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「んじゃあさっそく、こっからとんずらしようぜ」
手を握ったまま、オルカが笑う。
「そんな事ができるの?」
「おれはこういう、脱出できない場所から逃げ出すのが大得意なんだ。船の上とか、絶海の孤島とか、下が断崖絶壁の牢獄とか」
「……あなたは一体どういう生活をしてきたの? 船の上だけならわかるけれど、牢獄だなんてあなたは罪人だったの?」
ディアマンテは心底不思議だと、問いかけた。
牢獄の中から逃げ出せるなんて、一体どんな手段を使ったらそんな事が、出来るのだろう。
彼女からすれば、不思議でしょうがない。
そこで、彼が正規の大悪党だった、もしくは殺人鬼だった、などと考えられないのは、おそらく彼女が彼に心を許しているからか。
もしくは、目の前のお気楽そうな、陽気な男にそんな暗闇や血の匂いが似合わないと思ってしまっているからだろう。
彼女の中でこの男は、気が狂いそうな孤独の中に差し込んだ、にぎやかな光なのかもしれない。
「んー、ディアマンテはもう、おれと生きるって言ってくれたから、言っても問題ねえよな」
うんうんと一人納得したオルカが、彼女に顔を寄せて秘密を紡ぐ。
「おれは、世界一の規模の海賊団の長だったんだぜ、これでも」
その秘密を聞いた少女は、彼を上から下まで眺め、一言言った。
「いつかそうなるつもり、だったのでしょう?」
全く信じていないような言い方だ。
「そうなるつもりってなあ」
「だって、あなたはわたしよりも、いくつかしか年上に見えないわ。海賊団の長は、長年の経験を積まなければ、自分の船以外の人から指名されない、とお父様が苦い顔で言っていたもの」
ヤマシロの交易船が、海賊集団に襲われたという報告を、娘は父親の近くで聞いていたのだ。
ヤマシロの領主であり、船の出資者である父親は不気味だとまで言ったのだ。
「十年ほど、海賊長は選出された形跡がなかった。そして今回の報告で、海賊長が選出されたとわかったけれど、その長はどの記録の海賊長よりも海に詳しい。そして人間の緩みやすさ、襲う船の弱点を読むのがうまいっておっしゃっていたわ」
「照れるな!」
彼女が思い出した言葉を聞いて、青年はその色黒の顔を赤らめて、本当に照れたように笑った。
しかし少女の無情な言葉は続くのだ。
「そんな長が、若年の輩であるとは思い難い。一度長になるか、長を辞退した実力者が、もう一度長の座に就いたのだろうっていう事をお話していたわ」
彼女の言葉で、オルカは途中から見事に落ち込んでいた。
浮き沈みの激しい男である。
まるで海の様だ、とディアマンテは見た事もない場所の事を考えた。
海は急に顔を変える、というのが有名な話なのだ。
彼はまるでそれだ。
くるくると感情を変えて見せる。
一人きり、絶望ばかりが胸をしめる世界にいた少女には、泣き出したいほど鮮やかなのだ。
彼女はまた涙腺が刺激され、鼻をすすった。
見事に情緒不安定である。
何もできないといって差し支えない、公爵家の令嬢が使用人の一人もいない場所で、何か月も独りぼっちだったのだから、多少精神が病んでいるのも変な話ではないのだが。
そしてオルカは、彼女の涙に敏感だった。
「え、また泣く!? おいおい、泣くのはここから脱出して、四角いお空じゃないお天道様を見てからにしようぜ」
「うっ、うう……」
オルカは何のためらいも迷いもない声で、ここから二人で出るのが当然だと言ってくれる。
その言葉がうれしくて、涙が止まらないディアマンテであった。
涙がどうにか止まってから、二人は階段を下りる。
「ここの扉から抜け出す事なんて、出来ないわ」
「なんで?」
「ここの扉には、厳重な鍵がかかっているのよ。それも結界術がいくつも重なった錠前だったわ」
