デビルズ・レコード 隣のモブ同級生が神ゲーの隠しキャラなんて聞いてない!
「なんでぇええええええっ!!!」
異世界エテルネ はじまりの街・ローゼリア。
赤い満月が輝く裏路地をひとりの少女が走っていた。
年は17歳。亜麻色の髪を一つに結び、聖職者の証である白と青のワンピースを着た『見習いエクソシスト』の少女だ。名前はYUNA。
「ぎょえええええっ!!!」
見た目は可憐なこの少女、奇声を発しながら白目を剥いて激走している。周囲に立ち並ぶ西洋風の建物からはひとっこひとり出てこない。灯りを消した住民たちは「どうか自分が狙われませんように」と息を殺して潜んでいるのだ。
「ほぎゃっ!」
角を曲がったところで何かに躓いて派手に転んだ。
「イテテ……はっ! 師匠!?」
地面に転がっている眉間にナイフが刺さった男の亡骸だ。目を見開いたまま、聖職者の服は元の色が分からないくらい赤黒く染まっている。
彼の名は聖弓師アルヴィン・トーレス。
神が遣わした12使徒のひとりであり、師匠にあたる。序盤でプレイヤーを補佐するお助けキャラのはずだった。
「師匠……どうしてこんな……」
涙ぐむ少女の背後にひとつの気配が降り立つ。
「ヤッと、追いつイタ」
腰の曲がった老人だった。
髪を振り乱し、にたりと口角を吊り上げる。黄ばんだ歯が見え隠れし、じゅるりと舌なめずりした。
「あ、ああ……あぁ……」
「ハイ、おシマい」
振り上げたナイフが満月を受けて銀色に光る。それが最期の光景だった。
……GAME OVER.
……You died.
……Rewrite? YES or NO
※ ※ ※
「もぉ! なんでなのぉ!!」
突然叫び声を上げた鳴沢こころ。
教室で昼ごはんを囲んでいた友人二人がびくっと反応した。
「なんなの、いきなり騒いで」
「聞いてよ真由ちん。このゲーム、全然進まないの。もう何回も死んじゃってさ~」
「どれどれ……、これデビルズなんとかでしょ。うちの兄貴もやってる」
同級生である三橋真由美はスポーツ万能で容姿端麗、きりっとした眉が凛々しく、まるで某劇団の男役のようだと同性から非常にモテる。
「ほんと? いまどこまで進んでる?」
「知らない。デスゲとかキョーミないもん」
「真由ちんは乙ゲ命だもんね。紗羽っちはどう?」
「うちぃ?」
水を向けられた篠原紗羽は困ったように首を傾げる。
高校生モデルの紗羽はちょっとした仕草でもドラマのワンシーンのようだ。
「ごめんねぇ。うちは撮影の合間に落ちゲーやるくらいで詳しくないんだぁ」
「そっか、忙しいもんね」
同じゲーム好きでも真由美と紗羽とは好きなジャンルが違うのでなかなか話が噛み合わない。それでもこころのデスゲ愛を理解してくれる大切な同級生たちだ。
「楽しいよデスゲ。ぐああって襲ってくる敵をだああって倒すのが好き。このデビルズ・レコード――デビレコなんて七年ぶりの新作だよ。前評判も高くて発売三日でダウンロード数世界一を達成。チュートリアル触っただけで神ゲーの予感ぷんぷんするもん。でもそこから先に進めなくて……はぁ」
ゲーム機の進化によって、まるで自分がゲームの中にいるようなリアル体験ができるようになった。
先ほどのように敵に追いかけられれば現実でも息が切れるし、心拍数も上がる。殺される瞬間はさすがにショックが大きいので直接的な表現を避けるよう配慮されているが、思い出すとちょっぴり怖い。
それでもデビルズ・レコードに惹かれてやまない自分がいる。
(ネットで調べたけどチュートリアルで躓いてる人なんていないんだよね。やっぱり問い合わせしてみようかな)
デビルズ・レコードの概要はこうだ。
女神に守られた美しい王国、エテルネ。
未来永劫の繁栄が約束された楽園に突如現れた『悪魔』。彼らは人間に憑依し、事件や事故を引き起こして歴史の改変を引き起こす。
主人公は学校を卒業したばかりのエクソシスト見習い。12人の使徒から任意のひとりを師匠に選び、悪魔によって歪められた歴史を正していく。
