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少年は名を草音理人と名乗り、少女を蒼衣奏と紹介した。
やはり二十歳に届かぬ子どものようで、学生か、と尋ねたら曖昧にはぐらかされた。
二人の背丈は五センチと変わらず、一見するとほとんど同じくらいだ。
声を出さなければどちらがどちらか見分けがつかないが、しばらくすると、突発的に動くのが奏で、一歩遅れて振り回されるのが理人だということが段々に分かってきた。
加えて理人の方は、右腕を動かす際に時々突っ張るようなぎこちなさを見せる。それだけ見分けられるようになれば、もう二人を間違える事は無かった。
すっかり花を流してしまった後で、靴を脱ぎ捨てた奏がくるぶしまで水に浸りに行く。
素足を清流にさらして、冷たい、冷たい、とはしゃぐ奏を困ったような浅葱色の光で見つめながら、理人が国広に向かって口を開いた。
「ありがとうございました」
「え?」
唐突な謝辞に戸惑っていると、理人が言葉を足した。
「ゴミにするのも置いていくのもかわいそうだと思っていたから」
──花。と続けるのを聞いてようやく、国広は理人が花弔いのことを言っているのだと理解した。
「いや……」
かわいそう、と言うならなぜ、二人は花を切ったりしたのだろう。それとも花を捨てたのは、この子どもたちではないのだろうか。
疑問を口にするか躊躇っているうちに、理人が話を先に進めてしまった。
「色んな土地を回ってきたけど、花弔いなんて風習は初めて聞きました。雛や灯籠、場所によってはねぶたや七夕飾りも流すのを見ましたが、花のために弔いをしてやるというのは見たことがありません」
「そうなのか」
珍しいことだと指摘されて、ふと思い出す。
そう言えば、実際に花を流していたのは妻だけだ。他の者がそれをやっている所を、国広は見たことがない。
思案しながら、国広は思ったことを口にした。
「もしかしたら、妻が勝手にやっていたことだったのかもしれないな。花弔いという言葉も、妻が作った言葉なのかも」
よく考えたら、花とはいえ川に不要になものを流すなど褒められたことではなさそうだ。
それでも国広は、始めて川に花を流す妻を見た時に美しいと感じた、自分の気持ちを否定したくはなかった。
「そうだとしたら、優しい思いつきでしたね」
不安定なテノールの声が、国広の思い出を肯定する。
「花を悼むなんて、濃やかな人です」
理人の声がこちらを向いた気がして、国広は自分より背の低い彼を見下ろした。
吸い込まれそうな青の光を押しのけて、一瞬、紫色の光が理人をくるりと包み込む。
この色は、あまり見た事がない。
どんな意味を持つ色だろうと考えていると、寒い、寒い、とかじかみながら奏が川から上がってきた。
「うー。寒いー」
「当たり前だよ。今何月だと思ってるの」
震える奏に呆れ声で応じてから、理人が脱ぎ捨てられた靴と靴下を彼女に手渡す。
ううう、と情けない声を出して、奏が慌てて靴下を身につけた。
服や靴は、単体で見れば個体をしっかり認識できるが、人が身につけると途端に光の中に溶け込んで見えなくなる。道具もそうだ。人間が自分の延長として使うものは皆、人がまとう光に同化していく。
ブラウンの革靴が奏の光に溶けていくのを眺めながら、国広はなんとなく、光は人の認識によって左右されているのではないか、とぼんやり思った。
「寒いー寒いー」
「馬鹿じゃないの」
悪態をついて、それでも理人が自分の上着を脱いで奏の体を手早くくるんでやる。
そのかいがいしさに思わず兄妹かと尋ねると、理人の声が嫌そうに否定した。
「こんな無茶な妹を持った覚えは無いです」
「私が姉かもしれないよね? 双子かもしれないよ」
震える声で混ぜ返す奏に「ありえない」と理人が首を振る。
兄妹でないなら、この二人を繋ぐ関係は何だろう。
恋人と言うにはやや遠く、友人と言うにはやや近い。まるで秘密を共有する共犯者のようだ。
不思議な距離感の子どもたちに思いを巡らせていると、「ところで」と発した理人の声に思考を遮られてしまった。
「おじさんは、まぼろし病を知っていますか」
国広は名を名乗らなかったので、理人のおじさん呼びは健在のままだ。
ちょっと傷つく呼称だが、今更改めて自己紹介もないだろうと、国広は受け流す事にした。
「まぼろし……何?」
聞き慣れない言葉を拾いきれずに繰り返す。
国広の反応に、理人が「まぼろしやまい」と発音し直した。
その横で、奏をまとう光が紫色に変化する。先程理人を包んだ色とよく似た色だった。
「知らないなら、少しだけ僕の話に付き合ってくれませんか。花弔いを教えてもらったお返しに、珍しい話をお聞かせますよ」
奏を促して理人がその場に腰を下ろす。
国広にも同じように座ることを勧めた理人は、「それに」と独り言のように付け加えた。
「もしかしたら僕は、おじさんを手伝えるかもしれない」