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ざまあの後、塔に幽閉された悪役令嬢のもとに、海賊が落ちてきた!!  作者: 家具付


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21/22

19

「あなたが行きたがるなんてどうしてかしら」

「夢魔ってのに心当たりがあるから」

しれっとした顔で言われた事は、かなり衝撃的だった。

「心当たりがある? お伽噺の中の夢魔でしょう」

「お伽噺は語り継がれるゆえんがある。親父の言葉だけどな。事実それで何回も、宝探しやってるとそういう物かも、って思うぜ」

ホエイ=ルの家に戻って、彼女が意外だという調子で言えば、そう答えられたのだ。

「知り合いにいるんだよ、夢魔操ってる悪魔使い。そいつが最近、一匹悪魔に逃げ出されたって言ってたんだ。どうもつながる気がしてさ」

「悪魔使いなんて恐ろしい物が、この世に存在しうるのかしら」

「神の御用聞きがいるんだから、居るぜ。この世には鱗がある人間がいるくらいだからな」

布団の上で枕を抱えてからからと、笑う男はもしかしたら、色々な秘密をしっかりと握っているのかもしれない。

ディアマンテはようやく、オルカのとんでもなさ過ぎるものに、気付き始めた気分でいた。




船に乗り、トヨトミに向かう道中の間も、執事は警戒心に満ちた顔でオルカを見ていた。

最初に妨害された事もあってか、オルカの事を敵だと認識しているのかもしれない。

一方の彼は気にする事もなく、船の事をしたりディアマンテに構ったりと、本当に自由人のような事しかしなかった。

そしてとうとう、トヨトミの首都の港に到着した。

そこはディアマンテが知っている港とは違い、誰もが警戒心をあらわにしている。

ぴりぴりとした空気に、彼女は肌をさすった。

いたたまれない。

こんな視線をたくさんの人から向けられるようなことを、自分はしたのだろうか。

そんな事も思ったが、していないだろうと理性が断言した。

「ああ、船から陸に上がっちまったぜ」

オルカは伸びをして欠伸をして、いう。

執事が馬車を用意していたらしい。船着き場のすぐ近くに、立派な馬車が止まっていた。

「お二人とも、こちらに」

「ええ」

それに乗ってみれば、意外なほどあっという間に、城に到着してしまった。

道中で何か起きるのでは、と懸念していたのがばからしいほどあっさりと。

そして、色々な濡れ衣を着せられて、塔に幽閉された彼女の事は有名だろうに、誰も彼女に対して蔑みの視線を向けてこない。

「へんね」

「何が」

「皆の視線が。わたくしは無実の罪で罰せられたはずなのに」

「ほっとけほっとけ」

オルカが彼女を見て言いきる。

「それでまた罰があったりなかったりしたら、またさらってやるから」

「あなたのそれはとても頼もしいわ」

くすり、と。

オルカの断言に微笑むと、彼がうんうんと頷いた。

「やっぱりおれのディアマンテは、笑い顔が最高にいいぜ」

「褒めても何も出ないわ」

「後ろ向きすぎる思考回路も、だいぶ直ってきたみたいだしな、よかったよかった」

「え」

言われて初めて、彼女は自分の後ろ向きの思考回路が、やや前向きになりだした事を知った。

「あなたのおかげだわ、あなたがいなかったらずっと後ろ向きだったもの」

あなたをあの声たちから守るという事が出来る、それが自信になったの。

あなたがわたくしに、わたくしにしかできない事を教えてくれたから、立てるようになったの。

そんな事は言い出せないまま、彼女たちは王族の私室がある、城の最奥に進んでいった。





子供の泣き声がしている。

「眠いよう、寝たくないよう、夢が怖いよう」

ぐずぐすと泣いている子供は、確か一番下の王子だったはずだ。

その王子についている乳母が、慰めるように言う。