物語序盤で選んだ師匠が「だれ」かによって、基本能力(攻撃力や俊敏性、回避力や運など)やストーリーが分岐する。一回クリアした後も師匠を変えて再挑戦することで重厚な世界観を隅から隅まで堪能できると評判で、動画攻略サイトを見れば全師匠師事や隠し要素、ストーリー考察などであふれかえっている。
こころが選択した聖弓師アルヴィン・トーレスはパラメーターのバランスが良く、初心者向けで使い勝手が良いとされていた。
(その師匠が最初の敵で死んじゃうなんてどの攻略サイトにも書いてなかった)
物語中盤にさしかかると師匠から独立するイベントが発生するが、こころは最初の敵につまずいてチュートリアルの街から出ることすらままならない。師匠を変えて何度やり直しても同じ。みな無残に殺されていく。推し師匠の聖声師リーリエも、最強と名高い聖剣士ギルモアも。
(お小遣いためて課金したからやめたくないんだよねぇ、だって絶対に神ゲーだもん。いっそ攻略サイトで質問してみようかな。でも初心者だと知っててわざとネタバレかましてくる✖✖(ピー)がいるからなぁ。やはり神か、神にお問い合わせして……)
「そぅだ」
ぽん、と紗羽が手を打った。
「ゲームのことなら山田くんに聞いてみたら?」
「山田くん? だれ?」
こころは首を傾げる。
「あそこ」
紗羽が指さしたのは最後尾の窓際の席だ。机に突っ伏して眠る男子がいる。
こころは目を白黒させた。
「……あたしの席の隣じゃん!」
二人がズッコケた。
「知らなかったのかよこころ」
「入学して三ヶ月も一緒にいるんだから気づいてあげてよぉ。彼、ゲーム詳しいみたい。この前クラスの男子と話してるの聞いたんだ」
「へぇー。そうなんだ……」
ずっと隣にいたのにすっかり忘れていた。授業中は寝てばかりでまったく気配がなかったからだ。
席に戻ったこころはじっと隣に視線を注ぐ。
腕の中に頭をうずめ、冬眠中のクマのように動かない同級生。いざ話しかけようにも最初の言葉が浮かばない。
初めまして、ではないし、こんにちは、では余所余所しい。いきなりデビレコの話題を振っても変な目で見られるかもしれない。
だが愛するデスゲのためだ。
「……だ、やまだくん、山田君」
ぴくっ、と背中が動いた。
ややあってのっそりと顔が持ち上がる。
「んん……?」
授業が始まるとでも思ったのだろう。教師の姿を確認するように黒板の方を見つめていたが、その姿がないことに気づいてこころの方に顔を向けてくる。
(へぇ、こんな顔してたんだ)
すっとした鼻筋にバランスのとれた顔つき。
寝起きのせいで前髪が乱れているが制服のシャツには目立った皺がなく、きちんとアイロンがかかっている。色白で、たぶん早生まれ。
「山田君ゲームするんだって?」
「……まぁ。」
ぼさぼさの髪の毛をかきむしっている。眠そうだが会話する意思はあるようだ。
「聞きたいことがあるの。でもその前にひとつだけ確認していい?」
「……?」
これはとても大事なことだ。
こころはズイッと身を乗り出した。
「聞いてもないのにネタバレ食らわしてくる人間ってどう思う?」
「そりゃあ……」
大あくびをしてから、一言。
「✖✖(ピー)だとおもう」
良かった。同志だ。
※ ※ ※
20時42分
夕食を終えて部屋に戻ったこころはデビルズ・レコードにログインした。
親に邪魔されないよう鍵をきちんとかけて。
というのも……
「チュートリアルから進めない? じゃあ今夜ゲーム内で待ち合わせしよう。ニューゲームでログインして師匠は聖拳師のヴィトを選択、キャラメイクは任せる。スタート地点の修道院を出る場面になったら、教会には向かわずに一度戻ってカーテンの裏に隠された隠し通路から路地を進むんだ。赤いランプを灯した飲み屋の前で2055に落ち合おう。 念のため鳴沢さんのIDと名前は? 281411……。名前はYUNA。了解」
