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2/22

この人はいったいどこから。

彼女は何とか、男性の下から抜け出した。そこまでの苦労もやはり、彼女が経験した事のない物だった。

「怪我人」

疑問を抱えた娘は、じっと男性を観察する。

ひどく汚れた外套の下の、ほぼ全開の生成のシャツもまた汚れた箇所の方が多いものだ。

傷があるのか、無いのかわからない。

しかし、新たな出血はないようだ。

あちこち破れた衣類だというのに、血を流す傷が一つも見あたらないのだから。

彼は色の濃い肌色をしており、血のようでありながら、もっと色の濃い深みのある、赤い髪をしていた。

それにしても。

「みない装束だわ……こんなに、体中に金銀の飾りをつけるだなんて」

彼女は、その青年があちこちに飾りをまとうため、どこの出身かまるでわからなかった。

あれは南の様式、こちらは北側、こちらは東、こちらはたしか、今では鎖国状態で出回っていない孤島の物……

装身具はごてごてと多く、それだけ青年がどこの生まれなのか、わからなくなってしまう。

青年は意識がないようで、ぴくりとも動かない。

「……」

彼女はおそるおそる、男へ手を伸ばした。

そしてその体を、つついてみるが、反応はやはり無い。

「もし、もし……」

こう言った相手に呼びかける言葉を、彼女は知らなかった。

それ故どこか間の抜けた調子になったが、しかし揺すってみたのだ。

男は動かない。

「……ここに寝かせておくと、体の具合が悪くなってしまうわ」

彼女はゆっくりとそう言い、一つしかない自分の寝台をみる。

本当は、誰だかわからない男を、自分の寝台に寝かせる事はとても抵抗がある物だった。

しかし、一ヶ月以上塔の中で孤独に、誰とも会話をせずに暮らしてきた少女は、突如現れた”誰か”と会話がしたかった。

そして。

「ここで寝台を貸せるようになれば、わたくしは少し変われた、と言う事になるのかしら」

などと呟き、彼の体から赤い外套をはがし、一生懸命に寝台にいれてやった。

「一日くらい、床で眠っても大丈夫だと信じたいわ」

小さな声でそういい、彼女は彼に布団を掛けた。

「そうだ、彼も起きて、顔を洗いたくなるかもしれない」

水を持ってこよう、と彼女は思い立ち、えっちらと再び、階段を下りていった。


「食事もするかもしれないわ」

彼女はそう思い、夕方の食事も半分ほど残した。

空腹がひどく、何度も食べてしまおうと思ったのだが、それでも目を覚ました男が空腹だと言った時の事を考えると、食べられなかった。

しかし、朝まで残すと悪くなる物は、ある程度の時間がたったら食べてしまった。

パンは干せば何日も持つ、と経験から学習していた彼女は、パンを半分残した。

干しパンが出来てしまうだろう。

そして堅く、掃除もしない、と言うよりも掃除の仕方がわからないために行えない少女は、臭いのきつい床で眠った。

明くる日、体は節々が痛んだが眠れたので彼女は、苦笑いをする。

「こう言う事も出来るようになるのね」

しかし、男は目覚めなかった。

翌日も翌々日も青年は目覚めない。死んでいるのか、と思った彼女だが、呼吸をする男は生きているはずだ。

そしていつの間にか、一週間ほど日が過ぎていた。

今日も目覚めないだろう、と思って起きあがった彼女は、一週間も堅い床で眠れてしまうようになった自分に、慣れるってすごいと感じた。

そして。

「今日も目覚めないのかしら」

彼の脇に立って呟いた。そして食事を食べるべく、きびすを返したその時だ。

ほんのわずかに、居室の空気が揺れて。

「なあ」

からからと、明るく陽気な声が彼女の背中にかけられた。

目を見開きゆっくりと振り返った少女に、もう一度声がかけられる。

「なあ、名前知らないから呼びかけられねえんだよ、無礼だとか思わないでくれって」

二度目の呼びかけで、彼女は推測が確信に至った。

ばっと振り返る。

