氷の姫とわたあめ少女
ファイエットは、とても可愛らしい。
ぱっちりとした大きな瞳はフランボワーズのような艶めくピンク色。ふわふわした長いくせ毛はコットンキャンディのよう。透き通った肌に、ほんのり淡紅に染まった丸い頬。小さな手指も華奢な体も、なにもかもが守りたくなる造型をしている。
対して私ことエヴリーヌは、薔薇のソルベ姫と呼ばれるだけあって顔立ちが強い。ただ澄まして立っているだけで気温が五度下がるなんて言われたりもするくらいだ。銀のロングヘアも水色の瞳も、氷で出来ているかのよう。
此処が前世で死ぬほど遊び倒しまくった育成系乙女ゲームアプリ『ル・シュクル♡ショコラティエール~とろける恋の魔法』の世界だと気付いたのは、ファイエットに出逢ったときだった。
このゲームは、新人ショコラティエールとしてイケメンたちと恋をしながら自分のお店を大きく立派にして行くというもので、ファイエットはゲームのヒロインだ。
中世の貴族社会と現代社会が融合した世界観で、貴族は領地に自分のお店を持っているのが当然という設定。そして最も位が高いのはショコラティエで、バレンタインコンテストで優勝したショコラティエやショコラティエールは、一年間王家に作品を献上する権利を得る。
世界の中心にチョコレートがあり、質のいいチョコレートを作る職人は王から叙勲されたり爵位を頂いたりもするほど。
ヒロインは師匠である祖父から「一年間一人で店を持ち実践で修行をしてこい」と故郷を叩き出され、都会のど真ん中にある中古物件で店を開くことになる。ゲームの出だしにグダグダしないのはいいことだけど、あまりにスパルタ。
攻略対象は、世界中で有名な高級チョコレートブランド『ル・ショコラロメオ』の跡取り息子で悪役令嬢の婚約者でもある、アルベール。自信家で、自分が世界の中心且つ世界の頂点であると疑わない俺様キャラ。
ヒロインがショコラティエールを目指すきっかけとなったチョコレートの制作者で伝説のショコラティエの孫でもある、バージル。彼は、ホットチョコレートのように甘い顔立ちと柔らかな声で老若男女問わず多くのファンを抱えている。
近年様々な大規模コンテストで賞を獲得している新進気鋭の若きショコラティエ、シャルル。クールな出で立ちと寡黙で生真面目な性格は主に年上からの評価が高く、高名なショコラティエにも目をかけられている。
ヒロインと同じ製菓学校に通っていた先輩で、一足先にお手本のような成功を掴みメディアの注目も集めている、ダヴィド。軟派な性格で毎日違う女性とデートをしているけれど、不思議とまだ誰からも刺されていないプロのナンパ男。
そして私は、ヒロインの前に立ちはだかるクソデカライバル店舗の令嬢……即ち、悪役令嬢というわけ。昨今の悪役令嬢ブームに乗っかって、元々乙女ゲームにはほぼいなかった典型的意地悪クソ女を突っ込んだ結果滑り散らかしたっていうんだから、大人しく普通のライバルにしておけば良かったのに。
しかも、シナリオを考えた人は上流階級の世界をろくに知らない上に調べることもしなかったのか、イジメの内容が中学生レベル。私も別に貴族令嬢じゃないから全然知らないけど、少なくともこんな治安悪い中学校みたいな空気じゃないと思う。建物裏に呼び出して取り巻きに水をぶっかけさせたりなんて、いつの時代よ。
他にもファイエットが一生懸命努力して努力して、がんばって手に入れたものを、ポンとキャッシュで手に入れては、自慢げに見せびらかす。ファイエットが経営難で苦しんでいれば、盛大なパーティを開いて彼女を招待し、ドレスではなく背伸びした余所行き服を着てきたところを大衆の前で嘲笑し、恥をかかせる。誕生日には大量のプレゼントを見せつけ、ファイエットが祖父にもらったお下がりの道具を馬鹿にして笑う。それだけじゃなく祖父まで大したことない人間だと馬鹿にする。
そんな悪辣なことを繰り返していたら、ヒロインの懸命な姿に心を打たれた職人や婚約者たちに裏切られ、滅茶苦茶落ちぶれて、最後には店を畳んで孤独に街を去って行く。全面的に自業自得とはいえ、あまりにもひどい末路だ。
私は幼少期に転生を自覚してからというもの、経営のいろはを父に叩き込まれて、女社長として跡を継ぐためだけに生きて来た。家のための道具でしかない日々は心底キツくて、心がすり減っていくのを感じた。癒しなんかない。そんな暇はない。暇があるなら一つでも多くのことを学ばなければならなかったから。
前世が全くの一般市民だった私にとって貴族の血を引く社長令嬢という立場は凄く重くて、逃げられるものなら逃げたいと思ったことすらあったけれど。当然、そんな甘えが許される世界じゃなく。
こうしていると、エヴリーヌが歪んでしまったのもわからなくはない。ぽっと出の田舎娘が小さいながらも店を持って、イケメンたちにチヤホヤされているのを見れば自分の血反吐を吐くような努力と比べてしまうのも仕方ない。仕方ないんだけど……やることの治安が終わってて、追放もまたやむなしではあると思う。
(やっぱり、此処でヒロインが現れるのね)
十八歳になって店を任されるようになったと思ったら、隣の空家にファイエットが引っ越してきた。原作のシナリオ通り、師匠である祖父にスパルタ教育の一環として一人で店を経営して見せろと叩き出されて。
(画面越しじゃないファイエット、本当に可愛い……! 本当に生きて動いてる……目の前に生身の推しがいる……!!)
初めて見たときは、妖精かなにかかと思った。あまりの愛らしさに、内心では推しアイドルを前にしたオタクみたいな挙動になっていた。表面上はお父様の教育の甲斐あって平静を保っていたけれど。お父様ありがとう。でもいつか殴る。
次に見たときは、ハムスターの擬人化かと思った。くるくると良く動く姿は男じゃなくても可愛いと思うし、ずっと見ていられた。叶うならうちで飼いたいくらいだ。どうしてファイエットはハムスターじゃないのかしら。
そして、いくら同年代のライバル店舗の令嬢だからってあんなイジメをするなんて信じられないと心底思った。少なくとも私には無理。
だから私は、普通のライバルとして、同年代の経営者仲間として彼女と接した。
建物自体が美術品みたいなフランス博物館風のうちの店と、シルバニアファミリーみたいな彼女の店が隣同士に建っているのは何だか不思議な感覚だったけれど、私は彼女の可愛らしさが反映された店が好きだったし、彼女もうちの店を憧れで目標だと言ってくれた。
店を訪ねてくる攻略対象たちとも順調に親交を深めているみたいで、何度かデートイベントも発生した。何故かファイエットに誘われて、私もデートに同席することがあったけれど。あの子は明るく見えて異性関係となると控えめな性格だから、男性と最初から二人きりになるのは緊張するのかも知れない。そう思うと、より応援したくなった。政略結婚しか許されていない私と違って、彼女には恋する自由があるもの。攻略対象の誰と結ばれても将来は輝かしいわ。
友人として過ごしていたから、イジメなんてしたことも考えたこともなかったし、きっとこのまま上手くいく。
そう思っていたのに。