「錠前は外からかかってんだろ、なのにどうしてディアマンテは知ってんだ」
「連れてこられた時に見たの」
彼女の言葉を聞いているのはわかるのだが、彼は扉のあちこちを触っている。
何か確認しているようだ。
そして気の抜けた返事をする。
「ふうん」
「ほかに抜け穴とか秘密の通路とかはないかしら」
ディアマンテは、自分の屋敷にあった秘密の部屋の事を思い出し、そう口にした。
「ああ、ねえと思うな」
「調べてもいないのにわかるの?」
「部屋は二つ。てんっぺんと一番下のこの場所だけで、この場所にめぼしいからくり仕掛けはない。となればないってわけだ」
「そう言う物なの?」
「その道だったら、ディアマンテの知ってるだろう【お遊びの秘密の部屋】とかより、おれ詳しいと思うぜ。お宝さがしの基本は、隠された扉だの通路だのを探すとこからだしな」
「そう言う物の経験もあるの?」
「おー」
オルカはしばらく扉を触った後、彼女を手招きした。
「ディアマンテ、良いこと教えてやるよ」
「え?」
「こう言う扉は……」
彼はあの、ぼろぼろの外套からやや長くひらべったい金属を取り出す。
そしてそれを、蝶番の留め具同士の隙間に差し込んだ。
「せいっ!」
金属の端に、彼が体重をかける。
すぽん、と留め具の棒が抜け、それだけで蝶番は意味をなくした。
その行動を蝶番の分、三つ分した彼が、にやりと笑ってから扉を蹴り飛ばす。
すると、ディアマンテにはとても壊せないと思っていた、鬼術の力が廻り頑丈だったはずの扉が、見事に吹き飛んだ。
「本体の年数を調べて、術の礎の場所をゆがませりゃ、大体壊れんだよ。たいてい術におんぶだっこで、本体を新しい頑丈な物にしようっていう頭が回るやつらいねえから」
そう言って、オルカはまだ自分の眼が信じられないディアマンテの手を引いた。
「ほら、行こうぜ」
しかしそうは問屋が卸さない所が、彼女たちの運の悪さなのだろう。
だが、オルカは運がよさそうなので、もしかしたら自分の運の悪さのとばっちりかもしれない、と彼女はどこかで思った。
「何っ」
扉の近くに馬を止めていた二人の男がいたのだ。
そして見事に彼らに見つかったのだが、ずいとオルカが彼らに近付いた。
彼等は、どうやっても抜け出せないはずの塔の、それも一つきりの扉から現れた二人に、仰天しすぎて声も思考回路も止まっているようだった。
「よーお? ん、ちょーーっくらお話しましょーぜ?」
オルカは非常に人の悪そうな、それでいてとてつもなく楽しそうな笑顔を見せる。
見せたまま、いまだ騎乗していた二人を物の数秒で、馬の上から引きずり降ろしていた。
山賊も盗賊も裸足で逃げ出しそうな手際のよさ、である。
「すごい……」
余りの事にディアマンテは見ている事しかできない。
だがオルカは、彼等が引きずり降ろされた衝撃でうめいている間に、とても友好的なにこやかな顔で言った。
「あんたらは、おれたちを見なかったって事にしないか?」
「なっ」
「じゃねえとさあ。……あんたらの首を掻き切って、黙らせないといけねえのよ」
オルカはいつの間にか、二人の男たちが持っていただろう武器を指でもてあそび、言う。
「あんたらがどこの誰に忠義を誓っているのか、そんなくだらねえ一銭の価値もない事に興味はねえよ。誰に心酔してるのかもな。ん。でもおれは見つかりたくない。それであんたらはたぶん死にたくない」
オルカの言葉は本気のそれだ。
ディアマンテはその言葉を、間違いなく真実なのだろう、と感じていた。
すごい。
なんて言う直球。
それでいて凄みがあって、彼ら程度の人間は呑まれてしまうに違いない。
彼女がそんな感想を抱いている間も、オルカは言葉を連ねていく。
