03 世界の未来像
家族の予防接種をした翌朝、事務所までタイムカードを押し/IDカードを端末にタッチし/に行った長谷川は、シシス達に身なりのチエックを受けた。
車や武装は、前日のうちに事務所に返しているので、ボディチェックではなく、ネクタイや上着などを着替えさせられた。
「何があるんですか?」
「抜き打ちですが、上司の方々がみえているんですよ」
事務所四階で外交用の服に着替えさせながら、賀茂が答える。
「なんで、メールとかで教えてくれなかったんですか?」
「教えたら【抜き打ち】にならないでしょう?」
当然だが、予知能力もある彼等には【抜き打ち】など意味がない。これは、長谷川に対する【抜き打ち】である。
「いきなりで申し訳ない。日本で頑張ってくれている君達を労うのと、特に長谷川さんに、納得をしてもらいたいと思いましてね」
応接室で長谷川は、耳鳴りがして、少し空気が淀んだ感じがした。
来客の声と、口の動きが合っていないので、恐らくは【翻訳】関係の魔法でも働いているのだろう。
シシス達に関わっていると、こんな事は頻繁に有るので、彼はあえて気にはしなかった。
「長谷川!」
服の裾を引っ張られて後ろを見ると、シシスと賀茂、山根までが片膝をついて頭を垂れている。
「へっ?」
「王の御前だ。無礼はするな!」
【王】と言われて、慌てて膝をつくが、どうみてもメイドと神父と商社マンだ。
「まぁ、まぁ。兎に角、座って話そうじゃないか?」
来客の三人のうち、神父と商社マンが椅子に座り、メイドが後ろに立っている。
商社マンが、チラリとメイドへと視線を送っている。
シシスに促され、彼女と長谷川が対面する椅子に座り、賀茂と山根が後ろに立った。
「お久しぶりです。騎士フォルカスの娘、シシス・メリスです」
「はじめまして。長谷川雄一と申します」
先ずは目下の者から挨拶するのが礼儀だ。
「私は、バチカンの神父でヨハン・ガードナー。俗に言う悪魔祓い師をやっています。後ろのメイドが、妻で補佐役をやっているマリアナです」
優しそうな六十代男性と、二十代にしか見えない二人が夫婦だと聞いて、長谷川の眉毛がピクリと動く。
「ああ、妻はとは違い、私は普通の人間ですから」
長谷川の反応を察知した神父が、笑顔で教えてくれた。
どうやら特別なのは、後ろに立っているメイドの方らしい。
【悪魔祓い師】と聞いてシシスの方を見た長谷川だったが、頷いているのでスルーする事にした。
「では、次は私かな?画商をやっているクロイム・バーシェと言う。今回は、ヴィ・・いや、マリアナ様の御手伝いでうかがった。彼女は人間に教えるのが得意ではないのでね」
商社マンは三十代の男性だが、恐らくは違うのだろう。
「メイド姿なのがヴィネ様、右の画商がロイム殿だ」
シシスが差し出した情報パッドに、長谷川は目をやった。
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ソロモン王が使役した45番目の精霊
ヴィネ:大王/伯爵
隠されたものや魔女、妖術師を見つける。過去、現在、未来を見通し、塔を建てたり石壁を破壊したり、嵐で海を荒れさせたりもする。
ソロモン王が使役した40番目の精霊
ロイム:大伯爵
王の城から財宝を盗み、命じた場所に運ぶ。都市や人間の地位を破壊する。過去、現在、未来の事を語り、友人や敵との愛を起こしたりする。
――――――――――
察するにヨハン・ガードナーと言う神父は人間だが、【王配】と呼ばれる立場なのだろう。
人間が悪魔を使役している様で、ある意味では正しい魔導師の姿と言える。
「シシスさん、長谷川君。君達の働きには、とても感謝しています。人間と、彼等精霊の未来の為に貢献してくれている」
「もったいない御言葉です」
神父の言葉にシシスが答えて頭を下げ、つられて長谷川も頭を下げた。
「長谷川君も、地球が将来的にアストラル界と統合される事は聞いていると思うが?」
「はい。その為に、人間と言う種が進化しなくてはならないとうかがっています」
長谷川の答えは及第点だったらしく、来客の三人は頷いている。
ガードナー神父の視線が、画商と名のるバーシェ氏の方に向いた。
「ここからは、現地を知る私がお話ししよう」
確かに、普通の人間の言葉よりも、アストラル界に居たと言う者の説明の方が合理的だ。
はじめて悪魔を見る長谷川だが、以前に【召喚魔術と処女受胎による受肉】で来訪した精霊/悪魔が居ると聞いているので、納得はしている。
「君達は、火星の地下に氷があると言う話は聞いた事があるかね?」
いきなりの天文学に、長谷川は首を捻るが、名義上は現役大学生のシシス達三人は、頷いている。
「太陽系創成の時の話なので、流石の我々にも【学説】ではあるのだが、惑星誕生の時に、岩石惑星の周りに氷の層ができ、更にその後に岩石が降り注いだらしい。全体像を理解してもらうために、その辺りから説明しよう」
パチン!