(びっくりした、山田君ってあんなに饒舌なんだ)
興奮すると早口になるオタク同志。
なんだか仲良くなれそうな気がする。
「っと、いけない。ログインログイン」
ゲーム機のスイッチを入れて専用のゴーグルを嵌めた。フルダイブには対応していない型落ち品だが限られたお小遣いの中でやりくりしてるので仕方ない。
オルゴールのやわらかなメロディーとともに真っ白な画面が現れ、開発元のWishのロゴが浮かび上がる。
わくわく、どきどき。
まるで遊園地への入園を待ちわびる子どものように胸が高鳴る。
そのとき。
「……?」
ふと気配を感じてゴーグルを外し、ドアを振り返った。
しばらく見つめるが特に変わった様子はない。
気のせいか。
再びゴーグルをつけようとすると、机の上の写真立てに視線が吸い寄せられた。祖母が険しい表情でこころを見つめている。
「おばあちゃん怒ってるのかな。ゲーム嫌いだったもんね」
多忙な両親にかわってこころの面倒を見てくれていた祖母はゲームが”悪いもの”と決めつけており、まるで親の仇のように憎んでいた。
こころがお小遣いをためて買ったゲームソフトも、自分の目の届く範囲で、しかも1時間までと厳密に縛った。時間をオーバーすると強制終了(物理)。思いきり楽しめたためしがない。
亡くなって一年経った今でも時々視線を感じるのはゲームをしている後ろめたさのせいだろうか。
「ううん、気のせい気のせい」
自分に言い聞かせるようにしてゴーグルをつけると、イヤホンを通してヴァイオリンとベースの不気味な不協和音が響いてきた。
女性の悲鳴とともに画面にデビルズ・レコードの血文字が浮かび上がる。
ニューゲームを選択。
おどろおどろしいBGMが流れ、デビルズ・レコードのあらすじがおとぎ話のように語られていく。
(悪魔と戦ってきた歴史が映画のワンシーンのように現れては消えていく。重厚な音楽も相まって何度見ても痺れるオープニング! スキップするなんて勿体ない!)
オープニングをたっぷり堪能してからキャラメイクと名前の登録を済ませると画面が白く染まった。
『目覚めなさい、YUNA』
うららかな光が差し込む修道院、こころは国の象徴である女神像のもとで祈りを捧げていた。
『慈悲深き仔羊よ、旅立ちの時間です。まずは師のいる教会へ向かうのです』
神に促されて動き出す。
お約束だがこの声、話すときはA、走るときはキースティックを強く倒す、ショートカットはLなど懇切丁寧に教えてくれる。
(このあとシスターと話して師匠が待つ教会に行くイベントが発生するんだよね。そのあと、師匠が死ぬ)
あるときは胸を貫かれて。
あるときは屋根から吊るされて。
あるときは噴水に沈められて。
画面が切り替わる一瞬で何者かに殺害され、死体として再登場するのだ。
こころが戸惑っているうちに画面が暗転し、ゲームオーバーと表示される。
(今度こそチュートリアルの先に進みたい。ううん、絶対進む! だってデスレコは神ゲーだってあたしの本能が言うんだもん!)
早速動き出すと近くにいたシスターが勝手にしゃべりだした。
『ああYUNA、あなたにも神の声が聞こえたのですね。わが国はいま大変な危機にさらさ(スキップ)』
画面が切り替わり、外に出たシーンから始まる。
物語のスタートとなる「はじまりの街・ローゼリア」には中世ヨーロッパを思わせる美しい街並みが広がっている。
目の前から続く白い石畳を辿ると、小高い丘の上にある青い建物につながる。そこが師匠と落ち合う教会だ。有り得ないくらい目と鼻の先にある。
(で、一旦戻る)
山田君の指示に従って修道院に入り直す。
室内に大きな変化はない。先ほど女神像の側に立っていたシスターが参拝者用のイスに座っているくらいだ。ためしに話しかけてみたものの『わが国はいま大変な危機にさらさ(スキップ)』だった。
(カーテンに隠された裏口……カーテンどこよ?)