「あんたら、きっとおれたちを逃がしたら……生皮くらいははがされるんじゃねえの? たしかトヨトミの罰って容赦ねえんだろう? 無実の罪の女の子を、発狂させて殺そうっていうお国柄だしな! それでもって、おれたちは確実にあんたらから逃げ延びちまうぜ。ああ怖い怖い! あんたらの顔なんて五分で忘れるけどな、あんたらはその後さぞ恐ろしくて素敵な罰を受けるんだろうなあ?」
オルカは効果的に言葉を使っているのだろう。
その脅しが異様に真実に聞こえるのは、おそらく彼の語り口のせいだろう。
ディアマンテが同じ事を言っても、これだけ男たちを青くは出来ないに違いない。
「だ、だまっている……!!」
「そうそう。ちなみにあんたらが保身に走りたいなら、扉がぶっ壊されてたって報告すればいい。怪しんで塔に昇って、誰もいなくて探しに行こうと思ったのだけれども、どこに向かったのか見当がつかなくてわからない。どうだ? あんたらにとっても簡単な言葉だろう?」
刃物片手に微笑みながらのオルカに、二人の男ががくがくと頷いた。
「そうだ。ついでに一つ。……もしもヤマシロの領主があんたらに何か聞いたら、あんたらは塔の中で見たものをありのままに話した方がいいかもな」
「なぜ……?」
オルカの言いたい事が、彼女もわからない。
それでも意味があるのだろう、と数日の付き合いながらも彼女は理解してしまう。
一体何をお父様に伝えたいのかしら。
お父様は、オルカの言い方を考えれば、私を見捨てたのに。
オルカはお父様に、何を教えたいのかしら。
彼女はそんな事を心に浮かべながら、彼が二人の男を塔の中に突っ込んだのまで見届けた。
「さあて、行こうぜ」
「歩いて?」
「歩いて」
言ったオルカは、あたりを見回してこっちだな、と言いつつディアマンテの手を引いた。
「川の音がするんだよ。川を伝って行けば、下流には町があるのが基本的な物だからな」
「そうなの?」
「昔から、街をつくる時は水源ってやつを重要視してたんだよ。飲み水に困る土地は、厄介だからな」
「そんな所に街を作れるの?」
「水の確保の方法があるなら、砂漠にだって一大国家ができるんだぜ。沙漠には金銀が散らばってるからな。ディアマンテは黄金都市の伝説って知らねえ?」
「聞いた事が無いわ」
「そこは大昔に栄えていて、金でできた建物しかなかった。でもある時、そこの水が枯れて住民たちは散り散りになった。今でもその都はどこかで、誰かが自分を見つけてくれるのを待ち焦がれている……っていう伝説」
「素敵ね」
ディアマンテが呟くと、オルカがきらきらとした目で彼女を見た。
「だろ? すごい素敵だろ? おれはいつかそこを見つけるんだ。おれの一番大きな夢だな! でもたいていの女の子はそんな夢物語よりも私を愛してほしいって言って、おれの夢なんて馬鹿にするからな。よっぽどの女の子以外は、それで別れてるな」
「素敵、ではないの? どこかの古い金の都が、人に見つけてもらえるのを待っているなんて」
純粋に、ディアマンテは素敵な話だと思ったのだ。
……自分もそれを見つけたい、と思うくらいには。
オルカに、素敵だと素直に口にするくらいには。
浪漫の溢れる伝説だと思ったのだ。
「きっとその黄金都市は、あなたに見つけてもらいたがっているのよ」
ディアマンテはそんな事を口にした。
「なんで?」
色鮮やかな、四つの世界の色の瞳。
それに釣られたように、彼女は続ける。
「誰もがばかにしているのなら、馬鹿にしないで見つけるって言ってくれる人に、その場所だって見つけてほしがる気がするもの」
「……」
オルカは数秒黙った後、片手で口元を覆った。
大きなその手のひらは、彼の顔の半分を覆う。
耳まで赤い彼に、彼女は問いかけた。
「顔が赤いわ、どうしたの?」
「いんや、これは落とすしかねえって思っただけ?」
「よく意味が分からないわ」
「わかんなくていい」
言いつつ、彼はきゅっと手の力を強くした。