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たとえば。ディアマンテはその世界の色を、オルカと並ぶだけで気付かされる。

昔だったら、薄暗くて気持ちが悪いと思った森の中。その中に、ある程度の時間になれば降り注ぐ太陽の光で、森が緑に染まるのだとか。

その隙間から見える空の色が、自分の見てきた空の色すら、貴族の欲にまみれたように濁っていたように思うほど、鮮やかなスカイブルーである事とか。

生臭いと顔をしかめていただろう、小川の匂いやその苔むした川床の中できらきらと日の光が踊るさまだとか。

自分は生きていなかった、とも思ってしまう位に、オルカが並ぶ世界は色や感覚が訴えかけてくるのだ。

それを何と言えばいいのか、彼女はまだわからない。

それでも、一つだけ言える事があり、彼女はそれを幸せ、だと思うのだ。

ごつごつとした地面に、一枚布を敷いただけのような野宿は、体が痛くなる。

ご飯は、手に入らなかったら食べられない。

欲しい物があっても、それは遠い物だったりする。

そんなとても不自由な世界だというのに、彼女は今ほど自分が生きていると思う事はない、と思うのだ。

そしてその隣に並ぶのは、いつだってオルカだけである。

そりゃあ、オルカ以外に頼る人間が一人もいないのだから、彼に頼ってしまう部分はある。

彼に縋り、彼に疑似恋愛的な物だって抱いてしまうかもしれない。

だがディアマンテは、自分はそうじゃないとどこかで思っていた。

だって疑似恋愛を抱く前に、オルカは彼女をばらばらにして組み替えて、外の世界に連れ出してくれたのだ。

恩があるのだと、ためらわないで言い切って。

きっと。

ディアマンテには予感があるのだ。彼は彼女が生きていける様になったら、それを見届けたら何処か、はるか遠い場所に行ってしまうと。

それゆえに、彼女は口では遠くに行かないと言いつつも、きっと遠くに行く事を恋しがる彼を縛ろうなんて、思っちゃいないのだ。

助けてくれたオルカ、彼を閉じ込めるなんてできっこないのだから。

「ディアマンテ、ほら、そろそろ町だな。この町から、確か知り合いの知り合いのそのまた知り合いが船を出して、おれの故郷の方に行くんだ」

「あなたの知り合いなのか、それとも赤の他人なのかわからないわ」

「うーん、どうだろうな。でもいつもおれ乗せてもらってたしな。ディアマンテは礼儀正しいし、おれよりも気にいってもらえるって」

何の確信があるのやら。言い切ったオルカが目をきらめかせて言う。

「町だから、もっとましな飯食わせられるぜ」

「お金のあてがあるの?」

「ん、実はある」

にししと笑った彼は、そのままするりと町の入り口に入る。当たり前のように高い壁が築かれたここは、間違いなく交易の要所であり戦地になりうる場所なのだ。

ただ美しい景勝地、なんてものはこの世界にはないのだ。一歩踏み出せば戦がまかり通るのだから。

オルカは城壁の前で、旅人から通貨税をとる男に笑いかけた。

「いよう、儲かってんなあんた!」

陽気そのもの、彼は朗らかに明るくそういう。それはようやくまともな町に来た旅人とは、少し様子が違うだろう。

オルカの空気はここでも変わらないのだ。

ディアマンテは変な所で感心して、見ていた。

「そら、二人か。さっさと銀貨二枚分を」

「ここ三年前に来たっきりだな、ウナトはいつでも人が行きかってて楽しいな」

「……お前……?」

「前は船に乗って、知り合いを待ってただけだけどな。そうだそうだ、ここに知り合いが暮らしていたら、税金払わなくっていいっていうのまだ、まかり通ってるか?」

にっこりと、楽しそうに笑うオルカにはあてがあるのだろう。

「その知り合いの名前は?」

「ラグナ・ラグーン」

門にいて、徴税を行っていた男が真顔になり、言った。

「二人だけだな、早く通れ」

「ありがとさん! 行こうぜディアマンテ」

オルカが手招きをするのに合わせて、ディアマンテは彼の腕を掴んで門を通り抜けた。

「あの、ラグナ・ラグーンという知り合いはどなた?」

「あれ? まあそのうち、人があんまり聞かなさそうな場所で会ってもらうぜ」

オルカははぐらかしたわけでなく、きちんと後から言うつもりなのだろう。

「それよりも、おれらは見た目がすでに目立ちすぎてるから、何とかここに紛れなきゃならねえな。ええっとこのあたりだとエミリアかトワネット、それともブルーナ? いやキャシー」

