偽りの愛を叫ぶ
観客たちは何とも言えない表情で顔を見合わせている。いままで私のことを薔薇のソルベ姫と揶揄していただけあり、イメージ通りならやりかねない。けれどイジメをされた当人であるファイエットが加害者に駆け寄っているという、謎の現象が起きている。もし私がファイエットにイジメをしていてアルベールと想い合っているなら、行動は逆になるはずだものね。
「そのような事実はございませんわ」
「ふんっ、口先だけなら何とでも言えるさ! それにファイエットの店だって狭くて粗末な店だと言っていただろう!」
「そんなこと、私申しましたかしら」
「白を切る気か!? だったらファイエットに聞いてみろ!」
それもそう。
というわけで、ファイエットに聞いてみることにする。
「私には覚えが無いのですけれど……アルベール様が仰るようなことを私、あなたに言いましたかしら?」
ファイエットはふるふると首を横に振って、それからアルベール様を睨んだ。
「エヴリーヌさまは、わたしのお店を小さくて可愛いって仰ってくださいました!」
「ほらみろ!」
えっ、なにがほら見ろ?
「狭くて粗末だと、そういう意味で言ったんだろうが!」
「嘘でしょ……」
思わずごく小さな声でだけれど、心の声がまろびでてしまった。
そんなネタで見る英国仕草みたいなのを言ったことにされるなら、なにを言っても悪口になるじゃない。仮に私の台詞が「小さくて可愛らしいお店ね。まるで犬小屋のようだわ」とかだったらまだわかるけれど。
「それに、ファイエットのことだって畜生呼ばわりしていた!」
「小動物のようで愛らしいとは申しましたわね……私は褒めたつもりでしたけれど、動物に喩えるのは嫌だったかしら」
「いえっ、エヴリーヌさまに悪意がないことくらいわかります。こんなにもお美しい方に愛らしいだなんて仰って頂けて、わたしがどれほどうれしかったか……」
「他にもある! 俺がプレゼントしたドレスを着たファイエットを下品だと罵倒しただろうが!」
「ファイエットではなくドレスが下品なのですわ。折角ですからお集まりくださった皆様にもお見せ致しましょう」
私がそう言うと、ジルベールが件のお下品ドレスを着せたトルソーを持ってきて、会場中に見えるように掲げた。瞬間、女性のあいだで「ひっ」と短い悲鳴じみた声があがった。男性のほうも、わりとドン引きした様子で「いくら何でもあれは……」と顔を見合わせている。
それはそうでしょうとも。目にしみるようなショッキングピンクの生地にリボンとフリルがこれでもかと使われた、ぶりっこも裸足で逃げ出すデザインなんですもの。前世で見た魔法少女アニメのヒロインだって此処までじゃなかった。しかも、仮にも社交界に出る際に着るドレスだというのに、ふくらはぎが丸見えな娼婦ドレスの丈という有様。
私がこれを贈られたら、その場で火をつけてるレベルでひどい。
「何度見てもひどいデザインですこと。プロが考案したものではありませんわね」
「俺が持ち込んで作らせたものに文句を言う気か!? ファイエットは笑ってお礼を言ってくれたんだぞ!」
「そうするしかないからでしょう。ファイエットは庶民であなたは貴族ですもの」
「ほら、すぐそれだ! ファイエットを庶民と見下すお前が偉そうに言うな!」
庶民を庶民と言ってなにが悪いというの。というか、庶民という言葉を悪口として扱っているアルベール様こそどうかしていると思うわ。
『もういい』
不意に、低く落ち着いた声が会場中に響いた。声の主は、アルベール様のお父様で世界的ショコラティエでもいらっしゃる、ジャン=バティスト様だ。
皆の視線が、意識が、審査員席に集まる。
『アルベール』
お父様に名を呼ばれたアルベール様は、機を得たりとばかりに表情を輝かせた。
「父上! お聞きになったでしょう! あのエヴリーヌとかいう女は悪辣な魔女なのです! ファイエットに嫉妬し、数々の嫌がらせをした挙げ句、コンテスト作品まで縛り付けたのですよ!!」
アルベール様のあんまりな言いように、ジャン=バティスト様は眉間を摘まんで、それはそれは深く溜息を吐いた。隣の席に配置された若い男性審査員がハラハラした様子でジャン=バティスト様とアルベール様を交互に見ている。彼の胃がストレスで爆発しないことを祈ろう。
『……では、私からもファイエット嬢に確認しよう。此処は神聖なコンテストの場である。偽りなく答えるように。他の者は決して口を挟まぬよう。良いな』
「は、はいっ」
文字通り雲の上のような相手に直接名を呼ばれたファイエットの背筋が、天上から吊られたかのように伸びる。
『ファイエット嬢は、エヴリーヌ嬢にコンテストを妨害するような嫌がらせを受けた事実はあるか』
「いいえ。そのような事実はございません」
『では、アルベールに想いを寄せ、そのことによりエヴリーヌ嬢から嫉妬を受けたという事実はあるか』
「いいえ。わたしは一度としてアルベールさまに恋心を抱いたことはありませんし、エヴリーヌさまもわたしに嫉妬する理由がありません」
『では、コンテスト前の練習期間、エヴリーヌ嬢から下女の如き扱いを受けたという事実はあるか。また、作品を踏み躙るなどの蛮行を受けた事実はあるか』
「いいえ。エヴリーヌさまは、わたしがアルベールさまに押しかけられて困っていたところを救ってくださっただけです。練習にキッチンも使わせてくださいましたし、作品を踏みつけるなんてとんでもないことです」
ジャン=バティスト様が地割れのような威厳ある低い声でファイエットに問えば、ファイエットは一つ一つしっかりと答えていく。背筋を伸ばして、真っ直ぐな声で。
一方でアルベール様は、青紫の顔色でガタガタと震えている。恐らく私への怒りとお父様への畏怖、ファイエットの言葉、全てが彼を追い詰めているのだろう。
『此処にいる全ての者が証人である。エヴリーヌ嬢は言われなき悪評を浴びせられ、それでもファイエット嬢と素晴らしい作品を完成させたのだ』
戸惑いがちな拍手がパラパラと起き、誰かが「理想的な愛の形を見ましたわ!」と叫んだのをきっかけに、割れんばかりの拍手が沸き起こった。
がっくりと膝をつき、アルベール様が打ちひしがれる。
「そんな……ファイエット……」
今更真実を思い知ってももう遅い。
神聖なコンテストの場で、数多の上流階級の人々が見守るこの場で、彼は身勝手な思い込みを暴走させたのだから。
ジャン=バティスト様が審査員席を立ち、私たちの前まで来ると突然頭を下げた。一番驚いたのはファイエットで、あわあわしながらジャン=バティスト様と私を見ている。
「ファイエット嬢。愚息が失礼をした。そしてなによりもエヴリーヌ嬢、そなたには最早詫びようがない。ショコラ界を牽引する夫婦になるであろうという期待を二人に込めた結果、そなたにばかり負担をかけてしまっていた」
「言葉での謝罪は不要ですわ。私たちに対して不当にかけられた汚名は、法でもって雪いでくださいまし」
「勿論だ。愚息は当家から追放し、厳しい監視の下で一から育て直そう。その間も、決して二人には接触しないよう徹底すると誓おう」
その言葉を聞いて、ファイエットがようやく少しだけ安心した表情を見せた。その様子で、いままでどれほど彼に怯えていたかがわかる。
ジャン=バティスト様も察したようで、申し訳なさそうに目を伏せている。
観客たちの拍手だけが、いつまでも私たちに降り注いでいた。