バーシェ氏が指を鳴らすと、周りの景色は事務所ではなく、宇宙空間になっていた。
人物の位置や、床の絨毯の感触は、そのままなので、視覚に掛かった魔法なのだろう。
「大丈夫だ。VRやプラネタリウムみたいなものさ」
長谷川だけが、一瞬だけビクッとするが、バーシェの言葉に落着きを取り戻した。
彼方に所々が光る天体が見えるが、あれが太陽なのだろう。
応接セットのテーブルの上には、白っぽい氷に被われた星が見える。
「これは地球ですか?」
「そう。太陽系が形成される途中の地球の姿は、この様なものと考えられている」
星間物質には、鉱物や岩石の他に、多くの氷が含まれている。
太陽が本格的な核反応を起こす前の、創成時の原始惑星は、比重の関係で鉱物の核に岩石が付着し、その周りに染み出した水分が凍っていると考えられている。
やがて太陽が激しく輝き、雲の様なものが迫ってくる。
太陽の核反応が全体に及び、衝撃波が太陽系全体に広がっていく。
衝撃波と共に、地球の氷の上には沢山の隕石が落ちて、次第に黒くなっていく。
「太陽の核融合が本格的になって、宇宙空間に漂っていた惑星の材料が、一気に吹き飛ばされてきたのが、この様な多層構造の原因だと思われている」
なぜだか分からないが、隣の火星にも氷の上に隕石が降っているのが長谷川には分かった。
距離が遠い為か、量は地球ほどではない。
ここまでは、天文学に詳しくない長谷川も、なんとなく理解できた。
最初に『火星の地下に氷がある』と言う話が、なぜ出たのか、流石の彼にも納得がいった。規模と現状は兎も角、地球と火星は、同じ様な組成をしていたのだ。
視界の全面を覆っていた雲の様なものが、太陽側から宇宙の彼方へ飛び去ると、太陽の光が地球に届き、地面の彼方此方から蒸気が吹き上がっていく。
大気が薄い為に地表が加熱され、地中の氷が蒸発しはじめたのだろう。地表が蒸気で灰色にくもってきている。
蒸気の一部は宇宙空間にまで吹き飛んでゆく。
蒸気が収まると、ある程度の厚みを持つ外郭の内側に大地があるのが、巨大な穴から見えている。
アトラクションの様に、視点が宇宙から、穴の奥に見える大地へと移行していく。
内側の大地からは、足元と同じ様な大地が頭上にも広がり、まるで洞窟の底に居る様な感覚におそわれた。
「これが、本来の地球の姿だ。あの、空に見える大地こそが、神々や我々が住む【天界】。古の厄災により異界へと隔たれてしまっていて、現在では【アストラル界】や【魔界】、日本では【常世】などと呼ばれている。」
長谷川は、天に見える大地を驚愕しながら見ていた。
賀茂と山根、シシスも初めて見る様で、目を見開いている。
天井の様な大地には、ところどころ穴が空いており、そこから太陽光が射している。
地上と【天界】を繋ぐ巨大な柱の様な天然物が、視界の各所に見えていた。
「世界樹や御神木、オリンポスをはじめとした山岳信仰やバベルの塔などは、全て地上と天界を繋ぐ柱から来ているものだ」
神々の世界へと至る巨大な柱を見れば、それらの信仰は理解に難しくはない。
「この、下の地表に住む人間達は、被支配階級だったので、自分達がトップに立ちたいが為に、一部の神々に力を借りて、人間以下の生物と下の大地の部分。【現在の地球】を亜空間に転移させたのだ」
近年の人類史においても、王制などの支配階級は、平民の反乱によって崩壊していった。
人間とは、スポーツでも社会でも、必要や不都合が無くとも、自分が優位に立ちたいと言う【業】を持っている。
相手が同じ人間ではなく、抗えない相手なので、【異界へ逃げ去る】という選択肢しか無かったのだろう。
天地を支える柱の様な物と、上空に見える。神々の世界が、ぶれて薄れて見くる。
地上の風景は、早回しのビデオ映像の様に移り変わり、現代の日本に変わっていった。
だが空には、薄れてはいるとはいえ、柱と天界が見えている。
「お互いに、干渉できなくはなっているが、どちらも消えてしまった訳ではなく、同じ太陽系の第三惑星として、今も同じ位置に存在している。そして、世界には【永遠】という物は無く、無理矢理引き離された物は、元に戻ろうとするのが、来るべき地球の未来と言う訳だ」
長谷川としては、上司からの命令で言われるままに行動してきたが、クロイム・バーシェの説明により、もっと現実的な把握をする事ができた。
「俺は、元々が【組織人】なんで、組織や政府に従うまでなんですが、こうして教えてもらえるだけでも、ありがたいです」
【疑う事】を常にしていた警察の捜査一課に居た長谷川は、この話を鵜呑みにしてはいないが、これが本当だった場合の心構えや対応はしやすくなる。
もっとも、彼が生きている間に、この統一がされる事はないそうだが、以前に学校で起きた消失事件などの辻褄は、この説明で理解はできる。
世界の融合が、一瞬ではあるが、部分的に起きている。
いや、世界の分断が、部分的に維持できなくなっていると言えるのだろう。
「こんな話は、肉親だって信じちゃくれないだろうな」
長谷川は、そっと肩を落とした。