礼拝堂内は一面のガラス張り。美しいステンドグラスが煌めき、カーテンなど一枚もない。
ぐるぐる……うろうろ……
アクションコマンドが出ないかとステンドグラスの前で徘徊してみた。
なにもない。
(やばい早速詰んだ……)
困り果ててシスターに話しかけてみる。
『わが国はいま大変な危機にさらさ』
それもう聞いた。
「どうしよう、もうすぐ約束の時間なのに」
いっそのことスマホで謎解きと遅れることを連絡しようか。
(あ。連絡先交換してない)
おしゃべりな山田君に圧倒されて忘れてた。
(だめだ。マジ詰み。助けて女神様……)
ふらふらと女神様の前を通ったとき一瞬だけ「!」とコマンドが出た。何事かと思って引き返す。頭の上にばっちり「!」と出ている。走っているときは気づかなかった。
(もしかして)
期待に胸を膨らませてAボタンを押すと、跪いて女神像に祈りを捧げた。
特になにも起きない。操作もできない。
(なにこの時間……)
十秒ほど、意味があるのかないのか分からない時間を過ごした。
ふと、シスターの位置が変わっていることに気がついた。今度はステンドグラスから外を見つめている。ただし話しかけてもセリフは同じだ。
ためしにもう一度祈りを捧げる。
またシスターの位置が違う。
祈る→位置確認→祈る→位置確認を数回繰り返したところで「あっ!」と叫び声を上げた。
シスターの姿がない。
女神様の右後方でカーテンらしきものがはためいている。出口だ。
慌てて飛び出すと、すぐ近くに例のシスターが立っており『祈りを捧げるのは大切なお勤めですが、たまには息抜きも大事ですよね。あなたも一緒に見ませんか? 綺麗な夕焼け空ですよ』としゃべった。
このシスター、たくさんのプレイヤーを機械的に送り出すだけではなく、裏口から出てこっそり息抜きしている一面もあるのだ。
ギャップ萌え!
アクションコマンドがないのが残念だ。これからはシスターちゃんと呼ぼう。
「あ、もう時間だから行かなくちゃ。またねシスターちゃん!」
シスターちゃんに別れを告げて裏路地を進む。
赤いランプを灯した店。見つけた。待ち合わせ場所だ。時間もギリギリ。
これでやっと物語が進む。
まだ山田君らしきプレイヤーはいない。
オンライン中のプレイヤー(第三者)から話しかけられるオープントーク設定になっていることを確認し、ランプの前で待つことにした。
(さっきの裏口って隠し要素だよね? なんで山田君知ってるんだろう。とっくに攻略済みなのかな? それともネット情報? ネタバレは勘弁して欲しいなぁ)
「こんばんは」
話しかけられた。山田君だ。
「あ、はい!――――うそ……、なんで」
こころは青ざめる。
目の前にいるのは山田君ではない。何度も繰り返された悲劇の、その始まりだ。
「オレはヴィト・ハイマン。聖拳師――第8使徒だ。きみが弟子入りを希望しているYUNAだね。今日からよろしく頼むよ」
師匠だ。
もうすぐ殺されるはずの。
「イヤ……」
震えながら後ずさりした。
これでは同じだ。
師匠が殺され、自分も殺され、チュートリアルから抜けられない。
「どうしたんだい? さぁ師弟の契約を結ぼうじゃないか」
聖拳師という名の通り、ヴィトは己の肉体に霊力を宿して拳で悪魔を祓う。極限まで鍛えられたムキムキの肉体とさわやかな笑顔は女性プレイヤーに人気で、ある界隈では二次創作がよく出回っている。
それはともかく。
「なにを怯えているんだい? そんなに悪魔が怖いのかい?」
ヴィトは困惑しながらも心の距離を詰めるように優しく語りかける。このあたりのセリフは最新のAIによって自動生成されたものだ。
「もうイヤ! 神ゲーを楽しみたいだけなのに、なんでこうなっちゃうの!?」
「おい、きみ――」
どさっ。
ヴィトが倒れた。
なんの前触れもなく、声を上げる間もなく。白目を剥いて絶命している。
『だめよ』
辺りが暗くなり、ぼうっと青白い光が浮かび上がった。収縮しておぼろげな人の姿になる。
「おばあちゃん……?」
亡くなった祖母そっくりだ。
肩まで伸びた白髪や青白い顔など、棺の中で見た亡骸そっくり。
(どうして? なんでゲームの中におばあちゃんが現れるの?)
『おしまいよ、おしまい、おしまい』
微笑を浮かべて近づいてくる。寒気がした。
祖母の口癖だったから。
――『こころ、ゲームはだめよ。もうおしまい』
――『ゲームは危ないの』
――『言うことを聞きなさい。おしまいよ、おしまい、何度言わせるの、こころ!!』
祖母にもゲームを楽しんで欲しくて昭和を舞台にしたゲームやカワイイ犬猫の育成ゲームに誘ったこともあった。
でも結局分かり合えないまま、一年前に持病が悪化して逝ってしまった。
(怒ってるんだね。あたしがゲームしているから)
肩の力が抜けていく。
もうどうでもいい。
『おしまい、さ、おしまい』
優しい声で祖母が手を伸ばしてきた。
こころの首を掴んで持ち上げ、爪先が宙に浮かせてぎりぎりと締め上げる。
「おばあちゃん、ごめんなさい――……」
ゲーム中なので痛みや苦しみはない。
それでも。
「ごめんね……」
ただ、涙があふれる。
「煉暴連撃!!!」
空から炎の矢が降り注いだ。
『ギャアッ』
手を撃ち抜かれた祖母がよろめく。
解放されたこころはドサッと地面に崩れ落ちた。
(だれ?)
