、そんなことなのか。そんなことで、貴様は命を捨てたというのか!?」


 理解はできなかった。

 だが、納得はしてしまった。

 それだけの価値が、この男にとっては、あったのだと。

 

 ……過去形だ。


「そんなもんさ。笑えよ、キュルビューム。きっとお前は、魔族の大義だとか、魔王への忠誠だとか、そんなもんを賭けてこの侵攻を仕掛けたんだろう?」


 その言葉に、キュルビュームの膝から、少しばかり力が抜ける。抜けてしまう。

 それは、彼の芯を外していなかった。


「いや、それを馬鹿にするつもりはねぇよ。少なくとも、人間のお貴族様だとかよりゃ、よっぽど立派だ。

 だがな、お前の大義は、忠誠は、そんなありふれた、くだらないもんで止められる。潰える。そんなもんさ。人生ってのは、この浮世てやつは、そんなもんさ」


 ジョンの言葉は、キュルビュームの心を抉った。

 そのはずだ。

 悔しい。憎らしい。攻撃的な感情が、この男へ、ジョン・ランデルに向かうはずだ。

 だが、向かない。

 向けられない。

 虚無にも似た無力感が、キュルビュームを包み込む。


「何故だ。何故お前は、そうも言い切れる」


 それから、彼の視線が、ジョンの腹部へと向かう。


「何故お前は、笑える。もう、長くはないのに」


 その視線の先には、赤い穴が開いていた。

 数多の魔力塊を打ち払ったジョンだが、全ては打ち払えていなかった。

 その一発が、彼の腹部を捉えていた。

 

 ……致命傷だ。

 普通ならば。

 そのはず、だ。


 なのに、彼は。

 ジョン・ランデルは、笑っている。

 欠片も、絶望を顔に浮かべずに。


「てめぇが。俺の知る限り、魔族で一番厄介な謀将キュルビュームが、刃の届くとこにいる。そして今、守りたい街を、俺は背負っている。最高の舞台じゃねぇか」


 ジョンは、口にしなかった。

 守りたい女がいる、とは。

 それを口にするのは、無粋な気がした。

 こいつに聞かせたくはない気がした。

 それだけだ。

 それだけは、彼のささやかな意地だった。


人間(じんかん)、いたるところ青山有り、ってな。それがこの街とは、俺も思わなかったが。まあ、悪くはない。そうさ、悪くはない」


 笑う。

 その男は、人の命だなんだ、様々なものを背負っているというのに、何も背負うところなく、笑う。

 子供のように、無垢に。

 全てを見通した聖者のように、穏やかに。


「ここが。この、ワールウィンドを守って背負うこの場所こそが。俺の、死に場所だ!!」


 そして、牙を剥いた。

 野獣よりも猛々しく。

 磨き抜かれた刃よりも鋭く。


「う、うわぁぁぁぁ!?」


 上位魔族であろうとも、避けられない速度。

 そして、上位魔族ですら滅ぼしてしまう程の、剣勢。

 魔力だとかそんなものに収まらない、超常の一撃。

 