「それは夢ですから、怖い事なんて何もありませんよ、乳母やがずっと見ていますからね」

「でも怖いよう」

ディアマンテはその声がした扉を開いた。

そして、彼女の目に映ったのは、縞模様の枕の姿に似た、奇妙な悪魔だった。

悪魔は王子の周りを飛び回り、けたけたと笑ってる。

それは無音の笑いだったのだが、けたけたと言うのがふさわしい気がした。

あれが夢魔なのだろうか。

ディアマンテが足を踏み出した時だった。

「おいたが過ぎるぜ、ドリムス」

彼女とほぼ同じ速度で足を踏み出したオルカが、誰も彼もを無視して、おそらくディアマンテ以外には見えていない悪魔に言った。

「餓鬼おかしくさせてどうすんだ。弱い者いじめは悪魔でもあんまり楽しくないってあいつが言っていたぜ、そんなに王族ってやつに腹が立ってんのかよ」

ドリムスと言われた悪魔が、圧力で答える。

声はない。だが意思は通じる。言葉もない、だが言いたい事が分かるのだ。

何百年分も取り立ててるのさ。天敵障壁使いがいない今、取り立ての格好の時なんだ。

オルカが眉を顰める。

「だったら子供から取り立てないでも、大人からじゃんじゃん取り立てればいいだろ。でも人間眠れないと気が狂うわけだ、そうするとお前は面白くないはずだろう」

まあまあそうだけれども。飢えがひどすぎて相手を選んでられない。

「馬鹿かお前は。ドリムス、お前が好きなのは甘い甘い、幸せな夢だってあいつが言ってたぜ、いつの間に味の好みが変わったんだ」

誰もがぎょっとしている。何もない空間に話しかける男、そして何もないはずなのに伝わってくる圧力の意思。

味の好みは確かに甘いのがいいけれども、夢魔は側によれば自動的に悪夢を見せるものだよ。

「……あー、あいつ言ってたなあそんなこと。……じゃあこうしようぜ、おれにとりつきゃあいいんだ」

「え、オルカ、何を言ってるの」

オルカの思ってもみなかった言葉に、ディアマンテが制止の言葉をかければ。

「夢魔は神の御使に介入できない。つまりおれについていてもおれは悪夢を見ない。お前は俺が見る甘い夢を食べ放題。いい条件じゃねえの」

でも、馬鹿にされた報いくらいはしたいなあ。

「そうかよ、んじゃ、気が済んだらおれか、お前の主だった彼奴の所に戻れよ。周囲の被害が甚大すぎて、結構やばいんじゃねえのって思うわけだからよ」

枕の夢魔はふよふとと漂った後、音もたてずに消え去った。

そして次に、なんとディアマンテの前に唐突に現れたのだ。

夢魔が語る。

初めまして、強き障壁の使い手。君ほど介入が難しい人間も滅多にいない物だ。だから言っておくけれども。

ぐるぐる目玉の夢魔が言う。

馬鹿にされたから、仕返ししてるだけ。邪魔しないでね

「……それで小さい子供に悪い夢を見せるのならば、わたくしは見逃せないわ」

子供じゃなかったらいいんだ。

「子供にまでそんな事をするのは、酷いでしょう」

ふうん。なるほど、当代は弱いものを守る事、を当たり前だと思っている女性か。

「あなたが取り付けば、悪夢なんでしょう?」

まあね。

「だったら、この国の王太子にとりついてちょうだいな。それとその婚約者だか妻だかに」

またどうして。

「ありもしない罪を擦り付けられて、閉じ込められて毒を盛られて、許せるほどわたくしも、優しい人間じゃないの。あなたがどうせ仕返しにとりつくんだったら、その二人にとりついてちょうだいな」

「障壁姫、それはいけません!」

執事があまりの事に止めに入る。ディアマンテはじっと、夢魔を見ていた。

王太子に? その婚約者に?

「ええ、わたくしと縁があった二人だから、悪魔なら見つけやすいでしょう? あなたは仕返しができる。わたくしはほかの可哀想な人を助けられる。いい提案だと思わない?」

いいね、いいね!

枕型の夢魔が踊りまわり、彼女の眼を見てこう告げた。

ダイアモンドの瞳のお嬢さん。君の提案を受け入れて、君に害をなした奴らだけにとりつこう!

