16
「へえ、ここの大商人と呼び名の高い、老師からの招待状じゃないか」
戻ってきた彼女の声を聞くまで、彼女はその板を眺めていたらしい。
はっと我に帰れば、何も仕事をしていない事に気付いて申し訳なく思う。
「ごめんなさい、店番なんてしていなくて」
「いいのいいの、あなたに声をかけられなかった辺りで、その程度の人間しかここを訪ねなかったってだけさ」
豪快に笑う彼女が身を乗り出し、ディアマンテの手の中の物の正体を、楽し気に告げてくる。
「それは間違いなく、あなたの身分証明をしてくれるものになるね。それは老師の所の人間ですっていう証明になるのさ、今はまだそうじゃないけれどね」
「まだ?」
「そ。ここで老師ときちんと契約を交わして、老師の傘下に入れば、その板にあなたの名前が刻まれて、あなたの魂の色に石が染まる」
確かに今現在、板の石は無色透明、何の変哲もないガラスの様なものだ。
「そんな事ができるのですか」
「老師はここら辺でも最もそう言った鬼術の変則的な物をやれるからね。うちの馬鹿もちょくちょく習いに行っていたよ。まあ方向性が違うから、極め方も違ったけど」
ディアマンテが首を傾けて、怪訝な顔をするとホエイ=ルが手を叩いて買い物かごの中を見せる。
「あたしらはご飯にしようじゃないか。年長者として、相談事があるなら聞いてあげるよ」
布の向こうの口元が、茶目っ気たっぷりに笑う。
どうしてこの人は、顔を隠すのだろう、とディアマンテはやはり気になりながらも、それは聞いてはいけないのだろうな、と聞く事をしなかった。
彼女の聞いてはいけない線引きは、やはりオルカのそれに通じるものがあったのである。
「ふうん、目利きか。あなたが目利きなのかはわからなかったけど、そう言ったものにたくさん触れる機会がある実家だったんだな」
「いい物はたくさん見てきたけれど、それがすごい事だなんて思えなくて」
「いや、本物ってのはそう言うやつらなんだよ。いちいち値段とかはわからなくても、どこの産でどこの造りか確実に読み取れる、そんなのは間違いない本物の証なんだ」
「本物って、大げさなように聞えるわ」
「じゃあ、言ってあげようか?」
ホエイ=ルがにやにやと、悪戯小僧の笑顔になって言い放つ。
「綿々と続く大貴族の直系のご令嬢」
「……っ」
自分の何を見てそこまで読み取るのか、とディアマンテは息をのむ。彼女は自分の素性など、オルカにすらほとんど話していないのだ。
なのに、そこまで読み取れるのは、ホエイ=ルがそれだけ物事の真実を見抜くからなのか、それとも違った理由なのか。
嘘も偽りも見抜かれているのでは、心の中の疚しい物も、なんでもかんでも?
そんな可能性に気が付き、凍り付いた彼女にホエイ=ルは言う。
「よっぽど見抜かれて驚いているようだけれど、あなたの立ち振る舞いを見れば大体わかるし一人称はわたくしだし、どこぞの名家の出でって事はすぐに分かる、ましていい物を見抜けるだけ目が肥えているとなればそれは、相当な大貴族か王族さ。でも王族という生き物特有の、漂う血臭がしないとなれば、大貴族で間違いない」
「王族に、血の匂いが?」
「まあね。一回も戦争をした事がない国ってのはない。戦争ってのは人と人が殺しあって血が流れて大地に吸い込まれていくものさ。そう言った時に流された血の業は、直接手を下したしていないにかかわらず、王族にまとわりつく。……それを命じたものの責任さ。占い師はそれ位は簡単に見通してこそ、占い師。まあうちの馬鹿は血の業どころか呪詛まで見透かして、それの上書きまでしちゃうけれどね」
聞き捨てならない事を聞いた、とさすがにディアマンテは食べる手を止めた。
白いご飯に魚肉団子の入ったスープは、海の上という事もあって大変においしい、いや、そんな事を思う前に。
「呪詛を上書き……そんな、こと」
