15 星の穴(ブラネットゲート)
ニュースでは、南極大陸に小さな隕石が落下した事を告げていた。
大陸は冬で、大規模なブリザードにより観測基地などからの観測や調査はできなかったが、複数の船舶からの観測で間違いないと報道された。
「衛星情報は隠蔽できたと言うのに」
シシスが報道を見て頭を抱えている。
「何か起きたんですか?」
今日は、行き付けのパチンコ屋が新台入れ替えの為に休みなので、事務所でゴロゴロしていた長谷川の目にも、ソレは明らかな程の様子だったのだ。
隕石など、毎日数百も発生し、年間数個は地上に落ちていて、そうそう珍しい物でもない。
「あれは、我々に感知できなかった物だ。つまりは、【他の精霊】に関係する物と言う訳だ。先行した者の調査によると、上層部の何人かを必要とする案件らしい。私は、しばらく出張するので、留守を三人に任せたいと思う」
「「承知致しました」」
シシスの深刻そうな顔に、賀茂も山根も即答して片膝をつく。
長谷川も遅れて片膝をついた。
「しかし、上層部の方々がいらっしゃるのに、参上する時に側仕えも無しで宜しいのでしょうか?」
西洋魔術にも知識のある賀茂が、シシスに具申した。
転生精霊達は、貴族的な階級を持っている。
賀茂達が日本での業務に最低限必要な人員だからと言って、集りに単身で向かわせるのは、地球貴族の常識としては間違っているのだ。
「うちの家は騎士だから、正式に貴族と言う訳では無いのだけど、それもそうね。体裁くらいは整えておくべきかもね」
シシスの親である【フルカス】は、レゲメトン72精霊のうちで唯一の【騎士】である。
【騎士】とは、貴族ではないが、戦う為に貴族の配下としての権限を与えられた存在を指す。
当然、貴族の集りに参加する事もあり、礼儀や常識を備えていなければならない。
今回、シシスが南極へ赴くのは、親であるフルカスの手助けだ。
結局は、シシスの行き帰りのみ、賀茂達が同行する事に決まった。
――― 南極 ―――
南極大陸の上空に転移した四人は、雲の上から下を見下ろしていた。
「ここが南極?白い雲しか見えませんね?」
「ああ、長谷川さんには見えないんでしたね?ちょっと待って下さい」
賀茂が長谷川の額に手を当てると、彼の目にも雲に隠された地上の状況が見えてくる。
魔力により集められた冷気が、周囲の気候を操ってブリザードを起こしているのが、映像として見て取れた。
その力の中央の地面に、直径一キロ弱の大穴が開いており、垂直に地の底までの深淵が覗いている。
「隕石の落下跡って、こんな感じでしたっけ?」
普通の隕石は浅く広い範囲に、擂り鉢状の窪地をつくる。
だが、彼らの目に飛び込んできたのは、底の見えないマンホールの様な大穴だ。
「これは、隕石を媒介にした常世への【転換門】よ。この世界では地下に向かっている様に見えるけど、常世側では空に伸びる塔の様な構造になっているわ」
「ゲート?じゃあ、悪魔とか天使とか、魔物とかが出てくるんですか?」
「その心配は無いけど、常世側には行けるわね」
教会のシスター服を着たシシスが、長谷川の疑問に答えつつ、四人は雲を抜けて地表へと降りていく。
速度的には自由落下に近いが風の影響もなく、まるでガラスのエレベーターに乗っている様だ。
「下に誰か居ますね?」
「先発隊と、一部の王族の方々よ。失礼の無い様にね」
ブリザードの吹き荒ぶ地表で、一部だけ無風状態の開けた場所がある。
その地表に着くなり、四人は片膝をついて頭を垂れた。
「遅くなりました。フルカスが娘、シシス・F・メリス、従者と共に、ただいま参上致しました」
「急な呼び立てにも関わらず、大儀でした」
見た目は30代の男女が数人、視線と言葉だけでシシス達を出迎える。
だが、決して見た目通りの年齢ではない事は、長谷川にも分かる。
南極で、周りはブリザードだと言うのに、背広姿の長谷川は寒さを感じなかった。
顔や息が白くなる気配すらない。
「今回は、父が参加できない為に、若輩ながら代行として尽力致します」
「期待してますよシシス。従者もご苦労様でした」
シシスが立ち上り、先発隊の中に入っていくと、賀茂達は再度頭を下げて姿を消した。
――― 東京 ―――
事務所に帰った、賀茂、山根、長谷川の三人は、背広を脱いで、深く息をしていた。
「はーっ、緊張したぁ」
「大丈夫かい、茜?でも厄介な事になったね」