いきなりずらずらと並べられた女性の名前に、ディアマンテは驚くも、彼ほどの格好いい男だ、多数の女性と関係があっても変ではないと思いなおした。

彼に似合ういい女性たちなのだろうと思うと、胸のあたりがやや痛んだのだが。

「どこの船なら、金貸してくれっかなー」

オルカはぶつぶつと言っているが、それは少し落ち込んだ彼女には聞こえていなかった。





城壁の中は面白い世界としか言いようがなかった。何しろ店が何一つないのだ。

それは単純に店舗がないというだけではない。いったいどういう風にして日ごろの買い物を済ませるのだろう、と世間知らずぎみの令嬢でも思う位のものだった。

しかし町は活気づいていて、人々の行き交うさまは見事な程に貿易港という空気だ。

これは見た事が無いと素直に思った。ディアマンテは目を瞬かせたのちに、オルカが道も勝手も知っているような調子でぐいぐい進む方角に付いて行く。オルカは、歩幅は合わせてくれているのだが、行く先をしっかりと決めているのだ。

そして彼女に有無も言わせないあたりに、彼の気遣いが現れている。

おそらく自分の好きなように歩かせてしまったら、あまりにも場違いな出自の自分が事件に巻き込まれる、と判断してくれているのだ。

それだけでもうれしかった。彼が守ってくれていると思える事がこんなにも、心強いのだ。

「オルカ」

呼びかけに振り返る首。瞬くのは、色の乱舞する双眸だ。どうした、と開く唇から覗くのは鋭い牙のような犬歯で。それもオルカに似合ったものだ。通常、貴公子がこんな尖った犬歯を持っていたら悪魔だ、人狼だ、と言われてしまって倦厭されるものだが。

