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7/22

彼女はじっと瞳を動かさないように、その動きを見つめていた。オルカがものを食べる仕草を、自分の食べる手を止めて。じっと。

オルカはその視線など気にする事も理由もない、という顔をしている。

その仕草が、とても好きだと彼女は思った。

好きだ。

でもそれはどういう意味、と彼女は迷子の子供のような、居場所のない気分に陥りながら思った。

この好意の方角は、何なのだろうか、と気になっていた。

オルカはまるで、いない兄のような導きの仕方をすると彼女は漠然と感じていた。

兄、父。祖父。

彼はそう言った、相手を導く場所にいる存在のような姿勢を見せたりするのだ。

そのくせ、というと言い方は批判的になってしまうのだが、実に子供の様に、童子のようにあどけない事もして見せる。

そこの意味はなんなのだろう。

それともオルカの頭の中には、二つの人格や気質が隣り合っているのだろうか。

そんな事を思い浮かべてから、彼女は首を振った。

火の爆ぜる、世界を少し切り離すような思考回路から現実に立ち戻らせるような、きっぱりとした音にはっとする。

魚はすっかり冷めてしまっていたけれども、彼女は視線をようやくそちらに向けて、魚のはらわたをかじった。

川魚のはらわたが、こんなに苦いものだなんて知る事は、きっと貴族令嬢として生きていたら知らなかっただろう。

そしてもう一つ、塔の中で朽ち果てるような生き方を選んでいても、経験しなかっただろう。

「ディアマンテ、苦くてまずいか? まあ、貴族令嬢とかは、この苦いはらわたがまずいっていう人間の割合の方が大きいらしいけど、これしか取れなかったから、がんばれよ」

顔を微かにしかめた彼女に、オルカが自分は頭から魚をかじりながら言う。

この魚の頭は、とても固いと思ったのに、オルカはいとも簡単にそれをかみ砕くのだ。

顎の骨の力が違うのか、それとも生まれた時からの生活で、こう言った物の固さをものともしないものがあったのか。

オルカの顔はだから、貴族の男性のような顎の細さが感じ取れないのかもしれない。

彼女は骨を避けるようにかじりながら、そんな事を考えてもいた。

オルカの問いかけには、今は答えないでいようと思ったのだ。

苦くてまずくても、これは食べ物であり、そして塔の中の物のように、毒が含まれているかもしれない物ですらない。

オルカが目の前で、小石を川に叩きつけて、捕まえた魚なのだ。

この魚が毒を持っている可能性だって、あるだろうか。

きっとないと、彼女は理解していた。

オルカは自分に毒が利かないのだと語った。

つまりオルカにとって毒の魚だって食べ物であり、それを知っている、ある意味いつでも相手が同じ毒で自分を殺せるとわかっている彼女に、毒の魚をあえて食べさせて殺すわけがない。