すると、彼女の寝台の上から起き上がり、男が彼女を見てにいっと笑いかけた。

「あんた、誰だ?」

虹色の瞳、と彼女は信じられない頭で思った。

彼はその、色の黒い肌色の中で、ひときわまばゆい虹色の双眸を持っていたのだ。

どんな宝石よりも綺麗な、瞳を。

「わたくしは、ディアマンテ」

名前がこれ以上ふさわしくない物はない、と陰で噂されていた名前を口にすれば、男はふうん、と笑った。

「金剛石って名前か。いい名前じゃねえの。あれぶんどると色々潤うんだよな」

けらけら、と笑いながら彼はいい、続ける。

「おれはオルカっていうんだ」

「オルカ?」

「そう。色黒でシャチみたいだからオルカ」

たしか、どこかの言葉でシャチをオルカと呼ぶのだ、と博識な彼女は思い出す。

目の前の男と、一致しない部分があるが。

「あんた、おれをここに運んだのか? ここにくる記憶がねえんだよ。あーくっそ、たぶん大丈夫な事になったんだろうが」

取り戻すもの、無理になっちまったぜと陽気な調子の彼は、ひらりと起きあがる。

起き上がり少しよろめく。

「ディアマンテ、一つずつ、答えられる事だけ答えてくんね? ここはどこだ?」

「ここはわたくしが幽閉されている、塔よ」

「うん、それしか知らないか」

「ええ、知らないわ。ここが国のどこにあるのかも、わたくしは知らないの。たぶんわたくしの父が治めている領地のどこかのはずだわ」

彼女は心底そう思っていた。

何故ならば、彼女の父が彼女を罰するといったからだ。

処刑を免れた彼女が、行く先は一番監視の目が届きやすい場所……すなわち、父の眼の光っているであろう領地だからである。

「ディアマンテの親父は、どこを治めてんだ?」

「トヨトミ王国の、王都マホロバから少し北にずれた、ヤマシロよ」

「ヤマシロぉ! ああ、あの、やたら金銀の値段がやっすいあそこか」

彼は目を丸くして瞬かせたかと思えば、何が楽しいのか笑顔になる。

「これ、ヤマシロの貿易商からぶ……もらったんだぜ」

そう言ってじゃらりと髪に飾る飾りを示す。

ディアマンテも、その様式には見覚えがあった。

一昔前の流行の物で、驚くほど技術が必要なためにあっという間にすたれた様式だ。

細かな飾りを売るだけで、平民ならば大きな家庭付きの家が一軒手に入るという相場の物だ。

「やたら渋ってたから、最後は殴ったけど」

けらけらと笑う彼は、もしかしたら自分の思いつかない程の乱暴者なのかもしれない、とディアマンテは内心で思った。

その割には、ディアマンテに乱暴を働くそぶりがなく、逆に、

「ああ、気付かなかったけど、ここ一つだけの寝台なんだな、うわ、おれ思い切り汚しちまったな、後で洗えばいいか?」

彼女の内心など思いもしない調子で、ひょいと寝台から出て行き、ぐらりとよろめき、床に尻もちをついてまた笑う。

「あー、体がすげえ鈍ってんな。航海士あたりにばれたら甲板走り回らされる」

などと、言っていた。

この空気の読まなさは一体、と彼女が彼の頭の中身を考えるほどおおらかである。

「そうだ、質問また続けていいか?」

「ええ、わたくしの話せる事だったら」

「あんた優しいし親切だな、んじゃさっそく。おれ、どうしてここに来てた? 前後をさっぱりぽんで思い出せねえんだ」

「一週間くらい前に、薄い赤色の火花が散って、あなたがわたくしの上に落ちてきたの」

「あ、重かったろう、ごめん」

「ええとっても重かったわ」

「……薄赤い火花……って事はあれだ、じい様連中の召喚術の一種か転送術の一種で……!!」

オルカはぶつぶつと呟いた後に、何かに気が付いた調子で目を見開いてから、またいう。

「ここがヤマシロなら、あの時あいつらが負けてたらここも終わってるわけだから……ああ、あいつらはうまくいったのか」

「何をぶつぶつ言っているのかしら」

「ん、自分の記憶の確認と推測。整理してんだ」

「そう」

ディアマンテは深く問いかけなかった。

この男が、いかにも訳ありだというのは、口調から察したのだ。

