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そうして二人でただひたすらに進んでいく道は、道というのもおこがましい物だった。

明らかに道ではないだろう。

それが、通る事の可能な場所、という意味では道だったとしてもだ。

そんなに長い事あるいた事のない、ディアマンテはすぐに疲れ果ててしまった。

しかし、それで弱音を吐くという選択肢は思いつかなかった、のである。

それに。

「大丈夫か、足とか?」

手を握って一緒に歩いてくれている、オルカが度々問いかけてくるため、どうしても、疲れたとも足が痛いともいう気にならなかったのだ。

負けん気だと言えばいいのか。

彼女自身も良く分かっていなかったのだが、彼女はそう言った言葉が言えなかった。

藪をかき分け、川沿いを進む。

森の中の川、という事もあるのだろう。大きな石がごろごろと転がっているため、オルカはとっくに裸足になって歩いている。

だが彼の様に足の裏が頑丈、とは言えないディアマンテは、よたよたとおぼつかない足取りで女物の、あまり頑丈とは言い切れない華奢な靴で歩いていくほかない。

それをつらいのだと、思う思考回路はどこにもなかった。

「外の空気がこんなにも、きれいな物だとは知らなかったわ」

しばし歩いてぽつりとこぼした、彼女の本音にオルカが言い切る。

「碌な換気もできない場所と、全部全開もいい所の場所を比べたらそうだろ?」

「そうね」

わたくしはそんな事も、知らなかったのだわ。

彼女はその後ろ向きにも聞こえる言葉を、口に出しかけてやめた。

オルカがその間、彼女がまだ何か言おうとするのかと、じっと見つめてくるからだ。

彼は別段、彼女に黙っていろとも何も言わないだろう。

相手は極端にお喋りをする男である。

彼女の方に黙って色などとは言わないに違いない。

彼女にはそんな確信があった。

しかしそれとは違う方向で、オルカの瞳に見つめられていると彼女は、言いたい事が出てこなくなる事があったのだ。

それを何と呼ぶのか、彼女はまだ知らないでいる。

「外の空気は、すがすがしいものなのね」

「こういうところで、全裸になって頭から水被るの最高なんだよな」

「そんな事、できないわ」

「ディアマンテはしなくていいだろ。やりたい時は呼んでくれな」

「からかっているの?」

「そんなのじゃねえよ。ディアマンテの裸見るのはおれだけでいいの」

「私の裸なんてみっともなくて、見ていられないわ」

「そうでもないぜ。おれにとってみれば、いい匂いのする肌の女はどんな肌でもいい女だし」

「あなたはわけがわからないわ」

彼女が困惑してそんな事を、いう。

事実として、どんな肌でもというあたりが理解できないのだ。

彼女の知っている教育の世界や、美意識の世界でその基準はおかしいのだ。

娘の知っている教育の中で、いい肌とは傷もなければシミの一つもない、皺もない艶やかなみずみずしい肌が、素晴らしいものなのだ。

しかしオルカはそんな事をどこかに放ったように、心底そこはどうでもいいような調子で言う。

そしてそんな困惑を見透かしたように、男が言う。

「確かに、傷がない方が弱そうに見えて、男のほうからすれば自分より弱い物っていう気持ちが働いて、無体を強いるのもいい気分っていうのもあるんだろうけどな。俺の故郷じゃそんなの通用しないわけだし」