よろよろと上体を起こして視線を向ける。
赤い月を背景に、屋根の上に佇む人影が見えた。全身を黒いフードで覆っている。
「遅れてすまん m(__)m」
「野暮用で」
トーク画面に浮かび上がる文字。
(山田君なの? 名前はLoguo……ログオか、変な名前。――ん?)
ステータスを二度見してしまった。
(レベルMAX……9999ってこと!!??)
発売されてからあまり経っていないのに、どれだけ時間をかけたらレベルMAXに到達できるのだろう?
『邪魔だぁアア!!』
祖母が跳躍して襲いかかる。
鋭い爪が目玉を貫く――寸前で、山田君がするっと左へ回避した。すかさず右手に力を込める。
「怒伐」
懐に繰り出された一撃で祖母がロケットのように吹っ飛んでいく。
(すごい、完全に動きを見切ってる!!)
ゲームである以上、ある程度パターン化された挙動がある。先を急ぐタイムトライアルでは敵キャラにいちいち構っていられないので相手の動きを覚えてスルーする回避スキルが重要になる。
「って、おばあちゃーん!!」
はっと我に返る。
つい実況動画を見ているときのように夢中になってしまった。
ひらりと降り立った山田君が怪訝な表情を浮かべた。
「……おばあちゃん? チュートリアル進めない元凶じゃなくて?」
フードの下の顔は現実の本人と瓜二つだ。姿かたちを変えて別人になりきるのがゲームの醍醐味なのに、自分そっくりにキャラメイクするなんて変わり者かナルシストくらいだ。
「うん、おばあちゃんが幽霊になって出てきたの」
「……」
しばしの間がある。
「念のため説明するけど、あれは死霊っていうモブ敵で退魔対象の悪魔ですらない。得られる金も経験値も少ない」
「でもおばあちゃんなの! ゲーム嫌いだったから先に進まないようにしているんだよ」
自分でもめちゃくちゃなことを言ってる自覚がある。それでも祖母とは戦えない。
「おばあちゃん、ねぇ」
山田君は相変わらず無表情だ。
呆れているのかと思いきや、視界の片隅で祖母を捉えながらこころの方をちゃんと見ている。
「――で、何回ゲームオーバーになった? あのばあさんに何回殺されたんだ?」
「それは……」
――ヒュン!
「いたっ!」
突然ダメージを食らった。あらぬ方向から次々と石が飛んでくる。
『キヒヒヒ!』
吹っ飛ばされた祖母が屋根に隠れながら石礫で遠距離攻撃しているのだ。
なんという正確さ……。
「うっ」
隣でも声がした。
「ちょっ、なんで避けないの山田君!」
レベルMAXの山田君も普通にダメージを食らっている。
ただの石を。そこらへんのただの石を。投げられて「うっ」って言ってる。
「ダメージ1だから全然問題ない」
「強者が地味な攻撃受けてるの見ると居たたまれない感じがするの! 分かるこの気持ち?」
「分かんね。……うっ」
「なんかこうパァアアアな結界とか、さっきみたいなドドーンってすっごい技とかあるんじゃないの? いたっ」
「昼間も思ったけど鳴沢の表現はふわっとしすぎ。……うっ」
「教室での会話、聞いてたの!?」
「あんな大声で喋ってたらイヤでも聞こえる。……うっ」
こうしている間も祖母の陰湿な攻撃はつづく。
「鳴沢のリクエスト通りやり返してもいいけど、そしたらばあちゃん死ぬぞ?」
「あっ……」
「この世界の主人公は鳴沢だ。任せる。オレはあくまで助っ人キャラだから」
(あたしの気持ちを尊重してくれてるんだ)
ゲーム内の敵キャラを祖母だと怯える自分を。
後ろめたさを抱えて先へ進めない自分を受け止めてくれる。
「でも教室でピーピー騒ぐのは勘弁してほしい。隣だと逃げ場がなくて困る」
「すみませんね」
祖母もガミガミと口うるさかった。
手を洗いなさい、歯をきちんと磨きなさい、勉強しなさい、お手伝いしなさい、早く寝なさい、ちゃんとしなさい。――おばあちゃんはいつまでも一緒にいられないのだから。いつかひとりでもきちんと生きていけるよう、今から身につけていきなさい。
でも一番大切なのは、笑顔でいること。
こころの嬉しそうな顔は、おばあちゃんの宝物。
いつまでも元気でいて。
それだけが、おばあちゃんの願い。
(おばあちゃんはいつもあたしの幸せを願ってくれた。ゲームを嫌ったのも悪いものだと思っていたから)