がばりと口が開き、ぎざぎざの歯が丸見えになる。そしてドリムスは何かをどんどんと吸い込み始めた。

すると、あちらこちらに分散していたらしい、ドリムスの欠片が本体に戻って来る。

縦じま枕は何となく、子供の人形を思わせる姿になり、彼女に一礼した。

すばらしい妥協案をありがとう、ダイアモンドのお嬢さん。




「これでわたくしに濡れ衣を着せた王子以外は、悪夢に悩まされる事はなくなりましたね」

ディアマンテは勤めて冷静にそう言った。

彼女の選択は正しいとは言えないだろうが、これ位の報復は許されるはずだ。

殺されかけた復讐が、悪夢を見せるという事になった、それだけだ。

「障壁姫、何と言う事をなさったのですか!」

しかし、彼女と夢魔のやり取りを、一方的にしか見ていなかった執事たちが、血相を変えて言い出した。

「夢魔に、新たな契約を持ち掛けてどうするのです!」

「どうもこうもないわ、夢魔は気が済むまで仕返しがしたかったようだから」

「あなた様が守ると決めれば、皆悪夢から守られたのですぞ!?」

「わたくしを殺そうとした人々まで守る事が、わたくしの義務であるはずがないでしょう。それに、わたくし、都に来るように、と言われただけで、都で何をしてほしいのかなんて一言もうかがっていないわ」