「あなたの故郷はそんなに通用しないの?」

「しないぜ! 町一番の美人が、背中にでっかい傷跡があるってのは有名な話だったしな」

傷があっても美人。それはそれだけのもともとがあったからなのだろう。

そんな事を思った彼女は、自分などそんな女性には及びもつかないとまた、落ち込みそうになった。

「ディアマンテ、これからおれはあんたに、何度も何度も言う事になるっても思ってんだけどよ」

「なにを?」

「見た目美人で中が最悪だったら、それは美人じゃねえんだって」

「……」

「朽ち果てる時に最後に残ったものが、人間のいい物なんだよ」

「何も残らないわ」

「それが残るんだな」

オルカが何を思い出したのか、楽し気に唇を吊り上げる。

「親父がそうだった。首を落されて何も残らなかった。死体は野ざらし、骨は砕かれた。それで完膚なきまでに燃やし尽くされて、最後はその灰すら残らないようにされた」

「……」

「でも親父は残った。どこにかって? 親父を思っていた人間たちの中に。親父を語る武勇伝の中に。親父をうたった詩人の唄の中に。親父を残した記録の中に」

「何を言いたいの」

「そこで親父がどんな見た目だったかなんて、ろくに残ってねえもんだ。親父の語った事、親父のやった事、親父が守った物、親父が奪ったもの、そんな物が、親父が消えさせられた後も残る。つまりそういうものなんだ。朽ち果てて何もなくなって最後に、他者の中に残る親父が、最後親父が残したもので、そこで語られる親父はこれからも残る。まあそれと一緒さ。美人で中身が最悪だったら、どれだけ美人だったという事にされていても、それにケチが付く。場合に寄っちゃその美人に似ている特徴の人間は、差別されるし色眼鏡で見られるし、いい事なんてない。見た目は見た人間しか知らない物だ。でも行動は、心は、語られていく事も多い」

一呼吸置いたオルカが、そこで彼女に笑いかけた。

「だから、見た目より中身なんだっていうのが言われるわけだ。おっかねえぜ、ガキの頃この黒歴史いつまでも覚えている奴がいると、どんなまっとうな事してもあいつは屑って思われんだからさ」

そんな過去でもあったのだろうか。

ディアマンテは何も言えないで、その男の極彩色の瞳が何かを思い出し、揺らめいた様を見た。

そして言う。

「早く、何処かの街に行きましょう」

「そりゃそうだわな。ディアマンテは野宿になれてないから風邪ひくかもしんねえしな」

そこから歌われ始めた鼻歌、それは実に陽気な雰囲気で、オルカによく似あうものだった。





「でも森を一日で抜けるのは無謀だったな!」

結局野宿、とからから笑っているオルカである。目の前には彼が起こした焚火、そして川べの小石で仕留めた魚が木の枝に刺さっている。

それを調整し、火が均等に通る様に動かし、彼はぼんやりと炎を眺めている相手に問いかける。

「体の調子が悪いのか、ディアマンテ」

「少し足が」

「ふうん、見せて見ろよ」

彼女は素直に足を差し出した。

オルカが靴を脱がして息を吐きだす。

「……これで痛くなかったのか」

「痛いとも思わないわ」

もっと痛い物を知っている。本当に痛いのは、裏切られた心なのだから。

一か月かそこらの、裏切られた心の方が痛い物なのだ。

そのせいなのか。

彼女は痛みにどこかうといような自分がいる事を、ここで自覚した。

何故ならば靴の中は、肉刺がつぶれて真っ赤に染まっていたのだ。

肉刺がつぶれて肉がすれ、血を流しているのだ。

それでも痛いと思わなかったのだから、自分はどこかおかしいのだろう。

彼女は唇に苦い笑みを浮かべてしまった。

「痛くないの、オルカ。そんなあなたが痛そうな顔をしないで」

「……そっか」

彼は笑う娘の顔の中に何かを見たのか、笑った。悲しそうな笑顔だった。

「痛いときは言ってくれよ、あんたを背負って歩くから」

一緒に生きるっていうのは、お互いの痛みを背負う事なんだからな。

小さな小さな声が、そう言っているが、ディアマンテにはピンとこないものだった。

ただオルカの顔がかなしい事が、とてもかなしかった。

「痛くないの」

彼女の言葉は、強がりに聞えていたかもしれない。

それでも、事実なのだと彼女は言葉を重ねてしまった。

「痛くないの、本当よ、オルカ」

「そうだな。ほら、魚焼けたぜ、こうやってかじって食うんだ」

オルカが串の一本を引き抜き、噛り付く。

彼女もそれに合わせて魚をかじり、思わぬ熱さを舌に感じてふうっと息を吐きだした。

「あついわ」



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