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まぼろし病と患者達  作者: 風島ゆう
人魚姫症候群
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「助かったよ」


 土間の前で煙草を吹かしていた()(さわ)(いつき)を見つけて、ルイスは声をかけた。


 九年前、医学生としてこの国にやってきたルイスは、その時世話された空き家の古民家に今も住み続けている。

 隙間風の多い平屋の土間は冷え込みも強く、土間には火鉢を出していた。


 上がり框に腰掛けて足下の火にあたっていた樹が、ルイスを見上げて首を左右に振る。右手の指先から細く紫煙が立ち上っていた。


 二年前に山岳救助隊の隊員として赴任してきた樹は、三十二歳のルイスより八つ歳を下回る。

 いわゆる他所(よそ)(もの)であるが、若者の少ないこの土地で親しくなるのは自然なことで、友人になるのに時間はかからなかった。


 短く整えた髪に、少しきつめの一重。鍛え上げられた体は若さ故厚みに欠け、背丈でいうならルイスより頭半分ほど低い。それでも力仕事でははるかに役に立つのだから、さすがだ。


 ルイスが並んで腰を下ろすと、樹が思い出したようにふと苦笑した。


「ずいぶん難しそうな子だな」


 奏のことを言っているのだと察して、ルイスも曖昧な笑みを返す。


 樹の手を借りて自宅に運び入れた理人は、ルイスの診た所ウイルス性の感染症……つまり風邪を引いていた。

 熱は高いが重篤な病気ではなさそうだ。肺炎の心配もない。


 ちゃんと養生すればすぐに良くなると、ルイスは懇切丁寧に奏に説明した。

 しかし奏は相変わらず青い顔のまま、意識の無い理人を凝視していた。


「よほど大切な友人なんだよ」


 ルイスの言葉に、樹が眉をひそめる。


「それにしても風邪ひいてるだけの病人を見て、死んじまう、はねえよ」


 乱雑な言葉は樹の癖だ。お綺麗な言葉が使えなくてそのせいで損ばかりすると、いつだったか皮肉に笑っていたのを覚えている。


 樹の言う通り、ともすると理人より顔色の悪い奏は、囈言のように何度も、彼が死んでしまうと繰り返しては不安がった。


 ──私のせいだ。


 張りつめた表情でそう呟いた奏は、今にも泣き出しそうな声をしていた。


 ──私が薄着をして、寒がったりなんかしたから……。理人は私に上着を貸してくれたんです。死んじゃったらどうしよう。


 ただの風邪だ、死んだりしない、とルイスが重ねて強調すると、奏は目元を真っ赤にしてこれに反論した。


 ──風邪だって死ぬよ!


 その剣幕に驚いて、ルイスは思わず樹と顔を見合わせたほどだ。


 なぜ彼女は、それほど病を恐れるのだろう。


 次にかける言葉を見失っていると、病床から掠れた声が奏を呼んだ。枕元の騒ぎに理人が目を覚ましたのだ。

 細かく震える奏の白い手を捕まえて、理人が彼女の注意を自分に向ける。そうしてゆっくりと、噛んで含めるように奏に向かって言ったのだ。


 ──大丈夫。僕は死なない。


「なんだか危ういな。あの二人」


 同じようにここまでの出来事を回想していたらしい樹が、深く煙を吐いて携帯灰皿に煙草を押し付けた。残り香が冷えた空気に紛れていく。


 しん、と静まり返った冬の気配に身を任せていると、玄関の引き戸が音を立てて開かれた。


「遅くなってごめんなさい」


 現れたのは、樹とともに喫茶店で同席していた富士(ふじ)(しま)(とう)()だ。


 顎のラインで切りそろえたショートボブがよく似合う女性で、ルイスより一つ歳が若い。

 フードのついた紺色のコートを着込んでいて、首には薄紅色のマフラーを巻いている。


 大人しい顔立ちの藤花は和服を着ると途端に華やいで見える不思議な人で、初めて浴衣姿を目にした時は、心臓が止まるかと思うほど目を奪われた。


 ルイスが勤める富士島病院の一人娘でもあり、現在は病院の受付業務をこなしている。

 知り合ってから九年になるから、もうずいぶん長い付き合いだ。


「調剤してもらってきました」


 藤花の華奢な両手が、見慣れた薬局の白い小袋を差し出した。


「ありがとう」


 受け取って、中身を確認する。自分の書いた処方箋通りに薬が出されていることを確かめると、ルイスはにっこり笑って藤花を労った。


「助かったよ。寒いのにお使いさせてごめんね」


 恥ずかしそうにはにかんで、藤花が俯く。

 俯く一瞬、その瞳がちらりと樹の姿を見つめたのをルイスは見逃さなかった。


 樹はといえば、知らぬ顔で再び懐から煙草の箱を取り出して片手で弄んでいる。


 一目見ただけで頬を染めるほど意識している。

 藤花の想いを推し量って、ルイスは小さく胸が痛むのを感じた。


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