背筋を伸ばして言い切る彼女に、執事ははっとしたらしい。

確かに、都であるマホロバに戻ってきてほしいと言っただけであり、彼女に何も頼んでいないのだ。

その事で蒼くなった執事。明らかにおのれの手落ちだった。

言われていない事を、するなんて言う事が出来るのは、警戒心のない人間だけだ。

そして、ディアマンテの用心深さは人並みだった、という事でもあった。

彼女の言葉は真実であり、彼女は執事と話す事はない、と判断して小さな王子に向き合った。

「王子様、もう怖い夢はたびたびやってきませんよ」

「……ほんとう?」

「ええ。あなたにとりつくのはやめさせましたから」

彼女の笑顔に安心感を抱いたのだろう。

ディアマンテの断言を聞いた子供は、そのまま気が抜けたらしく、ぱたりと寝台に倒れ込んだ。

そしてくうくうと寝息を立てはじめる。

「……おうい、ドリムス。ついでだ、餓鬼の悪夢は食ってやれよ、お詫びとして」

寝息を立てはじめた、無害な子供を見て、オルカが虚空に話しかける。

そうすると、先ほどと同じ圧力が諾の返事の波長を、返してきた。

これで大体の事はおわった、とディアマンテとオルカが扉を開けて出ていくと。

「障壁姫殿、謁見の間で、陛下がお待ちになられております」

彼女の登城を聞いたのだろう。国王の御使いらしき兵士が、彼女を待ち構えていた。

「ええ、参りますよ。ただの娘のディアマンテが」

彼女はゆっくりと頷き、オルカを見やった。

「ついてきてくれる?」

一人で国王や、自分を害した王太子と向き合うのは少し、怖かったのだ。

オルカが隣に立ってくれているだけで、心強い……という彼女のこころを読んだのか、オルカが首肯する。

「付いて行くに決まってんだろ、おれはおばば様にも、ディアマンテをちゃんと六島に連れ戻すって約束してんだからよ」

その言葉が何に変えても安心する。

言葉を違えない男の言葉は、ディアマンテの顔をもう一度、上げさせた。

「行きましょう」

一人で戦うわけじゃない。大体戦いでもないのだ。

只の娘が、何の力も持たない娘が、国王に呼び出されてしまってそこに向かう。

それが現実なのだから。





「公爵令嬢、ディアマンテ・ヤマシロ。しばらく見ない間に、ずいぶん様変わりしているものだ」

国王の前に立つや否や、彼女に掛けられた言葉はそれだった。

「いったいどのような事でしょうか。わたくしはただの醜いディアマンテです」

「なんべん綺麗って言っても信じてくれねえの、いい加減寂しいぜー」

王の前でも、姿勢を崩さない茶化し方のオルカである。

彼に対して無礼だ、という視線を国王は向ける物の、それはきれいに受け流されていた。

眼力は全く通用していない。

「以前は脂肪でぶくぶくに膨れ上がっていたと思ったのだが……かなりほっそりとしたものだ」

国王の言葉は事実だった。

公爵令嬢として登城していた彼女は、脂肪達磨のような姿をしていたのだ。

しかし。

塔に幽閉されて、食事も粗末になり量も減り、体重が落ちた。

そして六島に渡り、あちこち歩きまわり、色々な事を手伝うようになった彼女は、簡単に言えば引き締まったのだ。

そうすると、脂肪達磨は見違えるほどほっそりとしたわけである。

それでも、オルカの好きなふっくらした女性のままなのは、六島の食事の栄養価が高いからだろう。

足が速いから、とれたてを食べる人間しか食べない、魚の脂っこい部分。

これは六島では、美肌に効果的だと言われており、女性ならば誰でも積極的に食べるもの。

ホエイ=ルも食べているため、勧められるままにディアマンテもよく食べている。

魚の脂は肉の脂と系統が違うのか、彼女の肌はずいぶんと綺麗な物になっていた。

今の彼女に、脂肪達磨の公爵令嬢を思い起こさせるものはもはや、髪と目の色だけだった。

それ位に様変わりしているのである。

「陛下に発言をしてもよろしいでしょうか」

「おう」

「一介の女に一体何の用事でしょうか」

「無論、障壁姫としての役割を果たしてほしいのだ。夢魔から王族を守れ」

「悪夢を見せていた夢魔とは、先ほど話し合いました」

「なんと!?」

想定外の事だったのだろう。王の命令の前に夢魔と接触するとは、思わなかったに違いない。

「して。夢魔にどのような事を言ったのだ」

「わたくしを殺そうとした王太子、そしてその婚約者以外の王族には、悪夢を見せないようにと」

「何故王太子を守らない!?」

王が怒鳴る。それは臣下の命令違反を叱る声だ。

だが。

一瞬それで後ろに下がりかけた彼女の背中を、隣のオルカが軽く叩いた。

それではっと、した彼女は顔を上げ、王を見つめて問いかけた。

「ならば陛下、問いかけてもよろしいでしょうか」

「何を言う?」

「何故わたくしは、自分を殺そうとした相手まで、守らなければならないのでしょうか? そもそも陛下、わたくしを一人塔に閉じ込め、毒を仕込むなどという大掛かりな事は、王太子一が出ないのだ。

その表情を見て、オルカが彼女の耳元でささやいた。

「王様たぶん、ディアマンテのされた事ちゃんと把握してないぜこりゃ」

「そうみたい」

ディアマンテは息を吸い込み、さらに続けた。

「元を正せば、夢魔を侮辱した昔の国王が悪いのです。長年仕返しも出来ないのですから、夢魔が仕返しをあきらめるわけもありません。悪魔は己にされた事をよくよく覚えているものです。仕返しの相手が二人だけになった事を、陛下は喜ぶべきであありませんか?」