――『何回ゲームオーバーになった?』
――『あのばあさんに何回殺されたんだ?』
どうして分からなかったんだろう。
孫娘を殺して平気な顔しているアイツが祖母のはずがない。あれはニセモノだ。
「山田君」
「ん」
「アイツ、隠れててずるい。ここにおびき寄せられないかな」
一瞬ぴくっと眉が揺れた。へぇ、と口元が動く。
「じゃ、やってみるか」
山田君の全身からゴゥッと炎が立ちのぼった。
闇夜を照らすキャンプファイアーのような力強さだ。すさまじい霊力だ。
「うまくいくといいけど」
膝をついて地面に触れる。
ゴゴゴゴゴ……
地鳴りとともに幾何学的な文様が広がっていく。
(は! これってデビレコのCMで見た魔法陣じゃない!?)
エクソシストが使う退魔の魔法陣。
その宣伝映像がめちゃくちゃ格好良くてデビレコを購入したのだ。
炎の乱舞。
荒れ狂う風。
光の渦。
夢にまでみたエフェクトが目の前に。
「殲滅火炎陣」
ドォン!!
街をぐるりと取り囲むように赤い炎の柱が乱立した。まるで炎の壁だ。火の粉を散らしながら内側に向かって進行してくる。
炎の壁のエフェクトは本物と見まごうほど真に迫っている。
「よっと。」
立ち上がった山田君はパンパンと手のひらを払う。
「殲滅炎。この炎に触れた悪魔はたちまち燃え尽きる。死霊レベルはひとたまりもない。ふつうは術者を中心に一定の範囲内にいるモブ敵を殲滅する広範囲攻撃技なんだけど、今回は動かしてみた。……鳴沢、どうした?」
「山田君。……いえ、山田様」
「ん? 様?」
「ちょーーーーぉおおカッコイイ!!!!!!」
特大魔法。大迫力のエフェクト。壮大なBGM。楽しいバトル。
これだよ、これ。これが見たかった。こころは踊り狂った。
「最高! 天才!! 神!!! 至高の存在!!!! これから山田神って呼んでいいですか!?」
「……ふつうで」
『ひぃいいい』
危機を察した祖母(偽)が逃げ場所を求めて近づいてきた。
こころは仁王立ちになって正面から向き合う。
「おばあちゃん」
白髪に青白い顔。
祖母だと思った顔立ちも、良くみるとテンプレの老婆の貌だ。自分の罪悪感が祖母だと錯覚させていただけなのだ。
もう大丈夫。前に進める。
この足で。この拳で。
「今までありがとう。おばあちゃん、だいすきだよーっ!!!」
思いきり振りかぶった拳が死霊の顔面にクリティカルヒットする。
『ぎゃあああアアア!!!』
流星のごとく吹っ飛んだ死霊は殲滅炎に呑まれて消えていった。
ジャジャジャーン!!
壮大なBGMとともに空に『退魔完了』の文字が浮かび上がる。初めての勝利だった。
※
「やっ……たの?」
呆然と空を見上げる。『退魔完了』の文字から金色の粉が降り注いできた。
「その雨は経験値で、いまの戦いで1レベルアップしたみたいだ。良かったな」
「これで大丈夫なのかな? チュートリアル、終わった?」
「心配なら自分のステータス見てみればいいんじゃないか? こうやって」
ぱちん、と指を鳴らすとモニターのようなものが現れた。
こころは目を輝かせる。
「なにそれちょー格好いい!!」
「単純にメニューボタンでもいいけどな」
「ううん指パッチンの方がいい! やってみる!」
――しかしこころの願いとは裏腹にいくらやっても指パッチンできず、山田君から別の方法を教えてもらった。
その方法とは、祈りを捧げるときのように両指を組んで叫ぶだけ。慣れれば頭の中で念じるだけで出るという。
「ステータス!」
目の前に白いモニタが現れた。
YUNA レベル2
称号:見習いエクソシスト
倒した敵:1 とある。
「倒した敵がカウントされてる。それに次の目的は教会でミッションを受け取ることって書いてある! チュートリアルの悪夢から抜けられたんだね!」
「そういうこと。お疲れさん」
「山田君のお陰だよ! でもどうしてそんなに強いの? カーテン裏の隠し要素も知ってたよね」
「全クリしたから。裏ボスも含めて隠し要素も全部」
「裏ボス、隠し要素……あ、ネタバレはナシでお願いします!」
「了解。気をつける」
「とにかくありがとう。これで心置きなくゲームを進められるよ!」
そう、これで念願の神ゲーを進められるのだ。
神ゲーを……ん、ひとりで……?
