待ち合わせ
チャイムが鳴って、母親が玄関へ向かう音がした。
近所の主婦が回覧板を届けに来たらしいが、すぐには帰らず玄関先でぺちゃくちゃと喋り始めた。
換気のために窓と部屋の戸を開けていたのだが、階下から聞こえる甲高い声にうんざりして戸を閉めようかと思った。
「困っちゃうわ。ちょっと目を離したらもういないのよ」
話の内容は、どうやら同居している義母の徘徊がひどいというものだった。
「いつも同じ場所にいるから、探し回ることはないんだけれどね」
義母はいつも病院の前の大きな銀杏の木の下に立っているという。
そんな話を聞いたことを高石が思い出したのは、部活で足を捻って念のため病院に行った際に銀杏の木の下に立つ老婆をみかけた時だった。
小さな老婆は杖に寄りかかってなんとか立っている様子だ。
そして、その老婆の横に軍人が立っている。
軍人を見たことはないが、あれは軍人だろう。映画の中でしか見たことがないような軍服と軍帽を被って、じっと俯いている。
それから数日後、母親が通夜に行ってくると告げて出て行った。件の老婆が亡くなったそうだ。
留守番を頼まれた高石がリビングでだらだらしていると、ローテーブルに新聞のお悔やみ欄が広げて置いてあるのが目に入った。
何気なくそれに目を通すと、老婆の名前が乗っている。それを読んで、高石はふと眉をひそめた。
「喪主は夫の○○さん。」そう記載されている。
してみると、あの軍人は夫ではなかったのか。もしや、恋人だったが戦争で亡くなってしまい、別の相手と結婚したのかもしれない。
おそらくは、あの銀杏の木は彼らの逢瀬の場所だったのだろう。認知症は最近のことから忘れて昔のことは覚えていると聞いたことがある。老婆は昔の約束を思い出して恋人を待つために銀杏の木の下に通っていたのかもしれない。
そうして、二人はようやく会えたのだ。高石はそう締めくくって心の中で「めでたしめでたし」と唱えた。
それからまた数日後、高石が湿布を買いに病院の院外薬局へ立ち寄った際に、銀杏の木の近くのベンチに座っている二人の老人の会話が耳に入った。
「こないだ、中村の婆さんが死んだろ。地獄に堕ちてんじゃないかね」
「なんでまた」
「だって、喜一に恨まれとるじゃろ。結婚する言うて散々財産巻き上げて、喜一が出征する時は「待ってる」なんて宣ったくせに、出征しちまったらさっさと他の男と結婚してよ。戦死の知らせが届いたら、「嘘がバレんようになって安心した」なんて笑ってよぉ。他にも色々やらかしとんだ、若い頃によ。あちこちから恨み買ってんだろ」
もしかしたら、あれは待ち合わせじゃなかったのかもしれない。
老人の話を聞いて高石はそう思った。
もしも、呼び寄せられて捕まったのだとしたら、それを自業自得とか因果応報とかいうのかもしれない。
じっと俯いていた軍人の姿を思い出して、高石はぶるっと身を震わせた。