彼女の指摘はもっともな物でありそして、少しの犠牲によってたくさんの人間が救われればいい、という風潮に沿ったものだった。

だが。

「王太子だぞ!? この国の未来の国王にそのような災厄を持たせたままなど。王太子は戴冠式の日取りも決まり、その後の結婚式の日取りも決まっているのだぞ!?」

国王は怒鳴る。怒鳴って彼女に言う事を聞かせようとしているのならば、それは間違いだったというのに。

彼女は静かにそれを聞き、そして目を全くそらさずに言い切った。

「ただの女にはかかわりのない事ですから」

身分社会を盾に取った、ぐうの音も出ない反論だった。

王様が変わっても、下々にとっては大した事じゃないのだ。それで損が出ない限り。

「ご用件はお済ですか。陛下。それではわたくし帰らせていただきます」

緩いズボンをつまみ一礼し、ディアマンテは何も言えずにわなわなと震えている王を無視して退室した。


あれでいいのかと言われたら、最善ではなかっただろうと言えるだろう。ディアマンテはそれがよく分かっていた。

何しろ、本当に何しろ。

権力者にたてついた時の恐ろしさを、残酷さを、彼女は身をもって知っているのだから。

だが彼女がこの選択や発言に、後悔があったかといえば、彼女はないと答えるだろう

それ位の事があった。

「憑き物が落ちたみたいな顔してるぜ、ディアマンテ」

隣の男のからかうような調子に笑えるほど。

「ええ、やっとすっきりした気分なの、やっとやり返せたからね」

やり返せない物だと思っていた。

相手は権力者で自分は違っていて。

命の危機にかかわる問題だったのだ。

だが夢魔のこれは、それを覆した。彼女は色々な事を言いながら、自分を殺そうとした二人以外を守るという建前で、二人にやり返せたのだから。

「でもこれで見逃してくれるかしら」

彼女はぽつりとそんな事を言った。

自分だったら見逃さない。結界姫だか障壁姫だか知らないが、それが目の前にいて言う事を聞かないのだったら。

「何らかの手段を用いて、言う事を聞かせたがるのが権力者だわ」

「怖いねえ、権力者」

「あなたも怖いのかしら」

「怖い怖くないで言ったら、怖くねえよ、面倒くさいだけで」

「そう言ってくれると嬉しいわ、あなたが怖かったらわたくしの方がもっと怖いもの」

冗談めかした彼女だったが、続いて響いてきた声に足が止まった。

「こんな時に復讐をするのか、見損なったぞディアマンテ!」

それは普段ならばよい声だと思われる物が、憎悪に満ち溢れて聞くに堪えない物になっている声だった。

そしてその声は聞き覚えのある物だったため、彼女の足は止まったのだ。

彼女は顔から血の気が引いていくのを感じながらも、手を握り締めて先に進もうとした。

だが。

ぱん、という音とともに隣の男の体が傾いたため、進む事なんてできなかった。

「え……?」

彼女の唇から声が漏れる。広がる赤い色合い、まさか、まさか。

倒れ伏すのはオルカで、生成りのシャツの胸の部分が赤く染まって広がっていく。

「オルカ!? なんで」

彼女はオルカを抱き起す。オルカは胸に命中した何かのためか、眼を開けようとしなかった。

「その男を助けたければ、私と婚約者にとりつく夢魔を殺せ!」

喚くように怒鳴る声。その声に合わせて視線をあげれば、そう、彼女に無実の罪を着せて断罪し、塔に閉じ込め毒を盛ろうとした王太子がそこにいる。

彼は目の下に濃い隈が出来上がっており、頭のネジが何本も吹っ飛んだような、血走った眼をしていた。

連日の睡眠不足と悪夢が重なった結果なのだろう。

もしかしたら、悪夢から逃げるために酒に逃げ、余計に体を悪くしているのかもしれない。

そんな事を思う顔色の悪さだった。

ディアマンテはぎゅっとオルカを抱きしめる。オルカは目を開けない、血のシミは広がっていく。

だが。

もしも、ここでその脅しに屈して、でもオルカを助けてもらえなかったら。

そんな事が、従おうとした舌を止めたのだ。

何しろ相手は相手だ、薄布だけで冬を越させようとし、食事に毒を盛り、彼女を何度も殺そうとしてきた悪意を持っている。

言っているだけで、オルカを助ける気持ちなんてさらさらないのかもしれないではないか。

だってオルカの心臓に近い部分が真っ赤だ。

この傷を簡単に直せる術を持つ人はいない事くらい、ディアマンテだって知っている。致命傷なのは簡単に、見て取れたのだから。

脅しで致命傷を与える人間の言葉を、はたして信用していいのか。

信用してはいけない、とこの数か月で培った経験が告げる。

それに王太子は間違っていた。ディアマンテは殺す技なんて持っていないのだ。

持っているらしいのは、障壁を作る力だけ。

王太子の命令を聞く事は……不可能だ。

ならば。

自分にできるのは、屈する事ではなく、立ち向かう事だ。

本当はオルカを助けてほしい、でもこの男は信用できない。だから駄目だ、ここで従う意味はない。

