筍生活
たけのこの皮を一枚ずつはいでいくように、家財を少しずつ売り払いながら食いつなぐ生活を筍生活というそうだ。
浄蓮寺の近くに住む青木という老人は、どうやらその筍生活者らしい。
昔は素封家だったらしく、古いが大きな家に住んでおり、時折、壷やら茶碗やらを売って生活しているという噂だった。
ある日曜日、高石がその家の前を通ると、玄関の脇に無造作に古本や木箱が置かれていた。
なんとはなしに眺めながら通り過ぎたが、木箱の上に積まれている籠が目についた。
虫かごのようだ。今時の子供が持っているような物ではなく、竹ひごを編んで造られた昔の虫かごだ。鈴虫でも入れたら、さぞ風流だろう。
しかし、今は十一月だ。鈴虫はいない。虫かごは空っぽだった。
予定より遅くなった帰り道、高石は再びその家の前を通った。木箱等はまだ玄関の脇に積まれたままになっていた。
虫かごもまだそこにあった。
虫かごの中に、何かぱたぱた動くものがあった。
街灯の明かりが届かないのでよく見えない。高石は思わず目を凝らした。
その時、がらりと玄関の戸が開いて、子供の顔が半分だけ覗いた。
十歳ぐらいの男の子が、戸の陰からじっとりと高石を睨みつけてくる。
高石は思わず後ずさった。
男の子の目つきが恐ろしくて、さっと目をそらして通り過ぎた。背中にも視線を感じたが、しばらく歩くとそれもなくなった。高石はほっと息を吐いた。
今のは老人の孫だろうか。
ああ、そうか。孫が遊びに来て、何かを捕まえて虫かごにいれたのかもしれない。高石はそう思った。
一ヶ月ほど後、青木老人が家の中で倒れているのが発見された。
家の中にはがらくたばかりが残っていたが、何故か老人は空っぽの虫かごを抱いて事切れていたという。
あの時、虫かごの中に何が入っていたのか、高石は確認できなかったので知らない。
たぶん、知らなくて良かったのだろう。確かめなくてよかった。
老人は二十年ほど前に事故で息子夫婦を亡くしており天涯孤独だったという話を聞きかじってからは、なおのことそう思う。
だから、何も見なかったことにしよう。
通り過ぎた後で、実はこっそりと振り返ったことも。
男の子が虫かごの中に手を突っ込んで、何かを捕まえたことも。
片手に捕まえた何かから、もう片方の手で何かをむしるような仕草をしていたことも。
忘れた方がいい。
考えないようにしようと思っても、どうしても不吉な想像をしてしまうのだ。
あの、何かを一枚ずつ剥がすような手つきが、ひどく忌まわしい行為のように思えて。
まるで、老人の運だとか命だとかそういったものが、一枚ずつ剥がされていたような気がして。
虫かごは空っぽだったという。
全部、剥がされてしまったのだろう。