「ん、大体わかった。あんたは命の恩人で、おれはあんたに色々な物を返さなきゃならねえんだな」

「返すも何も、わたくしはここから一生出られない身の上だもの、何も返さなくっていいわ」

「おいおい」

彼はその、虹の散らばる瞳を瞬かせるや否や、ずいとディアマンテに顔を近づけた。

「わけわかんねえ。あんたみたいないい子、なんでここに閉じ込めるんだ。あんた見た目で忌子あつかいされる色じゃねえし」

「……ここに来るまで、わたくしはとても傲慢で、鼻もちならない令嬢で、どんな事もすると思われていたの」

「はあ。偉そうだったの」

「それとは違う気がするのだけれど……わたくしはそれで、やってない事をやったと濡れ衣を着せられて、ここに閉じ込められたの」

「親父は助けてくれなかったのか」

彼の声が不思議と、重く変わる。

彼女は平然とした調子を装い、続けた。

「父上は……証拠も山積みだったから、何とかわたくしが処刑されないように尽力してくれたのだと思うわ」

教育を間違えた、と振り返ってくれなかった父を思い出せば、胸のあたりが焼け付くように痛んだ彼女だが、勤めて冷静に言った。

「……親父ってのは色々だな。全部なげうって助けてくれる親父もいれば、こんな娘を見捨てる親父もいるのか」

やや乾いた声でオルカが呟き、頭を振った。

「ん、あんたが閉じ込められた理由はわかった。でもおれは納得できない。あんたはここから出て行きたくないのか」

「……出られないもの」

彼女はうつむいた。そんな彼女に顔を近づけていた彼は不意に、問いかけた。

「あんた、すげえいい処の令嬢だろう。着替えも体を洗うのも、洗濯をするのも何もかも、使用人たのみの」

「そうよ。顔を洗うのくらいはできるようになったけれど、そういう事は何もわからないの」

「……そういう娘を一人だけで幽閉するのか? ずいぶん変な話だな。まるで失意の中発狂して、自殺してほしいみたいだぜ」

オルカの言葉に、ディアマンテは一度も思ってみなかった方向だと思った。

自分は父が何とか、命だけは助けてくれたのだから、使用人も何もいない、この地獄のような孤独の中、塔に一人きりだと思っていたのだ。

彼はそれをおかしい、と言っている。

「おれにはそこの事情は関係ないな。そっか、あんた道理で俺と似たような匂いがすると思ったら、何日もろくに体洗ってないのか。そりゃ匂うわな」

彼は乙女にとってかなりぐさりとくる言葉を、さらりと言った。

デリカシーがないのだろうか。と思う声だ。

彼女はぐっと涙をこらえたのだが、ぼろりと涙がこぼれた。

身ぎれいにできない自分を、彼女はとても苦痛に感じていたのだ。

そして、火の熾し方もわからないから、風呂の用意もできない事が精神的に大きな苦痛だったのだ。

そこでこの神経を疑う発言である。

いつも清潔に、身ぎれいにしていた娘には耐えがたい言葉だ。

「え、泣くのか? 妹とは大違いだぜ……あいつ海水浴びても、俺らと一緒で風呂に入るっていう選択肢思いついてなかったぜ……」

彼は泣かれた事に慌てだしている。どうやら、かなり大雑把な妹がいたらしく、彼女が基準の様だった。

「わるい、わるい、あんたにとっておれの言葉がすげえ無神経だったのかもしれないから、謝る、ごめん」

ディアマンテは目を丸くした。

彼女の周りの男性は、こんなに簡単に謝ったりしないからだ。

自分の非を認めず、女性側に非があるのだと非難する男ばかりだったのだ。

そのため、彼が当然のように、両手を合わせて謝ってくるのが、とても不思議で涙も止まった。

「……あやまってくれるなら、いいわ」

「あんた本当に、いいやつだな……んじゃあ……」

少し、顎に手を当てて考え始めた彼は、いい事を思いついた、という声でこういった。

「よし、じゃあおれが、あんたを風呂に入れてやる! お礼はそれでいいだろ!」


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