王太子の背後から足音が響いている。そして倒れる男と男をかばうように抱きしめる娘を王太子の背後から見たのだろう。

悲鳴のような声が響いた。

「殿下、何と言う事をなさるのですか!」

「この女にはこれ位しなければ理解させる事が出来ない! 王太子とその婚約者のみ悪夢から逃さないような、そんな魔女など!」

「障壁姫の友人を殺してしまっては、障壁姫に助けてもらう事などできませぬ!」

「うるさい! この女が私やオーレリアを苦しめているのだ! これ位の事をしなければ、この女は従わない!」

「障壁姫は従わせるものではありません!」

王太子の凶行を止めようと騎士たちが説得するのだが。

睡眠不足で正気を失っている王太子には通じないらしい。

「うるさい! ならばこの女も殺し、新たな障壁姫が出現すればいいのだ! 私やオーレリアの悪夢も退けてくれよう!」

無茶苦茶な論理をする男が、すでに色々な物を失った瞳で、ディアマンテに魔術の照準を合わせてくる。

しかしディアマンテは、そんな男を見ていなかった。

オルカを見ていたのだ。何とか必死に、血を止めようと傷を押さえながら。

オルカの体を貫通した何かの術は、彼に多大な出血をさせていた。

血が出るのが早すぎる、これではオルカが死んでしまう。

「止まって、止まって!」

ぎゅうと死に物狂いで握りしめる傷口、だが血は止まらず、ディアマンテの手を真っ赤にしていくばかり。

「だめ、だめ、だめ! こんな所でオルカは死んではいけないの、お母様になんて言ったらいいの!」

ディアマンテの中ではオルカの事ですべてが埋まり、王太子の正気を失った発言や行動はもう、頭に入っていなかった。

ただ、血が流れていくのばかりを意識していたのだ。

「止まってお願い、お願い!」

彼女の叫ぶような悲痛な声。それから王太子を強制的に失神させ、担架を持ってきたのは複数の騎士だった。

「彼をこちらに!」

騎士たちから見ても、王太子の凶行はむごすぎたのだろう。

ディアマンテは騎士たちの声で我に返り、担架にオルカを乗せようとした。

その時だったのだ。

オルカの血がオルカの体以上に広がったのは。


ぶぅおん……


それを契機にしたのか。何かが発動される音が響いたような気がしたと思えば、オルカの体は血の中に沈み込んでいった。

ディアマンテはとっさにその体にしがみつき、一緒に血の中に飲み込まれていった。

その時、ばんと音がして、足に何かがかすったような気がした。



青、だった。海の青がその世界のすべてだった。

水の感触だった。手や足に絡みつくのは間違いなく、水だった。

海の中、という事がディアマンテでもわかるほど、明確にそこは海だった。

そしてその中で、オルカが揺蕩っていた。

血は……流れていない。陸であれだけ流れていた赤い色はまったくない。

そして。

その傷があるだろう部分に、小さな魚が群がっていた。

海の青を一匹一匹に封じ込めたような色の魚たち。

それらが群がり、オルカの傷の中に入っていく。

ディアマンテはそれを見る事しかできなかった。

最後の一匹が傷の中に入れば、オルカの姿に変化が現れる。

そう、あの、鱗とひれのある姿だ。

ごぼり、と泡を吐きだしたオルカが、首だけをディアマンテに向けて、不思議そうな目をする。

「ここに入るなんて、すげえな」

唇がそんな言葉を形どった。音は聞こえないのに、音が聞こえるようだった。

「ここは海神の領域の最深部。おれの爺さんの残した最後の聖域の一つ、……見られちまったなあ」

のんきな調子で、彼は自分が海神の孫だと語る。

「致死の傷を負うと、ここにきて傷を癒す。わだつみの系譜のあるあるだけれども」

その目が、海の色を宿して、彼女の足を見る。

「傷できてるな……治してやるからこっち来いよ」

その声で彼女は、自分の足に何かの魔術がかすり、血が流れている事に気付く。

気付いたとたんに痛くて、現金だなと思わないでもなかった。

だが彼に近付けば、彼は身をかがめて彼女の傷に唇をあてる。

そして傷をなめれば……彼女の足にもう、傷はない。

呆気にとられるほどの速度だった。

目を見張っている彼女に、男が笑う。

「陸に上がろうぜ、今なら場所だって決められるからな」

「じゃあ六島に帰りましょう。アシハラにいても得な事はないわ」

彼女が手を下すまでもなく、正気を失った王太子のいる所なんてごめんだ。

そんな彼女の思いをくみ取ったのか、けらけらと笑う男が、彼女に手を伸ばして抱き寄せる。

「じゃあ、次に陸の空気を吸う時、そこは六島だぜ、おれの大事な金剛石」

ばしゃんと音がして、海面に顔を出したと思えば……

「あれなんだ、泳いできたのかい、シャチ坊」

六島の幾つもある船着き場の、一つの近くに浮かび上がっていた。

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