「は! 師匠死んじゃったよ!?」
中盤まで導いてくれるはずの師匠がいない。
ということは、この先ひとりで進まなくてはいけないのだ。
「むり……」
デスゲの動画実況はよく見ていたが、実際にプレイするのは初めて。
ここを抜けてもすぐに詰む可能性が高い。
「あの……山田君。いえ、山田様。もし宜しければクリアまで……いえ、中盤までパーティー組んでくれませんか? お礼は、学校の宿題かわりにやるとか購買のパン奢るとかしますので。――お願いします! この通りです!」
土下座覚悟で懇願すると山田君はさらりと告げた。
「オレは最初からそのつもりだったけど」
「はっ!」
「チュートリアルから抜けられない。そんなバグ、初耳だ。もしかしたらルールやレギュレーションが違うのかもしれない。興味がある」
「レギュ……なに?」
「この世界の決まり事だよ。初心者はラスボスの元に行けない、ニューゲーム以外に時間を巻き戻すことはできない、キャラクターは決まった言動以外しない。運営が設定した制約を鳴沢は無視できるのかもしれない」
「どういうこと?」
「同じ世界で鳴沢だけが別の物語やイベントを進行できるかもしれないってことだ。あり得ないけどな。……ニューゲームで入るとき何か特別なコマンド入力したか?」
「特になにも。名前とキャラメイク……、初めてゲームプレイするときだけ招待コードを入力したけど」
「どんな招待コード? ステータス画面で呼び出せるようならみせて欲しい」
「う、うん。」
こころが示したのはアルファベッドが16個並んだコードだ。
ランダムに並んだ文字列に見えるが、山田君は真剣な顔で読んでいる。
「この招待コードはどこで?」
「発売前に情報あさっていたらDMで届いたの。デビレコ楽しみだねってたくさん投稿していたから、それを見た誰かが送ってくれたんだと思う。この招待コードでログインすると特別仕様の衣装を着られるっていうから」
「特別仕様……?」
「ほらこの亜麻色の髪の毛、可愛くない?」
「髪の毛……ああホントだ」
「反応薄っ!」
「このコードには髪色だけじゃない特別なコードが仕込まれていたのかも知れないな。招待コードの主は知り合いか?」
「ううん。楽しんで! ってコメント入ったと思ったらすぐアカウント消しちゃったから分からないんだ」
「ふぅん……正体不明の相手か」
しばらくなにか考え込んでいる。
「やっぱりオレも行くしかないな」
なぜか嬉しそうだ。
(山田君ってホントなに考えてるのか分からない。でも、いい人そう)
ふいに周囲が明るくなった。
東の空が白んでいる。もうすぐ夜明けだ。
「もう朝なんだね。日没からまだ数十分しか経ってないのに」
「まぁそこはゲームだからな」
「忘れてた。でもこの世界で初めて見る夜明けなんだ。きれい……」
ずっとチュートリアルの夜から抜けられなかった。建物の輪郭をなぞるように広がる朝日がとても新鮮に見える。
「山田君」
「ん」
「改めてお礼を言わせて。あたしだけじゃチュートリアルから抜けられなかったよ。ほんとうにありがとう」
感謝の意味で手を伸ばすと山田君が後ずさりした。
「なに、握手するのイヤ?」
「そういうわけじゃないけど」
「じゃあいいじゃない。現実世界でいきなり手を握るのは犯罪だけどここはゲームだし同級生なんだからおかしくないでしょ。ね?」
「……後悔しても知らないぞ」
ぎゅっと手を握った。
するとどこかで神の声が響き渡った。
『契約締結。あなたに祝福があらんことを』
こころの足元から青い光があふれ出した。
「これ……師弟契約!?」
光は収束して胸元にバッヂとなって留まる。銀のバッヂの表面には『熾』と刻まれていた。
本来であれば師匠と契約するときにこのイベントが発生するはずなのに。
「ど、どういうこと? なんで山田君と師弟契約ができたの?」
目を白黒させるこころだったが、