 イレギュラー。


 常軌を逸したその刃は、キュルビュームの身体を、その核となる何かを、捉えた。


「貴様を、大要塞から解き放つべきでは、なかった……貴様は、鎖に繋いでおいて、こそ……」

「それを引きちぎったのは、てめぇだ、キュルビューム。因果が巡って、お前にたどり着いた。それだけさ」


 悔恨の言葉を漏らすキュルビューム。

 それに応えるジョンの声は、ひどく穏やかだった。

 風通らぬ湖面の如く凪いで。

 少しばかり、哀れみというさざ波で揺らいだだろうか。

 キュルビュームの耳は、それを捉えられなかったし、まして思考は、そこにはなかったけれど。


「申し訳ございません、魔王様……」


 悔恨と詫びの言葉。

 それが、謀将キュルビュームがこの世に残した最後のもので。

 すぐに、そして静かに、風に流されて、消えた。


「今わの際が、それか。……よっぽど、いい王様なのかねぇ」


 純粋な疑問が、ジョンの口から漏れる。

 それを、彼が確かめることは、出来ないだろうから。

 だから、純粋にただ、疑問に思う。思える。

 その問いの答えが不要だから、でもあって。


「ま、うちの領主様だって負けちゃいないさ、きっと」


 思い浮かべるのは、彼を気遣って最前線に配しなかったサミュエル。

 この状況で、ジョンを治安維持に回したその判断は、正直甘い。甘ちゃんだ。

 だが、その心意気は、悪くなかった。

 いや、正直に言えば、心が震えた。

 だから、彼は命令に背いた。

 戦場に行くなと言われたから、戦場に行った。来た。戦った。

 そして、勝った。

 これを勝利と、彼らが認めてくれるかはわからないが。


「まあ、でも、さ。許しちゃくれませんかねぇ」


 ゆっくりとワールウィンドの街へと向き直れば、戦闘は終わりかけていた。

 二体いたはずのオーガはいずれも討ち取られ、キュルビュームの支配が解けたゴブリンやオークはとっくに逃げ出している。

 街からは火の手どころか煙一筋立たず、そこだけを見れば平穏そのもの。


 それを見やるジョンの目は優しく。

 しかし、身体は力を失い。


「キュイッ!」


 その身体を、相棒であるクフィールが支えた。

 

「悪いな、クフィール。様にならないったらありゃしねぇが」


 冗談めかしながら、ジョンが街へと向き直る。

 その視線の向こうにいるのは、敬愛する領主であり、信頼する隊長であり。

 ……愛する女であり。

 彼が守りたかった平穏が、守りたかった日常が、そのまま、そこにある。


 だからジョンは、背筋を伸ばした。


「本日も、異常なしでありました」


 彼の日常を象徴する言葉。


 それを、敬礼とともに発して。

 満足げに微笑みながら。

 ジョンは、その場に崩れ落ちた。










 ワールウィンドという街がある。


 今では歴史的観光名所となったソリオス大要塞からほど近く、人類と魔族が争っていた時代に一度戦場となった街だ。

 だが、ワールウィンドの街は、その侵攻を跳ね返した。

 この戦闘で謀将キュルビュームが討ち取られた影響は大きく、王都から駆け付けた大軍によってソリオス大要塞はあっさり奪還されることになる。

 魔物達が集団として機能しなくり、まともな防衛が出来なくなっていったのだ。

 そのまま魔族領域への逆侵攻を開始、奥深くまで攻め込んだ人類と手詰まりになった魔族の間で停戦協定が結ばれることになったのは、歴史をたしなむ者の常識である。

 

 そして、そんな歴史通の人々の間では豆知識的に知られていること。

 この街では、ジョンと名付けられる男子が多い。

 その由来は、この街に住む者ならば誰もが知るところ。

 名付けられた少年たちは、口々に言う。この街を守る衛兵になるのだと。

 そんな彼らは、ごっこ遊びの度にいう。


「本日も、異常なしでありました!」


 と。

 ジョンの命は潰えたけれども。

 その魂は、こんな言葉で受け継がれていた。



 

 それから。

 あの激戦から一年経たないうちに、モニカは男子を出産した。

 その子供は、ジョンとは名付けられなかった。

 ある意味でそれは、当たり前ではあっただろう。

 父親に似て頑健で、母親に似てたくましかったその子の子孫は、今もこの街で生きている。


 あれからいくつも日々は過ぎゆき、しかしこの街は平穏無事なまま。

 いつ地図上から消えてもおかしくなかったワールウィンドの街は、変わらずここにある。


 風が吹き。

 この街を見守るかのように、黒い翼がその上空を駆け抜けた。

※ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


 本作品は、とあるゲーム関連の楽曲を聞いていて浮かんだものになります。

 わかる人にはわかるかも知れませんが、果たしてそのゲームのイメージを壊さずにいられたものでしょうか。

 しかし、書きたくなってしまったので書いてしまいました。

 ご存じの方もご存じでない方も、楽しんでいただけたら幸いです。


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― 新着の感想 ―
てっきり街中でバーサークするものと思ってたら。 御膳作品は王道ばかりで清々しい。 こういうの、好きです。
[良い点] 元ネタ存じ上げないんですがめちゃめちゃ楽しかったです!! ありがとうございます!
[良い点] 切ないのに全力を出し切った果ての決着という爽やかさも感じました。 みんなみんな魅力的だなあ。 しかし情緒が錐もみ状態にさせられたんですが、どうしてくれましょう。 [気になる点] 黒い翼は時…
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