「できるね、あれは。呪詛をさらに酷い呪いに仕立て上げる事も、その呪いを無効化する上書きも。ところがあれは自分に何重にも呪いをかけて見えないふりをしているから、こう言う事になる」
指さされた、オルカのひれの耳。
「あたしが産んでから数年、この子は海に入れてもひれの耳になんてなりゃしなかった。父親の所にやって戻ってきたら、この子はひれの耳に水かきの手足を持つようになった」
「……」
それでは怪物、と思わなかったのだろうか。そんな失礼なことを一瞬考えた彼女だが。
「見た目がどうだろうと、あたしはあたしの子供を見間違えないのさ。……こんなあたしにそっくりな、七つの眼を持った餓鬼なんてね」
「七つの眼?」
「そ。まあ見せる方が理解が速そうだね、見てごらん」
いうやいなや、彼女が布をめくる。
現れた顔の中、瞳は。
「虹色……?」
「そ」
占い師は笑った。
「これぞ、遠い伝説にのみ伝わっている、大罪の民が持つ“色彩乱舞のまなこ”さ。あたしは先祖返りでね、こうして極彩色の目玉なわけだ。そして子供もそれを見事に受け継いだ」
すぐさま隠された瞳の色は、確かにオルカと同じばらまかれる鮮やかな色だった。
「この目と同じ目は、今、この世界にあたしの子供だけなのさ。ここ六島は大罪の民の生き残りが細々と血をつないできた島。同じ目の持ち主同士だったら、力が共鳴して居場所が分かる。でもあたしは馬鹿息子しかわからないから、同じ目は子供だけって断言するんだけれどね」
にやっと笑った占い師が、その後身を乗り出す。
「今度はそっちに聞いてもいいかい」
「聞けることなら」
「そ。……あなた、“隔絶師”の家系じゃないかい?」
「わたくしは、家の秘密を知れるほど重要な場所にいた事がないので、わからないです」
「そっか。うんうん、ならしょうが……ってええ!」
「婆。ディアマンテ困らせる事言ってんじゃねえ……ばばあでも三枚におろすぞ」
壁に体を寄りかからせて、荒い息で言い切ったのは、オルカであった。
ぎらぎらと瞳の光が瞬き、普段の陽気な雰囲気がもっと猛々しい物になっている。
「起きたか馬鹿息子。殺気をしまいな。あんたの大事なディアマンテを驚かせてるよ。あと老師が彼女を招待したね、どうせ付いて行くんだろう、体調を万全におし」
そんな息子も慣れているのか、ホエイ=ルは卓の空いた場所を叩き座るように促した。
オルカも言われた事はもっともだ、と思ったのか。
大人しく座り、卓に頭を乗せた。
「食べる気もしない」
「風邪だ風邪。温かい塩乳茶でも飲んで寝ろ」
看病の内容も雑だ、とディアマンテですらわかる、雑な言い方であった。
「本当にそれでいいの? 顔色が悪いわ」
ディアマンテの言葉に、オルカが卓と親しくなりながら返した。
「頭が痛い。目が回る。こんなの親父がいた頃以来だぜ」
「だからあんたは、馬鹿だから風邪をひかないってのの典型だったのよ、ほらさっさと寝る。寝る前に塩乳茶を飲んでおきなさい。食べられるなら少しは食べて」
これまた厳しい母親の言葉に、オルカが欠伸をしながら言う。
「おー」
そしてのそのそと動き出し、容器に入れられていた塩乳茶を一杯飲み干す。
「うえ、これでも結構きつい」
「だから風邪を引いた事のない馬鹿はろくでもないのよ、あんたの風邪だからあの人の領域がかかわってきそうで、手が出せないしね」
「あの、手を出すというのは」
「占い師は軽い風邪くらいだったら治してあげられるのさ。ちょっとばかり本人の魂の炎の燃え方を強めて、風邪を吹き飛ばすっていう方法があってね、でもこの馬鹿息子はだめ」
「親父の領域だもんな、おれの体の中身」
しれっといったオルカはちらりと、ディアマンテを見やって呟いた。
「ん、やっぱりそうだ」
「何がそうだ、なのかしら」
「ディアマンテがいると楽な感じがする」
「わたくしがいると? それなら近くにいるわ」
いつも助けてもらっている、という自覚のあった彼女は、自分がいて楽になるなら、近くにいる事も簡単だと思ったのだ。