「オレのステータス、見えるか。いまオープンにしたから見えるはずだ。対象の目を見ながらステータスって呟く」
「ん……ちょっと待って。ステータス」
「ログオ」を選んでステータスを確認。
レベルの他に霊力・知力・体力・気力・運などが表示されているが軒並みMAXだ。
だが注目すべきは。
「称号。聖熾師――またの名を第13使徒……うそ……!」
「そのまさかだよ。師匠として選択できる使徒は13人いる。オレもそのひとり」
太陽が昇る。
朝焼けの中で山田君が微笑んでいるように見えた。
「ただしオレの場合は公表されてない隠しキャラだけどな」
※ ※ ※
翌朝。
「おはようおばあちゃん、お水とご飯替えたよ」
祖母の写真に手を合わせる。
頭の中では昨日のことを思い出していた。
『なんでオレが隠しキャラなのか。理由は言いたくないし聞かれても答えるつもりはない。そのかわり他言無用を約束してくれるなら全力でサポートする。もし鳴沢がこの方針に納得できないならアイテムの『毒入り珈琲』を飲めば経験値を引き継いでニューゲームで新しく始められる。今度は邪魔しないから』
(あんな言い方、ズルい。ニューゲームしたらまたチュートリアル地獄になっちゃうかもしれないじゃん)
結局、詮索しないこと・だれにも言わないことを約束した。
第三者にバッヂを見られればバレてしまうのではないかと思ったが、ステータスを秘匿していれば分からないらしい。
いくつかの注意事項を残し、山田君はログアウトしていった。
他のゲームも掛け持ちしているらしく「こう見えて多忙」なのだそうだ。
デスレコからログアウトしたこころは、お風呂に行こうとして足がぷるぷると震えていることに気がついた。
初めてのバトルは自分でも思った以上に怖かったのだ。
でも山田君のお陰でクリアできた。楽しかった。
これから週に3日、ゲーム内で待ち合わせして一緒に攻略していく。
『これからオレが鳴沢の師匠ってことになる。学校ではいつも通りでいいけどな』
(いつも通りって……いつも寝てて、隣にいることを忘れるくらい存在感がなくて、話もしない状態でいいってこと? ほんとにぃ?)
「こころ、遅刻するわよ!」
母に急かされて我に返った。
「はぁい! じゃあおばあちゃん行ってくるね」
写真の中の祖母が微笑んでいる。
まるで心の中で語りかけるように。
「こころー、昨日どうだったー?」
「山田君助けてくれたのぉ?」
教室に入るなり真由美と紗羽が駆け寄ってきた。
「おはよー。山田君のお陰でばっちり進んだよ。初めてのバトルもあって、すごくドキドキしたけど楽しかった!」
「へぇ、やるじゃん山田」
「良かったぁ。山田君って結構頼りになるよねぇ」
「普段寝てばっかりなのにな」
「でも色んなゲームやってるみたい。ランカーって呼ばれるトップゲーマーだって聞いたことあるよぉ。ゲームの動画配信もやってて、登録者数すごいよ」
(へぇー……山田君ってすごい人なんだ)
ウワサの山田君はすでに登校していた。
相変わらず腕を枕にして寝ている。
(夜遅くまでゲームしているのかな。そりゃあ眠くなるよね)
こころも昨日は興奮してなかなか寝つけなかった。
「おはよう山田君、昨日はありがとね」
席に着いてからさり気なく声を掛ける。
いつも通りでいいと言うが挨拶くらいなら構わないだろう。
「…………」
無反応――かと思いきや、片手を上げて「気にすんな」みたいな反応をする。
寝たふりなのか、夢うつつなのか、どちらにせよ応えてくれたこと自体が嬉しかった。
(だれも見てないよね)
周りの様子を確認してから身を乗り出し、こそっと耳打ちする。
「すごく格好良かったよ」
ぴくっ、と頭が動いた。
腕の間から向けられる寝ぼけまなこ。
「今なんか言ったか……?」
「なーんにも!」
こころはとびきりの笑顔を浮かべた。
これからよろしくお願いします、師匠!