似合う相手にはとことん似合うのだろう。そう言った特徴は。

「ありがとう」

言って初めて、自分はありがとうと誰かに言う事もずいぶん久しぶりだと気付く。最後にありがとうと誰かに言ったのはいつだっただろう。

思い出せないほど昔だ。

そして、オルカにありがとうと言えた事がうれしくなった。

人にお礼も言えないようでは、生き直すには大変だ。そして自分は以前の傲慢な我儘令嬢という性格を捨ててしまったのだ。

それに。

貴族令嬢であれば、身分のあれそれで言えなかった事も多い言葉だ。ありがとうと出し惜しみせずに言うと、品性を疑われるのが高位貴族の令嬢なのだ。

されて当たり前である、という姿勢を貫かなければならない事だってとても多かった。

でも今は。

「笑ってるな、ディアマンテ。笑うとあんたは格別にかわいい」

笑うオルカがあまりにも嬉しそうで、彼女は自分など可愛くない、と言えなかった。その代わりにこう言った。

「もう、わたくしは誰にだってありがとうと言っていいと思うと、とてもうれしいの」

知らず知らず微笑む唇で、柔らかな線を描く頬で、彼女はそう言った。

「さて、かわいいあんたにちょうどいい、服を探すぞ、何しろ船に乗るからその格好は都合が悪い」

オルカが不意に顔をそらし、指さす。

「このウナトの店の大半は、船なんだぜ。あんた見た事きっとない。面白いぜ、大丈夫、おれと一緒に小舟借りれば、あんたは絶対に落ちないからな」

「船が店? 意味が分からないわ?」

「見ればわかるって」

オルカはその色黒の耳がとても強い赤色をしているものの、彼女に向ける顔はきらきらと輝き、その光景を見せるのがとても楽しみで仕方ない、という雰囲気であった。

「ウナトは文字通り、海の門なんだ。ここはトヨトミ随一の船の多さを誇ってたと思ったぜ」

「船の多さで言ったらそれは、トヨトミの都に近い港町、スズカが一番だわ」

「そりゃ軍の船が多いって話だろ。ウナトは個人のもち船がべらぼうに多いんだ」

その言葉に驚いてしまった。そんなにも自分の知っている世界は、オルカの知っている世界と違うのだ。

元々、いいやうっすらわかっていた事だったが、それをまた間近に感じて、オルカを遠くに感じてしまう。

それが嫌だ、と彼女は思うのだ。

「でも、あんたと話すとおれは知らない事がいくつもあるって改めてわかるぜ、ありがとな」

「どうしてお礼を言うの?」

「知らない事を教えてくれたら、ありがとうなんだよ。おれは知らない事もしったかぶるのは嫌いなんだぜ」

笑顔のままのオルカがとても素敵で、彼女は顔を赤くした。頬に熱を持ったのをはっきりと認識したのだ。

「照れないでくれよ、あんたの前でおれは、笑いたい時に笑う楽しさを思い出すんだからな。あんたが照れたら笑いにくいだろ」

上機嫌の声音で彼が言い、彼女の手を引いた。

「どこの船を借りるかな。ディアマンテはどんな船でも船酔いしたりしないか?」

「船に乗った事が無いもの、わからないわ」

「そっか、じゃあ普通の手漕ぎ船にするか」

言った彼がその辺を見回す。話しながら歩いていたからか、もう大きな港に到着したようなものだった。

そこでディアマンテは目を大きく開いた。

「すごいのね、……船がお店なのね、あなたの言ったとおりだわ」

そう。

船がいくつも動き回り、そこには数多の売り物が載せられているのだ。野菜や魚と言った食料品はもちろんの事、どうしてなのか水に濡れたら厄介だろう巻物などすら船に乗っている。

衣類を取り扱っているらしい船もあちらこちらに見受けられて、とても賑やかな港と言っていい。

そして何より、そう言った店船の周りに買い物客が船をつけて話し込んだり、あちらこちらと目移りしたりしている自由さが、彼女には印象的に映っていた。

「こんな光景を、わたくしは初めて見た。買い物は、お店の人間が家にやってきて行う物だと思い込んでいた」

「それは上等の客だったって事と、店とのきっちりした信頼関係やつながりがあったからできた事だろうな。信じられない店の奴だったら、そこで追い返されて塩でも撒かれるんだからな」

「ねえオルカ、はやく船に乗りたい」

ディアマンテは幼い子供のようにねだった。この店船の間を行き交ってみたかったのだ。

買えなくてもいいのだ。ただ見てみたい。そこに自分が確かに、いるのだと確認したかったのだ。

この光景も、何もかもが夢じゃないとはっきり認識したくて、だ。

たちまちのうちにはじけてしまう夢だったら、それはとても怖いのだけれども、きれいな夢であるなら早々に覚めてしまいたいとも思ったのだ。

オルカと手をつないでいるこの時間がすべて夢だというのならば、早く終わってしまいたい。そして終わった瞬間に、眠っているだろう塔の上から飛び降りて、幸せな夢が色あせないうちに終わりにしたいとどこかで思った。

そんな不穏な感覚に気付いたのか、隣の青年が彼女の顔を覗き込む。当たり前のように、相手の頬に両手を当てて、自分の額を寄せて合せて言う。

「ディアマンテ、変な事考えてないだろうな。あんたはここにこうして、おれの隣にいるだろう」

察しがいいのか勘が鋭いのか。どちらもだろう。

「ええ、あなたの隣に立っている」

「あんまり馬鹿考えてるんだったら、そのまま海に一回落っことして冷たさで、理解させるぜ」

やりかねない声で言う彼のそれが、優しさだとわかってしまって彼女は微笑んだ。



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