「ん、じゃあ手をつないでてくれよ」
ごろりと床に寝転がった男は、そのままディアマンテの空いていた手を握る。
「おい馬鹿息子、そんな所で寝入る気じゃないだろうね、仕事の邪魔だよ、あんたが風邪の間はあんたの稼ぎはあてにできないんだ、あたしの仕事の邪魔をするんじゃないよ」
「あ、わたくしが運びます……」
「……できるのかしら」
「やってみた事はないけれど、引っ張っていくくらいは……」
疑問の調子でも言ってみたディアマンテは、食事を止めて立ち上がり、オルカの肩を掴もうとした。
塔に閉じ込められる前に、兵士たちに引きずられた時と同じ要領である。
だが彼女は非力な少女であり、兵士たちのように人を引きずっていく事は出来なかった。
「……ごめんなさい、できなかった」
「そんなもの期待してないから安心おし」
見て何を思ったか、噴出したホエイ=ルが言う。
「でももしかしたら、それの父親と同じ条件で、動くかもしれない」
「え?」
そんな条件がある物なのか。
怪訝な顔になった少女に、ホエイ=ルがにやりと唇を吊り上げて、オルカそっくりの楽しそうな表情を見せた。
「それの耳元で、こういってごらん」
さらりと口にされた言葉に、ディアマンテは赤面した。
なんだかとても恥ずかしい言葉のように、聞こえたのだ。
「言えるかしら……途中で止まってしまったり」
「あなたもだいたい、そこの馬鹿が好きね、普通言えないっていうわよ」
腹を抱えて笑い出したホエイ=ルを見て、からかわれたのだろうかと思いいたれば。
「からかってんじゃないのよ。事実昔、それの父親はその言葉で寝ぼけても動いたからね」
ディアマンテは父親がそうだから、オルカがそうだとは限らないと思ったのだが、母親は確信があるらしいのだ。
言うか言わないか、を楽し気に観察している。
よっぽど息子をからかうネタが欲しいのだろう。間違いない。
それとも久しぶりらしい息子の帰宅に、浮かれているのだろうか。
そうだとしたら、オルカはうらやましいな、と彼女は心の片隅で思った。
自分はきっと、帰っても誰にもいい顔なんてされないのだから。
まあそれは置いておいて、彼女は唇を舐めた後言った。
「ねえオルカ、“添い寝をしてちょうだい”」
数秒は、何の反応もないように見えていたのだが。
少し待っていると、のろのろとオルカが起き上がったのだ。
いつも光が乱反射する瞳は、ぼやりと暗いのだが、起き上がったのである。
からからと転がるように話しかけてくる口も、ぼうっと開き気味だが。
明らかに寝ぼけている状態でも、起きたわけだ。
「ほら、これで向こうに手を引いて行ってやれば、そっちで寝るわよ」
「あ、はい。すみません、何もできなくて」
「いいのよいいのよ、最初のうちは」
何がそんなに楽しいのか、卓を思い切りバシバシと叩いて大爆笑している彼女を振り返りつつ、ディアマンテはオルカの手を引いた。
そして先ほどまで、彼が眠っていた場所に移動させて、ふうと息を吐きだしたその時、である。
ぐい、と腕が掴まれたと思えば肩まで囚われ、すっぽりとオルカに包み込まれるように抱え込まれてしまったのだ。
これは想定外だった。
「きゃあ!」
悲鳴だって口から出て来るに決まっているのだが、オルカは瞼を閉ざしてまるで聞いていない。
いいや、これは完全に眠りに戻った、とディアマンテは瞼から察してしまった。
病人は体力の回復のために、よく眠るというがディアマンテは、眠くないのだ。
しかし。
熱い位の体温に包まれ、抱え込まれていると自分も妙に落ち着いてきてしまう。
そして疲れている事に気付かされたのだ。
店番は思いのほか緊張していたのだろうか。
それとも、思いがけない事に興奮してしまったのか。
分からないまま、ディアマンテはオルカのむき出しの胸に頭を預けた。
この体勢のままでも、老師の申し出をじっくり考えられるはずだ、と思ったのである。