「賀茂さん。反対勢力でしたっけ?ソレ等は、なんで隕石って言うか、ゲートなんか送り込んできたんでしょうね?」
正直、あと50年以内に寿命を迎える長谷川には大した影響のない話なのだが、突っぱねてしまうのも、コミニュケーションを損なうので、賀茂は話す事にした。
「常世の精霊様の一部が現世にやって来て、世界の統合前に領有権を確立しようとしているのは、長谷川さんにも話してますよね?」
「はい。世界が統合されてしまうと、地上の人間は生きていけないので、領民として確保する為に数世代をかけて遺伝子改造しているとも聞いています」
現在の地上の人間は、世界の分割後に徐々に減り続けた魔素の影響を受けないし、必要無い様に変化してきた。
事象変更を行える、強力な力を持つ魔素が多かった【世界分断直後】の時代にこそ可能な順応だった。
今の地球の人間は、魔素を扱えなくなっている上に、魔素の絶対量が不足しているのだ。
進化論的に例えると、元々が水棲生物だった動物が乾燥や空気に対応していき、地上生活する様になると、今度は水に溺れてしまう様なものだ。
「シシス様達の派閥に加わらなかった精霊やソノ眷族は、劣勢なのを挽回する為に、今の現世の人間を常世に送って領民にする方法をとったんじゃないかと思うんですよ」
「確かに、国は領土だけじゃなく、領民あっての話なんでしょうが。どうやって人を・・・あぁ、調査隊の人間ですか?」
従来と著しく異なる隕石落下現場となれば、多くの調査隊が送られるだろう。
「問題は、それだけじゃないわ。一方通行とは言え、あんなに大規模なゲートが常時開いていたら、世界の融合が早まってしまうかも知れない」
「茜の言う通り、早まった融合に人間の改造が間に合わなければ、地上の人間は全滅するでしょう。つまり、南極ゲートを通って常世に行った人間だけが、領民として得られると言う一発逆転を狙っている可能性がある訳ですよ」
「私とジュウゾウの様な人間は大丈夫だけど、長谷川やソノ家族の子孫は、助からないって話ね」
賀茂重蔵や山根茜は、精霊達の手先となる条件で先行して遺伝子改造され、常世でも現世でも生きられる上に、本来の人間が使える範囲の魔法が行使できる状態になっている。
だが、現在の一般地球人や遺伝子改造途中の者は、世界が統合すると魔素に蝕まれて崩壊するのだ。
希薄な魔素の世界で転生精霊やシシス達、賀茂達が魔法を使えるのは、定期的に小さなゲートを体内で開き、常世から魔素を補充しているからに他ならない。
それすらも時間を制限して現世への影響を危惧している。
シシス側の者にできると言う事は、反対勢力の転生精霊にもできると言う事だ。
更には、常世側の精霊と共同で南極ゲートを作り上げている。
常世の精霊にも、領民の増加と言うメリットがある話だ。
「それって大変じゃないですか!」
「大変だから、シシス様まで呼び寄せられたのよ」
言われてみれば、彼等の世界でのトップは転生精霊、続いてシシス達の様な現世で生まれた次世代。現在では、その次が重蔵達の様な改造された眷族で、末端が長谷川達協力者だ。
シシスは、トップに近い存在と言える。
「それに、あのブリザードの中を、既に大国の調査団が穴に降りているらしいんです」
「確か、いろいろ隠蔽してたんですよね?」
「そりゃあ、反対勢力の眷族とか使徒は、前もって隕石が落ちる事と目的を知っているんだから、当然よね」
反対勢力と、その加護がある者の動向は、精霊の力をもってしても読めない。
そして、戦略を考えて準備や鍛練をしているのは、自分達だけではないのだ。
勝敗がある競技で、脳筋とエゴイストが『努力は裏切らない』とか叫んでいるのは、その辺りが理解できていないからに他ならない。
「シシス様達が行ったのなら大丈夫ですよね?」
「現世の大王位は、ほとんどシシス様側だけど、常世側には更に上位の存在まで居るから、断言はできませんね」
「そうね、多少は改善するんでしょうけど」
『魔法の力で何とかなる』と言うのは、自分だけが特別だと盲信している自己中の思考だ。魔法世界においても現実的ではない。
この世界の【力】は、他者に知られていない手駒や力、情報を、どれだけ多く隠しているかに関わる。
その為にバチカンやシシス達の様に、表立って動く【囮】も必要なのだ。
「我々の未来は、祈るしかないわけですね」
長谷川は目を閉じて、そっと手を合わした。