だって、

オルカが殺したいのだったら、彼は塔の中にいた彼女を連れ出さなくてよかったのだ。

勝手に自分は塔の中で、孤独に死んでいったのだろうから。

そう考えてしまう事が出来ると、彼女はどんな食べ物だろうとも、オルカが食べられると言った物は信じていいのだと感じてしまう。

そして、相手を信用するというのはそういう事だ、とも思うのだ。

相手は自分を少なくとも、毒殺はしないという信じ方。

おかしいのだろうか、と頭の中に問いかけてみても、彼女はその答えを見つけないでいる。

答えが頭の中で返ってこないのだから、おかしくないのだ。

「この辺にさあ。カミキリムシのいそうな朽木があったらまだ、うまいもの食べさせられたんだけどよ」

「まあ、カミキリムシが」

ディアマンテは、以前一度だけ父の所に用意されていた、脂であげた丸々とした幼虫を思い出す。

彼女は小さかった事もあって、何も考えないで食べたし、ヤマシロは文字通り山の城、虫を食べる風習が古くは存在していたのだ。

そしてその風習が根強い場所に行くと、ご馳走として虫が用意される。

その際には、相手の最大級のもてなしを、ありがたく受け取って食べるのが、最善だと父に教えられた事があった。

そのため、ディアマンテはカミキリムシを食べる事を知っていた。

食べた事だってあった。

カミキリムシは蟲の中でも最高においしいと、言われている事も実感していた。

そのためか、彼女の眼は心なしか輝いた。

香ばしい木の実のような風味になる、揚げたてのそれは、都会の使用人たちが気絶してしまっても彼女には、食べ物として映るのだ。

都会では食べないのだと、何度も言われていた結果、都会に送って来る人などいなかったが。

「食った事あるのか」

「あるの。一度だけ、とてもおいしい唐揚げだったの」

「ああ、カミキリムシは油で揚げないと表面がえらく硬いものになるんだよな」

「あなたも食べるの」

「故郷じゃよくある食べ物だし、魚釣りの餌の一つとして太らせ過ぎて、もったいないから自分で食べたっていうおちもある」

「そう」

彼の故郷は魚をよく食べるのだろうか。

「あなたの故郷は魚をよく食べるの?」

「つうか、肉って言ったら普通は魚の事だったぜ。これがまたうまいんだよ。海の身の締まった魚も、ふにゃっとした魚も。川辺の魚だってうまかった。つうか俺の故郷は、魚だったら何だって旨かったし、食べ方だっていろいろあったんだ」

「私は、焼いた魚か揚げた魚しか知らないわ」

「それって魚に対する冒とくだろうよ! 魚はすり身にして蒸したって、茹でてみたってうまい。時には茹でてから焼くとか、脂だけ落としてから煮込むとか、あるんだぜ」

彼の心の底からの、美味しいと思う意思が伝わってきて、彼女は笑った。

「あなたの故郷に行ってみたいと思うわ。あなたが育ったものと同じものを食べてみたい」

可愛らしい願望、と言われてもいいような、ディアマンテの言葉にオルカは青くなった。

「それはだめだ」

「どうして?」

「俺の育ったものと同じものってのは……うん。材料は毒でも劇物でもなかったんだが、調理されたらなぜか死ぬほど苦しむものが出来上がったんだ。あんなのディアマンテにはとても食べさせたくない」

真剣な彼の言い方に、彼女は問いかけた。

「あなたが食べていたご飯は、毒だったの?」

「違うはずだったんだけどなー。なんか俺以外の人間が食べたら皆、失神するくらいまずかったんだ」

オルカは毒でも平気だったから、失神しなかったのだろうか。

「んでもって俺に至っては、慣れたせいなのか何なのか、一時期味が何にもわからない状態だった」

「本当に毒じゃなかったのかしらそれ」

「材料はいたって普通だったんだぜ、俺がお使いしてたんだからよ」

ますます持って謎がある料理だ、とディアマンテは思う。

そして不思議に感じた。

「なのに、オルカは色々な食べ物の味を知っているのね。作り方も」

「そのとんでもから、七歳あたりで逃げ出したからな。そこでようやく、食事ってのはうまいと思う物があったりするんだって思ったぜ」

お前にも食わせたいな。

それがまるで確定系の未来であるかのように、オルカは言い切った。

「ディアマンテに食わせるさ。採りたての魚をそぎ落として、香草とあえて塩を振った料理。あれはいいおやつだった」

「生魚を食べたら、お腹を壊すわ」

「それは新鮮じゃない生魚の話だろ。採りたてほやほやもしくは、きっちり手順を踏んで生きのいいままにした生魚だったら、腹が弱ってなかったらそこまで、当たらない事もおおい」

「オルカは何でも知っているのね」

彼女の感心した言葉に、彼は手をひらひらと振った。

「俺はそこまで、何でも知っている人間じゃないぜ。陸の事も、貴族とか山の人間の事も、何にも知らないようなもんだ」

「そうなの?」

「おう。だからお貴族様のダンスなんて言われても、突っ立ったまんまじーっと眺めて終わるな」

「そう」

人は生きている場所によって、知っている事が大きく変わるものなのだな、と彼女はオルカのニキビ一つ見当たらない、なめらかな褐色の肌を見つめて知った。

オルカはオルカの生きてきた場所の事に詳しい。

だったら自分は、生きてきた場所の事に詳しかっただろうか。

詳しいと思っていたけれど、見事に違うと言われたような物だった彼女は、首を振った。

「わたくしは自分の生きてきた場所の事だって知らなかったわ」

「ちがうぜ、ディアマンテ」

「え?」

「知らなかったんじゃなくて、興味がなかったんだと思う。それに、ディアマンテはもう、生きてきた世界にさよならしたわけだ。だからこれから、生きる場所に詳しくなればいいんだろうよ」

生き直せばいい、と言い切った目の前の青年は、それが何にも問題がないように言っていた。

それを聞くと、彼女も本当に、また生き直せばいいと思える気がしていた。



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